第一章 第二節
シルバー先生の宿に馬車が向かったのは、町の南にある大きな川————ルーラ川の対岸にある森に夕日が沈みかけたときである。
失礼があってはいけないと思い、私自身が先生の迎えに上がった。先生を宴に招待するにあたり、伯父上が何か余計なことをするのではないかと頭によぎったが、さすがにそこまで失礼なことをすることはないだろうと、片隅にあるものをなるべく気に留めないようにした。
「先生どうぞ。」
「ありがとうございます。」
どこまでも謙虚で丁寧な言葉で返してくる。この方が伯父の言う偽善者なのであれば、私はこの偽善に騙されても良いのではないかと思ってしまう。ふと見ると、ずいぶん襟元の間服を着ている。春も終わりに近づき、暖かくなってきているとは言え、やはり日が沈んでからは冷たい風が体を覆う時期である。何か羽織るものと一瞬考えたが、金色で縁取られた紺色のその服が先生にとっての正装だと思い、余計なことは言わなかった。
宴の会場は中央管轄所2階の大広間である。玄関から正面の階段を上がると中央に大きな半円形の広間がある。建物正面側の壁には、天井まで続いている硝子戸があり、そこからベランダに出ると町の全景を見ることができる。今日は天気も良く来賓の人々はベランダでも歓談することができる。先生は主賓ゆえ、一番最後の会場入りとなった。
来賓の人々は基本この町の有力者、責任者である。明確にこの町の人ではないのはビクターである。彼はこの地域のガリソン(中央政権からの直属の軍隊)の最高責任者。そして伯父上との繋がりが深く、この地域に君臨している。ランスロットがシルバー先生を中央の席へ案内する中、その間来訪者たちは立ち上がり、拍手で出迎えた。
「先生、座っていただいて大丈夫です」
ランスロットはシルバー先生の耳元に小声で言った。馬車の中で先生からあることを頼まれていた。それは、それぞれの地域について礼儀や段取りはすべて把握できるものではないので、相手方に粗相がないように指示を欲しいとのことであった。護衛の意味も含めて、先生の後ろにはランスロットが常に控え、先生にアドバイスを送っている状況である。
先生が座るとみんなもそれぞれ着席した。司会進行は伯父上から私が任されていた。
「この度は『智慧の篝火』として名高いシルバー先生が、この地を立ち寄っていただいていると耳にし、この幸運を逃してはならないと思い、先生がお忙しいと思いつつもこのような会合の場においでいただきました。私たちは皆俗物無学ゆえ、少しでも人生の学びとして先生との交わりを持たしていただきたく思います。」
私がそこまで言うとランスロットに目配せをした。 ランスロットは目線で頷き先生に再び静かな声をかけた。
「先生、恐縮ですが御起立していただき、一言頂ければと思います。」
シルバー先生はそれまでほぼ微動だにしなかったが、ランスロットの言葉を受け少し優しい目をして会釈をし、ゆっくりと立ち上がった。
「わたくしは今さまざまなことを学ぶために旅をしております。ゆえにわたくしも皆様と同じ無学です。その私がこのように大変なもてなし持って迎えて下さる皆様に、感謝の念と恐縮の思いが心の中で積み重なっています。この皆様の思いに答えることができるかどうかはわかりませんが、皆様と今宵語りあい、良き形の和ができましたら、この街の未来が良き日々に包まれることを感じております。」
流れるような言葉と、深い優しさを感じる挨拶である。私はこの言葉を聞けただけで先生をお迎えしたことに、有り余るほどの幸福を感じていた。
そこから優しい感じで宴は始まった。来賓者は次々と先生に挨拶をし、軽い質問————どちらの出身なのか、どのようなところで学ばれたのか、また自分も首都アゼネイエに行ったことがあるなど、たわいもない会話を先生としていた。当然私も先生とお話をしたいのだが、この宴の幹事なので、いろいろと取り仕切らないといけないことがある。ほかの来賓者にも決して失礼なことがあってはならない。この宴が無事に終わることが私の第一の任務である。少し時が経ち、みんなに酔いがまわってきた頃、伯父が席から立ち上がった。一瞬ランスロットに目配せをする。彼もすぐにその警戒シグナルを受け取った。
「ご挨拶遅れました、私がこの街のウルビス(市政官)ギヨーム・ド・ラ・クロワと申します。先生にお会いできて光栄です。」
ランスロットはどんな発言をするかわからない伯父を、強い警戒心の目で見続けた。
「是非こちらをご覧ください。」
伯父はベランダの方へと足を運んだ。シルバー先生は一瞬ランスロットを見たが、彼自身伯父の唐突な行動に理解が追いつかなかった。ゆえにシルバー先生はそのまま立ち上がり伯父の後について行った。
「この下をご覧ください」
ベランダの下にはテーブルが用意され食べ物や飲み物が置かれていた。そして町の人々が50人ぐらい集まっており、その食事を堪能していた。
「先生がおっしゃられた通り、町の人間にこのように食事を振舞っております。」
ベランダの下からは町の人の楽しそうな声が聞こえる。
ランスロットはもちろん、少し遠くから見ている私でさえ、シルバー先生が何かを身構えているのはわかった。伯父上は何かをしようとしている—————
「皆の衆!」
伯父上が大きな声で下に話しかける。食事をしていた人たちはいっせいに上を向く。
「今宵はかの有名なシルバー先生がこの街を訪れた。そして先生が皆にも食事を振舞われるようにおっしゃった。皆がその食事にありつけているのはひとえにシルバー先生のおかげだ。」
うおーーーー
お酒も入っているせいか、下にいる民衆たちは感謝の言葉か雄叫びか分からないような声で、伯父の言葉に答えた。伯父はずいぶんと満足げな顔をして、ひとりの給仕に目配せをした。
給仕は食事の入ったお皿を伯父の手元まで持ってきた。
「まさか!」
そう思った瞬間、伯父は皿に載った鶏肉を握ると、まるで魚に餌をやるように2 、3回手首を振ってから、下へと放り投げた。
「!」
ランスロットも思わず下を見た。下の者たちはそれが食べ物だとすぐにわかる一斉に群がった。
『何てことだ、この人は何てことをしてしまう人なんだ!』
私は頭の中の混乱と、しかしどこかで何かを仕組んでいたのではないかという思いが入り乱れた。ランスロットが自分に目線を送る。『どうすればいいのですか?止めるのですか?言葉だけでなく腕ずくでも?』その間にも伯父上は次々と食べものを放り投げる。そして下の人々は右へ左へと落ちてくる食べ物を追って群がっていく。その大騒ぎの声に、ほかの来賓の客もベランダでごった返す。再度ランスロットが自分に目線を送る。『このままではまずい』頭でそう思うのだが、なぜか足が一歩も動かない。完全にパニックになっている。さらに伯父は考えられない行動に出た。その鶏肉をシルバー先生に渡そうとしたのである。
「先生もどうですか?」
——————ある程度のことは起ると思っていた。伯父上がシルバー先生に無理矢理な質問や、困らせてやろうとする悪意を持った問答を挑む可能性は充分に考えられた。心のどこかで気に入らないということが、態度や言葉に現れていた。しかし心のどこかで、そんな非常識な事はしない、また仮にそうであってもシルバー先生であればうまく切り替えせるのではないか。いやむしろうまく切り返して答えてもらって、伯父上が苦虫をかみつぶしたような顔をするのを見ることができるのではないか。そんなことを頭で妄想していた。だが現実に目の前で行われていることは、そんな生易しいものではなかった。違う意味で、本当に私は何もわかってないと思った。私にとって伯父の行動はこの瞬間も全く理解不能です。ただその姿は明らかに醜いもの、受け入れがたいもので、叔父がその行為を酒宴の余興のように楽しんでいる事だけは事実だ。鶏肉を持ってシルバー先生に手渡そうとするその笑みはあまりにも醜かった。この場で剣を用いて一刀両断しても良いのではないかと思った。だがどうだろう、私の足は一歩たりとも動かない。いつの間にかエドワードも私に目線を送っている。だがそんなことさえ私は認識できないほど固まっていた。
「その前に少しよろしいですか?」
シルバー先生が口を開いた。その表情は怒りでも悲しみでもなかった。全く言葉に表現できないその表情は、ここに至るまでに一度も見たことがない。私はこの表情を表す言葉を今持ちえていない。『その前に』・・・・・この言葉の意味は?
シルバー先生はベランダから、広間を通って元来た階段をゆっくり降りていった。ランスロットも反射的に先生の後をついて行く。が、すぐにランスロットだけ戻ってきた。『え?先生についていなくていいのか』私の目の前をすれ違う時に声をかけようとしたが、ランスロットは何か一点を見つめていた。彼の中にはすでに私はいない。己の目的が明確に決まっており、それを遂行するために全集中をしているようであった。私はそれを見守るだけであった。
(私がその時に思考が動いていれば簡単にわかることである。ランスロットはシルバー先生から何かの指示を受けていたのだ)
今度は伯父上の方が戸惑っている様子であった。伯父上からするとシルバー先生が急に怒り始め何かを言う。おそらく、それに対してどのように言葉を返すのか考えていたのであろう。しかしシルバー先生は伯父上の想像力では、まったく思いもしない行動に出たのであろう。
シルバー先生が下に降りるとみんなが拍手で取り込む。主賓が登場したのである、盛り上がらないわけがない。そこでシルバー先生がとった行動は驚くべきものであった。先生は大きく手を上げ
「さあ、先ほどのように投げてください。」
と言った。一瞬空気が固まる。当然である。伯父上がシルバー先生に上からも食べ物を投げるわけにはいかない。伯父は食べ物を持った手を空中で止め、周囲の観客は静寂と緊張に包まれる。そうなることが予想された。が、実際は全く違った。なんと突然、どこからか食べ物が投げ込まれたのである。投げ込んだのはもちろん伯父上ではない。ランスロットだ!
ベランダの外側にいた人々は驚いた。だが別の人も次々と投げ込む。なんとエドワードが来賓に食べ物を渡しているのである。ほかの人々ももちろん、シルバー先生もその食べ物を追っかけまわす。町の住人はお酒も入りハイテンションで追いまわすが、シルバー先生も一緒になって大ハシャギをしている。ベランダの上ではエドワードが次々と食べものを渡し、ランスロットが来賓客に投げるように煽る。来賓客も大ハシャギである。ついには上からお酒を落とし始めるものも出てきて、下ではそれを口で受け止める人がいる。そんな混沌の状態の中、シルバー先生はいつの間にか2階あがって、再び自分の席についていた。
私はそこからほぼ記憶がない。ウタゲはいつの間にか終わっており、気がつくと自宅に戻っていた。いつ寝たかも覚えてない。




