第七章 第三節
次の朝、比較的早めにティボーは帰り支度を始めた。私が帰郷しないという結論がはっきりしたせいなのか、はたまたこの状況を早めに伝えに行こうというのか・・・古びた宿の前で私とシルバー先生とイーヴァンが彼を見送る。
「ビル、またな」
「ああ」
私の方から彼を振っておいて、急に別れが寂しくなるは、人としての性なのだろう。
日はまだ登り切っていないが、町は既に動いている。その静寂という喧噪の中で、朝日を背に、別れの挨拶をする故郷の友・・・まるで陽炎を見るようである。
「父と母、弟に元気でだと伝えてくれ」
言う必要もないことを口にする。
「ああ」
「それに・・・・」
珍しく私は言葉を続けた。
「両親が元気なうちに必ず戻れると思う」
ティボーは一瞬キョトンとした顔をした。それはそう思うだろう。今まさに、『今生の別れ』のようなことをしている。それなのに『すぐ戻る』という雰囲気を感じさせる言葉をつなげたから・・・ゆっくりとシルバー先生の方を見た。先生は私の微笑み返す。『あなたがそう感じるのであれば、間違いないでしょう』そんな表情をしていた。
「わかった、それもしっかり伝えておく」
その一言でティボーは振り向き、街の門の方へと向かった。この時間、出口の検閲で待っている人はそこまで多くないだろう。
「追剥とかに気をつけろよ!」
離れていく彼の背中に、少し大きな声をかける。彼は背中で手を振る。朝の風が涼しい。彼を気にかけることが『追剥』になっていることこそ、私がその風を感じることができる余裕が(余裕というのが言葉以外見つからないが)そうさせているのである。私たちは彼とは逆の方角へ向かうこととなる。
朝食は昨晩食べかけの「魚を煮て干したもの」である。なんとなくバタバタしていたので、正式な料理名は聞いてない。自分たちの部屋でそれを口にし、荷物をまとめ、水筒に水を補給し、宿をたった。
私たち3人は南西に向けて足を進めた。この先にはモントベリーと言うかなり大きな都市がある。そこにある城は強固で、 二重の城壁を要する難攻不落の城と言われている。私も首都アゼネイエのアカデミーで学んでいた時に、知識として身につけただけのもので、いつか実際にそこに行ってみたいと常々思っていた。
ようやく太陽が昇り切り、日差しが少しずつ強くなってきた。シルバー先生は杖をつきながら黙々と歩く。私と小さなイーヴァンはその後ついているが、悲しいかな一番体力がないのは私である。シルバー先生は今までずっと旅をしてこられ、イーヴァンは野生の中で育ったと言っても過言ではない。水筒に手を出した。一杯だけ口に含む。随分と心と体が落ち着く。
「先生・・・」
私は少し体力が戻ったその口で、先生に質問を始めた。
「ティボーに渡した手紙の件について、学ばせてもらってよろしいでしょうか?」
「いいですよ」
先生は振り向かずに答えた。
「まず先生はこう書かれました。『この度、ウルビスに就任されたこと、本来であれば直接お祝いを申し上げるところを~』私は文面の入り方を見て、ここにはさほど強い意味はないと思いました」
「そうですね」
珍しく先生が即座にリアクションをくれた。内容が複雑な分、入り乱れないように丁寧に答えてくださっているのかもしれない。
「次に『弟子として私のそばに居るビル・フィッツジェラルドが本来その役割を果たすべき責務を負っておりましたが~』の部分はこちら側をわざと卑下し、相手の気分を上げるためにある文章だと思います」
「合っていますよ。続けて」
「『旅が一度落ち着き首都アゼネイエに戻りましたところで、貴殿がアラモンを素晴らしく統治されていることを中央政権に伝え~』の部分はなんといいますか・・・少し自信がないのですが・・・・これも相手の気分を良くし、中央政権に良い印象を与えるという恩を売っている・・・」
「急に言葉に自信がなくなりましたね」
先生は少し考えるような表情された。おそらくこの時点で口を差し挟むのがよいのか、それとも、最後まで私の分析を聞いてから答えるのがよいのかを、考えられているのだと思った。少しだけ間があったあと
「あなたは自分が言ったことが、10の内いくつぐらい合ってると思いますか」
と私に質問をされた。
「・・・3くらいでしょうか・・・」
「何があなたをそうさせていると思いますか。いや、今の質問が良くなかったです。先ほどまで強く自信がある感じで答えていたのと、どのようなことが違うと感じましたか?」
「先生が・・・『中央政権』というワードを出されました。今までの文脈からしても、先生のお話されていることからも、どうしても『中央政権』がどのように絡み合っているのかがピンとこないです。意識としては非常に重要な単語だと思いつつ、先生がよくおっしゃっている「構造を理解する」というところからすれば、どの位置にそれがハマるのかが全くわかっていないのかもしれません」
先生は少し黙ると、ゆっくりと話し始めた。
「まずは自分の状態がどのようなものか、はっきり口で表現できることは素晴らしいと思います。普通はそれがなかなかできない。自分がどういう状態であるかを他人に説明することは、かなりの訓練が必要です。あなたがおっしゃったように、たぶんあなたは『強いワード』が出るたびに、それに引っ張られるのでしょう。」
その通りである。今もその『強いワード』にあっさり揺さぶられてしまう。
「そのワードに対して引っかかるということは合っているのです。でも、それの位置関係がわからない——————理由は全体の組み上げられる枠組みが分かっていないから、空白部分を理解できず、位置関係を定めることができないのです。それを理解し、訓練をして概念の立ち位置を組み立てることが可能であれば、 1つの言葉に大きく揺さぶられることがなく、相手が故意であろうとなかろうと、隙間を開けたもしくは開けさせられた部分に意識を持ちながら会話をできるのです。そうすることで客観性を保持することができます。」
なんとかここまでは、先生の言葉についていけている自分がいる。
「少しレベルの高い話をします。本来はここに付いて来て欲しいのですが・・・構成される要素とするのは3点、それの反対に位置するもので×2、つまり計6点が表面としての構成点。内面として、それの逆と待遇を合わせ12点の構成点が正確なのですが、そこは複雑になるのでまた今度にしましょう」
3(構成点)×2(正+反対)×2(逆+対偶)
いや、複雑すぎるので構成の「3」それの反対の「3」の計6点——————
確かに・・・今まで意識をしていなかったが(いや、感じてはいたが)先生がおっしゃられる法則などについて基本3点のものが多い。以前おっしゃられた全てを構成する要素として『器』『傾き』『法則』も3点である。
え・・・・!
「つまり『器』『傾き』『法則』と相対するものも存在するということですか!」
私は思わず叫んでしまった。シルバー先生はニコリとだけされた。あああ、聞きたい、今聞きたい!しかしそれが今でないことは私が一番わかっている!私はそれをいつになったら聴けるレベルに達せるのだろうか!?
いや落ち着こう・・・今自分が考えないといけないことに集中しよう・・・・
先生はこうヒントをくださった。
『死』という言葉に揺さぶられるのは、その相対の位置に『生』を直感的に配置できないから、感情的にその言葉——————『死』に揺さぶられてしまうと先生はおっしゃった。『死』というものが
『器』『傾き』『法則』をリンクさせるとすれば『傾き』であろう。生きているうちは右や左に傾きつつ存在を継続させるが、どちらか一方に傾き切ってしまう状態が「死」であろう。私の浅い知恵で今組み上げるとすれば、その『器』に当たるのは「滅」?その器がなくなるわけだから・・・いや、『器』がなくなることを「死」ととらえ、その相対に存在する「生」を体が存在することを器が存在すると定義すると・・・・いや、やはり私にはまだまだ訓練が足りていない。ここから形作るのは難しそうである。本題の部分から紐解こう・・・・
「先生、『中央政権』について構成の三点か、相対の位置から埋めていけばよいのですよね」
「やってみてください」
イーヴァンは黙って私たちのやり取りを聞いている。十歳にも満たない年齢で、このようなやり取りを学ぶことができる彼は、将来どのような人間に育つのであろうか。
「『中央政権』を構成されるほかの二点を考えると、まず一点目は『民衆』という・・・」
「違います」
先生がぴしゃりと言われた。
「思考の中心とするものがずれています。やはり政府としてのまたは支配階級としての『中央政権』という、まるでアカデミーの教科書のような話をしています。今ここで話の中心は誰でしょう」
「ビクターです。ガリソンという中央政権直轄の軍隊の指揮者であるビクターです」
「そうです。さらに地域の統制者であるウルビスの地位も手入れたビクターです。この視点が抜けてしまうことがもっとも解決から遠くしてしまう行為です。アカデミーの優秀な成績など現実を前にした時に、一瞬で吹き飛んでしまいます。学んで欲しいのは何が大事かという『直感』を身につけることです。すべては感覚です。しかもそれはあなたの中に初めから備わっており、全ての人に備わっているものです。その感覚のブレを少なく、処理を早く、そして大事な人にそれを伝えるために、初めて論理が必要となります。あくまでも論理は感覚の補佐役です。このことを絶対的に身につけてください。愚かなる成績優秀者にだけはならないでください」
私はここに至るまでそれなりに頑張ってきたつもりだ。いや、そう思っていることこそ自惚れだったのかもしれない。どこかで先生に、もう少しで手の届く範囲に自分は来ているのだと勘違いをしていた。私は今、徹底的に叩きのめされている。いや、この使っている言葉さえあまりにも感覚ではなく、感情的に大きくブレた・・・・先生からすれば目も当てられないぐらい、語るに足りぬ状態なのであろう・・・
「ビクターから見た中央政権は何ですか?」
「自分に地位と、報酬を与えてくれる存在です」
「そうです。そのことをまずしっかり固定をした上で、あと二つの構成点を導き出してみてください」
私ははっとした。
「二つの構成点はすぐには出ませんが、相対はすぐに分かります」
先生は少し驚いた表情で
「言ってみてください」
と私に促した。
「『独立』です。他人に地位を与えられるのではなく地位を与える立場、報酬を与えられるのではなく与えられる立場というのは、大きさはどうであれ自分が統治している状態です」
シルバー先生は驚きの半分、嬉しさの半分の顔をした。
「その通りです!」
えええ・・・自分で言っていて・・・自分で口にして・・・それは・・・
「ビクターは独立国を作ろうとしているということですか!?」
「彼は今、賭けに出ています。もちろん本人がそこまで明確に思っているかどうかはわかりません。しかし彼にとって中央政権は、単なる自分の所属する国という意味合いからは変わりつつあるでしょう。ここからはただ聞くだけで良いです。まだその位置関係を即座に組み立てられないということは、その先の構図を描いた状態で未来の客観性を組み立てることは難しいからです」
久しぶりに「聞いているだけで良い」という言葉を言われた。自分で形を組み切れないということは、自分は本当にまだまだである。
「ビクターが統治者と位置づけるのであれば、もちろんそれは彼の意思の中の話ですが・・・」
つまり3つ世界の中の一つ「主観(思い込み)の世界」のことであろう。
「『統治者』に対して構成されるべきものはその『国民』と『外敵』です。現時点での国民に当たるのはあなたの故郷のアラモンの住人。外敵に当たるのは中央政府となります」
「先生、それはあくまでもビクターが、独立を目指した時の話ではないのですか?」
「彼がウルビスの地位を手に入れるまではそうでした。しかしそれを手に入れた今、フェーズが変わったのです」
「でもそんなことはありえないと思います。先生は先ほど直感を重んじるようにおっしゃられました。それであればビクターが今中央政府と対峙することなど不可能ですし、私が居た時から考えても、ビクターが私の街で一定の支持を集めているとは思えません」
「その通りです。つまり彼は妄想を思い描いているだけで、何一つ形にはできないでしょう。今はそれらしい動きをし、それらしく物事が進んでいるように見えて、その状態に思考が浸っているだけだからです」
「それであれば、ビクターは自滅して行くわけですから、何もしなくて良いのではないですか」
「違います。そんな勘違いをしている男だからこそ、周囲に多大なる破壊と混乱を生むのです。彼が真っ当であれば、今このような状態になっているはずがないのです。つまり彼に対しては、あたかも現時点が真っ当であると本人に思わせる、その時間をできるだけ長くするということです。それが最も静かに本人が自滅し、尤も周囲が損害をこうむらない方法なのです。」
ビクターがやろうとしていること、それは本人さえも気づいていない想いと行動・・・それらが何の道にものっていないという・・・・
「そんなことがありえるのでしょうか・・・」
私はやはりまだ、圧倒的に経験が足りない。目の前にある現実が、本当であるように受け入れられない。
「だって先生・・・そんなの無茶苦茶じゃないですか・・・」
「まだそんなことを言っているようでは——————この世界はずっと無茶苦茶だったはずですよ」
こんなもの戯曲として描いたとしても、誰も喜んではくれないだろう。すべてが不整合であるという物語など、誰が楽しんで見ると言うのであろう。いや違う、だからこそこれが現実なのである。ではシルバー先生は・・・・・?私は何を学ぼうとしているのだ・・・・?
「話を戻します。ここまで解説をすると、私のあの手紙の文章は理解できたはずです」
「はい・・・先生はまだビクターがどのように統治されるかは分からない段階で『素晴らしく統治され』と褒め称えられ、そのことを中央政権に伝えるという、ある意味ボートを逆に漕ぐような方向性がエネルギーとして生み出されています。これは先生が先ほどおっしゃった『本人が真っ当と思いながら静かに自滅して行く』形となる・・・あれ?」
そこまで言って、先生が最後に書かれた文面、
『この手紙、時が来るまでお手元に行かなかったこと、賢人である貴殿であればお察しいただけると思っております』
ティボーに約束した「手紙を絶対開けない」とのことが何だったのか・・・そうか
「先に手紙を渡してしまうと、早く時間が動いてしまい、周囲の破壊と混乱が増えてしまうんですね」
「そうです。それに今回の大きなな目的として、ティボーさんとあなたの家族を守るということがあります。直接被害が加わりそうになった時には、確実にあの手紙はビクターの手に渡ることとなるでしょう。あの手紙が渡される前に殺されることはおそらくなく、また渡された後に殺されることもないでしょう。『中央政権』という単語にあなたの数十倍心を揺れ動かされ、「お察しいただける」という何のことを示しているのか決して分からない、その文面を見て正常な判断ができるとすれば、現時点でこのような状態にはなっていないでしょう。そんな時、ほとんどの人がまるで催眠術にかかったように「正しく統治をしよう」という逃避的正義を行うようになるのです。その状態になりえない人とは、今の私以上にこの全体の構図を理解している人のみです」
言葉の理解としては追いついている。しかし先生の話されていることは常軌を逸している。もしも・・・もしも本当に先生がおっしゃられるように、ことが動いているのだとしたら・・・本当に私の目の前に居るこの人は・・・・何者なのであろうか。
「ビル、良いですか。ほとんどの人は、今私が話をした姿をしています。もちろん私も例外ではありません」
「え・・・」
「昨日ティボーさんと話をしている時、吟遊詩人が歌っていましたよね」
「はい」
それがどうしたと言うのであろう・・・
「実は私は・・・歌が大好きでして」
「はあ・・」
「あの歌が気になって仕方がなかったのです」
「はあ・・」
「あのような大事な話でなければ、私はすぐにでも吟遊詩人の目の前に行きたかったのです」
「・・・・・」
「今でも歌っていた詩の中身が・・・そう・・・あれは別れの歌でしたが、どちらか一方が湖に沈んでいくというとても悲しい歌で・・・・ああ・・・・やはりあの晩追いかけてでも詩を全て聞かせてもらえれば・・・・」
先生は・・・あんな深刻な話をしながら、頭の中はそんなことでいっぱいだったとは・・・・
モントペリーまではまだ遠い——————




