表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風と静寂  作者: 佐竹武夫
第六章
22/75

第六章 第四節

日が昇るとすぐに私たちはアカデミーに向かった。先生の希望もあり、かなり早めに到着することになった。夏の空気が漂っている。湖が近くにあることもあり、少し湿度が高い。そのせいかアカデミーに向かう道すがら、両脇にある草木必要以上に緑を濃くしている。


アカデミーに着くと、まだ会場の準備を始めておらず、設置をし始めようとする方の方々が驚いた様子で私たちを迎えた。理事長のルイはもちろん、学園長のアントワーヌもまだ来てない状態だった。

控え室でお茶の一杯だけもらうと


「少し学園の周りを見てきます」


と建物の周辺を歩くことになった。芝の手入れは行き届いており、ここまでの道にもあった石碑がいくつか置いてある。前に訪れた際によく見ることができなかったが、古代の3人の哲学者ことについて彫られているものであった。


セリュス・ヴァランディア、フィルミウス・カスティリウス、アルデス・ラ・フォルヴァン———————アカデミーに通っている生徒で、この3人の名前を憶えていない人はいない。


「ビル、これは何て書いてあるの?」


おそらく文字を全く学んでいないイーヴァンが、私に尋ねてきた。


「『天の声を聴く者はその魂もまた清くなる』・・・このことを言ったセリュスという人が天文学を勉強していたんだ」

「『てんもんがく』?」

「星のことについてだよ。私は天文学にほとんど詳しくない。星について学問を極めていくと、このような気持ちになるのかな・・・」


十歳にも満たないイーヴァンに対して、あまり適切な回答とは思えない。


「ふーん・・・」


イーヴァンは分かったか分からないような返答をした。ふとアカデミーの柵の外を見ると生徒の服装をした女性が一人立っていた。私は先生の方にゆっくり近づいた。


「アカデミーの生徒と思われる人が、外に見えますね」

「そのようですね」

シルバー先生の反応からすると、とっくに気づいていたようである。


「じいちゃん!こっちは何て書いてあるの?」


イーヴァンがシルバー先生に手招きをして呼びつけた。先生は杖をつきながらイーヴァンの方に向かって歩いた。私は横目でその女子生徒の方をもう一度見て・・


「あ・・・」


思わず目が合ってしまった。彼女も我々の方に気づいたみたいである。悪いことをしているわけではないのに、なんだか気恥ずかしくなってしまった。

——————私はここまで女性と親しく接したことがない。故郷のアラモンに居る時は女性の友達は何人かいたが、思春期を迎える時には、首都アゼネイエのアカデミーにいた。そこではずいぶんと田舎者扱いをされたので、ほかの男子生徒のように、女子生徒に積極的にアプローチすることはなかった。私は再び目線が合わないようにして、イーヴァンとシルバー先生の方に向かった。


それからある程度時間が経った。再び会場となる講堂の方に向かった。この部屋はおそらく200人ぐらい収容できるところある。生徒たちが全て来るのであれば、いっぱいになるであろう。


「わたくしはここで待たせていただきます」


先生はそういうと、まだ随分と時間があるのに舞台の上の椅子に座った。設営をしている人たちは不思議そうな顔をしながらも、何も言わず準備を進めていた。当然であろう。普通はゲストである先生が、最後に登場するものである。しかしまだ誰一人来ていない会場で、先生が一番初めに準備をして座っているのである。


「シルバー先生」

「何ですか、ビル?」

「先生の講演が始まるまで、この横に立っていてよろしいでしょうか」

「別にかまいませんよ」


舞台の上で先生は座っており、その横で私は立っていた。イーヴァンは会場右から左に走り回っていた。あまりにもひどいと、さすがにイーヴァンを注意しなければいけないと思った。


「あ・・・」


また思わず声が出てしまった。なんと先ほどアカデミーの柵の向こうにいた女子生徒が会場に行ってきたのである。


——————髪は深い栗色で少し波打っている。肩にかかる長さで切りそろえられており前髪は左に軽く垂れている。肌の色は少し小麦かかっているが、おそらく先祖から受け継がれた特徴であろう。南のほうに行くほど、この特徴を持つ人が増えてくる。


彼女は中央よりもやや前の方に座った。持っていた一冊の書物とスコロラ(勉学に使うための紙を収納する筒状もの)を机の上に置く。我々は舞台の上にいる。彼女と目が合わないわけがない。しかも真正面に向き合っている。そんなこともあって、故意に目線を外すと不自然すぎる。普通では考えない長さで彼女と目線が合った。しかし彼女は私の方よりもシルバー先生の方を見ていたのかもしれない。少し次の行動を戸惑っているように見える。おそらく彼女は早めにこの会場に来て、手元にあった書物を読みながら時間を潰そうとしていたらしい。しかし目の前にすでに誰かがいる。彼女はそれが今日講演をされるシルバー先生だと、何割かは思っているだろう。が、本来最後に現れる人がなぜその場に居るのか、おそらく理解できず混乱しているのであろう。その混乱が「いやこの人は、シルバー先生ではないのではないか」という、脳が何らかの信号を出しているのかもしれない。


「私は東方の逸話で、このようなもの読んだことがあります」


先生は小さい声で、私に聞こえるようにだけ話された。


「ある老人が優秀だと思う若者に『私が大事なことを教えてやる。明日朝、あの木の下に来なさい』と言った。その若者は次の朝、木の下にくると老人はすでに待っていたのである。その老人は『ものを教えてもらう方が後から来るとは何事だ。また明日の朝、この木の下に来なさい』と言った。若者は次の朝、まだ日が出ないうちから、その木の下に向かった。するとそこにはやはり老人が先にいた。『お前はものを人から教わるということが、どういうことか分かっていない』と言われ、再び次の朝、木の下に来るように言われた。若者はその日のうちから、木の下でずっと待ち続けていた。するとまだ、真っ暗にもかかわらず、奥の方から老人がやってきた。『人にものを教わるということがどういうことか、やっと分かりましたか』老人はそういうと、彼が大事にしている書物を若者に手渡した・・・」


先生の口ぶりからすると、珍しく先生が組み立てられた論理哲学というより、本当に他者から聞いたことだと思った。先生はこの逸話を大事だと思い、自分の中に取り入れている。この話をただ聞いても、世の中の半分の人はこの内容に、納得できないし不満を持つであろう。しかし、今まさに、その身を置く立場になった時、肌で感じることがこれほどまでに、その逸話に説得力を添える形になるとはなかなか思えないだろう。私はふと昨日、先生に命令されてわけでもなく、自らの中で朝早くこちらに赴こうと思ったことを思い出した。


無限大の中から拾われた感覚———————


以前先生は「1から重ねられた思考」と「無限の中から拾われた感覚」を両端から突き詰め、その境界線があるべき姿の形だとおっしゃられた。ものを理屈上で考えることは皆がすることである。その方向だけをどれだけ突き詰めても、人間の限界はあまりにも近くにある。その反対の感覚から突き詰めた時に、初めて真理の球体が一周する感覚を持って、あるべき姿が見えてくる場合がある。私が昨日思ったことはなんの根拠もなく、しかしあるべきところに委ねれば必然と出てくる感覚である。


 今現時点での現実として、私たちの目の前に居るのは栗色の髪をした彼女だけである。もしかして彼女は我々が来るよりも前に、あるいは先生の逸話を拝借するのであれば、前日からこのアカデミーで我々を待っていたかもしれない。私はもう一度彼女の方に目を見据える。外で会ったときの気まずさや、この部屋で再びあった時の私の気持ちではない。私は今そこにあるかもしれない最も美しいものに、真っすぐに目を向けた。もちろん彼女がその視線を感じないわけがない。しかし私は彼女に対し柔らかい畏敬の面をもって、彼女のすべてを見過ごさないように見続けた。彼女もまた私から何かを感じたのか、目をそらすことはなかった———————



ざわざわざわ


行く時間が経ち、多くの生徒たちが会場に入ってきた。想像もしなかったのはアカデミーの学生だけでなく、その関係者や親も来ていた。


「生徒たちだけではなかったのですね」

私は静かな声でシルバー先生に言った。

「現実の物事は常にその想像の外にあります。一見その範囲に収まっているように見えてもそうでないことの方がほとんどです」


私は今先生がおっしゃられたことを受け止めるだけの経験をさしてもらっている。ここまで物語のように綺麗に収まることは何一つなかった———————


会場は一杯になった。後から来た学園長のアントワーヌは、申し訳なさそうにコソコソとシルバー先生のところにきて、何か小声で二、三言った後、舞台から降りていった。理事長のルイに至っては、本人専用の椅子を後ろの方に確保してあり、最も優雅に、最も遅く登場するつもりであろう。彼の席はまだ空白のままである。


しかし舞台の上から見ると客席が本当に良く見える。はじめの方に来た人々はなんとなく真面目な人が多いのであろう。しかし後半に入ってくる人ほど、周りは何も見ず、他者とおしゃべりをしながら、自分たちの座る席だけを探している。よもや目の前にこれから話をされる、シルバー先生がいるなどと思ってもいない。いや、たとえそうだと言ったからといって、彼らが何か態度を変えることはないであろう。まさしく彼らは見世物を見物に来た客なのである。


先生・・・先生は見世物なのでしょうか?———————


栗色の髪の彼女を探した。はじめにいた席で、持ってきた本も読まずにずっと座っていた。そして彼女は、シルバー先生の動き一つ見逃さないような目でこちらを見ていた。


ざわざわざわ


「皆様、ご静粛に願います。ご静粛に願います!」


司会進行を務めるであろう、アカデミーの若い事務員のような方が大きな声で静かにするように促した。


「これから、このラトール・アカデミーを訪れていただいた『智慧の篝火』と呼ばれるシルバー先生にご講演をしていただきます」


おー


パチパチパチ


歓声と拍手が響き渡る。不思議である。やはり先生からさまざまなことを学んでいても、昨日の先生との会話がなければこの拍手も歓声もさほど違和感を覚えなかったであろう。しかし今は、見世物小屋の幕が開き、みんなはこれから、熊がでるのか大蛇が出るのかと楽しみに待っている。そのことがあまりにも感覚として伝わりすぎて、本当に恐ろしいと感じてしまった。この世界はこんなにも恐ろしいものなのか。私は先生の話を聞くために、舞台から降りていく。そして適当に隙間があいたところで立って聞くことにした。


「なんだよ、やっと始まるのかよ」


イーヴァンは私の方に駆け寄ってきた。もうすでに疲れているようであった。


「先生の話はおそらく長いだろう。イーヴァン、少しでも退屈に思ったら庭のほうに出て行けばいい。ベンチで横になって休んでもいい。この辺りで危険な目にあうことはないだろう」

「うん」


イーヴァンは素直に返事をした。


シルバー先生はゆっくりと席を立ち、中央にあるひな壇に向かった。周りはまだ少しざわついている。先ほどまで舞台で座っていたのが先生だと予想していた人、座っているのが先生だと驚いた人、そしてそんなことさえも考えなかった人、さまざまな反応だと思う。


「皆さん」


非常に小さな声で話し始めた。私にはすぐに先生が、わざとそうしたのだと気づいた。先生は話し始めたが、声がまったく聞こえないことに一同は静まり返った。その小さな声を聞こうとしたのである。一瞬で全ての観衆をコントロールしている。

———————先生・・・先生はこのような形でお話することを大変嫌がっていらっしゃったと思います。しかし舞台の外から見る先生はやはり先生です。ふと彼女の反応が気になって、栗色の髪の女子生徒を探した。横から見えたその表情はあまりにも真剣すぎて、こうして覗き見するのも失礼ではないかと思えるぐらいだった。


「はじめまして、いや、ひょっとするとどこかでお会いしたことがある方もいらっしゃるかもしれませんが・・・わたくしはシルバーと申します。この度は私のような者のためにこのようにお集まりしていただき、誠にありがとうございます」


先生は先ほどよりも大きな声で話し始めた。この建物の構造もあってか、後ろの方まで声は届いている。ちょうどその話が始まったあたりで、理事長ルイがきた。ニコニコした顔で事務員に自分の席まで案内され、ドスっと腰を下ろした。


「わたくしは、こちらの舞台の上からずっと、皆様がこの部屋に入ってくるのを拝見させていただきました。誰が一番初めにこの部屋に入って来て、次は誰が入って、その次は誰・・・入ってきた人々が何を、どんなことをしているのか、ずっと見させて頂きました」


会場の人たちの顔つきが変わる。顔に緊張感にじみ出る。まるで絵に描いたように人々の背筋が伸びる。


「もちろん、ほら、今この会場に入ってきている方のこともです」


みんなが一斉に出入口を見る。今しがた来たであろう、なんとなくとぼけた学生が、会場の注目を一斉に浴び戸惑っている。


「さ、そこの席が空いていますよ」


先生がその学生に丁寧に座席を案内するよう、手のひらを向ける。


「あ、はい・・・」


素っ頓狂反応を示したその学生に対し、会場の笑いが起きる。その学生はキョロキョロしながらも先生の示した座席に座る。


私の予測は外れているかもしれない。だがこの短い間に先生の頭の中で組み立てられているものがすさまじく、しかもそれをリアルタイムで動くこの状況で、実践としてされていることが驚きを隠せない。まずは先生が『私はあなたたちを、ずっと見ています』と言ったのである。その時に会場に走った緊張感は、ものすごく強いものであった。みんなが己のことを言われていると云う、強い糸が張り巡らされた空間になった。しかし先生は片方の目で理事長がまだ着席していないことに気づいている。そして、彼が到着し、明確に着席した後に「公演が既に始まっているのに『遅れて来た人』、そうあなたも見ています」と真剣ながらも、少し冗談めかしたような言い方をした。これで周囲の緊張が一気に解けると同時に、理事長という立場がある人間を、その対象にしないというバランスをとっている。


「これから私が幾分かお話をしますが、場合によっては長くなることもあります。ご気分がすぐれなかったりする方は退席をされても一向に構いません。ここで皆さんに倒れられても、私も困ってしまうので」


また少し会場で笑いが起きる———————


私はどうしても、昨日話を聞いた「先生の話がつまらなくて退出する人々」のことだけが頭によぎる。つまり先生はこう言っているのである。「面白くないと思ったら出て行ってください。私はそれを咎めるつもりはありません」


私はこの短い間だけでも先生の凄まじさ、激しさを感じる。もちろんこの会場の中でそのこと思う人はほとんどいないだろう。思わずまた彼女を見てしまう。栗色の髪の女学生は紙とペンを持ってきているが、それを机に置いていた。メモを取る時間さえも、まばたきひとつする時間さえも、逃がしたくないという表情であった。


私は学生の時に彼女ほど真剣になれたであろうか・・・


今の私にとって、彼女はあまりにも眩しすぎる———————













評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ