第一章 第一節
アラモンの街に凱旋してから一カ月、問題が生じてきた。現時点でのウルビスである伯父の指示に従いながら、街の巡回や土木工事の監視などを行っていたが、昼食の時間にエドワードの口からその問題を伝えられた。
「私とランスロットはここに居られるのはあと数日でしょう。」
「それはどういうことだ。」
「我々の滞在費はそこをつきます。この時点でもエリカ・ビルが本来着くべきウルビスの地位についていただけず、われわれは個人の資産を切り崩しこの街に止まっています。我々の立場では限界が目の前に来ております。すぐにでもビル様にウルビスの地位に就いていただくか、我々が首都アゼネイエに戻るしかない選択はありません」
当然のことである。私の実家はこの町にあるが故、生活に困ることはないが、本来は直ちにこの街の執行官であるウルビスの地位に付き、彼らに役職と給与を与えなければならない。しかしこの瞬間も街を取り仕切っているのは、わが伯父である。あれから何度か、地位の譲渡を匂わせた会話をしたがはぐらかされた。伯父の弟である父にも一度相談した。
「私には役人のことはよくわからない。だが、兄も何も考えなしに物事を行う人ではない。よく兄と話し合い決めることが大事である。」
と言われた。至極当然のことであるが、何か胸に落ちにくい言葉をもらった感じである。
しかし、このままエドワードとランスロットが去ってしまうと、ますます良くない状況になってしまうのは確かであろう。
「わかったエドワード、一カ月たったのだ。もう移譲をする期間は充分にとった。伯父上にはっきり伝えるには充分な月日を費やした。」
エドワードはその言葉を聞くと、安堵の表情を浮かべた。このように心労をかけているのは大変心苦しい。私は強い意志のもと、そのまま伯父がいる中央管轄所へと馬を走らせた。
「どうしたビル、治水工事の進捗は見てきたのか?」
その伯父の言葉に、腹の中からこの状況に納得できない熱のようなものが出てきた。なぜ伯父はその席に今も座っているのか。中央から授かっている賜爵は私の方が上。そもそも伯父は賜爵を授かっていない。何を持ってこの街で執行官を務めているのか——
「伯父上、私は中央からこの街のウルビスとして派遣されました。」
一瞬、伯父の目元が引きつった。だがここで引くわけにはいかない。
「エドワードもランスロットも自費でこの街に滞在し続けています。このままでは2人とも首都アゼネイエに戻ってしまいます。」
急に伯父の口元がゆるんだ。相手をわざと落ち着かせるような、笑の含んだ薄めの声で
「なんだそんなことか—-。では管轄所で取り扱っている建物の中で、その者たちが滞在する建物を準備しよう。」
「そうではありません、私にウルビスの立場を移譲してください。」
先ほどよりも緩めた口元で伯父はつづけた。
「そんなに簡単に譲位の業務を終えることができるわけがないではないか、ハハハ・・・。お前はまだこの街全体の業務も把握しておらず、ガリソン(中央から派遣された軍隊)との信頼関係も構築できていないではない。お前が中央から派遣されたということは、中央はよりこの街をコントロール下に置き、自治を認めない方向にしようとしている。今はその間をどうにかして、わしが取り持っておる。でなければ軍隊を持っているガリソンの連中に、すぐこの街は押さえ込まれてしまうぞ。」
私の次の言葉が続かない。そうなのか?伯父はこの町のために、私の為に動いているというのか・・・?
「まだ若いお前にはなかなか政治は難しい。もっとしっかり観察をして、人間関係を構築しろ。それからでも充分であろう。」
私の心の槍は完全に折られてしまったようである。私はそこから何の言葉を発したかまったく覚えてない。いつの間にか実家の自宅の部屋にいて、窓から見える森の奥に沈む太陽を見つめていた。その日、エドワードはわが宅を訪れなかった。次の日に二人はいなくなっているのではないかと不安に駆られた。
翌日、いつものように中央管轄所でエドワード達と待ち合わせをするために、ロビーの椅子に腰をかけていた。昨日のことをなんと説明すべきか。そう考えているとエドワードがずいぶん慌てた様子で駆け込んできた。
「エレナ・ビル!昨日からこの街にあの『シルバー』が滞在していると聞きました!」
「!———それは本当か、どこにだ!?」
「町の北の入り口にある『セゾン』という宿屋です。」
「それは間違いないのか。」
「はい、実際にランスロットがみたとのことです。彼は一度首都アゼネイエにて、直接シルバーを見たことがあります。その彼が間違いなかったと申しています!」
いつものように、少し後ろに離れてランスロットが立っていた。
「本当なのか?」
「はい。このことは報告すべき事案と思いましてエドワードに相談しました。」
普段滅多に話さないランスロットが丁寧に、一つ一つ言葉を踏みしめるように上目づかいで私に話した。
“シルバー”は、中央では知らない人がいない『智慧の篝火』(イグニス・サピエンティアエ)と呼ばれる人物である。素晴らしき知恵の持ち主で、各地の王や、中央政府の要人と会談しみんながその聡明さに感服し、心から敬服していると伝え聞いている。もちろん噂の部分は多くあるが、カバラ-ブルサの戦いにおいて、ブルサ軍を完全に押さえ込み、中央政権寄りのカバラに圧倒的な勝利をもたらしたのは、彼の功績だと皆知っている。
「エドワード、すぐにその宿屋に案内するんだ。」
私は視察用の作業服から礼服に着替えるため庁舎内にある更衣室に向かおうとした。
「お待ちください、エレナ・ビル!あなたは今シルバーに会いに行こうとしておりますが、それは何の立場でお会いしようとしているのですか。あなたはまだウルビスの立場ではありません。伯父上を頭越しにお会いして大丈夫なのですか?」
「確かに・・・すまない、思慮が足りまま動くところだった。だが私がウルビであろうとなかろうと、シルバーをお出迎えしなければ、この街は非常によくない評判を受けるであろう。まずは執務室にいる伯父上に報告し、この街が歓迎と感謝の意を表すことが必要だ。」
私はやや興奮しながら、執務室のドアをたたいた。
伯父は私の顔を見て、また催促に来たわけではないと安堵したのか、比較的柔らかな言葉で話しかけてきた。
「どうかしたのか?」
「実はこの街に非常に有名な“先生”がおいでになっています。『智慧の篝火』と呼ばれているシルバー先生です。」
「ほお・・」
伯父の表情からするとおそらく名前を聞いたこともないのであろう。私は多少予想していたがそのことは大きな問題ではない。
「今すぐ彼のところに使者を派遣して、歓迎の意を表し宴を催すべきだと思います。」
伯父は少し焦点の定まらない目で半分口を開け私の言葉を聞いていたが
「なるほど—————だが私は中央にいた事がないのでそれほどその人のことがわからない。ビル、お前に任せて良いか。」
「お任せください。早速手配をします。」
まずはエドワードに宴の準備をするように伝え、礼服に着替えた後ランスロットと共に宿屋『セゾン』へと向かった。
宿屋へ着くと、私とランスロットの礼服を見て主人が驚いた顔をしていた。
「ビル様、どうなさいましたか」
「今こちらにシルバー先生が宿泊なされていると聞きたのですが、———」
「ああ、まさしくその通りです。」
「本日、街の中央管轄所にお招きして、歓迎の宴を催そうと思っております。そのことをお伝えしようと思い参上しだい。部屋を案内してもらえませんか。」
私は宿屋の店主に導かれ、 2階の一番奥の部屋へと案内された。店主が部屋をノックし
「お客様、今この街のウルビスの使いの方がこられており、お話があるそうです。」
私は後ろに控えているランスロットの顔を一度も見る余裕もなく、この扉の間奥にかの人物がいるというなんとも浮き足立った緊張感に包まれていた。
「ただいま御開けします。」
中年から初老の間のような声で、非常に落ち着き丁寧で癒される声が聞こえた。
私の極端なる尊敬の念がそのように認識させているのかもしれないが、少なくとも他人を威圧したり、蔑んだりするような人物の声には聞こえなかった。
ゆっくりとドアが開く。
身長は私より5cmぐらい低いかもしれない。
中背で、筋肉質ではないが健康的な体型。
白髪が混じり始めた濃い茶色の髪を肩まで垂らし、軽く後ろで結んでいる。
日焼けした健康的な小麦色の肌。
深い茶色で、見る者を引き込むような瞳。
白いチュニックに青いヘマティオン(外套)を纏っている。
彼は中央の礼儀である、右手を折って前に出し頭を深々と下げる上の人への挨拶をした。
「わざわざお忙しい中、わたくしのようなもののところに訪れて頂き誠にありがとうございます。何か用件がおありと伺いましたが」
「『智慧の篝火』と呼ばれシルバー先生がこの街にいらっしゃったと聞き、挨拶に参りました。もし先生がよろしければ、こう良い先生を囲んでの宴を催したいと思うのですがいかがでしょうか?」
先ほどまでやや伏見がちであった先生の目線が、ゆっくりとこちらを向いた。先生が思考された時間はほんの数秒に満たないはずであるが、なぜかそれは非常に長く感じられた。
「わたくしのような人間の為にそのようにしていただくのは、あまりにも過ぎたことだと思っております。ただ、折角ご好意で呼んでいただいていること。ありがたくご招待に預からせていただきます。」
はじめは断られるのではないかと不安であったが、まるで吸い込まれるように快諾していただいた。
「ただ、一つだけお願いがあります。」
一瞬不安がよぎったが、冷静さを保った顔つきで私は話した。
「お願いとはなんでしょうか?先生」
「わたくしは見た目よりも食が細く、出していただいたものをさほど口にすることができません。ですので、是非その食事は街の人々も一緒に楽しんでいただければ幸いです。」
なんと配慮された方だと私は感動した。
通例で言うとこのような宴が催されるときは、非常に多くの食べ物がテーブルに並べられる。当然来賓に対して最大限のおもてなしをするとともに、主催者側の力を相手側に見せる側面もある。そのような慣例が正しいかどうかは置いておいて、この度の宴もその形で行くはずである。
「承知いたしました。そのように手配します。」
私は、時間になったらこちらに馬車を向かわせることを伝え、準備のために急ぎ中央管轄所へと向かった。そして、シルバー先生に会った興奮を隠せないまま、伯父に報告を行った。私の報告を聞いた伯父は片目を眉で潰すような表情をした。
「なんともはや、偽善者っぽいな・・・」
「え・・・」
私は一瞬、伯父が何を言っているのか理解できず目が泳いでしまった。
「わしらが提供する食べ物を自分が施したように見せる。確かにずる賢さはあるようだ。」
「伯父上、先生は決してそのような方ではありません。ただ多くの食事を無駄にせず、この街の人に喜んでもらおうと思っているだけではないですか。」
伯父は、いつも私を子ども扱いするような笑いを一つ挟んでからこう言った。
「やっぱりお前はまだまだだな。実際に、その人物が有名だったり名を馳せている場合、ある程度の姑息な手段や、誇張した言葉を用いてその地位や権力を守っている。そのことを全くわかっていない。」
「そんなことはありません。伯父上も直接先生にお会いしたら、それが誤解だとわかるはずです。」
「ではお前に質問だ。それならなぜ出す食事の量を少なくしてくれというのでマズイのか?余ったとしても当然捨てるわけではなく、この施設の従業員の人たちにふるまわれ、その家族たちが食べるようになる。それではなぜ良くないのだ。」
「それは・・・」
「己が来訪したと同時に民衆に食事が振る舞われれば、当然民衆はその来訪者が振る舞ったと思う。なんともはや、他人の金を使っての己の宣伝がうまいものだ。」
私は考えをめぐらすが、自分にぶつけられたその言葉に対する返答が、すぐには頭に出てこない。その表情を見た伯父は
「だからお前はまだまだだと言ったんだ。まあいい、その先生とやらの言う通りにしてやろう。妙に今夜の宴が楽しみになってきたな、ハハハハハ————!」
椅子の背もたれにのけぞるように笑う伯父の姿を、私は何とも言えない表情で見続けた。




