第四章 第三節
アレルの町に着いた。この街は両サイドに広く長くつらなっている珍しい形をした街である。街自体は南北に伸びており、南側で少し西の方に折れ曲がっている。そこから川を挟んで西の町「シモ―」、東の町には「ジェンヌ」、南には「ラトール」の町がある。
アレルの町には非常に多くの店が並んでいる。レンガが石造りの建物がほとんどで、2階建が多い。 1階部分は木を柱にした、テントのような日差しがせり出している。行商人の人数も多く、皮のようなものでできた、随分と頑丈そうなリュックを背負い、その両サイドにも仕入れたりするための商品を、大量につけてがしゃがしゃと音を立てながら移動している。店で売っているものは、どちらかというと高級そうなものが多い。金や銀の細工物、随分と東の方から来たであろう、真っ白な壺や器。高級そうな絨毯も置いてあるが、一番目に付くのは宝石類である。私も興味津々で周囲を見渡していたが、シルバー先生も、私が見た限り初めて左右を随分と見渡していた。そして時折、強く興味を惹かれたのか、思わず足が立ち止まりそうになっている先生を、なかなか見る機会はない。
テオさんは我々の方を後ろに見ながら話しかけてきた。
「もう少しでこの町の中心部です。そこに行くと各地域から集まったさまざまな行商人が集うところがあります。『商人の噴水広場』と呼ばれており、そこに行けばあなた方のこれからの旅に、いろいろとお役に立てることがあるかと思います。」
「そこまでお気遣い頂きありがとうございます。」
シルバー先生が優しくテオさんにそう答えた。私といえば、先ほどまで、ずいぶんと先生に詰め寄られていた感じがあるが、あれからずっと歩きながら思考をしているうちに落ち着いてきた。歩いているとなんだか、頭の整理がついてくるのが不思議なものである。先ほど先生に言われた話———————思考の迷路に迷い込むというのは、視野が狭くなっているということと少し意味は違うが、同義な部分もあると思われる。落ち着くことで視野が広くなることはよくある。
ふと、珍しくテオさんが反応した。
「イーヴァン」
テオさんが声をかけた先には褐色の髪の短い少年がいた。おそらく彼が、イーヴァンだと思われる。その少年は麻でできた袋を抱え、どこかに向かっているようであった。
「テオ!町に出てきてたんだね!後ろに居る人たちは、昨日川に流れてきた人だね!」
私はテオさんに聞いてみた。
「あの子はたしか村の子供ですよね。昨日の夜に村人の中にいた気がします。」
「そうです。彼の名前はイーヴァン。今日は村で集めたものを、この町でいろいろなものに交換してもらうため来てるのです。」
『あんなちっちゃい子でもお使いができるんだ。』口には出さなかったが、私は随分と感心と驚きを持ってしまった。
「今ちょうどここで蝋燭と油をもらいに来たんだ」
イーヴァンはそう言いながら、左手の生活雑貨を扱ってそうなお店に入ろうとした。私は興味本位で少し乗り出し、店の中を覗いた。その様子を察してかテオさんが
「もしよろしければ、イーヴァンについて行きますか?」
と言ってくださったので、思わず照れ笑いをしながら、みんなで彼の後をついて店に入った。
「おじさん!蝋燭と油ちょうだい!」
イーヴァンは屈託のない笑顔で、奥にいる店主に話しかけた。そこで私は少しだけ違和感を覚えた。その店主は、店の門構えから比べると、ずいぶんといい服を着ている。
「おお、イーヴァン」
店主はいつものように応対をしようとしたが、すぐ後ろに3人の大人がいることに気づいた。
「テオさんじゃないか、一緒に居るなんて珍しい。ガストンが一緒なんだね。」
ガストン・・・どこかの書物で読んだことがある。たしか「お客さん」とか「異邦人」などの言葉の語源だったような気がする。
「彼らは川から流れてくる、さまざまな物や人のことを『ガストン』と呼んでいるのかもしれませんね。」
シルバー先生が私の耳元で小さく言った。イーヴァンの方は、自分の与えられた任務をシャキシャキとこなしていた。
「今日持ってきたのはこれだけだよ、大丈夫?」
イーヴァンが袋の中から出したものを見て、私は一瞬目を疑った。それと同時に何かすごい熱さが感じられる、それも非常に良くない方向のものが、自分の中で沸き上がるものを感じた。イーヴァンが机に広げたそのものは、確実に高価な宝石たちであった。それも一つや二つじゃない。片手で持つと山になるぐらいの量である。おそらくこの中の一つだけつまんでも、家が一軒建つぐらいではないだろうか。私がそう思った直後、店主は想像もしない言葉を発した。
「今日はこれくらいか、じゃあ大きめの蝋燭20本と、油3瓶かな」
「わかった!」
いやいや、ちょっと待って欲しい。これだけの宝石を持ってきてそんなはずはない。私は思わずテオさんの方を向いた。しかし彼はそれが日常であるように、いつもの笑顔を見せていた。今度はシルバー先生の方を見た。先生は店主たちのやり取りの方向を見ていたが、私が見たことに気づき目が合った。しかしこのようなときに現れる、全く思考と感情がわからない先生の目であった。私は何を言っていいのかわからず、思わず口をパクパクさせてしまった。だが反射的に(先生からいつも言葉は考えてから話すもの。言葉とは思ったことを話すのではなく、この場において必要な言葉を選ぶのであると言われているが)
「あ、あのすみません、店主。これでそれだけの交換というのは・・・」
そう言いかけたとき、店主は明らかに嫌な顔をした。『なんだ、この面倒くさいやつは・・・』完全にそのような表情であった。テオさんとイーヴァンは『?』な表情をし、シルバー先生は、やはり思考と感情の読めない目をしていた。店主は急に先ほどまで出していた表情を隠し
「いやあ、うちはずっと長い間この人たちと、こういう関係を続けているんだ。外から来た人たちには、少し変わって見えることもあるだろうねえ」
ハハハ・・と乾いた笑いをしたところで、テオさんとイーヴァンはよく理解をしてないが、どうもここは笑うところだと思い、一緒ににこやかに笑っていた。私は再びここでシルバー先生を見てしまった。シルバー先生は全く表情が変わっていない。私が脊髄反射で話してしまったことを責めるわけでもなく、今ここにある現状をまとめるでもなく、ただ私を見つめている。正しい言葉ではないのかもしれないが、まるで興ざめしてしまったような感覚に陥った。
「あ、はい・・・」
私は返事ともつかないような言葉を発した。そしてそのまま、店の外に出てしまった。私が出た後、シルバー先生とテオさんが出てきた。そのまま3人とも大した会話もせずに、「商人と広場」と言われる場所まで辿り着いた。その場所は中央に大き目の噴水があり、それを囲むように商人たちが露店を出している。先ほど歩いてきたお店が立ち並ぶ大通りよりも、さらに珍しいものが並んでる。
「それでは、私は村に戻りますので」
テオさんはそういうと、深々と頭を下げて来た道を戻って行った。私と先生は何処かに向かうという話もせず、何の会話もせず立ち尽くしていた。
しばらくの時間が過ぎた。先生がゆっくりと口を開いた。
「ビルよ、この世界には三つの世界があります。」
私は少し上の空で先生の話を聞いていた。先生は私が集中して聴いていないことは分かっているようであったが、時々「聞くだけで良い」と仰ることがあるので、そのつもりで空を見ながら先生の話を聞いた。
「一つはあなたが頭の中で持っている主観的な世界。つまりあなたが思い込んでいる世界です。 2つ目は「こうあるべきだ」と思う・・・もしくは言われている、その人にとっての理想の世界です。」
「主観的な世界・・・理想的な世界・・・」
「そしてもう一つが「現時点」での「現実の世界」」
「現実の世界・・・」
「今回のことを例にとって話してみましょう。あなたにとって彼らルミエールはとても神聖で自然に溶け込み、ギスギスした人間社会から隔離された素晴らしい人たちだという主観を最初に持ちました。次にあなたは、彼らは人間として、全てにおいて正しい行いをしていると思い、彼らが死体からものを手に入れたり、それを売ったりすること。またその死体を外敵から心理的に守るために、吊り下げることなどを非常に抵抗感を持ちました。これはあなたが理想とした世界と、彼らが違うと思ったからです。しかし本当の現実の彼らは、その行為を営むことによって日々の生活を行っている、現時点での現実に存在する彼らです。しかし、あなたは彼らに対しても強い思い込みを持っている自分を、客観的に見ることができず、その理想というものを彼らがあるべき姿と思い、店主の人を騙してる人間だという立ち位置を行くことで、彼らの正当性や神聖さを形づくろうとしている。」
先生は一度そこまで話されたところで、言葉を止めて私の方を見た。私は先生の言葉を無視しているわけでもなければ、その言葉を理解してないわけでもない。しかし先生がここで言葉を止めたことの理由がわかっている。先生が話されたことが真実だとして、私の何か間違っていることがあるのかが、まるで見当がついていない。先生は私の表情を見ておそらくそのことを気づかれていると思う。
「今話したことは、あなたの感情と論理の中で大きくズレを感じず、矛盾なくまっすぐ道を進んでいると思っているはずです」
相変わらず先生は、私と思考を全て読み解いているようである。
「ではビルよ、あなたに問います。イーヴァンは自分の持ってきた宝石と同等の価値のものを受け取るべきだと思いますか?」
「同等の価値のもの・・・わたしは・・」
「あなたの矛先が商人のほうを向いているのはわかります。では彼はどうすれば良いと思いますか?ろうそくを何十本と渡せばよいのですか?『これだけの価値のものを受け取るのは違う、どこかでお金に変えてその一部を私に渡せばいい』と言えばよいのですか?」
私はすでに頭の中で整理がつかなくなっている。
「あなたの中にはまだ三つの世界が認識されておらず、自分が今現在至っている思考がどれに基づいているものか、はっきりしていないのです。それらが溶け合っているがゆえに、全体の構造を組み上げることが非常に難しくなっています。彼らはあなたと会ったこの瞬間に存在しているのではありません。彼ら自身も何年、何十年という歴史、彼らの祖先を合わせるともっと長い月日を経た後に、今この瞬間があるのです。それが現時点での現実というものです。」
「つまり先生は・・・」
私はそこで言葉を止めた。続けて言葉を言ってよいものかためらってしまった。だが先生はその続きを促した。
「止めなくていいですよ。言葉が雑になったとしても、今思ってることを口にしてみてください。今はそれが最も大事なタイミングです。」
私は言うべきだと思い言葉を続けた。
「なんだか、純粋な彼らが穢されているような気がして・・・ほかの人たちが彼らを食い物にしているような気がして・・・先生はこの状態が本当に正しいと思っていらっしゃるのですか?」
先生は一度沈黙された。この沈黙は明らかに返答に窮しているわけではない。私の感情と思考の乱れを少しでも落ち着かせ、この後先生が話されることが、ほんの少しでも頭の中に入るように静寂の時間をもたれているのだとわかる。
「彼らが純粋であるというあなたの思い込み、それを阻むものはすべて不純であるというあなたの思い込み。それはあるべき姿ではないと思うアナタの理想。そしてそれと対峙している現実・・・このそれぞれの境界線と領域と個別の構造を、自分の中で明確に描けなければ、『家が必要とされているのに橋の材料を用いて、船の設計図を使っている』このような状態になってしまいます。」
再び沈黙が流れる——————。
「少し言葉が過ぎたかもしれません。」
先生にしては珍しく、反省の言葉を仰られた。
『三つの世界』
その境界と領域と構造——————
あと二つはわからないが、一つだけ今の自分に認識できることがある。それはおそらく「理想の世界」——————そのことが自分の中に強く存在し、他のものとは一線を画しているのは間違いなさそうである。
ガラガラガラ
石畳を叩くように、木製の車輪の音が響き渡る。私も先生もその大きな音の方を振り返る。そこには馬車にひかれた檻があり、中には5 、6人の子供達が入れられていた。おそらく奴隷の子供たちであろう。
『今、目の前でこの子供たちがどこか遠くに売られていく、場合によっては殺されてしまうかもしれない。私はこの現実を頭の中でどう処理すればいいのかわかりません。いやこんなことが認められてよいのか、当たり前なのか。私が頭の中で思い込んでいるただの「理想の世界』なのか』
私は先生にその言葉を投げようとしたが、口は動かない。今口を開けば、ただわがままを言ってごねている子供のようである。なぜだかそう思ってしまう。正しいことを言っているようで、足元が滑り何も進んでいない感覚に襲われる。
私はその馬車を見送る。頭の中でガラガラという音だけが、曇ったガラスのように曖昧な感じで頭の中に響き渡る。
「ねーちゃん!」
曇った煙を振り払うように男の子の声が聞こえた。その馬車を追いかける少年、それはイーヴァンだった。




