第四章 第二節
翌朝こそは私が一番に起きようと思っていた。しかし、夜中に体中が痛み、さらに前日の疲れが全く取れておらず、気がつくともう既にテントの中に光が射していた。慌てて起きようとしたが体の節々がギリギリ音を立てている。なんとか俯せになり顔を上げて、テントの隙間から外を見る。すると昨日我々に良くしてくれたテオさんが、何か大きなものを背負って運んでいた。枝や薪のようなものに見える。ひょっとすると炭を作る材料かもしれない。また別の方ではスープの匂いが漂っている。昨日は違う材料で作っているのであろう。この人たちは基本的に、様々なもの煮込んで食事にしていると思われる。そして右の方に目を移すと、木でできた椅子のところにシルバー先生が座っていた。
私はズルズルと体を起こし、なんとかテントの外に出た。村人たちは早朝から自らの務めを果たすべくあちこちに動き回っていた。
「先生、おはようございます。寝坊してしまってすみません。」
「まだ疲れが取れていないのです。体が休みを欲している時には、可能な限り休んだ方が良いですよ。」
先生が笑顔で私に答えてくれた。テオの妻と思われる人がこちらを見て、にっこりと頭を下げる。昨晩先生と話はしたが、テオさん以外我々に全く話しかけてこないのは、やはりどこか違和感を覚えてしまう。
がさがさ——————
テオが大きな笊のようなものに沢山の草を乗せて運んでいた。何か家畜でも飼っているかもしれない。
「目が覚めましたか、では食事しましょう。」
すぐさまテオの妻が、木の器に入ったスープをもってくる。昨晩とは違い、スープの中にクリーム色の穀物が入っている。さらに薬草と魚を乾かしたものが細切れで刺激的な匂いを醸し出して。いかにも体力が付きそうな朝食だ。
「あなた達をアレルの町へ送り届ければ良いですか?」
テオさんかシルバー先生の方に向かって言った。おそらく私が起きる前に様々なことを話し合われていたのかもしれない。
「はい。そこまで出れば我々は、引き続き旅を続けることができると思います。」
「ではゆっくり食べていってください。もしよろしければ、何杯でもおかわりをしてください。またこれから大変な旅が続くかもしれません。少しでもここでの食事が、お二人の役に立てば。」
なんという気づかい。なんという優しさだろうか。自然の中で生き、自然と調和し、自然のように日々を営む。このような世界に生まれたのであれば、人々は皆優しくなれるのかもしれない。私はいただいたスープを口の中に含む。生まれ変われるのであれば、彼らの一員としてこの世に生を成すことも幸せではないかと思えた。
我々は食事を終えると、優しく見送ってくれる村人たちを後にした。先頭を歩くテオさんだ。森の中、いや深い草や蔓などが私たちのゆく手を遮る。いや、遮っているのは私だけで、テオさんは、まるでそこに何も無いようにぐいと進んでいく。比較的その動きにシルバー先生もスムーズに付いていく。私は平らな道を歩きすぎたのかもしれない。それだけで私の適応能力の低さが示されているようであった。先ほどから視界の左右に何か変わったものが見える。それがまったくもって何なのかわからない。自らが体重をかけるべく、右手を木の幹に覆うようにつけた時、それが人の骨と皮であることに気づいた。
「うわーーーーー」
テオさんとシルバー先生が驚いて振り向く。しかし自分の鼓動が止まることはなく、震える叫びがまだ続く。
「ああああ、あああ」
私はその死体を右側の目に追いやりながら、いやそんなことはないが、まるでそれが動いて襲ってくるかのような恐怖心に苛まれ、半身で後ろに下がっていく。
「あ、あああ」
左目には、私をじっと見つめるテオさんとシルバー先生。おそらく今声をかけても私の震えは納まらず、一定の時間を置くしかないと、冷静に四つの目が見つめている。
「あ・・あ、す、すみません」
私はこの一言をなんとか発したが、まだ指先は震えていて、四つの目はまだこちらを向いたままである。いや、シルバー先生が少しこちらに体を向けた。
「ビル、落ち着けそうですか?」
「は、はい・・・・」
「もう少し落ち着いてからで大丈夫ですよ。」
シルバー先生はそういうと、今度はテオさんの方に向き直り
「テオさん、大変申し訳ありませんが少しここで休憩をさせてもらっていいですか?」
テオさんはにっこりとした笑顔を見せ、
「大丈夫ですよ、そこの倒れる木に腰を降ろしてください。」
私はよちよち歩きのような感じで、なんとかその木に腰を下ろした。シルバー先生は何事もなかったように、ゆっくり腰を下ろした。私はその時には死体からは完全に目を逸らしていた。故にもう1度目を合わせるのは非常に憚られた。
「あれは何ですか?」
普段であれば何か質問をする時に、必ず思考を巡らしてではないといけないと言われている。だがここは少し甘やかせてもらった。
「あれはお守りです。」
テオさんは立ったままで私たちに説明を始めた。
「お守り?」
なんだかこの先が聞くのが非常に恐ろしく、何を聞いていいのか分からない。しかもテオさんは余計なことを話さない。私が薄く開いた口をかくかくさせているとシルバー先生が私のことを気の毒に思ったのか、必要かどうかわからない質問をしてくれた。
「あの遺体はどこから持ってきたものなのですか?」
「あれは流されて来たものです。この地域はちょうど川が折れ曲がっているところで、さまざまなものが漂着します。あなた方もその中の一人です。」
先生が続けて質問をして下さった。
「そこで漂着したご遺体を、村のお守りとしてこの辺りの木にぶら下げているということですか?」
「そうです、こうすると魔物が我々の村に近づかないのです。」
魔物?魔物どころか人間さえ近づかないだろう。我々はたまたまこの村の裏側から入ったから、今目の前にある恐ろしい光景をネタがわかって見ている。しかしこれが逆で、何らかの理由でこの村に近づいたら、私は恐怖におののき、この村に近づくことは到底かなわないだろう。
「見たところ服はどれも着ていないと思いますが。」
「はい、服や持ち物はすべて我々が授かります。それをこの先にあるアレルの街で買い取ってもらい、我々の生活の家庭の一部としていただいています。」
「え・・・」
私は絶句した。
彼らは死んだ人のものを奪い、それを売っているのか——————
私は自分の頭の中がまるで動かなくなることを感じた。強制的に停止させるってわけではない。思考の行き場がなくなったような感覚である。
「さあ、そろそろ参りましょうか。テオさんよろしくお願いします。」
シルバー先生はそういうと、腰を上げてテオさんに促した。テオさんは頷いてまた再び街の方へと歩きはじめた。
私はぼうっとした感じで先生の後を歩き続ける。先生は少しずつ私と距離を縮めできた。明らかに私のことを気にかけてくれているようであった。
「私は、昨日から気になっていたことがありました。」
先生は私の横でそのように話し始めた。気になっていたこと?先生は彼らルミエールに対して何か思うことがあったのだろうか・・・
「私が気になっていたことは、昨日からあなたがテオさんをはじめ、村の人たちをものすごく崇拝するような言葉を重ねたところです。」
私が・・・彼らを崇拝する?
私はただ彼らの優しさと温かさに感動し、私たち穢れた文明の中でなく自然の中に生きている彼らを尊敬しただけではないか——————
「私は、我々を助けてくれた彼らに感謝の気持ちをもっとこと、彼らの生き生きした表情を見てあのような生活もあるのだと少し感動した、それだけのことだと思うのですが・・・」
私は直前で自分が思ったこと、先生に伝えた言葉の間にズレがあり、溶けている部分があることをどこかで感じているが、そこを見えないことにしている自分が存在している気がする。
「ビル、あなたは自分で自分の言っていることが、分からなくなっている表情をしています。」
「・・・・・」
私は無反応という名の反応をした。なんだか先生に「崇拝している」という言葉を言われたことが『攻撃された』気がした。先生はなぜ「お前は崇拝している」的なきつい言葉を使ったのか。だいたい崇拝してはなぜいけないのか。私は横目で先生を見ると、先生はじっと私を見ている。・・・・息苦しい。
「今のあなたに話しても頭に残らないかもしませんが、一応この話をします。」
「・・・・」
「すべて物事は『可逆的』であるように心がけなさい。道に迷うことは必ずあります。その時に戻れる気持ちを持てるように、戻れる道を確保できるようにしなさい。行って戻れなくなると必ず破滅に導かれます。」
「必ず?必ずなのですか?」
「あなたは今、私の話を高い集中度で聞けていません。私は先ほど『道に迷うことは必ずあります』と言いました。これを否定する言葉は「道に迷うことは絶対にない」ということです。そんなことがあり得るのでしょうか?人生で一度も迷わずに進み、到達できるなどということがあるのでしょうか?」
なるほど、私の頭はまるで動いていないらしい。先生にあまりにも当たり前でくだらないことを口にさせてしまった。なぜこんな状態になっているのだ、いや違う先生は、今それを説明してくださっているのだ。先生の言うところの「不可逆的状態」であると。
「昨日からあなた迷路に迷い込んでいます。それは誰にでもあることです。思考や想像がどんどん進み奥へ奥へと入り込み、何度か枝分かれのポイントを過ぎてはいるのだが、そのことさえも気づかない。ある種、心地良いほうに進んで前だけを見る。決して後ろを振り向かず、自分が来た道、自分が話したこと、自分が行った行動を全く顧みず、どこまでも奥に進み続ける。この状態では来た道を帰る術はありません。一歩ごとに自分を振り返り、自分が何を話しているのか、自分が何を行っているのか客観性を保ち続け、自らの歩いた軌跡を追えることが、自分の位置づけをはっきりさせることです。」
「非常に難しそうなことですね。」
私はなんとなく上の空で答えた。
「意識をしていればそこまでではありませんが、意識づけが出来ていないと『不可逆性の快楽』それは高いところから無限の谷底に堕ちていく心地よさに、自分の体が染まり切り、気づいた時には戻れない、いやそんなことさえ考えることができない状態になってしまいます。よく人生の中で「振り出しに戻ってしまう」という言葉がありますが、これは当たり前のことであり、それぞれの節目の選択肢の一番はじめの所に戻ることは、『不可逆性の快楽』と言う谷底に落ちていないという証拠なのです。」
今の私は先生の言葉を捉え切れていない。自分の頭の中の迷路に、しかも奥深いところにいつの間にか迷いこんでいた。いや、出ることができなくなっている状態であるのは間違いないらしい。
「ビルよ、実際にあなたはとても疲れている。それは肉体的にも精神的にも。私の弟子になってここまではがむしゃらで、さまざまなことを行ってきたと思う。今新しい領域に入りつつあるのだ。今までと全く違うことで、いや考えもしなかったことで己が苦しむことが出てくると思う。」
先生は慰めで言って下さったのかもしれない。しかし私にとっては、それがさらに気持ちを落ち込ませる事になっている・・・
「先生、先ほどおっしゃったことはなかなか難しいことかもしれません。」
先生はここで優しい共感的同意をくださる方ではない。
「意識をすることが常に求められます。そのことがまずいと思っていれば、目の前の結果が伴わなくとも致し方のないところです。しかし意識が抜けていると、どうしても同じことを繰り返してしまいます。」
なるほど、先ほどから先生が「まあいいでしょう」的に矛を収めて下さらないのは、私が疲れている時だからこそ、意識を持つことが大事だと伝えているらしい。わかります、先生。
わかりますが・・・・・・




