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風と静寂  作者: 佐竹武夫
第四章
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第四章 第一節

川に流された後、意外に記憶がない。意外と言うのはどういう意味か。私としては川の中に飛び込んだ後、比較的早めに岸を見つけ、先生を連れて這い上がるつもりだった。だがそうならかったのは、一つは川の流れが思ったより早かった。川の中心部で飛びこんだ為そうであったのだと思われる。もう一つは、この表現は間違っているかもしれないが「心地よさ」のようなものを感じた。いや、川に流されているのだから心地よく感じてはいけない。だがその直前で先生の言葉である「私たちは砂利である。ただ川の流れに動かされているだけ」その言葉が妙に自分の中に流れていた。



かなりまどろんだ状態であったが、目の前でいろんなものが動いていた。おそらく人であろう。我々をのぞきこんでいる。多分、岸に打ち上げられたのだろう。私はまた、この世の中に戻ってきたのだ。人同士が罵り合い、傷つけ合い、殺し合うこの現実の世界に。本当はそうであっても良くないと思いつつ、なぜかこの瞬間に感じている暖かさと柔らかさに私は身を委ね、もう1度目を閉じてしまった。


幾時間が過ぎて私は目を覚ました。パチパチパチと少し離れたところで薪が燃えている。周囲は真っ暗である。ずいぶんと前に夜が訪れていたのであろう。そこには先に起きたであろうシルバー先生が、その火で暖を取りながら胸板の厚い大柄な男と話をしている。隣には赤と白の髪飾りをした女性が座っている。おそらくその男の妻なのであろう。先生は麻のような布を体に巻いている。服はその近く、木の棒で作られた物干し竿のところにかけられていた。もうほとんど乾いていたのであろうが、最後の湿気まで取るために干してあるのだろう。その時になって初めて、私は服を着ていないことに気づいた。下には干し草でできた厚めのものが引かれている。さらに体には、先生と同じく麻でできた布がかけられていた。私の動く音で先生たちはこちらを向いた。


「目が覚めたようですね。」


先生は私に優しく声をかけた。まだ少し寝ぼけていて、周囲がもやって見える。だがそれよりも先に、先生に礼儀として言わないといけないことがあると思った。


「申し訳ありません、私の方が遅く目覚める形になってしまって。」

「良いのですよ。あなたの方が大変だったと思います。私はただ、あなたについてきただけですから。」


薄ぼんやりとここまでの記憶をたどっていく。私は剣を携え、反対の手でシルバー先生を抱きかかえ、ルーラ川に飛び込んだ。


さらさらさら——————


ここから遠目、夜の月明かりに川の水面が照らされている。すぐ近くが川である。我々が漂着したところから、さほど離れていない地点に居るようだ。再び川と反対の方向にいる、炎に照らされた先生たちを見た。


「私の服も乾いたところだと思います。ビル、あなたの服も乾いていますよ。いつまでも裸の格好で言うと、こちらの方々に失礼ですね。服を着ましょう。」


髪飾りをした女性の方が、私に服を持って来てくれた。我々はゆっくりと服を着た。炎に当てられていたその服はとても暖かく、同じ私を苦しめる世界の物として、受け入れがたい優しさを持っていた。



もう一つの炎が燃えていた。地中に埋められた暖炉のようになっていて、土でできていた鍋にスープのようなものがコトコトと煮えていた。中には魚といくつかの山菜が盛り込まれているようであった。あまりにも疲れていたのか、それらの栄養を体が欲しているのがわかった。いつの間にか周囲には20人ぐらい人が集まっていた。おそらく皆この集落の者たちであろう。彼らは好奇心の眼差しで私とシルバー先生を見ていた。先ほどの髪飾りの女性が、私に木の器に入ったスープを持って来てくれた。それを持つだけで体が温まる。シルバー先生にもそのスープは渡されており


「ありがたくいただきましょう。」


先生はそう一言いい、周囲の人々に深く頭を下げ、そのスープをすすった。私もゆっくりと器に口を近づけた。とてもいい匂いである。何度かその熱いスープを少しずつ口に入れる。まさしく生き返るという表現はこのことであろう。私はまたこの現実に戻ってきたことを実感してしまう。


「この方々は——————」


先生は私の方に向かって説明を始めた。おそらく私がまだ気を失っている間、先生がこの方々と話をして言ったことを私に説明してくれるのだろう。


「この森の中で随分と昔から暮らしているルミエールという民族の人たちらしい。」


民族——————ここでいう民族とは、中央政権の管理下にない状態で、この地域の支配下における「国民」という位置づけではないということである。さらに中央政権が推し進めている文明的価値観の政策からは含まれる立場ではない、独自の生活様式を保った人々である思われる。


「ルミエール・・・私の知識不足で申し訳ありません。私は今までそのような民族がこの辺りに住んでいることを知りませんでした。」

「わたくしも初めて知りました。ここから東に出ると『アレル』の街に出ます。」

「その街なら聞いたことはあります。さほど肥沃な土地ではないにもかかわらず、経済的には豊かな人々がいる印象です。」

「アレルの住民たちは、ここに居るようないくつかの民族と契約を結び、その民族取引をしたものを元手に全国各地に商売をしているみたいです。私も少しだけそのような話を聞いたことがあったのですが、実際この方々とお会いするとは思ってはいませんでした。」


私は周囲を見渡した。彼らはじっと私たちの方を見ている。決して言葉が通じないわけではないと思われる。だがなんというか・・・余計なこと言ってはならない、言うことは得策ではないという教育を受けていそうな気がした。


教育?慣習?掟?


また何度かスープをすする。じわりじわりと味が滲み出て、魚の肉のうまみと薬草のような苦味が相まって、非常に食欲をそそる。さらにその薬味が体を芯からどんどんと温めていく。先ほどまで川の中に浸かっていたのに、この瞬間は汗が湧き出てきているような感覚になる。



「私の名前はテオ。」


胸板の厚い男性が自己紹介をした。少しまだぼうっとしていたせいか、私は自分が名乗ってないことに気がついた。


「自己紹介が遅くなりまして申し訳ありません。いやそれよりも助けていただいてありがとうございます。わたくしの名前はビルと申します。ここに居るシルバー先生の弟子をしております。」

「弟子?」


一瞬お互いの間があいた。


先生がおもむろに口を開いた。


「わたしは旅をしているということ以外、このテオさんには伝えてはいませんでした。」


先生は私に向かってそういうと、今度はテオさんの方を向き。


「私とビルの関係は師と弟子にあたります。」


と、一言だけ述べた。


「そうですか。」


テオさんは優しくそう言うと、にっこりと笑顔を見せた。


「ビル、私はこのテオさんにお願いして、今日一晩ここで休ませてもらうことになりました。」


するとテオさんの妻であろう女性がすっと立ち上がり、ある一つのテントの方を目指した。すると先生も立ち上がったので、私も思わずつられて立ち上がった。近くにあったそのテントは、2人の大人が寝るには充分の大きさであった。先ほどと同じく干し草でできた敷物が敷き詰められていた。


「我々のためにこのように、様々なお気遣いをいただき誠にありがとうございます。」


シルバー先生は少し離れた、先ほどまで自分たちがいた暖炉のそばに居るテオさんをはじめ、村人人たちに深く頭を下げた。皆、屈託のない笑顔で答えてくれたが特に言葉は発していなかった。


「さあ、休ませてもらいましょう。」


シルバー先生はそのテントの奥へと入った。私もつられてそのまま入って行った。



先ほどまでずいぶん体を休ませてもらったせいか、まだ少し頭が冴えていた。


「シルバー先生、お聞きしてもよろしいですか?」


本当は聞きたいことは山ほどある。ルシアンの姉との出来事は、まだ私の中で何一つ整理がついてない。正直自分の中で何が起きたのか分からず、気がついたら川の中にいたような状態である。しかし今は、目の前のことについて聞いておかなければならないような気がした。


「何について聞きたいのですか?」

「先生、私たちは彼らルミエールの民族に命を助けられました。」


先生は少し黙って、静かに口を開いた。


「疲れていると思うので、あまり考えを深く持つこと求めても難しいと思いますが、自ら口にしたことは、自らの理解のないところにおいてはいけません。」

「『自らの口にしたこと』とは「ルミエールの民族に命を助けられました」という言葉でしょうか。」

「そうです。自ら発した言葉の意味を自ら理解をしないで解き放ってしまうと、基本的にはよいことはありません。ビル、「命を助けられた」とはどういう意味付けのことでしょうか。私たちは川から流れてきた、彼らが私たちを引き上げた、そして食事をいただき、寝床を用意してくださった。それらは一つ一つは事実であるが、それをもってして「命を助けられた」とすることは本当に間違いではないのでしょうか?」


私は少しだけ間を開けて、ゆっくりと答えた。


「違います。申し訳ありませんでした。杓子定規な言葉を簡単に使ってしまいました。」


先生も少しだけ間を開けて、ゆっくりと再び話し始めた。


「あなたが本当に質問したいことを、もう一度整理して私に聞いてみてください。」


私は少し深いところに思考を巡らした。私は何に違和感をおぼえたのか?何の物事について先生とその感じたところを、共有もしくは差異を確認したかったのか?


「先生、私は自分を紹介するときに、あまり考えもせず「弟子である」と口にしました。しかし先生は全く余計なことを言わず、ただ旅人だということを伝えただけでありました。先生が改めて彼らに私たちの関係性を伝えても、彼らがそこから深く我々に詮索することは、全くありませんでした。」


先生が深い目でじっと私の話を聞いている。先生が「そのまま続けなさい」と言っているようであった。私は言葉を続けた。


「その時私は、私が感じている違和感について少しだけ形が見えた気がしました。それは彼らの中で発言をしているのかテオさんだけで、その他の人が誰も我々に語りかけてこようとしていませんでした。これは、あれだけの人数の人がみんな無口で引っ込み思案とは考えにくいです。つまり彼らは彼らの習慣や掟において、発言をすることを厳しく統率されていると思いました。」


そこまで自分は話したところで、急に何かあわただしく次の言葉を加えた。


「あいや、別に彼らに対して嫌悪感があるとか、警戒心があるわけではありません。むしろ私が彼らに助けられた時に、なんだか彼らに身を委ねてもいいような気分になっていたことが今思い出されました。なんというか、彼らはとても優しく温かい・・・彼らの中での厳しさは存在するが、その厳しさは優しさを生んでいるというか・・・」


急に私の中での言葉がぶれはじめた。先生は私の思考を補助するように言葉をかぶせてくださった。


「だいぶ物事を観察する目が付いてきましたね。」


こちらもだてに川に飛び込んで無いと言おうと思ったが、少し茶化しているようでやめた。


「彼らは心の底から私たちに親切にしてくださっています。それは彼らの民族がここまで長く続いてきた厳しい習慣の中にあると思われます。」


「私も書物でこのようなことを読んだことがあります。ここから随分と東にある地域では、旅人にもっともやさしくしなさいと教えられている地域がある、と—————」

「そうですね。それぞれの地域の人々が自分たちの存在を保つために、外部から見ればとても優しく、そしてある時はとても厳しく、そこにある習慣や起きていることに出会うことがあります。」


そうだ。彼らの優しさ、どこか彼らに身を委ねてもいいと思う暖かさ——————それに対し一人の男性しか我々と会話をしない。余計なことを一切聞いてこない。それも同じ彼らなのである。


「私が「弟子」という単語を持ち出したのは良くなかったのでしょうか。」

「仕方がありません。あなたはひどく体を痛めていたし、相手に失礼があってはいけないと慌てて自己紹介をしたのです。とても難しいことだとは思いますが、自分が不安定な状態で発言をすると、どうしてもいいことはありません。やはり一度深呼吸をして、言葉というものは自分で何を言っているのか必ず自分の耳で聴きながら、反芻しながら話すものです。そうしたならば、話している途中にそれを止めることもできますし、最悪話した直後で不味いと思えば、その場で訂正すればよいのです。」


先生、そこに到達するためには私にはまだまだ経験と多くの理解が必要な気がします・・・



「今のあなたはまだ、新しい環境に入り込んで興奮状態にあります。熟睡はできないかもしれませんが目をつむり、体を休め明日に備えましょう。」


先生はそういうと静かに目を閉じた。


私も目を閉じた。明日からまた何かが始まる。それに備えないと・・・


そう思った瞬間、川に飛び込んだ時の体の痛みが、石や流木にぶつかった時の痛みがこの時初めて感じ始めたのである。


まったくもって、やはりこの世は地獄である。









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