第三章 第四節
春が過ぎ、夏が近づいている。緑が濃くなり始め、過ごしやすい季節だ。ルーラ川の流れる水の音がよく響いて聞こえるのは、遠くの山脈から送られてくる雪解け水が、最後のうねりをあげているのであろう。
シルバー先生と私はボケールの町の中央管理所を目指していた。そこにこの地域のウルビス(市政官)がいるはず。自分たちの荷物とともに、ルシアンの姉に借りたフードを深々とかぶって。 三、四階建ての高い建物をどんどん進む。交差点に出て左に行くとルーラ川を渡るための大きな橋に至り、向かって右側を進んでいくと左手に大木な建物が見えてくる。手前は石造りでできており、両脇に台形の大きな柱のような建物の姿が見える。中央にはアーチを描いて入り込むスペースがある。このアーチだけで人が並んで20人ぐらいははいりそうな幅がある。なるほど、これだけ大きな街だけあって、中央管理所は私が今まで見た中でも、もっとも立派と言っていいたたずまいを醸し出している。当然入り口には怪しい奴を入らせないための門番二名ほど立っている。大柄で上半身だけ甲冑を着ている。
手にはバルディッシュを構えている。私の故郷アラームの中央管理所に比べると十倍ぐらいの大きさがあるだろう。いや比べる事自体が間違ってということを感じさせてくれる。驚いたことに入り口で検査のための足止めを食らうことはなかった。この街に入る時と同様、人の行き来が多いために、一々検査をしている場合ではないのかもしれない。
建物の中に入り周囲を見渡していると、先生は奥にある中央の階段を目指して進んでいく。
「先生、今更質問してよろしいでしょうか?」
「どうしました、ビル?緊張でもしてきましたか。」
「先生はいつも目的ということを明確にさせないといけないと話になっています。それは主に『誰のために、何のため』————今この場合であると、先生はルシアンの姉のために、今この街のウルビスに会いに行こうとしている、それであっていますでしょうか?」
シルバー先生は足を止めた。これから我々はウルビス(市政官)に取り次いでもらおうとしている。そしてルシアンの姉が望んでいた、この街の検疫に対する望んでいる行動をとり行おうとしている。
「まずは」
先生が私の方を向いて言った。
「私が話していることを、真剣に、まじめに受け止めて、それを日々の行動に生かせるように努めていることが素晴らしいことです。では考えてみましょう。先ほどあなたが言ったことが整合性を得ているのであれば、私はルシアンの姉ジェヌヴィエーヴ・デュボワのために行動を起こしているということになります。ではなぜ私が、彼女のため行動を起こすと思うのですか?」
「それは・・・」
一瞬で言葉が詰まってしまう。私から質問をしておきながらなんとも情けない話である。私自身が「彼女のためだと思うのですが」と言いながら、なぜ彼女のために動いているのかと問われた時に、一瞬で頭から言葉が消えてしまう。もちろんすぐに頭に浮かぶ言葉はある。でもそれはどう考えてもシルバー先生がそのことを起点として動いている人は考えにくい内容である。「彼女を助けるため」「彼女がかわいそうだから」「彼女の過去の話に心が打たれた」どれもがそれっぽい理由であるが、今までの経験と現在の先生の動きの中から端々に感じられる、研ぎ澄まされた「火花が散るような音」。その肌で感じられるものに当てはまる理由となるものが何一つ存在してない。私はこれらの思考を2,3秒の中で行うが、シルバー先生は私を見つめながら、それらの思考されている文字一つ一つを全て読み説かれているような感覚に陥る。
「違うと思うのですが、どうしてもこれ以上先に思考が進むことがありません。シルバー先生は彼女の過去の話を聞いたことによって、心が動かされて今、彼女のために行動を起こしている。違いますでしょうか?」
「あなたはそれが、私が本当に行動を起こして理由だと十のうちいくつぐらい思いますか?」
「十のうちですか?・・・・十のうち・・・二くらいです。」
「以前も言ったかもしれませんが、このことは大事なことなので何度か言います。綺麗な言葉はなるべく避けてください。」
「綺麗な言葉?」
「誰かのため、あなたのため、みんなのため。それだけではありません。まるで物語の主人公が、時の為政者が語るとても綺麗で美しく、誰もが納得し否定することができない。そんな綺麗すぎる言葉。「綺麗事」とは意味が違います。あまりにも耳障りをよい、一見すると何も間違っていないような言葉という意味です。」
先生の言うことはいつも難しい。私がそんな顔をしたのか、先生もめずらしく私のために言葉を重ねてくださった。
「少し分かりにくいかもしれませんね。例えば「人は人を大切にしなければならない」「人は間違いを犯すものである。」「この世に意味がないものなどない」これらのように美しく非の打ち所がない言葉たちは、物語の中ではよく登場します。しかし、明日を生きる中でそれらの言葉があまりにも当たり前に点在していると、われわれは現実というものを踏みしめるための足場を失ってしまいます。それらの多くが神聖的に悟りを開いたように点在する隙間の中だけにしか、その存在が難しいのです。」
なんとなくであるが、言いたいことがわかるような気もする。
「これから我々がウルビス(市政官)と向かい合うために、気持ちを現実という足場一度だけ、あなたを着地させる必要があります。今のあなたに理解は難しいかもしれませんが、今この時だけ耳の中それを入れ、頭の中にその糸を通してください。人は何かを自分で選択しているようで何も選択していません。我々という存在は大きな河底にある砂利です。ただただ水に流されて、川の底をほかの石とぶつかり、時には削られ、時には砕かれながら転がっているだけです。今日、川のどこにいて、明日、川のどこに居るなど何の意味もないことです。」
私は完全に思考が停止してしまった。まるで自分だけでなく周囲のすべてでさえも時間という概念を失ってしまったようである。私の解釈は確実に間違っていると思う。しかし私はこう聞こえてしまった。「世界はきれいごとではない」なんとなくここまでは理解をしていいような、解釈に対して道筋がつけられるような気がする。しかし「この世界のすべてに意味はない。私たちは所詮「砂利」である。」このように言われたような気がした。私たちは「砂利」なのか?
「先生、つまり私たちは自分たちではどうしようもできないから、ルシアンの姉を助けるために動いている、そういうことでしょうか?」
正直自分で何を言っているいのかよくわからない。
「そうですね。あなたがはじめに言った綺麗な言葉よりも、今言った理由の方が現実には近いですね。」
意味がわからない。しかし自分がはじめに言った理由は、自分で全く納得がいっていない。今自分が言った理由は何のことだかよく分かっていないが、感覚として先ほどよりも圧倒的に納得度合いが強いのはなぜだろう。
シルバー先生はどんどん階段を登って行く。実際にウルビス(市政官)がどの部屋にいるか分かっていないのに、何の戸惑いもなく進んでしまって大丈夫なのか、と不安になってしまう。
「先生、目的の場所はわかっていらっしゃるのですか?」
「いいえ。しかし、たいてい偉い人は上の方にいますよ。」
先生はそう言いながらまた階段上りはじめた。
「お前たちは誰だ」
我々は随分と強面の感じがする男に突然声をかけられた。私たちのことを明らかに不審がっている。 一階部分では多数の来訪者が行き交っていたが、三階を過ぎたあたりから周囲にはほとんど人がいないからである。しかも深々とフードを被った、見た目が十分怪しい2人である。
「わたくしはシルバーと申すものです。隣にいるのは弟子のビル。この街のウルビスにお願いがあって参りました。」
「ん?・・・」
男はやはり不審者を見るような目を変えなかった。しかも突然来訪してきて、この街の一番偉い人間に合わせると言ってきている。少しだけ間あったが、訪ねてきた人物がそれなりに偉い人であるとまずいと思ったのか。
「少し待っていろ」
と言って上の階に登ろうとしたが、改めて振り向き先生に問い直した。
「シルバーとだけ伝えればわかるのか?」
「エンドロゴス(深い思索者)のシルバーとお伝えすれば分かっていただけると思います。」
男は先生をもう一度品定めをするように見回すと、再び階段を上りはじめた。
待ってと言われたのだから余計なことはしない方が良い。私はなんとなく暇を持て余すように今自分が登ってきた豪華な階段を見ました。ふと足下を見る。私はここまで全く気付いていなかったが先生の足元に赤いものがぽつぽつと落ちていた。
「先生、この足元に落ちているのはルシアンの家でもらった赤い実を潰したものですよね?」
「ようやく気付きましたか。これから少しずつでもいいので、もう少し周囲に関心を持つようにした方が良いと思います。」
また怒られてしまった。
何をしているのか聞こうとしてしまったが、それはこれから行われようとしていることと、ずいぶん道がずれていると思いやめることにした。もともとルシアンの家で借りたマントのこともなぜ準備をしているのか聞こうとしたが
『ビルよ、実際事が起きた直後に知る方が良いと思います。今あなたにすべて事前にお伝えすると、なんというか・・・まだあなたは思っていることが直接顔に出てしまい、あまり良くない段取りになりそうなので』
要するに先に私にネタをばらしていると、全てが顔に出てしまうので今回はやめておこうということである。
どたどた——————
先ほどの男が早足で降りてくる。
「そこの2人、ウルビスであるエティエンヌ様が上の階でお待ちだ。」
「分かりました。ビルよ、参りましょう。」
先生はそう言うと、男の後ついて行きながら、再び階段を上りはじめた。私もその後ついて行く。ふと足下に目をやると、やはり先生はすりつぶした赤い実をほんの少しだけ落としながら進んでいた。
階段を上がり左手を進むと、比較的早めにその部屋に辿り着いた。ウルビスの部屋だからといって特別豪華な作りをしているわけではないが、中に入るとその広さと、左右にある数々の、誰かが送られたであろう調度品が目に入ってくる。陶磁器できたものや金細工を施したものなど、物流の交流地点であるという文化が感じられる。少なくとも私の故郷よりはとても豊かな経済状態であると思われる。『その地域の住民にとってはそんなことは関係なく、権力者が金目の物を集めているように見えるのだろう』そんなことも思ってしまった。
「これはこれは、首都アゼネイエの遠方よりその高名なお名前、この街『ボケール』の人々にも響いております、シルバー先生。」
今我々に語りかけた、中央の長机の奥に座っている男が、おそらくウルビスであるエティエンヌだと思われる。この人物が特別不遜な態度だと思わないが、どうしてもそれなりの上の地位に立ってしまうと相手を斜め下に見おろしてしまう感じがある。
「話を聞いたところによると何か頼み事があると?我々にできることであれば何でも致しますが?」
「それは大変助かります。実は火急の要件でして。」
「ほー、それは随分とお困り内容ですね。」
「はい、実は・・・」
シルバー先生はそういうと深々とかぶっていたフードを脱いだ。するとそこには、先生が事前にルシアンの家でもらった木の実すりつぶしたものを、塗った顔があった。その顔を先生は、エティエンヌと両橋に2人いる男たちに見せた。
!——————
男たちがどよめきの声を上げる。私はそれがなんだかわかっている。しかし部屋の暗さもあり、彼らには先生が何かの病気にかかっているように見えたのに違いない。私自身も先生がこの顔しているのを見たのはこの瞬間が初めてである。しかしそれが木の実だと知っているがために、当然ほとんど驚かない。おそらくシルバー先生はそこまで計算に入れて私に何をするのかを黙っていたのだろう。
「ここに至るまでに体の調子が悪くて・・・なんとかここまでたどり着いたのですが、体に発心のようなものが出始めております。これはもしや疫病ではないかと思っております。」
「は、はあ・・・」
周囲の男たちは明らかに動揺している。これで彼らが先生に近づいてきて本物かどうかを確かめればバレてしまう可能性もある。しかし彼らは近づくどころか、少しでもこの部屋から出たいと言う思いに今なっているに違い。先生はさらに続ける。
「確かこの町には、首都アゼネイエで医学を学び、疫病のことを専門にしておられる医師の方がいらっしゃると聞きました。」
ああ——————という表情をエティエンヌはした。さすがに自分が無碍な扱いをした女性医師のことを覚えているようであった。
「確かにおります、おりますとも!わが町には優秀な人材が数多くおります。その中でも彼女は非常に素晴らしい医者の中の一人です。」
わかる。彼がこのような時にこのような言い方をしてしまうのは、私も役人の立場だったが故、頭で分かっているところがある。しかし、昨日ルシアンの姉の話を聞いた後ではその白々しさと、都合の良さに心の中でどこか苛立ち思ってしまうのは、私の勉強不足なのであろうか?
「おお、それは助かります。私のこの体、診ていただければ助かるのですが」
「もちろんですとも、すぐにその医者呼びます。」
そういうエティエンヌは
「先生方には、五階の待機室にてお待ちしていただくように」
と自分の右手側にいる男に言い放った。男は「え、私が?」という表情を一瞬したが、エティエンヌのいらだったニラミの表情感じとると
「こ、こちらに」
と幾分か距離を取りながら我々は部屋を案内しようとした。我々が部屋を出ようとした時に「すぐに出ろ」という雰囲気を背中で浴びながら進んでいると、先生はふと足を止められ、
「そういえば、私の病気が、私が通った後に残っているかもしれません。お気をつけてください。」
と言って再び歩き始めた。エティエンヌは先ほどまでシルバー先生がいたあたりを見回した。するとその床には何か赤い粒が落ちている。
「ひいいい!」
エティエンヌの低い悲鳴が響き渡った。病原菌というものがそんな明らかに地面に落ちるものなのか?よくは知らないが、恐怖にかられた者は頭の中で冷静に物事を判断することは基本的には難しい。恐怖に覆われた人は非論理的なことも受け入れるし、非人道的なことも行える。
おそらく彼に与えたこの恐怖心が、ルシアンの姉の交渉には役に立つのであろう。もちろん形としては嘘で脅したことになってはいるが、本当にルシアンの姉が言っている最悪の事態が起きたときは、こんなものではないはずだ。
われわれは5階にある、狭い椅子だけがある部屋に通された。




