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風と静寂  作者: 佐竹武夫
第三章
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第三章 第三節

少しの間沈黙の時間が流れる。


おそらくルシアンとその姉の想像していた方向性と、全く違うところ今現状が至っているということである。夕日はとっくに沈んでいる。部屋の中にろうそくが煌々と厳しい表情の二人の顔灯す。周囲にいる4人の使用人たちも、唾を飲みこむことさえ許されないのではないか、と思う緊張感に包まれている。シルバー先生は微動だにしない。食事をするわけでもなく、ワインを飲むわけでもない。まるで我慢比べのようであるが、その実シルバー先生の方は最も心が穏やかで、もっとも静寂に満ちていて、そしてこの部屋の中はまったく動かないシルバー先生の風で満ちている。


「それでは…」


ルシアンの姉が口を開いた。だがむしろ、先ほどよりも緊張している表情である。これは・・・私は思った。ちらりとシルバー先生の方を見る。ほんのわずか、本当にほんのわずかだけ先生の顎が引かれた。「これから彼女が言うことが最も大事なことです。集中して言葉の表面ではなく、その奥にあるものを感じ取るのです。」その顎を引く動きの一つの中に、それらの先生の言葉が凝縮されているように感じた。


「あなたは大切な親友を目の前で亡くしたことはありますか。」


ルシアンの姉は自分の中から決して引っ張り出すことができないぐらい重いものを、両手で引きずり出したような感じだった。それが故、その言葉はおそらくシルバー先生に向けられたものであるはずだが、私に言われたようでもあり、弟に言っている感じでもあり、使用人たちにも聞こえるようにしているようでもあり、独り言のようにも感じた。ただ意外であったのが、弟であるルシアンが非常に驚いている表情をしている。つまり彼女がこれから話そうとしていることは、ルシアンも知らないことであろう。

再び沈黙の時間が流れる。ほんの少し間を開ける——————おそらくシルバー先生は相手の心が落ち着くのを待ってから発言されているのであろう。


シルバー先生はゆっくりと口を開いた。


「私は、今のあなたに対して誠実に答えるべきだと思っています。そうするためにいくつか不確かなことを埋めた状態でないと、あなたが私に対して向かい合ってくださっていることに、答えることができないと思います。あなたの言葉から感じるところでは、象徴的な比喩表現ではなく、過去の現実にあったことと受け止めました——————

私自身、親友を目の前でなくしたことはありません。あなたはあるのですね?」


彼女も自然と、次の言葉の前に間が空く。先ほどまで、相手の言葉に自分の言葉をかぶせていた同じ人物とは思えない。


「十年前、わたくしには友人がいました。わたくしと同い年の女の子でした。彼女はこの家の通りから一つ隔てた道にある、仕立屋の娘でした。」


ルシアンの姉は、やはり誰に向けているのかわからない口調で、しかしかなり決心を持った雰囲気で話し続ける。


「私の服の裾が破れているのを気づき、彼女がその場で直してくださった。それ以来、私は時々彼女のところに行き一緒に遊んだ。おそらく父や母はそのことにいい顔しないと思ったので、いつもこっそり彼女に会いに行っていたの」


急にルシアンの姉の表情が穏やかになった。その親友のことを思い出しているのであろう。彼女は今、夢の中にいるような顔している。


「あなたはこの街が、ルーラ川を繋ぐ大きな橋があることで『最も良いこと』と『最も悪いこと』があることがあるのをご存知ですか?」


今度の質問は明確にシルバー先生に向かって言った。


「あなたの質問に対する答えになっていなければ申し訳ありません。私が思いつくのは『各地のさまざまな品物が集まること』と『各地のさまざまな疫病が集まること』です。」


ルシアンの姉はほんの少し、静かに目を見開いた。


彼女は一度目を閉じ、再び口を開いた。それは先ほどまでの緊張感ではなく、迷いもなく、覚悟を決めているような感じであった。


「疫病は時々発生していました。しかしそれらは、ある程度局地的なものでした。でもあの年は違いました。突然ものすごい勢いで、街に疫病が蔓延しました。指の先から黒くなり始め、それが全身に広がり苦しみながら死んでいく恐ろしい病気です。疫病に罹った人々は自分の家から出ることを認められず、家によっては外から釘で板をうちつけられるところもありました。私たちは皆家に閉じ込められ、疫病が通り過ぎるのを待つしかありませんでした。私は友人のことが心配でなりませんでした。彼女だけは、どうにか生きていて欲しいと思いました。」


また沈黙が流れる。



「普段ものが豊富に流れ込んでくるこの街は、災いが起きたとき、そのことと真逆のことが起きます。人々はこの街に近づくことができず、食べ物などが届かなくなってしまいます。人々は疫病の上に、飢餓に苦しむことになったのです。私は父の目を盗んで一掴みパンを服にかくし、雨の降る中、彼女の家に向かいました。」


彼女の声が震え始めた。


「誰もいない道の遠く方に、びしょ濡れの女の子の姿がみえました。もしかして彼女かもしれない。そう思い大きな声で彼女の名前を呼びました。女の子は一度振り向くと、慌てて走っていきました。私は彼女が、私の親友だと確信しました。でもなぜ逃げるのかわからず、彼女を追いかけました。そして警備も誰もいない橋の中央に来たときに、彼女は止まりまり振り向きました。」


ボト、ボト


おそらく涙がテーブルに落ちたとしても、音などしないはずである。しかしルシアンの姉の目から落ちる大粒の涙は、彼女の心の叫びと共に、訴えるように大きな音を立ててテーブルをはじいた。


「彼女はこう言ったんです。「私の父と母は死にました。あなたはとても優しいから、私のところに来るかもしれない。私を守ってくれようとするかもしれない。でもそれはあなたに迷惑をかけるから」そう言って橋のたもとにかけた手は、肘のあたりまで黒ずんでいました。近づいたら彼女は飛び降りる。でも、そうしなくても彼女は・・・私はただ彼女の名を叫ぶしかできませんでした。」


私の頬にも涙がこぼれ落ちるのを感じた。シルバー先生は微動だにしていなかった。すべての神経を彼女に向けていた。先生は、自分のやるべきことが涙を流すことではないことを分かっているようであった。


「彼女は私に向かって「ありがとう」って・・・ありがとうって・・・・・」



——————


長い、長い沈黙——————




ルシアンの姉はゆっくりと静かに、しかし大きく息を吸い込む。そして音がまったくしない息をはく。


「町から疫病がなくなり、いつの間にか日常が戻りました。町には生き抜くための呼吸に満ちていましたが、私にはどうしても許せないものがありました。疫病を治すわけでもなく、飢餓を救うために動いたわけでもないプラノピトン(言葉で惑わす者)が街のあちこちで人々に説教をしていたのです。「災いはいつでも起こるものだ」「生き残った者が選ばれたものだ」「前を向いて歩くことが亡くなった者への弔いだ」なんて・・・何処かの誰かが書物や唄で語ったものを・・・偉そうに・・・・」


彼女がなぜ医者を目指したのか、彼女がなぜエンドロゴス(深い思索者)、彼女のいうところのプラノピトン(言葉で惑わす者)を嫌っているのか。



再び沈黙が訪れるが、この静けさはルシアンの姉が「私は言うことを全て言いました。次はあなたの番です。」とシルバー先生に向かい合うための静けさであることは明確であった。シルバー先生は彼女に何と切り出すのか。今の彼女は決して先入観だけで先生を蔑もうとはしてない。でもそのことの方が、浅い考えで相手を攻撃してくるよりもよほど恐ろしい。いや、『恐ろしい』という言葉は適格ではないが、彼女の納得の低い回答をしようものなら、心の底から失望させてしまうのではないか。


「ジェヌヴィエーヴさん、お聞きします。」


先生が言葉を発した。


「あなたは一番はじめに「大切な親友を目の前で亡くしたことはありますか。」とおっしゃられた。私に聞くべき事はそこからまだ変わっていませんか?」


私は一瞬先生が何を言っているのかわからなかった。その質問はルシアンの姉が自分の身の上を吐露する導入部分であっただけのはず。それを今更・・・ルシアンの姉もルシアンも、周りの使用人でさえもあっけにとられている。先生の表情から察するに、ふざけているわけでもバカにしているわけでもないことはわかる。しかし何がどう繋がっていて、繋がっていないかわからない。ルシアンの姉弟には少し酷だと思い、私が発言することにした。


「先生、それはどういう意味でしょうか?」

「ビルよ、答えを聞く聞き方をしてはいけないと常日頃言っていますよね。」


また怒られてしまった。質問をするときは素直に感じたことを発言することが大事と習った。あとは言い方を考える、大事なのはやり方、言い方である。このことも以前先生に教わった。


「先生、私が勉強不足のゆえ大変申し訳ないのですが教えていただければ幸いです。先生が先ほど言われた話題は、あくまでルシアンのお姉さんが自分の過去をお話しになるための導入部分であったと思ったのですが?」

「つまりあなたは、今ここに至ってはその質問は意味が存在しなくなったと思っているのですか?」

「え・・・えぇ・・・ないとは言いませんが・・・」


駄目だ。随分と浅いところで思考行っていることがわかる。先生も私からその表情を読み取ったのか、目の前に相手をする人がいて、待たせるわけにはいかないと思ったのか。比較的早めに言葉を続けられた。


「よく覚えておきなさい。人がはじめに言葉を発せられたものは、非常に大事なことであります。いや、はじめに語ったことで、大事でないことは一つたりともありません。」


私は先生が顎を引いて、私に集中するように促したことを突然脳裏によみがえってきた。つまり私が大事だと思っている程度と先生の度合いは全く違うということである。ルシアンの姉の表情を見ると、決して不快な表情をしていない。むしろ自分の発した言葉を大事にしてくれているという感覚を持っているみたいだ。


「『大切な親友を目の前で亡くした』・・・・この言葉には『親友』と『亡くした』二つの大きく分けられる事柄があります。ジェヌヴィエーヴさん、あなたにとってどちらが大きな意味としてとしてあなたの中に存在しますか?『親友』ということですか?『亡くした』ということですか?」


果たしてこんな謎解きのような言葉を彼女にかければ、また口先だけでごまかす職業のように嫌悪されるのではないか?そう思ったが、そうでもなさそうである。


「『亡くした』だと思います。それが親友であっても、親であっても、兄弟であっても・・・」

「それであれば私もあります。私は小さい時飼っていた小鳥を亡くしました。」


私はまた転びそうになった。先生、いくらなんでも小鳥はないのでは?人と鳥を比べるのはどうなのか?


「とても大切にされていたのですね。」


ルシアンの姉は優しい瞳で先生に返答をした。心の中でこけているのはどうも私だけらしい。何か私だけ道を一本ずれているのではないかと感じた。


「はい、それから3日間ぐらい泣き続けました。今では平気で鳥料理を食べているのですがね。」


ルシアンの姉がクスッと笑う。先ほどまでとは全く違う人物のようである。ルシアンも姉のその表情を何年かぶりに見るような顔をしている。


「あなたは首都アゼネイエのアカデミーで医者の勉強をなさった。そしてその知識と医療思って、この町の検疫に貢献しようとした。しかしこの街のウルビス(市政官)や、さまざまな人にあなたの思いは伝わらなかったのでしょう。つまりあなたが一緒になってやろうとしたことが、今はまったくできてない。私が想像するに、あなたは自分の目的を果たすために、必要以上に強がり、必要以上に自分を大きく見せ、この街での権威を得ることで自分の目的を果たそうとしている。」


何気に、言葉の中に厳しい単語も入っている。しかしルシアンの姉は、シルバー先生の言葉を正面から受け止めようとしている。


「それがあなたのやり方であり、あなたの性格と人生にあるべき姿として形を作ろうとしています。その方法が正しいというよりも、それ以外の方法はあなたにとって非常に難しいでしょう。しかしもう少しだけ物の見方を変えてみましょう。」


ルシアンの姉は間違いなく、気持ちとしてシルバー先生の話を聞きたいという表情になっている。それは彼女の中が本当は満たされていたのではなく、あまりにも大きな空虚の中に耐え切れず、自らの思い込みでそのピースを埋めこんでいた違いない。彼女は今、本当に空虚であった自分の中を埋めてくれる何かを、先生に期待しているのかもしれない。


「洞窟の中に入らない男の話をします。ビル、これはあなたにも一度も話をしたことのない話です——————


非常に威勢のいいことを言う男が洞窟の前の入り口にいます。彼は自分がいかに優秀で洞窟の中をどれだけ理解し、どんなに簡単にこの洞窟を攻略できるかを語ります。洞窟の中で得た宝箱を示し「だからみんなこの洞窟に入るべきだ、入らないものは愚かなものだ、入れないものは臆病者だ!」そう言ってくるのです。言われたほかの人たちは、洞窟に入ってきます。その洞窟は足元が悪く真っ暗で、時折蛇やムカデが出てきます。出口の光さえも見えません。その時ふと後ろを見ると、威勢のいいことを言っていた男は洞窟の中にはいっていないことを気づきます。しかし自分たちは入ってしまったのだから仕方がありません。時には岩で膝をこすり、毒蛇に噛まれ、空腹で動けなくなり、必死の思いで光を見つけ出口にたどり着きます。そうするとそこに、入り口に立っていた威勢のいいことを言う男が「なんだお前は、こんな洞窟も簡単に出られないのか。しかも宝箱を見つけることもできず、なんて無能なんだ!」男はそのようにあなたを罵ります。そして別の人が、宝箱を持って洞窟から必死の思いで出てくると「私の言った通りだろう。だからお前は宝を手に入れられたのだ。当然お前は私に、その感謝の気持ちを態度で示さなければならない」と言ってその宝箱に手を伸ばします。」


ルシアンの姉もルシアンも、使用人たちもシルバー先生の話をじっと聞いている。いやむしろ、みんなのこれまでの人生の中で、何度か遭遇したことがある人物が『洞窟に入らない男』のことを思い出しているようである。


「家庭においても、仕事においても、非常時や戦に於いても、必ずこの威勢のいいことを言う『洞窟に入らない男』が登場します。

物事が行われる前と終わった後にですに——————


彼らは一緒に洞窟に入り、寄り添い、助けてくれることは絶対にありません。なぜならば彼らが洞窟に入ることは絶対にないからです。」


先生はルシアンの姉が話をしていた「疫病が去ったのちに偉そうなことを言っていたエンドロゴス(深い思索者)、いやプラノピトン(言葉で惑わす者)」のことを『洞窟に入らない男』だと言っているのであろう。


「あなたは医者の道を進まれた。それは非常に素晴らしいことだと思います。なぜならば人間関係で問題がなければ多くのことが解決される。しかしそれは実際に難しく、多くの問題が人間関係によって生じるお互いの感情の問題が大きいのです。それが故、多くの逆に解決方法は、物理的なものにより解決されることが多いのです。あなたは物理的数字的に、病気の人を減らし病気を予防できる技術を学んでいます。それはこの世の中を確実に動かす力になっています。しかし今また疫病が蔓延したなら、あなたは自らが政治的な力を得ることに時間をかけたことを悔やむかもしれません。」


ルシアンの姉の目の色が曇った。彼女の親友と同じ末路を辿る人を彼女はなんとか食い止めたいと思っているはず。


「私がこの町に来た、そのことの意味について私は従い続けるだけです。明日の朝、私はこの街のウルビス(市政官)のところに伺います。その時に大変申し訳ありませんが、庭にあった赤い実をつけた木があったと思います。あの赤い実を少々いただきたいと思いますがよろしいでしょうか?あと、頭から深く被れるマントを一つ用意していただければと思います。」


先生は優しく微笑んだ。


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