序章
まず、簡単にでも私の説明をしなければならない。
私の年齢は現在45歳。首都アゼネイエの牢獄の中にいる。なぜ私が獄中にいるのかは、後々語る隙間があれば差し挟ませてもらう。私が今ここでペンをとったのは、現在の私の状況と関係はない。ひとえに我が師であり、光であり、私の人生であったシルバーという男について書き残さねばならぬと思ったからである。窓が鉄格子でふさがれたこの部屋に閉じ込められて、おそらく一年近く経った。はじめは苦しみ、もがき、わめき散らした。「智慧の篝火」と呼ばれたシルバーの弟子とは到底思えない醜さであった。時には彼らに拘束されたあの日の自分を罵しり、またある時は秩序執行官の機嫌をどのように伺えば、再び自由の身となるのか。そんな鍵のない岩板を開けようとする思考、いや虫が這うような感情の雑多に朝から夜からもがいていた。だが、そのうち少しずつ眠れる日が増えた。それと同じくして我が師シルバーの声が再び耳に聞こえてきた。
『人は何も選べない。無力である。選んでいると思うことこそが、己の無能無力さに気づいてない、その事実を証明している。だからといって身を縮める必要はない。なぜなら皆が無力であるからである。』
次の日、私は牢屋を監視している者に静かに言った。
「紙とペンを頂けないでしょうか。」
少し驚いたような表情をしたが、彼は何も返事をしなかった。だが翌日、朝の食事とともにガチョウの羽根でできたペンとインク、そして数十枚の紙を持ってきてくれた。囚人としては異例の待遇であることは明確である。私は壁のむこうに深々と頭を下げた。
アルクトゥルスの年で235年———
私は生まれ育ったアラモンの町に、従者のエドワードとランスロットの2人を連れて凱旋した。人口は500人の小さな町だが、交通の要所に面しており、ガリソン(中央政権からの直属の軍隊)の大きな建物もあった。この街を出て二年間首都アゼネイエで学び、さらに一年間中央政府で職務をこなし、アラモンのウルビス(市政官)として戻ってきた。18歳でウルビスに指名されるのは異例の抜擢である。本来であれば誇らし足取りと、すがすがしい春の香りに胸を膨らませ、三年ぶりの家族との出会いを喜ぶ、そうであるはずだが私は非常に気持ちが重かった。
「まだ心病まれているのですか?エリカ・ビル。(ここで言うエリカは位の名称で中央から与えられる十段階の一番下である)顔色が良くありません。そのような顔つき無理やり笑顔の仮面をつけても、故郷の方々やご家族は喜ばないのではありませんか。」
私、ビル・フィッツジェラルドは『それは重々分かっているのだが』という言葉を心で呟いた後
「エドワード-———すまない、このようなことで公務でもないことに気を使わせて」
3つ年上のエドワードに尊大言葉を使わないといけないのは、自分の授かった中央賜爵のせいである。それもまた18歳の私にとっては息苦しい。
もうひとりの従者、ランスロットは馬二頭分離れて付き従ってきている。彼はもともと複雑な話を好まない。
「あなたの伯父上には、中央からすでにウルビス交代の旨がクルキリ(長距離の伝言を迅速に届けるためのシステムで、伝令が馬に乗り、目的地までメッセージを届ける)にて届けられているではありませんか。あなたが別に伯父の地位を剥奪するわけではないのは、他の人から見れば明白。さらに言うと、ビル様がその役職を蹴ることもできなければ、異議を唱えることができないのは、あなたの伯父上も充分理解されているはずです。」
首都アゼネイエからここに至るまで、エドワードは言葉を変えながら、私になんとか心穏やかにしてもらうための言葉をかけてくれた。だが私の脳裏に浮かぶものは、周りの蔑みの言葉に顔を赤くし、「エリカ」と言う中央の位までもらった私に対して、すさまじく嫉妬の歯ぎしりをする伯父上しか想像がつかないのである。
幅2mぐらいしかない森の道を通りながら坂を下っていると、2,3人の木々に身を潜めた男の子達が、こちらに気づいて騒ぎ出した。
「来た、来たぞ!」明らかに浮かれており、声を低くしているにも関わらず、その声は森の中に響き渡る。アラモンの子供たちであろう。我々が待ち遠しくて、街から随分と離れたこの辺りまで先遣隊として待機していたと思われる。そのまま子供たちは街の方へと全速力で走っていく。少しおかしくなりエドワードに目線を送る。エドワードと目が合い自然と笑みがこぼれる。
町の入り口に差し掛かると多くの人が出迎えてくれていた。笛やバイオリンなど伝統的な曲を流しながら、多くの人が我々の方に手を振っている。中央から特使が派遣される場合このように出迎えのお祭りをやってくれるのが通例であるが、この度はこの町出身の少年が三年ぶりに故郷を錦で飾るために戻ってきたのである。街の人々の顔も未来への不安より、明るい希望へと向かっている印象がある。私とエドワードは軽く手を振りながら(時として知り合いの顔に目がいくが、軽く会釈をするぐらいにしておいて)ゆっくりと町の中央管轄所へと向かう。中央のてっぺんに鐘があり、3階建ての立派な建物の入り口には伯父上が立っていた。笑顔の下に隠そうとしても隠れない憎悪がこぼれている。
私は伯父上の手前100mから馬から降り、馬の手綱を引きながら伯父上の前へと向かった。
「やあ、お疲れ。長い旅で疲れただろう。まあまずは中でゆっくり休みなさい。ほらお前たち、馬を早く厩舎に連れて行きなさい。」
「伯父上、お久しぶりです。」
早口の伯父の言葉を遮り、挨拶だけは済ませておかなければと、2人の従者を呼んだ。
「こちらがエドワード、そしてこちらがランスロット」
「そうか、2人ともよろしく。さあ中に」
中央管理所の入り口から右手に入った廊下の応接間にさっそくと通される。伯父は明らかに早口だ。少しでも私にその不機嫌さを悟られないようにしている。距離で言うと20m内この建物入り口から応接間まで、私は泥道を歩くような足どりで進んだ。
夜の歓迎のパーティーが開かれる直前に、ようやく父と母、弟2人と妹と会うことができた。父はそれでも「今日明日はかなり忙しいだろう、家族とはゆっくり時間ができてから話をすればいい。」と気を使ってくれた。伯父のことは自分の兄が故、さほど留意していないようである。それは兄弟では致し方がないと思う。
パーティーの主賓は当然ながら私となる。今の自分の地位が脅かされる人間を伯父上はなんと紹介するのであろう。
テーブルに豪華な食事が並べられ、ワインがそれぞれのグラスにつがれた後伯父はこう切り出した。
「皆様、今宵はわが甥である、ビル・フィッツジェラルドの凱旋の宴にお集まりいただき誠に感謝いたします。」
よく通るこの声で、私は子供の頃随分としち面倒くさい行動言われたことを思い出した。
「彼はこの町を立って三年、このように立派な学歴と実績を携えわが町に戻ってきたことは本人の努力はもちろん、ここにお集まりの皆様のお力添えがあったからこそ。」
私はなんとなく笑顔みんなに向ける。
「今宵はこの若きアラモンの未来を担うビルを囲み、発展と飛躍を遂げるため、語り歌い、飲み明かしましょう」
そういうと伯父はグラスを高々と持ち上げた。その会場に集まった50人近くの来客も、皆グラスを掲げる。そして宴は始まり、久方ぶりに会う友人、お世話になった恩師たち、地域の有力者などと慌ただしく語り合った。そうしている間にすぐに夜が深くなった。
2日後の朝、エドワードはしびれを切らして私のところにやってきた。
「エリカ・ビル。これは非常な事態です。われわれがこの街について2日も経つのに、まだウルビスの交代がなされていません。すぐにでも伯父上のところに行きウルビス交代を促すべきです。」
彼が激しく私に主張するときに、まとめた後ろ髪が大きくはねて気になってしまう。さらに彼の胸元にある木彫りのペンダントが同じように大きく揺れる。
「もちろんだ、分かっているエドワード。だがそれは、どうしても簡単ではないことなのだ。」
あのパーティーの夜、伯父はガリソンの責任者であるビクターとの談笑にほとんどの時間を費やしていた。つまり、この街で伯父が権力を握り続けている理由がそこであった。もちろん自分がこの街のウルビスに任命が決定してから、余分な時間はほとんどなかったのは確かである。しかし、現在その席に座っている伯父が、どのようにその権力を保ち続けているか、ということを念入りに調べるという行為は、果たして時間があったからといって行っていたであろうか。たとえどんなにそりが合わないとしたとしても、どこかで中央の命令が来れば素直にその地位を明け渡すと思っていた。ただその考え方は、この世の中に生きることのルールからすれば、あまりにも甘かったと言わざるを得ない。
「伯父が私にウルビスの地位を果たすのであれば、おそらく初日に行っているであろう。しかし現時点でもその気配すらないということは、伯父にはその気がないということであろう。」
ランスロットは離れた扉の方に立ってじっと聞いている。
「命令書にも交代の時期は全く明記されていない。これは己の力で解決しろという中央の意図であろう。」
「それはまさしく、そうであると思いますが・・・」
エドワードは苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「もう少し様子を見よう。」
私の口からはその言葉しか出なかった。当然それは甘い判断だと思われるが、当時の私にはどのようにこの問題に解決する思考と行動をすればいいのか、皆目見当がつかなかった。ただ一つ分かっていることがあった。下手を打てば殺される。私はこの三年間でその結末に至った人々を何人も見た。私の友人も——
「この世界は地獄ではないですよね」
独り言のように誰かに語りかけた。




