前編 婚約破棄
「婚約破棄してください」
またアランは屋敷から摘まみだされ、捨てられていた。
「ちょ、セスカ! この私と結婚してくれないというのか!?」
「はい……嫌です。確かに顔は良いですけど、それだけです。貧乏貴族に用はないんです」
背を向ける貴族令嬢。
アランはひとり取り残されていた。
これで八人――いや、九人目となった。
美しい女性に告白したり、求婚したり……ことごとく失敗に終わっていた。彼は顔と性格だけは良かった。ただ、服装はボロボロだし、靴も穴が空いている。
どうしてそんな風なのか。
わたしだけは知っている。
やがて、アランのことは街中で噂になっていた。
「ねえ、聞いた? あのアランがまた求婚を迫ってきたって」「うんうん、聞いた。これで九人目ですって」「顔は良いけどねえ」「それだけよ。アランの家は貧乏って聞いたわ」「爵位もあの様子では下級でしょうね」「もう諦めればいいのに」「そうよね、いつまでもダサいわ」
告白された者、あるいは元婚約者たちはヒソヒソと陰口に興じていた。
馬鹿ばかりで助かったわ。
わたしの番がもうないかと思っていたから。
十番目はきっとわたし。
屋敷の前で待っていると、アランがこちらに歩み寄ってきた。
相変わらず髪はボサボサで服はボロボロ。
靴はもう無くなっていた。
裸足で酷い有様。
「……あ、あの。エレナ様ですよね」
「そうですが」
「お、俺の話を聞いていただけませんか……」
噛みながらもアランは、そう言った。
正直、第一印象はかなり悪い。
でも、わたしにとっては第一印象なんてどうでも良かった。
肝心なのは『真実』なのだから。
「ああ、エレナね」「あの子は断るでしょうね」「そうよそうよ、あんな貧乏貴族を相手なんかしない」「これでアランも終わりね」「もう見ることはないわ」「振られて終わりよ」「さっさと消えて欲しい」
みんなそういう風に思っているんだ。
けれどね、そうはいかないの。
「分かりました」
わたしがそう返事を返すと、周囲は驚いていた。
「え!?」「なんで!?」「エレナが返事を……」「じょ、冗談でしょ?」「正気? あのボロボロの貴族よ」「ま、まあ……お似合いじゃないの?」「あのエレナに押し付けておけばいいのよ」「そうね、ずっと失恋しているって聞いていたし、いいんじゃない」「気難しい同士、お似合いよ」
それから、アランも意外そうに驚いていた。
「本当かい……!」
「はい。ぜひお話を」
「ありがとう」
「いえいえ」
屋敷へ招き、アランを連れて客間へ。
「綺麗な屋敷だね」
「いえ、それほどでも。では、椅子にお座りください」
椅子に腰かけ、わたしはアランを見つめる。
彼は微笑んでいる。
「知っているかもしれないけど俺はアラン。こう見えても貴族なんだ」
「存じております」
「それは話が早いな。俺は今、将来の相手を探しているところでね」
「やはりそうなのですね」
「――やはり? 俺のなにかを知っているのかな」
もちろん知っている。
わたしはアランのことを徹底的に調べた。
彼がいつどこでなにをしているのか。
そして、何者なのかを。
「誰にでも求婚する方だと」
「そうか。それは悪い噂が目立っているようだ。そろそろ潮時かな」
「でも、わたしを頼りにしてきたのですよね?」
「うん、君が最後だ。……その、俺と結婚してくれないかな」
突然すぎる求婚。
けれど、断る理由はなかった。
「よろこんで」
「本当かい!? お互いまだ何も知らないけど、本当に良いんだね」
「もちろんです」
わたしは彼のことを知っている。
アラン・クエンティン。
歳は二十歳。男性。宝石のようにキラキラした金の髪。エメラルドグリーンの瞳が特徴的。
その正体は公爵。
彼はわざと貧乏貴族に変装していた。
きっと理想の女性を探すために。
わたしは彼の優しさも、思いやりも……どういうことをしてきたか知っている。
民を第一に考え、農地を拡大してきた。
この領地が豊かになったのも彼のおかげ。
なのに人々は誰一人彼の功績に気づいていなかった。
「なぜ返事を?」
「アランさんの人柄はよく理解しています。あなたは素晴らしい人です」
「そうか。俺のことをよく調べているようだね」
「はい。わたしはアラン様のことをずっと思っていました。でも、届かない存在だと感じて……。だからお見合いを続けていました。けれども、わたしの思いは……やっぱり変わらなかった」
「ありがとう、エレナ」
「あら、わたしのことを御存知でしたのね」
「いや、君は有名人だからね。ほら、美人だし……」
照れくさそうにアランは言った。
そんなことはない。わたしは田舎の令嬢。この街では少しマシというだけ。
周囲からは疎まれ、蔑まされている。
きっと、わたしが周囲を拒絶するからだと思う。
「そんな、わたしなんて」
「事実さ。これでも俺は今、とても緊張しているよ」
そうは見えないけどなー。
とても堂々としているし、笑みも素敵だ。
「アラン様、わたしと婚約を結んでいただけますか?」
「よろこんで……」
手を差し伸べるとアランは、優しく握ってくれた。
両親も反対はしないだろう。
相手が公爵ともなれば。
◆
それから数日後。
わたしはアランと共に周辺を散歩していた。
すると、貴族令嬢たちがこちらを見て騒然となっていた。
「ま、まぁ……あのエレナとアランが……」「くっついてる。お似合いね!」「これは笑える。いいんじゃないの」「おかげで静かになるわ」「がんばってね、エレナ」「あはは……これは歴史的瞬間ね!」
みんな馬鹿にするようにするけれど。
でも、状況はすぐに変わった。
アランがいつもと服装が違うこと。
公爵家を示す徽章と杖を持参していたこと。
なによりも幸せそうな表情を浮かべていたこと。
それによって彼女たちの中で“なにかおかしい”と気づきがあったようだった。
「ちょ、ちょっとアランって……」「え? なによ。あのアランが何なのよ」「あの徽章と杖ってまさか」「だから、なに!」「公爵家の紋章よ! 杖もそう!」「は? へ? 意味わかんない!」「アランって……え、あのアラン・クエンティン!?」「だって、彼はヨボヨボのおじいさんだって!」「あのボロボロの貧乏貴族が? ニセモノじゃないの?」「そんなわけないでしょ。彼がアラン・クエンティンよ!」「はぁ!?」「エレナと婚約したって話よ」「そ、そんなウソよ!!」「ふざけんじゃないわよ!!」「あんなイケメン公爵……取り逃すとか最悪」
事実が明らかになり、貴族令嬢の中で怒りや焦り、悲しみが交差する。
あぁ……いい気分。
これが優越感というものね。
こんなに美味だとは思いもしなかった。
「行こう、エレナ。ここはちょっと落ち着かないね」
「そうですね、アラン・クエンティン様」
アランに手を引かれて、わたしは歩いていく。
その後、わたしはアラン・クエンティンと正式に婚約を結んだ。