アマチュアの物書き
一つ前に書いたエッセイで「こういう時代には意図的にアマチュアを選択するのも手じゃないか」という事を書きました。それについて補足しておこうと思います。
今の時代は、世に出るには、2つのパターンが主になっていると思います。一つ目は、既存の権威に媚びる事、二つ目は大衆に受ける事です。
テレビに出ている三浦瑠麗とか、古市憲寿とか言った人達は肩書は学者ですが、この両方を遂行していると思います。それでテレビの側も使いやすいのだと思います。
まあ、そういう世の中なので、まっとうに何かをしようとしても受け入れられるとは限りません。特に、思想とか芸術とかの領域は難しいです。
以前から感じている事ですが、例えば、アマゾンのランキングというものがあります。私は家電製品とか家財道具とか、そのあたりはアマゾンのランキングを参考にします。ランキングトップ10以内のものをよく買います。
そういう日常よく使うものに関しては、アマゾンのランキングというのはまあまあ頼りになる、という印象を持っています。失敗は少ないし、コストパフォーマンスで言えば、ランキングはある程度信用できます。
ですが、書籍のランキングとか、映画、映像作品のランキングなどは全くあてになりません。私自身は「君の名は。」と「シン・ゴジラ」を続けて見てこりごりしたのですが、そういうものにおいては作品の価値とランキングは全く一致していません。良い作品がランキング外というのは普通の事です。
しかし、この社会はそういうランキングが全てになっています。文化面ではレベルは下がってきていますが、生活家電などのレベルは上がっています。もっとも、高坂正堯の「文明が衰亡するとき」によれば、ローマ帝国は滅亡の寸前まで生活水準は上がっていたそうなので、生活が楽になる事と文明の進歩が一致しているかどうかはわかりません。
今の世の中はそんな風なので、権威に媚びたくない、大衆受けも狙いたくない、という人は積極的にアマチュアを選択するのもアリだと思います。そういう事がわかっている人には、釈迦に説法でしょうが、そういう時代が本格的に来たと思っています。なのでアマチュアだから、と言って卑屈になる必要は全くないと思います。むしろ、優れているからこそ自分はアマチュアでいるんだ、そういう誇りを持っている人がこれから出てきて欲しいと思っています。