王子の紋章
「ジークフリード! もう少し高度を下げてくれ!!」
大鴉に変身したジークフリードの背中にまたがって、飛び散った蝶の群れを追う。
“無理を言うな! これ以上高度を下げたら人間に見つかるだろ!! 騒ぎを起こすと後々面倒だ!!”
蝶が残す銀の鱗粉の僅かな光の跡だけが唯一の道しるべなのに、その光はあまりに頼りない。雨はやんで、暗い雲がうまく俺たちの姿を消してくれているけれど、確かにジークフリードの言う通り、大鴉にまたがった人間なんて誰かに見つかれば大騒ぎになる。
人目に付かず、蝶を追えるギリギリの高度。それでも、かなりの高さだ。冷たい風は容赦なく全身を叩く、風を切る音だけが鼓膜を揺らす。大鴉の背中の羽毛に埋もれ、しっかりと掴まっていなければ、簡単にあの世行きだ。
「姫様が向かっておるのは、リディアス王子のところじゃ! ならば、道はひとつじゃ!!」
ジェイドは大鴉の頭の上で、なんとかしがみつきながらしゃがれた声で叫ぶ。
「そうだ! シルヴィアが言ってた! 王子の紋章と同じものを見つけたって!!」
“依り代の力を使って姿を変えてはいるが、凛花殿から離れてはこの姿は保ちきれないぞ!!”
ジークフリードの叫ぶ声と同時に、ジェイドが大鴉の上で4つの足で立ち上がった。「お、おいッ!!」危ないッと声をかける前に、ジェイドの全身が震えた。
風が渦のように舞い上がる。すると、驚くほどに大鴉のスピードが上がった。
「竜は皆、風の使い手じゃぞ! このくらいのことは生まれたばかりの竜でもできおるわい!!」
ふふん、と鼻を鳴らす所詮は猫のジェイドは、ふたたび大鴉の頭に大の字になってしがみつく。その姿は、竜と名乗るにはあまりに滑稽な絵面なのだが、確かにスピードが上がったのにもかかわらず、さっきまでの凍えるほどに冷たく激しい風は止んで、おだやかな風に変わっている。俺たちを押し進めるように風が味方してくれるようだった。
“助かる、風が軽くなった!”
大鴉の両翼が、悠々と上下する筋肉の動きを胸のあたりに感じる。良かった、これで少しは余裕を持って光を追えそうだ。
「あれはッ!」
しばらく飛んで見えてきた景色は、見慣れた風景だった。学校の校庭が見える。弧を描くように飛んだ蝶たちは、そのまま吸い込まれるように、裏の廃校舎のなかに消えていった。
「うそ、だろ……」
校舎の上空を旋回する。廃校舎なんて、すぐそばじゃないか、そんなところにリディアス王子がいたなんて……。
“降りるか?”
ジークフリードの声が頭のなかに響く。ここからなら、廃校舎の屋上へ直接降りられる。しかも人目に付きにくい。
「ジェイド、黒の魔女のッ──!!」
黒の魔女の気配を探ろうとした。俺たちだけでは太刀打ちできるかわからないからだ。けれど、言い切る前に、ジークフリードの翼の動きが突然止まった。唐突のことに、大鴉は浮力をなくし、急降下し始める。
「なッ!」
無我夢中で大鴉の背にしがみつく。
“ユ、ート……、駄目だ……。ここは、黒の魔女の力の方が……強い……”
切れ切れに、ジークフリードの声が聴こえる。風を切る轟音と共に、重力のまま地面に吸い寄せられる。風にたなびく羽毛の隙間から、ジェイドの逆立つ毛並みと背中が見えた。
このままじゃあ──
「ジ、ジェイド……」




