物語の力
「誰しもが、幸福な結末を迎えるわけではないのじゃ」
ジェイドは、続けて言った。
当たり前過ぎて、あまりに当然過ぎて、何も言えなかった。物語の住人は、綴り手の気まぐれで、時に残酷なまでの末路を迎える。
綴り手の憂晴らしなのか、はたまた誰かの満たされない心を癒す為なのか。
おとぎ話は、人々に教訓を与え、人の心を慰めるために生まれたものなのだと、なにかの本で読んだ。
「……ジェイドは守護竜だろ? 白の書がどんな結末なのか、知らないのか」
白の書は、元々どんな物語で、どんな結末を迎えるんだったんだろうか。
「もし、いまこの状態で、白の書にシルヴィアとジェイドが戻ったら、物語はどうなるんだ」
いま戻れば、最悪な自体は防げるんじゃないのか。俺が彷徨ったもうひとつの世界では、シルヴィアはたったひとりで黒の魔女と戦った。
それは、シルヴィアが、ジェイドとレティシアを白の書に帰したってことじゃないのか。
けれど、ジェイドは鼻で笑う。「お主は、自身の最後を知っておるのかの」と一蹴されてしまった。
「……知ってたら、こんなに苦労してないよな」
「姫様とワシとレティシア、いまこの状態で戻った所で、物語は完全に元の姿からかけ離れてしまっておる。白の書の物語の理を最初に欠いたのは、グロウディス国の王子じゃ、事の発端でもあるリディアス王子を物語に戻さねば、白の書の物語は壊れたままじゃ。このままでは、白の書自体が物語としての効力を無くし、永遠に消え去ってしまうかもしれぬ」
「……消えるって……じゃあ、」
シルヴィアたちがこの先どうなるか、やっぱり、すべては王子次第ってことかよ。
腹の底から苛立ちが湧き上がる。この衝動は、なんだろうか。リディアス王子のことを考えるだけで、抑えきれない黒い感情に呑み込まれそうになる。
ポツリと水滴が頬を打って、ハッと我に返った。冷たい雫が一粒、二粒と続くと、ようやく雨なんだと気が付く。見上げた空は、雲が掛かりはじめていた。
シルヴィアを濡らしたくない。シルヴィアを抱え、立ち上がる。
──瞬間、シルヴィアの金糸の髪がなびいた。雨粒が弾かれ、その一粒一粒が、未だ隠れきれていない太陽の光で瞬く。
キラキラと反射する光の粒が眩しくて、一瞬、目を細める。優しくシルヴィアの放つ花の香りが鼻腔をくすぐる。
……無性に、シルヴィアの声が聴きたくなった。
ついさっきまで、俺の名前を呼んでいたのに。そう思うと、どうしようもなく胸の奥が痛くて仕方がなかった。
俺がいままで、何も望んで来なかったのは、きっと遠い昔、何かを強く望んで、それが叶わなかった痛みが心の奥底に潜んでいるからだ。
だけど、そんな昔の想い出の為に、俺は、いまこの瞬間の幸せを手放したくなんてない。
この物語の最後こそは、幸福であると信じていたい。
「とりあえず、戻ろう。凛花なら、なにかわかるかもしれない」
シルヴィアを抱き抱えて、離れまでの道を歩いて行く。まだ雨足は弱いけれど、本降りになる前に戻りたい。
「あの小娘の力よりも姫様自身の力の方が強いのじゃぞ、姫様の意志こそ取り戻せば、ちゃんと目を覚ますはずじゃ」
トコトコ、ジェイドは俺の前を歩いていく。
シルヴィアの意志。 それは、リディアス王子への──
ジェイドの背中を追いかけながら、頭を振った。その先のことは、考えたくなかった。
しばらくすると、俺の視界を遮るように、一匹の蝶が舞い上がった。不思議な銀の光を撒いて羽ばたく蝶を目で追っていると、あとに続いてもう一匹飛び立った。そして、また一匹。それは、見る間に増えていく。
異変に気付くには、さして時間はかからなかった。
「──ジェイド、これ、は……」
不安になって腕のなかのシルヴィアに視線を落とすと、シルヴィアの身体から光が溢れていた。
「嘘、だろ……」
シルヴィアを形造る輪郭が淡く溶けていく。前に見たことがある、これは、シルヴィアの姿が変わろうとしている時の現象だ。
明らかに違うのは、溢れた光が次々と蝶に姿を変えてそこかしこに飛んでいくことだ。嫌な焦りを感じた瞬間、ずっと両腕に伝わっていたはずのシルヴィアのぬくもりが消えた。
「──ジェイドッ!!」
悲鳴に近い声が喉からせり上がる。目の前を白一色に染める勢いで、沢山の白い蝶が、一斉に手元から飛翔した。
無数の蝶が俺の頬を撫でては銀の鱗粉を撒き散らして飛んでいく。群れになった蝶は、同じ方角に向かっている。
「にゃっ! これは‼ 白の書の強制力じゃ! 姫様をリディアス王子の元へ運ぼうとしておる‼」
「強制力!? なんなんだよ、それ‼」
「姫様自身が物語を彷徨っておる副作用じゃ! 物語が本来の姿に戻ろうとしておるのじゃ‼ ユート、これはツイておるぞ、あとを追うんじゃ‼」
「いや待て、さすがに飛べないだろ‼ どうやって追いかけろって言うんだよ‼」
「私に任せろ、ユート‼」