蝶々と一緒に
翌日、シルヴィアは蝶の姿になって一緒に登校することになった。学校までの道程の、満開の桜の並木道を歩く。舞い散った花びらで、アスファルトの道が桃色に染まっていた。
周辺を探りに行ったジェイドの後ろ姿を見送って、そのまま視線を制服の胸ポケットに落とす。そこに白い蝶がとまっている。
勿論、シルヴィアだ。
「よお! 杵島、きいたかよ、この前見た──」
後ろから思いきり肩を組まれて、内心飛び上がる勢いで驚いた。
「う、は、橋口……!」
体重の半分を預けて喋り尽くすのは、クラスメイトの橋口だ。短く切られた髪とサッパリした目元が特徴的で馬鹿みたいに声がデカイ。
肩に回された腕が胸元を叩く。いつもはなんとも思わない橋口の激しいスキンシップも今日ばかりは肝が冷える。
「いや、ちょっと待て橋口、俺は今日めちゃめちゃ体調が悪くて、いますぐにでも吐きそうなんだ。頼む、ソッとしておいてくれ……」
胸を抑えて言う。シルヴィアが手のなかでパタパタと羽根を動かして動揺している気配を感じる。
「あ、あ゛──、これはマジで吐きそうだ。ヤバい喋るのもキツい」
「お、おう、なんだ、大事にしろよ……」
橋口が渋々離れて行った。また別の仲間にすぐにじゃれつきに行ったから、アイツは放っておいても大丈夫だ。それより。
「シルヴィア、大丈夫か」
シルヴィアにしか聴こえないちいさな声で囁く。手のひらのなかのシルヴィアは、ひらひらと俺の目の前を舞って、無事のアピールをしているようだった。ホッと胸を撫で下ろすが、蝶々をつれて話し掛けてるやつなんて、端から見たら完全に頭のおかしいやつだ。
まさか、自分がこんなことをすることになるなんて。
「杵島先輩!」
やっとの思いでたどり着いた学校の下駄箱で、背後から呼び止められた。
「……なんなんだ、こんな時に」
溜め息混じりに振り返ると、剣道部の後輩の矢野 瑞希がいた。セミロングの黒髪に、子犬のような黒い瞳。入部してしばらくしてから瑞希はことあるごとに俺にまとわりついてくる様になった。
試合が近いとなると特にだ。凛花同様とことん練習に付き合わされる。そりゃあもう、俺がボロ雑巾の様になるまで付き合わされる。
「先輩、聞きましたよ! 最近、全然練習に来てくれないと思ってたら、凛花先輩のところで練習してたんですね!」
「な、なんでお前がそんなこと……」
凛花の家の道場で練習してるなんて、誰にも話していないのに、なんて情報収集の速さなんだ。今日だってわざわざ凛花と時間をずらして来てるってのに。
「私達後輩一同の情報網を舐めないで下さいよ! 凛花先輩のところで練習してたなんてズルいですよ。試合も近くて、私本当に焦ってるんですから」
「いや、お前はそろそろ他のヤツに教えてもらえ。白石とか暇だから、いくらでも教えてくれるだろ」
「白石先輩は練習嫌いですもん。杵島先輩はなんだかんだで最後まで付き合ってくれるので、私、すごく頼りにしてるんです!」
ズズイと瑞希が顔を近付けてくる。いや待て、近すぎてシルヴィアを隠せない。シルヴィアが驚いて肩の方へ飛ぶ。思わず瑞希の両肩を思いきり掴んで引き離した。ヤバい、シルヴィアが見つかる。瑞希を壁に押し付けて顔を寄せる。
「ふぇ!?」
瑞希は変な声を出しながら、なぜか顔を真っ赤にしている。
「き、き、杵島先輩ダメです、私、そんな急に……」
「……瑞希、悪い。俺、今日マジで体調悪いんだ。練習ならまた今度みっちり付き合ってやるから、今日のところはソッとしておいてくれ」
あまり瑞希を無下にもできない。瑞希含め、うちの剣道部の女子はみんな気が強い。女子一同を敵に回したら、黒の魔女なんてものじゃないくらい恐ろしいことになるだろう。
いつものように瑞希の髪をくしゃくしゃに撫でてからその場をあとにした。シルヴィアがソッと胸元に戻るのを確認する。
まだ教室にも辿り着いていないってのに、心身の疲労感が尋常じゃない。
シルヴィアの濃い魔力の香りは、蝶の姿ならほぼゼロに近いらしい。凛花の家の結界を出て、ジェイドもいない今なら、黒の魔女から姿を隠すのならこの方が都合がいい。
シルヴィアがなにか気付くきっかけになるかもしれないとも思って学校に連れてきたはいいが、あまりに小さすぎてうっかり誰かに押しつぶされないか気が気ではない。
細心の注意を払ってシルヴィアを取り扱う。
「シルヴィア、頼むから俺のそばから離れるなよ」
答えのかわりに、シルヴィアは胸元でじ、としていた。
放課後になったら図書室をもう一度よく見てみるつもりだ。確かなのは、白の書から王子も黒の魔女も渡って来ていることだ。元々白の書が置いてあった図書室なら、なにか手掛かりになる本が見つかる可能性は高い。
そんな考えを俺が巡らせているなか、蝶の姿のシルヴィアは授業中、コッソリ人目を盗んで窓際にまで飛んでいった。
ソッと校庭を見下ろしている姿が、なんだか微笑ましかった。
◇ ◇ ◇
体育の授業はサボった。さすがにシルヴィアを置いてはいけない。保健室に入ると、保健医の先生が物珍しいものを見るように俺を見た。
「あら、杵島君がこんな所に来るなんて珍しい。怪我?」
「いえ、少し今朝から体調が悪くて……」
校内に王子が紛れ込んでいる可能性だって否めない。何気なくシルヴィアと学校中を散策してみたけど、別段変わったものは見当たらなかった。シルヴィアの様子を見ていても、白い羽根をゆっくり動かして応えただけだった。
半日だけでも気疲れした。窓際のベットに腰掛けて、窓に肘をついて項垂れると、先生に気付かれないようにシルヴィアを窓の外に放った。
シルヴィアも窮屈な蝶の姿で疲れているだろう。俺から離れたシルヴィアは、花壇に咲く色とりどりのチューリップの花の上を他の蝶に混じってしばらく飛んでいた。
「また剣道部の女の子にでも絡まれたの? 大変ね」
「部長が不在なんで、みんなも焦ってるらしくて」
隣のクラスの白石が部長な筈なのに、部長になって以来、全然部活に顔を出さなくなった。自動的に副部長の俺の負担は増える。
「まあ、少し休んでいたら? 色々と背負い込みすぎなのよ、杵島君って」
何度人から言われたか知れない、白石みたいな面倒事を潔く投げ出せる性格が羨ましく思う。「担任の先生には適当に話とくから、ゆっくりしてって」と言い残して、先生は保健室から出ていった。まぁ、サボりだと完全に気付かれている訳だ。
「ユート! 姫様は無事かの」
窓の外から声がして見てみると、ジェイドの姿があった。周辺に人気が無いのを確認してから答える。
「シルヴィアは無事だけど、依り代の姿のままだと何かと危険が多い」
「無事であれば良いのじゃ、いやなに、姫様が例えこの姿で踏み潰されたところで、お主がペシャンコになるだけじゃって」
「お前、相変わらずいい性格してるよな」
サラッと言って顔を洗うジェイドを見て、もはや怒る気にもならない。ジェイドはこの辺りの野良猫から情報を聞きまわっているらしい。
早くも周辺の猫の縄張りを牛耳っている様子のジェイドからは、うまい餌の場所から日向ぼっこに最適な場所、ほとんどはどうでもいい話ばかりが聞けたが、途中、隣接している廃校舎の話になった。
「廃校舎って、確か数年前から老朽化して立ち入り禁止になってる場所だろ。そんなところになにか手掛かりがあるのか」
「今から調べて見るところじゃ、猫達が言うには、異質な気配を感じて誰も近寄らないと言っておったからの」
「じゃあ、ジェイドがそっちを調べてる間に、俺達は黒の魔女の方を調べてみるか」
シルヴィアが目の前をひらひらと舞う。同意という意味でいいのか。ジェイドの後ろには沢山の野良猫の姿が見えた。
「姫様、なにかあれば、ワシを直ぐに呼ぶのじゃ」
言うや否や、ジェイドは猫達を連れてあっという間に姿を消した。
七夕なので、更新。