杵島 優都という人間について
◇ ◇ ◇
「凛花、右手の変な癖、無くなってきたな、もう少しで型も綺麗になるんじゃないか」
胴着姿の優都が面を外してこっちを見た。す、とした背筋に、切れ長の目。汗で濡れた黒髪が首筋に張り付いて、朝日に照らされる。優都とはかれこれ10年以上近い付き合い、保育園からの腐れ縁だ。
私、真木凛花から見る杵島優都は、バカ真面目で損な役回りを常に押し付けられてるイメージしかない。
案の定、今回も異世界からのお姫様の面倒を見ていると聞いて驚いた。そこまで捲き込まれ体質を極めているなんて思わなかった。
「優都、あんた本当にどういう体質な訳よ。普通、異世界の人と関わったりしないでしょ」
「言うな、それは俺が一番わかってる」
私の家の道場で、朝稽古に付き合ってもらいながら、今までの事は大体理解できた。シルヴィアにも色々と聞いて、かなり特殊な状況なのもわかったけど。魔女やら竜やら、とても一般人が扱える案件ではない。
「その従者の誓いってやつのせいで離れられないわけ? ちょっと私が解除してみようか」
「辞めとけ、ジェイドの魔法なんて、どんな反動の呪いがかかってるかわかったもんじゃない」
黙々と優都は正座をしたまま防具を手際よく片付けてる。時々、胴着で汗を拭う姿が妙に艶めかしい。無愛想な癖に面倒見はいい優都は、実は女子のなかでも隠れファンが多い。そんなことは、当の本人は鈍感過ぎて気付いていない。
「……私、あんたと朝稽古してたなんて知れたら、後輩達から闇討ちに合いそうだわ」
「はぁ?」
ポカンと目を丸くする優都は、驚くくらいの鈍さを発揮する。ことさら恋愛面では疎すぎる優都が、どうやってお姫様の恋心を知るつもりなのかしら。
これはなかなか面白いことになりそう。式神姿のジークフリートが、優都のそばまで歩いて行くのが見えた。人の姿に戻ったジークフリートが物珍しそうに竹刀を持ち上げて眺めている。
なかなか絵になるふたりを傍観して、私はその場を後にした。
「幼馴染みの恋の行方が楽しみだわ」
笑みを含んでポツリと呟く。シルヴィアが朝食の支度をはじめている。今日は彼女に何を着せて遊ぼうかしら、シルヴィアの着せ替えがここの所の私のマイブームだ。
◇ ◇ ◇
週明け、朝から凛花の家で散々稽古に付き合わされた俺は、週末の波乱万丈の疲れを引きずりながらの学校だったが、運良くこの日は早く帰れる事が出来た。テスト間近な分、本来なら勉強に励むべき所だろうが、なぜか俺はいま、ジェイドとシルヴィアと一緒に電車に揺られている。
教科書に目を通していると、サブバックから顔を出したジェイドが、窓に前足をついて流れる景色を見ていた。シルヴィアもその隣で電車のなかを染々と見渡している。
「これが電車というものなのですね、とても速いのに安定感があって、私達の世界の乗り物とは何もかもが違います」
「ワシはこの世界の乗り物がすべて気に入ったぞ! 竜の姿じゃったら絶対に乗れない物ばかりじゃ!」
「田舎の電車だから人も少ないしな」
黒の魔女について調べるのなら、範囲を広げて県立図書館くらいデカい場所の方がいいと思った。ジェイドにも「クルマのヌシより速い乗り物があるぞ」と言ったら、文字通り飛び付いてついてきた。
「……なんて単純なやつなんだ」
独り言を呟く。シルヴィアが車窓から見える景色を眺めて感嘆の声を上げた。外には幾重にも咲き乱れる蓮華の花が見える。座席から体を半分乗り出して外を見るシルヴィアの姿は、凛花が選んだ白いカットソーに菫色のスカートがよく似合っていた。
「まるで夢のようです。景色がどんどん流れていきます」
シルヴィアが瞳を輝かせる。県立図書館までは片道40分という所だ。シルヴィアはかぶっていた麦わら帽子を外して膝の上に置いた。涼しげな横顔が、柔らかい笑みを浮かべる。
「見てみるのじゃ、ユート! 空に何やらクルマの様なものが飛んでおるぞ!!」
ジェイドはずっと外を眺めては、何か見つける度に興奮して俺のデコを肉球でペンペン叩く。
「だから、デコを叩くな。それに、あれはヘリコプターだ。さすがにあれは乗せてやれないぞ」
保育園児みたいにはしゃぐジェイドは置いといて、黒の魔女の正体について、シルヴィアと一緒に考えを巡らせる。
「そもそも、黒の魔女はなんでシルヴィア達の世界に来たんだろうな」
「分かりません、王子様の国に対して固執していた何かがあったようではあるのですが……」
「竜の御珠を探す王子を追ってこっちの世界まで来たって、王子の国に何か因縁でもあるのか。それに、魔女はどうやってファフニールをこっちの世界に召還させたんだ」
「それは……黒の魔女が、唯一テオスを扱える魔女だからです」
──テオス?
聞き返そうとすると、電車内にちょうど学生の帰宅時間で人混みが雪崩れ込んで来た。「いやにゃ!」と子供の様に駄々をこねるジェイドを問答無用でサブバックに無理やり押し込める。
「ぶにゃ!」と、変な鳴き声がしたが、なにせ偉大なる守護竜様だ、大丈夫だろう。見付かったら電車から下ろされちまう。そっちの方が問題だ。
モゾモゾするサブバックを周囲に悟られない様に隠して、しばらく電車に揺られて駅に着いた。県立図書館は総合病院に隣接していて、平日だと言ってもなかなか混んでいた。
シルヴィアも人の多い場所に驚きながらも、ワクワクした様子は隠しきれないみたいだった。
「大きな建物ですね! それにとても美しい!」
ほぼ全面の硝子張りの建物にシルヴィアは興味津々だ。さすがは県立図書館とあって立ち並ぶ本の量は学校の図書室の比ではなかった。
三階建ての建物は、すべて本で埋め付くされている。はじめて来た場所だけれど、思った以上の数の本に圧倒された。
「……これは、どこから手をつけたらいいんだ」
魔女なんて無数の書物に記されている。歴史書、児童書、逸話、物語。数々の分野のなかに数多に描かれている。
「しらみ潰しに探すしかないか」
立ち止まっていても仕方がない、魔女について片っ端から館内パソコンで検索をかけて、山のように本を机に積み上げる。シルヴィアも沢山の本を眺めては魔女について探っているようだった。
「むむむ……」
サブバックから上半身を出したジェイドが机の上に前足を乗せ、真剣にページを眺めている。油断すると、ジェイドは涎を垂らしてうどんマップを眺めはじめるから、その度にマップをかっさらっては本に差し替えてやる。
俺が読んでいる本は、たまたまジークフリートが出てくる物語だった。
「……アイツ、内輪揉めで謀殺されるのか」
アイツこそ恋だの何だの言ってる場合ではないだろう、帰ったら女関係には気を付けるように言っておいてやらないと。あながちジークフリートは今の式神姿の方が長生きできるのかもしれない。人生何が吉となるかなんてわからないものだ。
白の書についても検索をかけてみたが、何故かそれらしい本は見当たらなかった。
「……っと……」
本を棚から引き出す際に、うっかり別の本を落としてしまった。落ちた本を拾おうとして、そのタイトルに一瞬目を奪われる。
「……シ、ルヴィア?」
まさか。
タイトルを指でなぞる。表紙に書かれた文字は紛れもなく"シルヴィア"。偶然だろうが、床に落ちた本を手に取ると、弓を手にした女神の姿が表紙に描かれていた。
凛々しい横顔は、まるでいつか見たシルヴィアの姿そのもの。
「恋を、知らない女神……シルヴィア……」
内容は、女神と人間の男の、身分を越えた恋の物語。
"身分違いの恋なんて、まるでなにかの麗しい唄のようではないか"
ジークフリートの言葉が脳裏によぎる。思わず首を左右にふった。シルヴィアは王子を探してここにいるのに、こんな話はまずあり得ない。人違いだ。
ふとシルヴィアに視線を向けると、一冊の本を食い入るように見ていた。白く細い指が丁寧にページを捲っていく。金糸の髪に、透けるような白い肌。飴色の睫毛が震える度、シルヴィアが何処か遠い世界の人間のように思えた。
シルヴィア、と声をかけようとしたその時──窓の外が視界に入った。瞳に飛び込んできたその光景を目にして、息を呑んだ。
黒い影が塊になって一斉にうごめく。硝子張りの窓の外、そこには異様な数のカラスが飛んでいた。
黒い羽根が無数に舞う。まるで、空全体が黒い雲で覆われているようだ。
「シルヴィア、あれ……」
慎重に声を落とす。シルヴィアが俺の視線に促されて空を見上げた。沢山の不気味な黒い影を見て、シルヴィアもまた息を呑んでいるのが、その背中からも伝わってくる。
「恐らく、黒の魔女の使い魔でしょう……。あんなに、沢山……」
「黒の魔女は、こちらでの餌は困らないようじゃの──ぶにゃ!?」
能天気なジェイドをまたふたたびサブバックに押し込む。閉館時間よりもまだ早い時間だが、こんな所で黒の魔女に襲われたらたまったものじゃない。
シルヴィアも直ぐに椅子から立ち上がった。
「行きましょう、ここは人が多すぎます」
帰りの電車に揺られながらも、シルヴィアは借りてきた本を熱心に見詰めていた。"シルヴィア"の物語については、何故か言い出せずに、そのまま図書館の棚に戻してきた。
◇ ◇ ◇
凛花の家に戻ると、縁側で人型の紙がちいさな手を器用に動かして洗濯物を畳んでいるのが見えた。
「凛花、まさかあれ、ジークフリート?」
「そう。いつまでも辛気臭い顔してるから、家の事を色々と手伝ってもらってんの」
仮にも英雄ジークフリートを小間使いにするとは、さすがとしか言いようがない……。
離れのテーブルをみんなで囲んで、黒の魔女について話をしていると、「どうぞ」と傍らからお茶を出されて「あ、ありがと」と反射的に受け取った。お茶を手渡したシルヴィアは、にっこりと笑顔を返す。いつもよりほんの僅かだけ近い距離に、なぜか動揺した。
ジークフリートが妙な事を言うから、変に意識してしまう。瞳を彷徨わせていると、ジークフリートがお盆からみんなの分のお茶を運んでいる姿が見えた。
式神姿で器用に手足を動かして、湯呑みをトコトコ運んでいる。お茶を並べ終えると、ジークフリートはちょこんとテーブルのすみに正座した。
「……お前、人間辞めたわりに今の方が人間くさいぞ」
言ってやるが、ジークフリートは顔を伏せてプルプル震えている。その後ろでファフニールは無邪気に凛花と猫じゃらしで遊んでいた。
「……相当、悔しいんだな」
気の毒に思って呟くと、コクリと式神のジークフリートは頷いた。ジークフリートにとっては、式神姿で家事をやらされるよりも、英雄としての責務がまっとうできない事の方が屈辱らしい。
いまやみんなの癒しマスコット化したファフニールは、凛花に抱っこされてテーブルについた。
「県立図書館の付近は、私の式神も飛ばしてみたけど、かなり黒の魔女の影響が強い場所みたい」
そう言って、凛花はボロボロになった紙の式神を見せてくれた。破れて形が歪になっている。シルヴィアが破れた式神をソッと両手にとって、眉を寄せた。
「使い魔のカラスの仕業でしょう……」
「あの辺りはもう調べられそうにないな、明日はもう一度学校の図書室を調べてみるか」
「えぇ、できれば私も、もう一度調べてみたいと思っておりました」
シルヴィアも頷いた。ジェイドは帰ってきてからずっと竜の御珠を見て何やら考え込んでいる。
「悪いけど、ジークフリートとファフニールはまた留守番だ。まだ王子が竜の御珠を探しに来ないとも言い切れない、頼むぞジークフリート」
ジークフリートに視線を落とすと、式神姿でファフニールの仔猫パンチを必死に防いでいた。
何だかんだでファフニールの子守りが板についていると思うと、笑みがこぼれ落ちる。ジークフリートの非業の最後の事はいまはまだ黙っておこう。これ以上落ち込んでしまったら立ち直れなそうだ。