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アドベント ー生命誕生の秘密ー

作者: かいばつれい

 ――本文はすべて地球語に訳してあります。――



 無限に広がる宇宙―――。

 とある惑星系に生まれてまだ数億年の惑星があった。

 その惑星は大気に包まれていて陸と海があり、活発で巨大な火山が存在していた。しかし、生命体はまだ陸地や海中のどこにも発生していなかった――。


 ある日、この幼い惑星に遠い宇宙から一隻の宇宙船がやってきた。

 宇宙船は海に面した陸地に軟着陸し、その中からあらゆる環境に適応できる特殊な宇宙服を着た二人組が現れ地表に降り立った。

 二人はある目的のために大気と海が存在する星を探して宇宙を旅していた。

 そして、長い旅の末にようやくこの星を見つけたのである。

 二人組の内の、船のキャプテンである一人が宇宙服の左腕に付けられたブレスレットのような機械端末を操作し、ビームを発生させて海面に照射した。

 ブレスレットから無機質な電子音声が発声する。

「海中ニ生物ノ反応ナシ」

 ビームは海中の様子を調べるためのものだった。

 ブレスレットは電子音声でその結果を伝えた。

 音声を聴いて結果を確認したキャプテンは、わかっていたさとでも言いたげな表情で宇宙服のバイザー越しからブレスレットを見つめた。

 相棒のもう一人が宇宙服の通信機能で話し掛けてきた。

「この星に生物はまだいないんだろ?ならさっさと仕事に取り掛かろう」

 キャプテンは海面に照射していたビームを消して相棒に応える。

「わかってる。なるべく慎重にやらないとな。ようやく見つけた水の星なんだ。これでしくじったらここまで来た意味がない」

「よし、まずは熱水噴出孔(チムニー)を探そう。この星に降りる前に確認した、巨大な火山の近くの海底にならあるんじゃないか?」

「そうだな、あれだけ高い火山の近くなら熱水噴出孔が密集しているかもしれない。この星が持つエネルギーなら俺たちの仕事はきっとうまくいくぞ」

 二人は船に戻り、船を離陸させて巨大火山が存在する海域へ向かった。

 海域へ到着すると宇宙船は海面ぎりぎりまで降下して空中で制止した。

 宇宙船の操縦室で相棒がコンソールを操作し、船の底面のハッチから耐水圧の高い特殊チューブを展開させて海中に降ろした。

 チューブの先端にはカメラが備え付けてあり、このカメラで海中の様子を見ながらチューブを操作することができる。

 カメラの映像がコンソールのモニターに映し出され、二人はモニターを凝視した。

 カメラから送られてくる映像にはチューブが陽光の届く明るい海からやがて光が一切届かない深海へ進んでいくのが確認できた。

「暗くなってきたな、カメラを暗視モードに切り替えろ」

「了解」

 キャプテンの指示で相棒はカメラを暗視モードに切り替えた。

 深海の様子が鮮明になる。

「もうすぐ海底だ。黒煙を探せ。水温のチェックも怠るなよ」

「了解。必ず見つけてやる」

 二人はチューブが海底に近付くにつれて、モニターへの監視をより一層強めた。

 ほどなくしてチューブは海底に到達した。

 もちろん、海底に辿り着くまでに生物の類いには一切遭遇しなかった。

「海底に到達。チューブ及びカメラに損傷見られず」

 相棒がチューブとカメラの状態を確認する。

 相棒はカメラを操作して周囲を見回した。

「熱水噴出孔はどこだ」

 チューブの小さなカメラを頼りに熱水噴出孔を探す。

 しかし、周囲にあるのは火山灰や粘土鉱物によって形成された堆積物ばかりだった。

「柱だ。柱を見つけるんだ。黒煙が吹き出している柱があるはずだ」

「わかったよキャプテン。少しここから移動してみよう」

 相棒はチューブを操作して到達地点からの移動を始めた。

 その後しばらく海底を進んだが、目当ての熱水噴出孔は一向に見つからなかった。

「おかしいな。あれだけ高い火山があるのに柱が見当たらないぞ」相棒の表情に陰りが出る。

 相棒の表情の変化に気付いたキャプテンはヘルメットを取り話し掛けた。

「この海域を隈無く探せば見つかるさ。本当は潜水モードがある船でくれば良かったんだがな。生態系再生委員会も投げ出してるこんなプロジェクトじゃ、俺たちにはせいぜい恒星間航行能力がある宇宙船しか回してもらえない。おまえもヘルメットを取れ。少し気を緩めて探そう」

 キャプテンは励ましの言葉を与えたつもりだったが、相棒の表情は変わらない。

「ここからは船のコンピューターにも探させて、交代で休憩を取ろう。カメラをコンピューターに同期させるぞ」

 キャプテンはカメラのシステムを宇宙船のメインコンピューターに接続してコンピューターに熱水噴出孔を探すよう命令し、二人は休憩を挟みながら交代で作業を続けた。

 二人の母星の基準の時間で一日が過ぎると、その海域を離れ、火山を中心に周囲の海域へ移動し再び海底を探索した。

 探しては移動する。そんな日々が何日も続いたが、ついに熱水噴出孔を見つけることはできなかった。


 数日後のこと、相棒は進展しない状況を見兼ねてか、操縦席のシートにもたれかかって溜め息をつき、心境を吐露した。

「はぁ、故郷の女房と子供たちが恋しいよ」

 彼はホームシックになっていた。

「嘆くなよ相棒。水の星を見つけられただけでもこの仕事を引き受けた甲斐があったってもんだ。しっかりしろ」

 キャプテンが最初の日と同じように相棒を励ます。

「俺はあんたみたいに前向きにはなれない。どうすりゃいいんだよ」

 そう言うと相棒はもたれかかったまま瞳を閉じた。

 それを見てキャプテンは立ち上がり、船の食料庫へ行き、嗜好飲料が入ったボトルを2つ持って戻ってきた。

 再びシートに座り、ボトル1本を相棒に手渡すと、自分のボトルを開栓してひと口飲んでから話を始めた。

「別に前向きってわけじゃないさ、俺はこの状況を楽しんでいるだけだ」

「へ?」

 キャプテンからの思いがけない言葉に相棒は素っ頓狂な声を出して目を見開いた。

「考えてもみろよ、故郷にこんな綺麗な海があるか?陸も空もだ。俺たちの先祖が大昔にやった核戦争のせいで故郷の大地は今も放射能まみれだ。その除染作業で俺たち貧乏人は食い繋いでいるが、いつ身体を壊してもおかしくない。俺は家族にもこの海を見せてやりたいくらいだよ」

「話はわかるさ。でもそれがどうして楽しいんだ?」

「ガキの頃、じいさまが俺に枕元で聞かせてくれたんだ。昔は陸や海、そして空には生き物がたくさんいた。それらは全部神様がつくったんだってな」

「ほう、それで?」

 相棒がキャプテンの話に興味を示し始める。

「この星にまだ生き物はいないが、これから俺たちがやるこの仕事が成功すれば、この星は生き物で溢れかえる星になる。つまり俺たちはこの星の生き物にとって神様だ。そして、俺や子供たちの世代じゃ、その光景は見られないが、子供たちのそのまた子供たちといくつも世代を越えた先の子孫たちがこの星を訪れた時、こう言うのさ」

「…何て?」

 キャプテンはまたひと口、飲料を飲んでから笑顔で応えた。

「『俺たちの遠い遠いご先祖さまは神様だったんだ』ってな」

 それを聞いた相棒の表情が僅かに明るくなる。

「確かにこの星に来てから何も進展しちゃいないが、俺は毎日その光景を想像するだけでわくわくしてくるんだ。」

「想像するだけで?まあ、その気持ちはわからんでもないな」

 キャプテンは更に話を続けた。

「それに俺はな、交代で休憩に入って眠る前に、自分に俺は神様だって言い聞かせてるんだ。遥か昔に俺たちをつくったあの神様だってな。そう考えるとどうだ?楽しくなってきただろう?」

「神様か。あんたの話は壮大すぎてあまり実感が湧かないが、でも、そう考えるとなんとなく楽しくなってきた気がする…!」

「その意気だ。こういう時だからこそ状況を楽しまないとな」

「よし」

 相棒はシートから立ち上がり、ボトルを開栓して中身を一気に飲み干してからキャプテンの瞳をまっすぐ見て言った。

「なぁ、俺もあんたと同じことしてもいいか?眠る前に俺は神様だと言ってみたいんだ」

 相棒の問いにキャプテンは即座に応える。

「勿論さ。最初に言っただろ、俺たちはこの星にとって神様だって。だからおまえも今日から自分に神様だと言い聞かせれば、きっとやる気が出る筈だぜ」

 相棒もキャプテンと同じように笑顔で口を開いた。

「もともとみんな投げ出してたプロジェクトだもんな。俺なんて報酬目当てに引き受けたくらいだし、神様になって帰れば家族にいい土産話ができるってもんだ。夢にまで見た宇宙旅行までしてな」

 相棒はもう心配なさそうだとキャプテンは思い、それに返すように話した。

「そうさ、俺たちみたいな身分のやつが宇宙船で恒星間を移動できること自体あり得ないんだ。遠い宇宙で水の星を労働者階級の輩が、それもたった二人で見つけて生命の礎をつくるなんてどれほど立派なことだろう!」

 言い終え、キャプテンは相棒の肩を軽く叩くと自分のシートに座り、チューブの操作を開始した。

「さあ、気を取り直してがんばろう」

 相棒もまたシートに座ってモニターに向き直り探索に戻った。

「折角ここまで来たんだ。もう少し粘ってみるか」

 彼の表情から陰りは消えていた。


 それから更に何日か経った日の事だった。

 休憩に入り自室で仮眠中だったキャプテンは操縦室にいる相棒からの呼び出しコールで目を覚ました。

 スリープポッドから出ると自室の壁にある連絡用コンソールですぐさま相棒に応答した。

「どうした、何か起きたのか?」

「キャプテン、すぐにこっちに来てくれ!海溝を見つけた」

「海溝だって?」

 海溝という単語を聞いてキャプテンはリラクシングスーツのまま自室から飛び出し、慌てて操縦室へ向かった。

「海溝を見つけたのか。深さはどれくらいだ」

 操縦室に着くなりキャプテンは相棒の隣のシートに座りチューブカメラのモニターを確認しながら相棒に訊ねた。

「かなりの深さだ」

 映像を見ると、前方の海底面が途中で切り取ったように横一直線に無くなっており、その先には底が全く見えない、深い闇が広がっていた。

「まさに断崖だな」

 キャプテンは腕を組みモニターを見つめた。

「海溝の付近なら熱水噴出孔があってもおかしくないと思ったんだ。この断崖に沿って付近を探索すれば柱が見つかるかもしれない」

「こりゃ寝てる場合じゃないな。俺も探そう」

「今度こそ柱を見つけてやる」

 探索は夜を徹して行われ、二人はお互いの休憩時間も忘れて探索に集中していた。

 モニターの隅々を見張り、耳を研ぎ澄ませ、チューブの操作をより繊細に動かし、海底の景色の微妙な変化も見逃さなかった。

 その結果―――、

「ん?おい、あれは…」

 キャプテンが映像の右端に何かを見つけた。

「何か吹き出しているぞ。ひょっとして黒煙じゃないのか」

「接近してみよう」

 相棒かチューブをゆっくりと操作し、おそるおそる近付いていく。

 そこには、陸上にある木のように背の高い、円柱状の構造物がそびえ立っていた。柱の上部からはものすごい勢いで黒煙が吹き出している。

 ついに二人は黒煙が吹き上がる柱――熱水噴出孔を発見した。

「間違いない、熱水噴出孔だ!」

「やったぞ!ついに見つけたんだ!」

 操縦室に二人の歓声が上がる。

 付近には他にも熱水噴出孔がいくつもあり、黒煙が絶えず吹き出していた。

「水温382度。高温だ」

「この黒煙の成分が知りたい。サンプルを採取しろ」

「了解」

 相棒はチューブを黒煙に近づけ、先端の吸入口を開き、そこから黒煙を海水とともに吸い込ませた。

 チューブ内の黒煙が海上に浮かぶ宇宙船を目指して登っていく。

 途中でチューブの中間にある物質転送装置が働き、黒煙のサンプルを瞬く間に船内に送った。

 船内に送り込まれたサンプルはそのままチューブに繋がっているサンプリングカプセルに排出され、船のコンピューターが黒煙の成分分析を始めた。

「分析終了」

 間髪入れずに分析が終了し分析結果がキャノピーのHUD(ヘッドアップディスプレイ)に表示され、相棒が結果を読み上げた。

「この黒煙には主に鉄、銅、亜鉛、マンガン等の重金属と水素、硫化水素、メタン等の化合物が含まれている。煙が黒いのはそのためだ。柱は熱水中の鉱物が海水と接触してできた生成物が沈殿してできたものだな。これはかなりの大きさだぞ」

「そうか。そいつはいい。だが…」

 キャプテンは両腕を上げ、身体を伸ばし、大きな欠伸をした。

「すぐにでも作業に取り掛かりたいが、その前に休息を取ろう。こいつを探し当てるのに疲れたよ」

 ここに来てキャプテンは柱が見つかったことで安堵したのか、相棒の前では見せることのなかっただらけた姿を初めて見せた。

「ここからが本当に大事な仕事だものな。身体をしっかり休めて作業に集中できるようにしておかないとな」

「チューブを収容して柱の位置をマップにマーキングしておいてくれ。今日のところはそれでいい。眠気に勝てそうにない。悪いな」

 キャプテンは目を擦りながら眠たそうな顔で言った。

「悪いもんか。キャプテン、あんたは立派だ」

「…ありがとう」

 それは心からの感謝の言葉だった。

 目を擦るキャプテンの瞼には涙が滲み出ていたが、相棒がそれに気付く事はなかった。

 二人は朝日が昇ると同時にスリープポッドに入り深い眠りについた。二人とも疲労が溜まっていたせいか、その日は一日中眠り続け翌日の朝まで目を覚まさなかった。


 翌日の朝、眠りから覚めた二人は朝食を済ませて準備を整えるとそれぞれ操縦席に座り込んだ。

「早速作業開始と行きたいが、その前にあれの説明をしておく」

 キャプテンは振り返ることなくコンソールを操作しながら操縦席の真後ろを左腕の親指で指差した。相棒が上半身を捻らせて後方を見るとそこには、クリアケースタイプのパッケージポッドがチューブに接続されていた。一見するとポッドの中には何も入っていないように見える。

「何も入ってないようだが?」

「肉眼ではな。あの中にはこいつが入っているんだ」

 キャプテンはブレスレットを操作してホログラムを投影した。

「これは虫か?」

 投影されたそれは、六本脚で金色に輝き、体が頭、胸、半透明の腹部の三構造に分かれている昆虫のような物体だった。

「だいたい合ってる。だがこいつは自然界で産み出されたものじゃない」

 これは自然界で産まれたのではない――ロボットなのだ。キャプテンの言葉で相棒はすぐにはっとして口を開いた。

「ひょっとしてナノマシンか?」

「そうだ。仕事を引き受けた時に生態系再生委員会から預かった」

「何故俺に教えてくれなかったんだ?」

「奴ら、こいつのことには随分神経質でな。仕事の相方には柱を見つけるまで絶対に教えるなと言われたんだ」

「何の意味があってそんなことを?」

「さぁな。俺にはお偉いさんたちの考えていることなんて分からんさ。とにかくだな、あのポッドの中にこいつが超マイクロサイズで無数に入っている。こいつを海底に放って働いてもらうというわけだ」

「なるほど。しかし、腹部の半透明のスペースは何のためにあるんだ?」

「あれは収容器さ。ま、ただの収容器ではないがね」

「一体、こいつらが海底で何をするんだ?」

「それは俺が作業しながら教えてやる。俺たちは船からナノマシンの制御システムに命令を送ればいい。とにかく始めよう」

 ようやくこの星に来て二人の本格的な仕事が始まった。

 チューブを再び海底に降ろし、先端を熱水噴出孔から吹き出す黒煙に近付ける。

「ナノマシンを熱水噴出孔に投下。熱水中に溶解している化学物質を採取させるんだ」

「了解。パッケージポッド注水」ポッドが海水で満たされていく。

「注水完了。ナノマシン投下」

 チューブが排出モードになり、幾多のナノマシンが一斉に海底へ送り込まれた。無論、その様子は肉眼では確認できない。

「カメラを超高倍率モードにしてナノマシンたちを確認しよう」

「了解」

 カメラが超高倍率になりナノマシンの姿がはっきりと捉えられ、その姿が目視できるようになる。

「いいぞ」キャプテンが呟く。

 マイクロの世界では早速、ナノマシンたちが作業を開始していた。ナノマシンの尾部が開き、黒煙の中の物質と海水を腹部の収容器に取り込んでいく。取り込まれた物質と海水は収容器内の二つの小部屋にそれぞれ分けられ、海水は有機物の合成が可能な温度に冷却された。そしてそれらが満杯になったナノマシンから柱の下部に待機していき、やがて全てのナノマシンが採取を終えるとキャプテンが次の作業を相棒に指示した。

「次は海水の浄化だ。取り込んだ海水から酸化性物質を取り除いて水、メタン、アンモニア、水素だけにするんだ」

「了解」

 相棒がナノマシンたちの制御システムに命令を送る。

 ナノマシンの腹部内の海水が入った小部屋の高性能フィルターが酸化性物質を取り除き、腹部の外に排出され、四つの成分だけが残された。

「今度は放電だ。海水に電流を浴びせろ」

「放電開始」

 海水に電流が流れ始める。

「ここからが正念場だ。ナノマシンのタキオンドライブを起動しろ。海水の入った小部屋内のタキオン粒子を操作して時間流を早めてくれ。時間経過の目安は七日後だ」

「了解。タキオンドライブ起動。一体何が起きるんだ?」

 相棒はナノマシンにコンソールで命令を送りながらキャプテンに問いかけた。

「見ていれば分かるさ。面白いことになるぞ」

 そう応じるキャプテンの顔はまるで、自分の子供が産まれるのを楽しみにしている親のように、ワクワクとそわそわが交じった、期待感を抱いた朗らかな表情だった。

 数分して小部屋の時間だけが七日分経つと海水に変化が起きた。海水が赤色に変色したのだ。

「何だこれは!」相棒が驚愕するがキャプテンの表情は変わらず朗らかなままだった。

「驚くことはない。これで成功なんだ。冷静になれ」

 キャプテンが相棒の肩をポンポンと軽く叩くと相棒はすぐに落ち着きを取り戻した。

「成功…なのか。ふぅ、びっくりしたよ。水がいきなり赤くなるもんだから、俺は何か失敗しちまったのかと思ったぜ」相棒は冷や汗を拭う。

「水の中の成分を調べてみろ。何故水が赤くなったのか納得するはずだ」

「?」

 キャプテンに言われた通り相棒はコンソールを操作して変色した海水を分析した。

「……おいおい、マジかよ」分析結果を見て口をあんぐりと開けて硬直する。

「アミノ酸だ!アミノ酸ができてるじゃないか」

 小部屋内の海水の中にアミノ酸が生成されていた。「あの四つの物質に放電を続けるとアミノ酸が生成されるんだ」

 相棒は口を開けたまま硬直しているがキャプテンは構わず話を続けた。

「次に、一緒に採取した黒煙の中の鉱物をナノマシンの物質合成装置でアミノ酸に結合させるぞ。ナノマシン内の人工DNAを合成装置に送り込め」

「ああ…」

 相棒は今目の前で起きていることに――正確には海底にいるナノマシンの様子をカメラで見ているだけだが――全く思考が追いついていなかった。自分はもしかして、生命史においてとても歴史的な場面に立ち会っているのではないか?貧困層で生まれ、僅かな教養しか身についていない自分が?これは幸運か?そう考えているうちに、またしても驚くべき場面に遭遇した。

「HUDを見ろ。また驚く筈だぜ」

 キャプテンの言葉で慌ててHUDを見る。

「嘘だろ…た、たんぱく質ができてる…」またしても硬直する。

「鉱物を触媒に複数のアミノ酸が重合してポリペプチド、つまりたんぱく質になったんだ。おい、いい加減口を閉じろ」

 気付いた相棒は口を閉じる。

「だってよ、さっきから驚きっぱなしで、もう何が何だか…」

「俺は子供が学校で習う普通の実験をやっているだけだぞ。まぁ、本来なら時間がかかる事を一瞬でやっているからな。驚くのも無理はない」

「タキオンドライブで時間を早めているのはわかるが、頭でわかっちゃいても、こう、短時間でアミノ酸を作ってそいつをたんぱく質に変えちまうなんて普通じゃあり得ないぜ」

「理解しようとしなくていい。お前は神様の奇蹟を起こしているんだ。何日か前にも言ったろ、自分は神様だと思えばいい。そうすれば変化にいちいち驚いている暇なんてなくなる。どうだ、だんだん神様っぽくなって来ただろう?」

「うん、神様になった気分だ。だがな、たんぱく質だけできたってまだ生命体ができてないだろ。このあとはどうするんだ?」

「慌てるなって。次からが重要だ」

「次が?たんぱく質を作っただけなのに?」

 相棒が問うが、それには答えず、キャプテンはいきなり真剣な目つきで喋り始めた。

「たんぱく質の合成と同時にナノマシンにセントラルドグマの概念を学習させた。簡易的ではあるがリボゾームと同じことができる。そして…」

 キャプテンは宇宙服の左胸のポケットにあるパッケージケースから小さな鍵を取り出し、それをコンソールにある鍵穴に差し込んだ。後方の床がせり上がり、格納されていた超低温冷凍庫が現れる。キャプテンは冷凍庫に向かいドアを開け、その中から凍っていない、緑色の液体が入った手の平に収まるサイズのカプセルを慎重に取り出した。

「この規模の星ならこれで充分だな」

「それは何だ?」

「これこそ、この計画の真髄、そして俺たちの最後の仕事」

 キャプテンはカプセルのキャップを開け、チューブに接続されたパッケージポッド上部の挿入口からカプセルの液体を投入した。ポッド内の水が緑色に変わるのを確認したキャプテンは操縦席に戻りスイッチを押してポッド内の水を海底に送り込んだ。送り込まれた水は熱水噴出孔に届き、柱の下部にいるナノマシンたちに降り注いだ。

「このまま夜まで待とう。夜にはあの液体がナノマシンたちを更に増殖させているだろうから」

「あの液体にもナノマシンが?」

「いや違う」

「増殖ってナノマシンが勝手に増えるのか?」

「そう。あの液体はな、物体をそっくりそのままコピーすることができるんだ。中のたんぱく質も含めてな。核戦争後の食糧難を救ったのもこいつだ。ナノマシンが一定数増えるまで増殖し続ける仕組みになっている」

「それってかなり危険な代物なんじゃ…」

「だから言わなかっただろう。液体も口止めされてたんだ。けどな、あの液体の能力は増殖させるだけじゃない。増殖はまだ第一段階で、その次の段階が液体の本来の役目を果たす時だ」

「それは一体…」

「夜になれば分かる。今のうちに休憩を取れ。俺はここまでの作業をレポートにまとめる」

「り、了解!」

 二人は夜になるまで待機することにした。

 ちょうどその頃海底では液体を浴びたナノマシンたちが増殖を始めていた。一基増えたナノマシンからそれぞれまた一基ずつ増え、更にその増えたナノマシンから一基が増えていくという増殖を繰り返しながら着実に数を増やしていた。この増殖現象は、ナノマシンが星の海全域に行き渡る数になるまで行われた。


 やがて陽が落ち、この星の夜が来た。

 陽の光を失った海は黒く、静かな波の音を立てている。

 夜空に浮かぶ、大小の2つの月の光だけが黒い海面を微かに照らしていた。

「いよいよだな」待機開始から一言も口を開かなかったキャプテンが始まりの時を告げる。

 アミノ酸の誕生からたんぱく質の生成まで驚かされ続けていた相棒は、今は静かに、ただじっと、宇宙船のキャノピー越しに黒い海を見つめていた。

 今更何が起きようが、絶対に驚くまいと心に決めていたのだ。

「そう身構えなくても大丈夫だって。それよりも記録用のビデオカメラの準備をしておけ。びっくりして落としても壊れないやつをな。お前はきっと、また驚くことになるだろうから」

「いいや、もう何が起きても驚かないぞ。これから起こる事をしっかりと目に焼き付けてやる」

「そうかい。ま、せいぜい頑張るこった。そうだ、言い忘れていた。サングラスを掛けろ」

「こんな夜中にサングラスだって?気は確かか?」

「サングラスは絶対に掛けろ。でないと目をやられるぞ。これは命令だ」

「目を?わかった。あんたが言う事には必ず意味があるからな。了解した」

 相棒はキャプテンからサングラスを受け取り、顔から落ちぬようしっかり掛けた。右手には録画端末が握られている。

「そろそろ始めるぞ。海底のカメラを暗視モードから通常モードに戻せ」

「了解」鮮明だった海底の映像が消え、モニターが黒一色に染まる。この状態では海底の様子を確認することはできない。これで本当に良いのか?相棒の胸中に疑問がよぎったが、キャプテンの命令には意味があるということを自らに言い聞かせ、胸中の疑問をすぐに掻き消した。

「コンピューター、起動パスワードの入力画面を」

 キャプテンは船のコンピューターに命じ、HUDにパスワードの入力画面を表示させた。その入力画面に、コンソールのキーボードを使ってパスワードを打ち込んでいく。

 打ち込みが終了すると、画面が変わり、コンピューターが電子音声で指示を出してきた。

「認証ワードヲドウゾ」

 キャプテンは一度大きく深呼吸をしてから静かに、そしてはっきりと認証ワードを発言した。


 ―私はすべての子供たちの母である―


「認証確認。ナノマシン、最終プログラム起動。システムスタンバイ」

 コンピューターが発声し終えるとキャプテンは深く瞳を閉じた。その姿は瞑想しているように見える。

 しかし、海に変化は見られず、先ほどと変わることなく静かに波音を立てていた。

「何も起きないじゃないか。失敗したのか」

 キャプテンはそれに答えず、瞳を閉じ続けている。

 いや、そんな筈はない。この星に来て海底を隅々まで探し、生命の原点である熱水噴出孔をようやく見つけたのだ。一度は諦めかけたが、自らを神であると自負する彼女を信じ、最後までやってきた。

 考えてみれば、彼女は今まで一度も失敗したことがない。彼女の命令には必ず意味があり、一切無駄なものはない。だからこの星に辿り着くまでの道中も何事もなく安全に来られた。この静寂もまた、何かしらの意味があるのだ。

 あんたは正しい、気長に待とうと声を掛けようとしたその時だった。突然キャプテンはサングラス越しに目を開け、モニターに顔を向けた。

「始まった!!」

 黒一色だった海底のモニターが一瞬にして、画面いっぱいにまばゆい黄金の光を放った。

「うっ」その光はサングラスを持ってしても防ぎきれない。堪えきれず相棒は両腕で目を覆うが、キャプテンは微動だにせず、海溝を見つけた時と同じように腕を組んでじっとモニターを見つめていた。

 それとほぼ同時に、海面が海底と同じ黄金に輝き始め、空中に浮かぶ宇宙船を照らした。

 やがて海一面が黄金の光で染まると、昼間と変わらない、それ以上の明るさを海と空にもたらした。

「すげぇ…」

 目前のとてつもない光景に相棒は少しの間、見とれていたが、右手にある録画端末の存在を思い出し、光る海の撮影を始めた。

「とても綺麗だ。子供たちにも見せてやりたいぜ。でもこの光は一体何だ?」

「答えは海の中にある」

 キャプテンはカメラの露出を調整し、モニターの光を抑えて海中の映像を超高倍率にズームし、ナノマシンの姿を映した。

 夥しい数に増殖したナノマシンたちが黄金の身体を光らせながら海中を漂っていた。

 海が光る原因は無数のナノマシンたちによるものだった。

「ナノマシンが光ってる!?」

「ただ光ってるんじゃない」キャプテンがキーボードを叩く。

 HUDにナノマシンの腹部の収容器内の映像が拡大表示され、その中では、ある“存在“が生まれていた。

「………」相棒は最早、声を出すことはしなかった。

 ただ、呆然とその映像を見ていることしか、今の彼にはできなかった。

 収容器内の水の中で楕円の謎の物体が遊泳していた。物体の外側には糸状の突起が伸びており、その突起はゆらゆらと揺れ、それが遊泳のための推進力になっているらしく、物体は突起を使って、自らの誕生を喜んでいるかのように自由自在に泳いでいた。

「他のナノマシンの腹の中も見てみよう」キャプテンは相変わらず冷静で、この物体がそこにいるのは当然であるかのようにナノマシンたちを調べていく。

 他のナノマシンたちの中でもそれは同じだった。ただし、楕円ではなく、細長い形状のものや完全に球状のもの、棒状のもの等、それぞれ形が違っていて、唯一の共通点は糸状の突起が伸びていることだけで、どれもやはり同じように収容器の中を泳いでいた。

「あの液体…試作品ということで正式な名が無くてな。あれを浴びた状態でナノマシンのブラックボックスに隠されたシステムを起動させると、たんぱく質を媒介に単細胞生物を産み出すのさ。まさに神のみわざだ」

「こいつらは生命体なのか」相棒が声を出す。

「すべての生命の祖先たる存在、原核生物の誕生だ」頷き、静かに答えるキャプテン。

「ヒト、動物、魚、昆虫、植物、すべての生けるものたちは皆、この小さな単細胞の生物から進化したんだ」

「ナノマシンと液体が生命を産み出した?こんなことが人為的に可能なのか」

「可能なのだよ。現に俺たちの目の前でそれが証明されている。まず…」話を続けるキャプテン。

「この原核生物から真核生物が生まれ、その真核生物らの微生物が複雑な構造を持った生物へと少しずつ、長い時間を掛けて進化していく。生物は進化の過程で食物連鎖を繰り返して繁栄し、やがて海から陸上に進出する。命を育み、更に種を増やして行き、気が遠くなるほどの長い年月を経た先の時代には、この星全体が動植物で満ち溢れる。俺たちの星の生命も最初はこの単細胞からスタートしたのさ。もしかしたら…ううん、必然的だな、進化の先にいつか俺たちのような知的生命体が現れるだろう」

 言い終えてキャプテンはナノマシンの調査を続ける。

「夢のようだ…」相棒は左手を口に当てて光る海を見つめた。

「夢じゃない。これは現実だ」

 キャプテンは途中で手を止め、首に掛けていたロケットを手に取り、中を開いた。中には彼女の家族の写真が入っており、男の子と女の子がひとりずつと彼女と彼女の夫が写っている。四人とも笑顔だ。

「ディン、ケイナス、良い子でいるかい。トルオロ、あなたの女房は今日、神になったよ」彼女はロケットの写真に語りかけた。

 光は海を覆い尽くし、惑星全体を輝かせていた。

 陸地を黒点に置き換えると、その姿はまさしく恒星そのものであった。


 三日後の朝、光がようやく収まると、惑星は元に戻り、海は蒼さを取り戻していた。

 宇宙船の操縦室では、キャプテンと相棒が仕事の最後の仕上げに取り掛かっていた。

「ナノマシンのタキオン粒子を操作。時間流を停止させて休眠させる」

「ナノマシン、タイムカプセルモード」

 ナノマシンは口から糸を吹き、その糸が身体を包み込んで姿を繭に変え、海中を漂い始めた。繭の上部にはナノマシンの触角が僅かに突き出ていた。

 仕上げとは、ナノマシンの中の原核生物たちを、星の気候が生物が生息できる状態になるまで保存させておくというもので、収容器内のタキオン粒子と外のタキオン粒子の流れに差異を作ることで収容器内の時間を停止し、原核生物を生き長らえさせるのである。

「ナノマシンの耐用年数は数十億年規模だ。繭から触角だけが突き出ているだろ。あの触角が常に海中の酸素濃度を測っていて、濃度が適正値になった時、システムが再起動して繭から原核生物が孵化するというわけだ。」

「孵化したあとのナノマシンはどうなる?」

「大丈夫。役目を終えたと同時に形象崩壊して金属粒子になる」

「星の一部になるというわけか。なんだか儚いな」

「あいつらの骸も生物の繁栄に貢献するんだ。もしかしたら、俺たちよりあいつらの方が立派な仕事をしているかもな」

「そりゃあ繭というよりゆりかごだな」

「そうだな。ゆりかごのほうがしっくりくるよ」

「あんたが母親だからか?」

「かもな」

 二人は失笑した。

「そうだ。いいことを思いついた。生まれた微生物の中に嫌気性生物がいただろ、そいつらが入ったゆりかごは深海に固定配置させておけ。少しタイマーを早めて、先に孵化するようにしよう」

「いたずらですかい?神様」

「ああ、ちょっとしたいたずらさ。酸素を必要としない連中がこの先どんな進化を辿るか興味が湧いてな。より多くの種が生まれてくることを祈ろう」

「ふふっ。なんだか生態系の見本市みたいな星になりそうだな」

「見本市か。言えてるな」

 仕事が一段落したためか、二人には精神的に余裕が生まれ、いつしか冗談を言い合うようになっていた。

 その後は黙々と作業が続き、二人の会話が再開したのはすべてが終了した夕刻だった。


 その日の夕刻、二人はヘルメットを被り、それぞれの操縦席に座り、ベルトをしっかりと締めて真剣な眼差しで撤収作業を始めた。

 いよいよ、この星に別れを告げる時が来たのである。

「プロジェクトの全工程を完了。チューブ収容。メインエンジン始動。航法支援システムオンライン。船体及び計器類各種チェック。」キャプテンが発進シークエンスを始める。

「船体異常なし。計器類各種異常なし。目的地座標インプットOK。発進準備完了。いつでも翔べるぜ」

 旅立つ準備ができたことを相棒が伝えるとキャプテンはスラスターの点火スイッチを押した。宇宙船の後方のスラスターに灯がともる。

「なんだか名残惜しいな」

 相棒がキャノピー越しから眼下にひろがる海を見下ろして言った。

「いつまでもここにいるわけにはいかない。燃料や食糧にも限りがあるからな。あと数日、熱水噴出孔を見つけるのが遅れていたら、俺たちは仕事を放棄して帰らなければならなかったんだ。それに、俺たちには帰りを待ってくれている人たちがいる。そうだろ?」

「そうだそうだ。あとの仕事はナノマシンの連中に任せよう。俺は並大抵の事じゃ、くたばらない自信はあるが、流石に何十億年ってのはね。さ、さ、海に引きずり込まれない内に帰りましょうやキャプテン」

「ふむ。では…」

 キャプテンは操縦桿を操って、船体の機首を上げ、宇宙船を空に対して垂直に向けた。

 身体中の血液が後頭部に、背中に、臀部に集まっていくのを二人は感じた。

「発進」エンジン全開。フルスロットル。

 スラスターの灯が大きく燃える。灯は海面を激しく揺らし、熱せられた海水が一瞬にして霧に変わり、宇宙船の周りに立ち込めた。

 船が上昇し始める。その速度は瞬く間に高速になり、音速を越えた。衝撃波が海面を叩き、水を飛び散らせてごく短い天気雨と虹を生んだ。その雨の中に含まれる無数の繭が陽光に照らされ、キラキラと輝いていた。

 宇宙船はほんの数秒で成層圏に到達し、ついには大気圏を脱出して宇宙に出た。身体から、重力に引っ張られていた感覚が消えたのが分かる。

「大気圏離脱完了。自動操縦に切り替える。惑星系の端っこに着いたら、スペースワープドライブを起動する。あとは、超光速航法で故郷までひとっ飛びだ。昼飯を忘れていたな。腹ごしらえしたらひと眠りするか」ベルトを外し、ヘルメットを取りながらキャプテンは話した。

「ああ。腹ごしらえもいいけど」相棒が何やらコンソールを操作する。

「何だ?」

「これ見てくれ」

 相棒はHUDにこの惑星系の全体図を出し、一部を拡大した。そこには、彼らが降り立った星の近くにある惑星の画像が写っていた。その星は、大きさは水の星と同じくらいで全体が赤黒く、血管のような赤い亀裂が至るところに走っている。

 この星はおそらく、まだ生まれたばかりの原始惑星で、地表は煮えたぎる熔岩とマグマの海でいっぱいだろう。海が出来るのはナノマシンの孵化と同じくらい先になりそうだった。

「この星も位置的に条件が良さそうだ。こいつも水の星になりそうだぞ」画像をキャプテンに見せながら相棒が言った。

「いずれはね。まだまだ先の事だが」とキャプテンが返す。

「遥か未来で、俺たちの子孫がここに来る時には落ち着いてるかな」

「多分な。帰ったらこの星の事も委員会に報告だな」

「あれ、仕事を増やすつもりじゃなかったんだ」

「それでは何だ?天文学に興味を持ったか。それとも地質学か」

「神様にされれば、そういう気になってもおかしくない」

「いい傾向だ。悪くないと思うぞ。生きがいが出来るというのは」

「あんたの思考にゃ頭が下がる」

「こうでなければ、一家の長は務まらないよ。ほら、そう、家族、一家のな……ああ家族、家族だ……ああ…」突然、キャプテンの瞳から、星にいた時のものとは違い、大量に大粒の涙が出た。涙は無重力の操縦室を漂った。

「大丈夫か。どこが痛む?」相棒がキャプテンの顔を覗き込む。

「違う。痛むのではない。急に家族が懐かしくなって。情けないな。これでは人の事を言えない」キャプテンは涙を手で拭いながら言った。

「何を言うんだ。キャプテン、あんたは立派に仕事を勤め上げたじゃないか。今まで音を上げなかったことが逆におかしいくらいだ。誰だって家族が恋しいさ」

「すまない。本当にすまない」

「飯を食ったらあんたはコールドスリープに入るといい。ずっと気を張ってたんだろ?ここに来て気が緩んだんだ。故郷に帰るまで船のことは俺に任せてくれ。帰りは俺がキャプテンだ」

 相棒は、キャプテンが自分にしたのと同じように彼女の肩を軽く叩き、彼女を落ち着かせた。

「感謝するよ。しかしなぁ、家族に会うまで泣くもんかと決めていたのに」キャプテンの涙は止まっていた。

「実を言うと、俺も泣きそうになったんだ。宇宙に出た途端、目の前に女房と子供たちがいてさ、幻覚なのは分かってるんだけどな。そしたら急に目のあたりが熱くなってきて…。だから話題を作って堪えようとしてたら」

「俺が先に泣き出したということか」

「そういうこと」

『ふふっ』その直後、操縦室に二人の笑声が響いた。

「ははは、ったく俺たち、泣いたり笑ったり忙しいなあ」腹を抱えて笑うキャプテン。

「おいおい、俺はまだ泣いてないぞ」

「でも泣こうとしてただろ。」

「だが泣かなかった。我慢したぞ」

「うん。偉いぞ。強くなったな。では次の仕事の時はお前がキャプテンだ」

「そんなに爆笑しているやつに任命されても実感ないっての」

『たはは』溜まらず、またしても二人同時に吹き出す。

「こんなに笑ったのは久しぶりだよ。なんだか余計に腹が減っちまったな」キャプテンは抱えていた腹を今度はさすり始めた。

「まったくだ。いい加減、飯にするか」

 そう言って相棒は赤い星の画像を消し、ベルトを外して座席を蹴り、宙を舞い、操縦室の側面のキャノピーに身体を近づけて、そこに広がる大きな水の星に向けて喋った。

「おい、水の星よ。俺たちは帰るが、遠い未来、俺たちの子孫がお前のところへやって来るだろう。その時までちゃんと水をたっぷり残しておけよ。それからナノマシンども、しっかり働けよ。腹の中の子供たちが進化して海へ、陸へと渡って行けるようにちゃんと守ってくれ。頼んだぞ」

 その様子を見ていたキャプテンは、脆弱だったあいつの精神まで進化させてしまったのかもしれないと心の中で独りごちた。

 自動操縦の宇宙船は惑星系の端を目指し飛び続け、端に着いたと同時にスペースワープドライブが起動し、光速を超える早さで二人の母星へ向けて飛び去った。


 宇宙船の中で数ヶ月の時間が流れ、スペースワープドライブによる飛行が終了すると、宇宙船は二人の母星が存在する宙域に辿り着いた。

 二人は故郷に帰ってきたのである。

「やっと帰ってきたぞ。家族は元気でいるかな」

 相棒が嬉しそうに言う。

「元気だろうさ。こっちはコールドスリープから目覚めてまだ頭がぼーっとしてるよ。やはりコールドスリープは数ヶ月単位では身体に良くないな。だるくてしょうがない」

 隣に座るキャプテンが片手で頭をさすりながら言った。

「家族に会えばそんなもの吹き飛ぶさ。さあ、キャプテン、命令を」

「急かすな。まずは入国管理局に通信を繋げろ。着陸許可を貰わにゃならん」

「了解。通信開始」

 相棒は通信回線を開き、HUDに通信映像を映した。しかし、応答は無く、砂嵐のままだ。何度か試みたものの、結果は変わらなかった。

「あれ?おかしいな、誰も出ない」

「また通信網が乱れているんだろう。俺たちが出発する前からちっとも変わっとらん。仕方ない、次はラグランジュポイントにある宇宙空港の管制塔に繋いでみろ」

「よーし、タワー、応答せよ。こちらは…」

 相棒は所属先と船の名前、乗組員の名前を読み上げたが、こちらも同様に応答する者はいなかった。

「なんなんだ。タワーにはレーザー通信で呼び掛けているんだぞ。繋がらないわけがない」相棒に焦りが出る。

「きっと大規模な通信障害が発生しているんだよ。こうなったら直接、宇宙空港に向かおう」

「まったくもう。遠い宇宙で偉業を果たして来たってのに、誰もお出迎え無しとはね。淋しいよ」

「無事に帰ってこれたんだ。これくらい我慢しろ。とにかく宇宙空港へ行ってそこで家族に連絡を取ろう」

「そうだな。家族が迎えてくれさえすれば、俺はそれで満足だよ。女房のことだ、ご馳走をたくさんこしらえて祝ってくれるぞ。キャプテンもどうだい、あんたとご家族も招待するよ」

 どうやら相棒は気持ちを切り替える術も身に付けたらしい。焦りはすぐに無くなった。

「それは名案だな。なら早く行こう。帰りはお前がキャプテンなんだろ?」

「そうだった。それじゃあ発進だ。全速前進!」斯くして、宇宙船はラグランジュポイントへ向かった。


 ラグランジュポイントにある宇宙空港に到着した二人がそこで見たものは、信じ難い光景だった。

 本来そこにあるはずの宇宙空港が瓦礫の廃墟と化していたのだ。

 宇宙空港の象徴でもあるマスドライバーは先端が大きくひしゃげ、宇宙船の停泊所は、大破した宇宙戦艦が座礁していて降りられそうになく、管制塔に関しては、―熱線で吹き飛ばされたのか―頂上の管制室が完全に無くなっていた。

 貨物搬入口には、がらくたや、かつて人だったものがたくさん漂流しており、空港のロビーも同じ状態だった。これでは誰も応答するわけがない。

 その光景に相棒は思わず叫んだ。

「これは一体、何事だ!!何が起きたんだ!!」

「落ち着け。何か空港全体を巻き込んだ事故が起きたんだろう。とにかく落ち着くんだ」キャプテンは冷静に相棒を宥めた。

「これが落ち着いていられるか!事故が起きたなら何故救助隊が来ない?あの戦艦は何だ?ここは民間の空港だぞ。こんなところに戦艦があるわけないだろ!」

 多少、精神力が強くなっているとは言え、この惨状には流石の相棒も平常心ではいられなかった。

「救助隊がすぐ来れない何かが、地上で起きているのかもしれない」キャプテンは言い終えてすぐにしまったと思った。

「何かが地上で?それって何だ?生存者がいるかもしれないってのに、これを放置しなければならないほど来れない事が起こったってのか!くっそ!家族は、俺の家族は無事なのか」

 相棒は突然、キーボードを乱暴に叩き、軍用、民間用問わず、片っ端から通信チャンネルを切り替えて地上との連絡を試みた。

「応答せよ。応答せよ。こちら(先ほどと同じく所属先、船名、二人の名前を言う)以上、二名乗船。応答せよ」

 チャンネルを切り替える度に同じ内容を叫ぶが誰も出なかった。

「応答せよ!!頼む、誰か応答してくれ。畜生、出てくれよ!」相棒が拳をキーボードに叩きつける。

「しっかりしろ。今しがた空港全体をスキャンしたが生体反応が無かった。ここの連中は全滅しちまったらしい。一旦ここを離れよう。この宙域だけ一切の電波が届かなくなっているのかもしれない」

 ここは経験の差だった。キャプテンは冷静に事態を判断し、適格に相棒に指示を出す。

「いいか。移動しながら引き続き、全チャンネルに呼び掛けるんだ。通信が回復すれば、必ず誰かが出てくれる」

「………」相棒の返事がない。

「呼び掛けろ!!」

「ぐっ…了解」相棒は我にかえり再び、チャンネルに呼び掛けた。

 キャプテンは船を操舵し、宇宙空港の廃墟を後にした。移動の最中、救助船にすれ違うことはなく、代わりに、戦艦の残骸が漂っているのを何度か見かけただけだった。

 結局、どのチャンネルにも何者かが出る気配はなく、相棒は落胆して通信回線を切った。

「駄目だ。誰も出やしない」

 宇宙船の前方には、宇宙(そら)の惨状など、まるで気にも留めずに、二人の母星がキャノピーに収まりきらないほどそこに鎮座していた。二人にとって母星が残ってくれていることだけが唯一の救いだった。

「俺たちの留守中に一体何が起きたんだ?」

 キャプテンは右手の親指を顎に付けて思案した。

 星のすぐ上がこんな有り様になっているのに、二人の宇宙船以外、行き交う船は全くおらず、地上から上がってくる船も確認できなかった。


「…恐らくだが、俺たちが発ったあと、地上と宇宙(そら)の両方で大規模な何かが起きたんだ」

「大規模な何かって何だよ。―――おい、まさか」

「その結果が、空港のあの有様と繋がらない通信、そして戦艦のデブリを生み出したんだ。そう――」

 キャプテンが告げようとするが、相棒がそれを遮る。

「やめろ。よせ、言うな」

 構わずキャプテンは、すぅと静かにひと呼吸して告げた。

「“戦争“が起きたんだ」

「ううっ――――」

 相棒は声にならない叫び声を上げた。

 それとほぼ同時に、前方の星の地表に一点の小さな光が灯った。

 その光は瞬きをする間もなく膨張し、灰色の球状の雲になって地表から上空へ登っていった。

 その様子の一部始終を見逃さなかったキャプテンは透かさず光が発生した地点をズームしてみせた。

「おい、あの辺りは知っているな!?」

 叫び声を上げたあと放心状態になっていた相棒の肩を揺すりながらキャプテンは問い掛けた。

「ああ…、よく知っているよ…、俺のお袋の生まれ故郷の辺りだ。ガキの頃、よく親父とお袋に連れられて除染作業に行ったもの…」絞り出すような声で相棒が応える。

 ズームした地点は、球状の雲が登ったあとに発生した、灰色の雲に覆われて地上の様子を見ることができなくなっていた。

「あの光は爆光だな。叫んでもいいから聞いてくれ。光が膨れ上がってすぐにあの奇抜な雲ができた。一瞬にしてだ。あの雲が何か分かるか?」

「分かる。学校の歴史の授業で昔の記録映像を散々見させられたからな」

 相棒は今度は叫ぶことはなく、静かに淡々と語った。

「あれは核爆発の雲だ」

「そうだ。あの忌々しい核兵器の、な」キャプテンは唇を噛み締めて言った。

「何でまたあんなものを。俺たちの世代は先祖たちの犯した過ちに気付いたんじゃなかったのか」

「皆一度は気付いただろう。そのことに気付いた指導者は過ちを繰り返さぬよう、良い政治をしようとした。でも結局、戦争が起きた。多分、今度の戦争で核兵器が使われたのはあれが初めてじゃない」

「初めてじゃないって?だとしたらあんなものが地上のあちこちで使われているってのか。俺の家はどうなってるんだ!?何か、何か地上の状況を知る手立ては無いのか」相棒の脳裏に家族の姿がよぎる。

「ああ、愛しのジェララ、おまえの顔が見たい。ガルフィン、帰ったら山登りをする約束だったな。ニェルミアには本を読んでやらなきゃならないのに」相棒は家族に思いを張り巡らせた。

「家族が心配だ。それに何故、戦争が起きたのか発端が知りたい」と告げるキャプテン。

「どうする?」相棒はキャプテンの顔を見た。

 彼女は何か決心したような眼差しで地上を見つめていた。

「地上へ降りるぞ」

「降りるだと!?許可無しで降りたら、領空侵犯で撃墜されるぞ」

「いや、これだけ応答が無いとなると、入国管理局の連中は今頃、本部ごと蒸発しちまってるだろう。だから直接降りて家族の無事を確かめる。それに、燃料もほとんど残ってないしな」

「戦争の流れ弾に当たったらどうする?」

「うまく避けるさ。俺の腕を信用しろ」

「選択の余地はなし。か」

「そうと決まれば行くぞ。家族が見つかったら、もう少し大きめの宇宙船を手に入れて全員でこの星を脱出する」

「脱出するたって、どこに逃げるんだ?」

「あるだろ。疎開するのに最適な場所が。しかも、まだ俺とお前しか知らない、秘密の場所さ」

 大気圏へ突入準備に入ったキャプテンは自信たっぷりに応えてみせた。

「あんたと俺だけ?――ひょっとしてあの水の星か?」

「その通り。環境も安定しているし、陸も海も放射能に汚染されていない。何より、戦争を起こす馬鹿がいないってのが好条件だね」

「確かにここよりは安全だな。しかしまぁ、ホントにあんたって人は、どんな時でも諦めないんだな」

「俺は諦めるというのが苦手でね。ウチの旦那もそこに惚れたって言ってるよ」

「旦那さんとお子さんたち、無事だといいな」

「きっと無事さ。もちろん、お前の家族もな」

 宇宙船は前方の地上に対し斜めの姿勢で降下していく。

 船体が断熱圧縮された空気で熱され高温に達すると、宇宙船は流星の如く光り始めた。

 船内は激しい振動にさらされていたが、二人はもろともせず、必ず地表に辿り着いて家族を戦火から助け出すことだけを考えていた。

「みんな、必ず生きていてくれ…!」

「みんな、父ちゃんが今行くからな!」

 流星となった宇宙船は、大気と重力の世界へと深く落ちていった――。


 数年後、二人の故郷の星は核戦争によって破壊し尽くされ、生物が住めない死の星となった。

 二人が家族を連れて星を脱出できたかどうかは定かではない。


 長い刻が流れた。

 二人が去っあとの水の星に突然、異変が起きた。

 海洋が消失し、水は極冠に氷となって僅かに残るのみとなり、ナノマシンの繭は数十億年の耐用年数を迎えて金属粒子と化しその中の原核生物たちは乾燥した大地に放出され、海を見ることなく死に絶えた。

 極冠の氷の中にも繭は現存していたが、分厚い氷によって凍結されたことで永久的に封印された。

 大気の主成分のほとんどは二酸化炭素が占め、その二酸化炭素がナノマシンの成れの果てである金属粒子を赤く錆びた酸化鉄の塵に変え、塵は風に流され星を赤く染めた。

 一方、あの熔岩とマグマの原始惑星は順調に成長し続けていた。マグマの海が、星を形作った岩石が持つ水分を暖めて蒸気に変え、その蒸気が大気を作り雨を降らせた。雨は長い間降り続け、溶岩とマグマを冷やし陸地と広大な海洋を作り出した。

 その海で自然的に原核生物が生まれ、進化、繁栄、絶滅を繰り返し、多種多様な生物が惑星を埋め尽くした。

 その進化の延長線上に〈人類〉という知的生命体が現れ、彼等は文明を築き、宇宙について研究を始めた。

 宇宙に好奇心を掻き立てられた人類は自分たちの住む星を〈地球〉と名付け、地球が属する惑星系を〈太陽系〉と呼んだ。

 そして、キャプテンと相棒が降り立ったあの惑星を〈火星〉と名付けたのである。

 人類の文明は時代が進むに連れて高度化しついには宇宙に進出するまでに至った。

 しかし、何故火星の水が殆ど失われ、乾いた大地の星に変わり果ててしまったのか―――それは彼等の叡智を以ってしても原因は謎のままである。

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― 新着の感想 ―
[一言] 素晴らしい作品ですね! ☆5個つけさせて頂きました。 これからも頑張って下さい! 応援してます。
2021/11/12 20:47 退会済み
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