幻覚か現実か分からないのに、嬉しくて言葉がでないみたいだ
百人一首の昔から、廣澤の池は月見の名所であり、日本人は儚い胸のうちを澄んだ月に重ねて恋の歌にしてきた。
愛しい恋人を想う歌、切ない片思いの成就を祈る歌、過去の甘酸っぱい恋を思い出して胸がキュンとする歌。
リョウとユウコの結婚と別れは幻影か現実か、
一旦終わりを迎えた2人は今はこれ迄意志の疎通の無い間柄だったが、この日、中秋の名月の夜だけは会って話ができるという。
西の愛宕山に日が沈んで空がオレンジ色になって紅葉を照らす月見台はまだまだ明るくて美しく、リョウの横顔を照らしている。
今日はまだユウコは出てきていないが、本当に今夜、幽霊になって傍にいるはずのユウコと話ができるのだろうかと、リョウの心は期待と不安が入り混じる。
リョウは観世水の黄緑色の柄のはいった扇を持って、半年前に習った仕舞の動きを付けながら目でユウコを探した。
ふと、うしろに全身の毛が立つような気配を感じ振り返ると、夢で聞いたとおりユウコが小さな声でリョウの名前を呼んだ。
リョウはこれは夢なのだと分かっていながら、覚めないでくれ、と自分のうちの何かに祈りながら、一語一句ユウコの言葉を聞き漏らすまいと思っていたが、
決められた台本の台詞がない自分の口からは何ひとつ言いたい言葉が出てこなかった。
ユウコは、いつか病院でリョウのことを想っているうちに意識が遠のき、気がつくと気持ちのままにリョウの日常が見えるようになったのだと言いながら泣いていた。
月夜に浮かぶユウコとの時間は夢の中のようで触れることは叶わなかったが、それでもすぐ前にリョウが聞きたかった懐かしい声がはっきりと聞き取れることが嬉しくて、二人は色々なことを話して過ごした。
リョウがこれから仕事で目標とすべきこと、スドウが取ってくる仕事への取り組み、マサシのことや亡くなったハヤトのこと。
ユウコからは、どの話題をとっても聞いても聞かなくても良い程度の、どちらでも良い、というような返答ばかりだったが、
とにかく2人で言葉のやり取りが出来ることを楽しめた。
話し方や言葉遣いは以前とは変わり、ユウコはリョウにとって13歳年上の先生ではなく、少し年上の元妻という間柄に自然に変わっていくようだった。
りょうは、自分が何のために一所懸命ギリギリまで頑張って仕事をしているのか分からなくなっているのだから。
ユウコが話している後ろで、月影に隠れながら幽霊になっているハヤトが心配そうにずっとリョウを見つめていたので、
リョウにもうっすらと、ハヤトの気配が判るように思われた。
ユウコはハヤトといるの?
ユウコの返答から、ハヤトはスドウにしか見えなかったのに拝まれて退散したことを聞いたリョウは、
そんなスドウにユウコが見えることを言わなくて良かったかもしれないと思った。