僕は、いったい何を成し遂げるために生きているんだっけ?
リョウの首都圏での撮影は朝早くから夜中までだったり、ほんの1時間ほどのシーンだけを何週間も撮るために通ったり、オンとオフの境目が無いまま過ぎていった。
それでも、ふと気がつくと傍に幽霊のユウコがいてくれることがリョウの日々の仕事への頑張りを支えていた。
スドウに拝まれてしまうので姿を現しにくい幽霊のハヤトはマサシに興味があるようで、
時々妙な風を吹かせたり寝ている布団をずらしたりして遊んでいるが、マサシはまるでおかまいなしだ。
ユウコの表情でしか意思がわからないリョウにとっては本当にユウコが自分に望んでくれていることが分からなくてモヤモヤした気持ちを募らせてきている頃、
中秋の名月と言われる旧暦8月15日、1年で一番明るく輝いて澄んだ満月のこの夜だけは普通に話ができるのだとある夜ユウコが夢でリョウに教えた。
目覚めてしばらくしてリョウは、
もし本当に実現するならば、今年の旧暦8月15日は10月1日なので前日から京都の家に移動して月見台でユウコに会いたい、会えたら何を聞こうか、と、リョウの頭のなかは整理が付かない。
幽霊のユウコは、同じく幽霊のハヤトに教えてもらったようにリョウが眠った後に夢に出るための努力をしてきたことがようやく実り、
初めての中秋の名月の逢瀬が待ち遠しい。
ユウコとハヤトは佛教でいわれるところの浄土やキリスト教でいう天国には存在せず、生きた人間の世界にも存在していないので、
自分達がどうなるのかを知りたいと思いながらも現世との関わりが消滅することからは逃れたい、という様子である。
スドウとマサシより2日早く京都に向かうため、神奈川の撮影所から新横浜に出て新幹線に乗り2時間弱で京都に着いたリョウは、廣澤の池でタクシーを降りた。
何年も前にユウコと並んで歩いた道は今も変わりない景観のままで、人の時間の流れと自然界の時間の流れとのものさしの違いを感じさせられた。
リョウはユウコが死んでからも丁寧に仕事に向き合いつづけた結果としてそれなりの評価をあげ、何年も先までいくらでもやってくるオファーをスドウがなんとか日程調整している、という状態だが、
リョウの心の中は満たされなかった。
幽霊のユウコは穏やかな表情で時おり傍にいることもあるが、
人を感動させる仕事にどれだけ打ち込んでものめり込んでも、リョウ自身のオフは体調を整えるかレッスンだけで過ぎていく。
マサシはもちろん、スドウとて仕事の成功や失敗をつぶさに語り合える相手ではない。
日本では、演じるという業界で安定した立ち位置を得つつあるリョウも20代後半になった。
まるで絵を見ているように何組もの青鷺の親子が翔び上がったり着水したりしている廣澤の池の水天宮ではちょうど時代劇の撮影が行われてるようなので、リョウは撮影スタッフの誰にも気づかれないようフードを目深にかぶって竹藪の道を奥へ進んでいった。
明日は、旧暦8月15日にあたる日だ。