人間でなくなった君はもう時間の流れは関係ないんだね
京都では、リョウは週に一度能楽師を招いて仕舞を習っている。
リョウにとっては舞の前後に能楽師と能の世界の幽霊や精霊の話をするとき、スドウにも言えないゴースト妻のユウコとのことを話せているようで心が安らぐ。
能楽師も役者だが、旧くは藩おかかえの管職公務員だったのに武家のしくみが消えた明治にフリーになったような経緯があり、基本的には国をあげて守ってもらえら伝統芸能という枠組みにある。
リョウが借りている家には20畳ほどの広さの月見台デッキがあるので、雨でなければ茣蓙を敷き詰めて仕舞が稽古でき、四季を五感で感じることができる。
そもそも能は古い時代のミュージカルで、仕舞は能の話のメインの部分を面を付けずに舞うのだが、
多くの演目を理解するためにそれぞれのシーンや登場人物を知り、日本古来の風土や自然の感じ方を学ぶことになる。
そんな仕舞のレッスンをリョウが望んだのは、海外進出の際の強みにするためだけではなく、
能の世界では幽霊や精霊が普通に登場して人間と話をするからだった。
この月見台デッキを備えた邸宅を借りるよう仕組んだのも幽霊になったユウコだったので、
リョウの仕舞の稽古の時はいつも嬉しそうにどこかの桜の樹に腰かけて機嫌良さそうな表情で見おろしている。
ユウコのとなりには幽霊になったハヤトもいるのだが、ハヤトはスドウにしか見えないし、幽霊になったユウコとハヤトの会話はリョウにもスドウにも聞こえない。
スドウはリビングで能楽師のための粗茶とお菓子を用意しながら、京都の家を管理してくれる植木畑の所有者に家事も見てくれるよう電話で交渉している。
能ではよく、謎の人物が現れて僧にある場所に行けと指示したりその場所のゆかりを話したりして、
やがて謎の人物の正体が明かされるとたいてい幽霊や精霊で、なぜ自分が霊になったのかといういきさつを僧に話して美しく哀しく成仏していく、という話が多い。
霊が自分の生前の行いを再現するところは能の舞としてメインの見せ場となり、人に自分の行いを話すことで、自分が犯した罪が許される、という仏教に基づくものもある。
ユウコはリョウのことばかり考えていて正気を失うように闘病中に絶命したので、本人は死んだことに驚きつつ毎日耐えていた痛みもない身体でどこにでもいける幽霊でいることが嬉しい。
スドウのそばにはハヤトがいて、ユウコに照れながら挨拶してきてくれ、いつからかたいてい2体でリョウとハヤトの周りに留まっているのだが、
ハヤトは高いところから見下ろすのを嫌がって樹の上からリョウやスドウを見ることは避けていた。
ユウコが亡くなった感じがしない今のリョウはほう寂しくはなかったが、
能ではユウコのような霊は成仏して消え去ることになっているのが、気がかりだった。