俺1:アリス
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『―ねえ。覚えている?』
アリスは俺の瞳を覗き込んで言った。それから、いたずらっぽく微笑んだ。
『何を?』
俺は目をそらし、窓の向こう側の巨大な積乱雲と、水色に煌めく空に焦点をあわせた。
八月の最初の日曜日の午後だった。
俺とアリスは誰もいない教室に忍び込み、凍る直前まで冷やしたウィルキンソンで乾杯していた。夏休みの高校の校舎に人の気配はなく、遠くで運動部の揃った声やら、金属バットがボールを跳ね返す音が繰り返しこだましているだけだった。
『覚えていないの?』
彼女は微かに哀しそうに呟いた。
『だから何を?』
俺は額から流れる汗を手の甲で拭った。
蒼井アリスと俺は、幼稚園から高校一年生の現在までずっと同じクラスの幼馴染だ。
根暗なひねくれものの俺とは違い、アリスは誰からも好かれる向日葵のような明るい女子だった。そしてなにより、目鼻立ちがくっきりとした美人だった。
『えーとね。』
彼女はそう言いながら、肩までの黒い髪をさっと手ですく。『忘れちゃった。』
『なんだ、それ。』
俺は苦笑して、ウィルキンソンを飲み干した。
ともあれアリスは昔から、こういう天然なところがあるのだった。
『それよりさー。』
アリスはごまかすように身体を左右に振った。それにあわせ、白い半袖のセーラー服と胸元の水色のリボンがふわふわと揺れる。
『ああ。暑いからさっさと本題をすまそう。』
俺はそう答えて、アリスの大きな瞳を覗き込んだ。そこには積乱雲の影が映っている。
『うん。休憩終わり。』
彼女は息をついた。そしてゆっくりと教室を横切り、黒板の前まで歩いた。俺は彼女の背中と、彼女が黒板に描きかけた絵を交互に見つめた。