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4話

 狭いキッチンを右往左往しつつ、高縁は夕食の支度に邁進していた。


 高縁の自宅は学校とサボり場所の神社のちょうど中間あたりにあるマンションの603号室。華やかりしバブルの時代に建てられたリゾートマンションだが、周辺は田畑だらけの景観からは浮いているし、日照権の問題でご近所からの評判は良くない。中身も相応で、廊下の壁は所々剥がれているし、そこに侘び寂びを見出そうとしても、一階を占拠した中国人が勝手に始めたであろう中華料理屋の油っ気と派手な看板で何もかもぶち壊しだ。


「で、ナオミンはその転校生とイチャツイついてたと」

「ええ、そうです警部殿。その時間ナオミンと綴里さんを目撃したという証言もアガっています」


 高縁は生野菜の詰め合わせを皿に開けて、冷蔵庫からコンビーフを探る。元が中期滞在者向けの部屋なので冷蔵庫は結構小さめ。当然中身はぎゅうぎゅう詰めだ。賃貸契約の都合上勝手に変えられないのは痛い。


「もう一押し何かが欲しいな汐美くん」

「は!警部殿!容疑者は複数恋愛ゲームを購入しておりますが、最初に攻略するヒロインは黒髪ロングと決まっております!」

「……間違いないわね」

「はい!ちょっとわかり易すぎて幼馴染でもぶっちゃけキモいです!」

「クロだわ……。黒髪だけに…」


 沈黙。テレビの中で二束三文のひな壇芸人たちが大爆笑している。


「……だそうだナオミン。いい加減吐きなよー。テキサスのご両親が泣いているよー」

「なんだよテキサスって」

「全スルーは傷つくわぁ……」


 部活から帰って来た汐美と、その姉である名塚夏美(なづかなつみ)が昼間の話で盛り上がっているのを無視し続けること三十分、ついに高縁は絶えきれずにツッコんだ。


「だって高縁のパパとママ外国じゃん」

「イヤそうだけどさ……」


 高縁の両親は外国にそろって仕事に出ていた。色々な国を転々としていて、連絡も疎遠。ガキのうちから連れ回すのも良くないという理由なのか、隣家である名塚家に世話を頼んだのだろう。と納得している。


「今何処だっけ?スイス?」

「イタリアだったかな」


 ただ、実際は殆ど逆と言っても良い。汐美と夏美はそろって家事全般が致命的に出来ないのだ。汐美は小学校の調理実習でボヤを起こし、夏美姉はほぼ同じ理由で職場の独身寮を追い出された。そんな二人が合わさった結果、洗濯機で火災報知器を作動させる偉業を達成し、ちょっとした記事になった。その悲劇を教訓に、二人は寝る時と風呂以外は大抵高縁の部屋で過ごしている。


「ナオミンに私以外の友達が出来たって知ったら直行便で帰ってくると思うよ」

「んなアホな。正月だって帰ってこないのに」


 高縁は冗談半分で「葬式にでもなりゃ帰ってくるかもな」と呟いてみた。夏美は「そういうの良くないわ」と保護者然とした顔で言うが、顔がほんのり赤く息が酒臭いので説得力が無い。高縁はテーブルに転がるビールの350ml缶を見つけて顔をしかめる。


「ソレくらいにしときなよ。明日仕事でしょうが」

「まぁまぁ良いじゃない?警察と消防と軍隊は暇なのが一番よ~」


 すみません、お暇と勤務時間外は違うと思うんですが。と高縁は思った。信じられないことに夏美は県警のお巡りさんであり、手帳も持っている。階級は巡査。日本警察上位5%の上澄みたる警部などではない。そうだとしたら格下になる95%が可哀想だ。


「ほら、もう飯出来たから。コレ以上飲むと吐くよ」

「へいへい、わかりましたよ―っと」


 高縁は夏美の手から三本目を奪い取り、冷蔵庫に押し込んだ。返す刀でさっさと生姜焼きとサラダをテーブルに置いていく。茶碗はリレー方式で戸棚から夏美が手渡して、汐美に盛り付けてもらう。頂きます。と呟いてようやく高縁は一段落ついた。もっとも、食事には手を付けずに、スマートフォンを取り出す。


「ちょっとナオミン。行儀悪い」


 夏美が眉間にシワを寄せた。対照的に汐美は口角を吊り上げてゲスい表情を浮かべている。高縁自身、普段ならこんな事はしない筈なのに、どうしたものかと思っていた。ただ、知的欲求というか、焦りのようなものに突き動かされているのは何となくわかっている。


「相手は?やっぱり綴里さん?」


 汐美はいつまでそのネタで引っ張るんだと思いつつ、高縁は「違う」とだけ返した。ツイッターを起動し、検索欄に「噛みつき病 水城市」と入れてみる。思ったより引っ掛かるツイートは多い。が、どれもそういう噂があるらしい。とか、一目で不味いとわかるリンクがあったり、怪しい宗教みたいなポエムが付いていたり、オカルト情報を呟くbotだったり。有るツイートには長文を画像に変換したものを添付してあったので読んでみる。バンテックが日本政府や米軍に頼まれて化学兵器を作ってるという諭旨の文章だった。結構リツイートされていたが、した側はおふざけのつもりに違いない。


 結構なことだ。と高縁は思う。そんな強かな連中が舵取りをしているならこの国はしばらく安泰だろう。


 結局、その後も幾つか情報の集まりそうなところを巡って見るが貴重なパケットを浪費するばかりで、めぼしい情報は得られなかった。諦めてスマートフォンをしまう。よくあることじゃないか、全国規模の商品が特定の地域には売っていないことなんて。それに、それがこの都市伝説に繋がる証拠が有るわけでもないし。どうにも納得できない感情を抑え、高縁はそれを夕飯と一緒に飲み込むことに努めた。


「ときにナオミン」


 汐美が唐突に口を開いた。何時になく真剣な口調だ。高縁が「なにさ」と返すと汐美はちらと宙を見遣ったあと、ポリポリと頬を掻く。


「明後日さ……神守君たちとライブ行くんだけど一緒に行かない?」

「ごめんパス」

「はやっ」


 汐美と夏美がずっこける。タイミングもポーズも一糸違わぬ揃いっぷりだった。こういうところを見ると、姉妹だなぁ。と改めて実感する。


「ちょっとは悩んでよ」

「うーん、謝ったほうがいいかな?」

「そこじゃなくて」


 汐美はいつの間にか取り出したのか、四枚組のチケットを扇子のようにペラペラと扇いでいる。過剰な装飾がなされたチケットには、最近テレビでよく見るアイドルグループの名前が入っていた。全国ツアーやるとかいう広告をどこかで見た気がする。


「いや、ドタキャンくらってさ。チケット余っちゃって」


 言い訳するような口調。いや頭数には元々入ってないんかい。と高縁もずっこけそうになった。インドアなオタクが誘われて行くようなところではないと少し考えれば分かることだが、こうあからさまに数合わせ要員と宣言されると行く気もなくなる。


「第一チケットが余るってどういうことだよ?譲ってもらったのか?」

「あんまり捌けなかったからバラまいてるんだって。たまたま回ってきたの」

「良いのかそれ?」


 新手の詐欺じゃないだろうなと高縁は思った。着いていったら壷とか買わされそうだ。


「数合わせなら他当たれよ」

「他あたってもダメだから誘ってるの」


 ますます行く気が失せる。高縁の思考回路は既にどう断るかのシミュレーションに入っていた。といっても断わる理由は中々思いつくものではない。


「夏美姉は?」


 高縁はとりあえず矛先を逸らしてみるが、「仕事。夜勤有るし無理だわ」そういって刎ねられてしまった。


「それとも私と行くの嫌って言うわけ?」


 そうだよ。


 と言い掛けて高縁は思わず口を噤んだ。この言葉だけは絶対に言ってはいけなかった。だが、汐美はこういう機微には敏感な人間だった。高縁が動揺したのも、その訳もお見通し。そう言わんばかりに険しい顔付きになる。テーブルの反対側から肩を掴み、ぐいっと顔を近づけ「それって…」とそのまま襟首を掴まんとする気迫。


「汐美。ストップストップ」


 どうどう。と夏美姉が諌めるようとするが、「私は馬か!?」と汐美は逆上した。


「まぁまぁまぁ…先約が居たりするって可能性もあるじゃない?」


 夏美姉ナイス。と高縁は心中でガッツポーズした。汐美の腕から力が抜け、糸が切れたように高縁に寄り掛かる。が、静寂は一瞬しか続かなかった。痛いほどの握力で肩をホールドされ、高縁の視界は強制的に固定される。水面からゆっくりと体躯を表すゴジラのように、視界の下端から汐美の濁った目がジワジワと上昇してくる。


「本当に…?昼間はあんなに否定してたよね……?」

「ノーコメントでお願いします」


 そんなこと言ったらお前だって昼間は散々嗅ぎ回ってた癖に。などと言えるはずもないので、高縁は曖昧に返した。それに汐美は沈黙で答える。言語の代わりにこちらを舐め回すような視線が汐美の心情がどんなものか示していた。


 背中に氷を注がれたような寒気と居心地の悪さに、高縁は泣き出さないよう堪えるので必死だった。直ぐそこに居る本職よりも、よっぽど取り調べやら拷問やらに向いている。


 永遠にも思えるような数十秒が過ぎた後、汐美はようやく口を開いた。


「まぁ、そういう事にしといてあげるよ。そのかわり後でしっかりとお話聞かせてね」


 高縁は安堵半分、憂鬱が半分の息を吐く。不可能に近い辻褄合わせをどうするか。それはとりあえず後で考えることにした。


 それからは会話らしい会話もなく、三人はひたすら味のない食事を掻き込み続けた。食後のリラックスタイムなど有るはずもなく、流れ解散となった。高縁は別れの挨拶も兼ねて夏美の起床時間を聞く。出勤が早いと弁当をこしらえて、モーニングコールもしなければならない。


「すみません、さっきは助かりました」


 汐美が一足先に帰ったのを見計らって、高縁は夏美に声を掛ける。玄関から向こうでは他人行儀で話すのが暗黙のルールだった。親しくても他人は他人なのだ。


「いいのよ」と夏美は笑った。どこか自嘲気味な雰囲気があった。


「仲良くさせてもらってるのは、私達の方だもの」


 皮肉ではないことは、お互いによく承知している。長い付き合いの中で色々有る内に、高縁には姉妹に絶縁を叩きつけても文句は言われないほどのツケが溜まっている。家事の件を差し引いても。最も高縁にはそのつもりは毛頭ないし姉妹が自活を試みる事で生じる二次災害に比べれば余程マシだ。


 だから他人の意思を尊重する、嫌だと言われればそこには触らない、引き摺らない。その線引をすることで三人の関係は破綻の危機を乗り切ってきた。


「でも、私を介してって言うのは感心しない。かな」


 高縁は短く唸った。痛い所を突かれるとはこういうことを言う。「すみません」ともう一度呟く。


「でもしようがないか。色々有ったしね」


 もしかしたら、自分が汐美と、体面だけでも仲良くしているのは、この人を困らせたり悲しませたりしたりしたくないからなのかもしれない。と高縁は思う。酒で酔っ払ったりするのも、自分たちの年長者を引き受けているストレスだって一因のはずだ。


「おやすみなさい」と改めて手を振り、夏美は玄関から出ていった。自分たちの関係は一体どこでこうも拗れてしまったのか。高縁は心に残るしこりに見て見ぬ振りを決め込むと、残る家事をどう片付けるかに意識を集中させていった。


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