九輪目
結果、叩いたら埃が思った以上に出てきた。
室長が眉根を寄せる。
「クローン技術と、その更なる強化か……」
クローン技術とは同じ細胞から同じ生物を生み出す技術。遺伝子が全く同じ生物になるのだ。例えば、木の枝を一本折って植えたとしよう。その枝がやがて育ち、木になる。それは折った木と全く同じになる。それがクローンだ。少し強引な説明だが。
それを生物で、特に人間でやるというのは世界的に推奨されていないし、禁止されている国さえある。人間のクローンができた場合、戸籍がどうの、人権がどうのという色々と面倒な事情が浮上して、倫理的にどうか、というのが専らの議題となっている。
なるほど後ろ暗いわけである。禁忌に手を染めていたとは。自分の属する国であるから嘆く──ということはなく、ただただ呆れた。それは国の強欲とも言える本質を知っているからこそであった。
生命学研究室に極秘裏に生体兵器の製造を依頼するくらいだ。彼らは軍事力をつけたいのだろう。科学は時に真剣よりも強い。そういう他国にはない強みを極秘裏に掴んでおきたい。それが力への欲求。
その形の一つが、生命学研究室への依頼の他にもあったのだ。それがカタギリ氏の記憶によって明らかになった「クローン」である。
元々、未知なる可能性を秘めていた生まれたばかりの子どもをクローニングし、その身体能力、頭脳、自己回復能力諸々、人間の出せる限界の能力値まで無理矢理引き上げようと、様々な実験をして、その結果の一つがカタギリ氏であるということがわかった。
そう、カタギリ氏はクローニング強化計画の「結果の一つ」に過ぎない。……つまりは他にもクローンの子どもはいたのだ。薬物投与から遺伝子操作、脳に電流を流すなど、非人道的な実験が行われていたらしい。何十人もの幼い子ども相手に。
クローンに名前などなかった。実験動物に名前をつけないように。カタギリ氏もその例に漏れなかった。
ではカタギリ氏が覚えていたという「ジン」という名称は何なのか。それも記憶の中に答えがあった。
それはクローンの素体──つまりは原型の名前であったのだ。
カタギリ氏が言うにはオリジナルもクローンと同じように訓練されていたのだそうだが、クローニングのための数多の細胞提供のためか、必死に生きようとするクローンたちとは対照的に、ぼんやりしていることが多く、よく研究員に「ジン!」と怒鳴られていたことがカタギリ氏の頭に焼きついていたらしい。
ジン、それがオリジナルの人物の名前。
助手は疑問を抱いていた。ジン、という名前をどこかで見ていたのだ……
「トウルちゃーんっ」
そこそこにシリアスな状況をぶち壊す存在が一名。小柄な女子が助手に飛びついてきた。カタギリ氏が今回の件にあたって助手として連れてきたマフィアの一員だ。そして、子どもと言われても否定のしづらい童顔と背丈の彼女は、トウル・ワトソンとは縁浅からぬ存在──迂遠な言い方を止すならば、幼なじみである。
アイリッシュ・ワーグナー。通称アイリーンである。事務員のアドラー女史と合わせたら、もう某探偵小説のヒロイン完成だな、とぼんやり思った。
問題は、この状況。
「アイリーン、避けて、重い」
「トウルちゃんったら釣れないんだから」
アイリーンは幼少の折より、両手足に重い手枷足枷をつけられて育ったため、抱きつきという名の突進攻撃をされると、いつも力負けするのだ。一撃が重くて。
まさかマフィアになっているとは思わなかった。しかもカタギリ氏のところという大組織の構成員とは。だが、まあ、この力なら、戦闘員として活躍の場が多数あるだろう。なんだか納得してしまった。
ただ、アイリーンは特殊で、幼なじみとしては異常なくらい、トウル・ワトソンに愛情を向けてくる。かつて、水難事故に遭ってから神隠しに遭い、七年もの空白の時間が二人の間にできているからだろう、と判断した。
しかし、再会のたびに抱きつかれると……力の差というものが顕著に表れる。室長にはじと目で見られたが、仕方あるまい。自分ではアイリーンとの力の差をどうしようもないのだ。
態勢がどうなっているか説明すると、アイリーンの抱きつきという突進が勢い余って、トウル・ワトソンの体を地面に押し倒しているというなんとも言えない状況だ。大柄というほどではないが、一般男性並みの体躯の自分が、子どもといっても過言ではない小柄な少女に押し倒されているという光景。どこの恋愛シミュレーションゲームだ。
実験を終えたカタギリ氏も微妙な表情で見守っている。
「私、会った瞬間から我慢してたんだからね! ボスの身の危険を守るのがお仕事だから、今まで我慢してたんだからね!」
子どものように駄々を捏ねるアイリーン。やはり空白の七年分、精神年齢が足りないのではないかと思う。そろそろ室長の視線が氷点下に到達しそうだったため、避けてもらったが。
室長に自分が幼女趣味だと誤解されないためにいくらか弁解をする羽目になった。何をやっているんだろうと思う。アイリーンが飛びついて来なければ、場の空気はそこそこにシリアスだったままである。
そこでふと思いつき、アイリーンの蒼天の瞳に目を合わせると、ぱちりとウインクが返ってきた。どうやら彼女は場を和ませるためになったらしい。おかげで変な空気になったが。
「さあ、帰って報告書の作成だ」
いつもより些か険の滲んだ室長の声に、助手は首を傾げる。振り向くと、アイリーンが室長に向かってべーっと舌を出していた。ガキ臭いことこの上ない。室長も苛ついているのだろう。
「トウルちゃんは私のだもん」
「うちの優秀な助手のワトソンくんをそう易々と渡すものか」
室長の言葉に、ちくりと痛みが胸を刺す。
やはり、室長が評価しているのは室長助手であって、トウル・ワトソンではないのだ、と改めて実感して。
するとその表情変化を見てとったのか、アイリーンが鬼の首を獲ったみたいにふんぞり返る。
「トウルちゃんにそんな顔させる人にこそ、トウルちゃんは渡さないもんねー、だ」
アイリーンのその言葉に心の傷が抉られていく。やはり自分の室長への想いは一方通行の片想いなんだ、と思い知らされているようで……
「お前こそ、ワトソンくんを傷つけているじゃないか」
「貴女が原因ですもん」
アイリーンと室長が目線でばちばち言っている。カタギリ氏が苦笑いする傍ら、助手は頭を抱えた。まさかこの二人の相性が悪いとは。これから苦労しそうだ。
アイリーンは金にも見えるベージュの短髪を揺らして、ふんっと室長から顔を逸らした。先行きが不安だ。
……と、室長とアイリーンの関係より、今は明らかになった政府の闇「クローニング強化人間計画」の洗い出しについて考えないと……
そう思ったところで気づく。
何か、室長がとんでもないことをしそうな予感が……




