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幼馴染の目線(全文)

作者: 雨宮喜代

前回、間違えて短編で上げちゃって連載できないでアレってなってしまいました。

今回は全文を上げなおします!

なんか、なろうってちょっとずつ上げると言うイメージだったけど二万文字一気に上げました。

前回読んでくださった方、中途半端になって申し訳ありませんでした。。。

 一言で言えば子犬みたいな女の子だった。

 小さい頃からずっと、俺の後をついてくる一つ年下の女の子。そんな彼女は物心ついたときには既に、一緒に遊ぶ友達だった。

 今の時代にしては珍しいかもしれない、親同士が仲の良い近所付き合い。その両家に年の近い子供がいれば、その子供同士が仲良くなることも至極当然で、俺と、その女の子は何かをする時は常に行動を共にしていた。

 名は立花日葵たちばなひまり。口数が少ない、大人しい女の子。一緒に遊ぶ友達とは言ったが、実際は俺が色々な事をする時に日葵は隣にいる。俺が子供ながらに無茶なことをすると、日葵は涙目であたふたし。俺が悪戯をすると、一緒になって怒られる。共に遊ぶというより、後ろを付いてくる子犬。

 俺は日葵に対してずっと、そんな印象だったし。それは幼稚園から小学校へと、物語の舞台を変えても変わらなかった。そりゃ、多少は話すようになったさ。でも、やっぱり俺の言うことには従うし、俺が何かをすると必ずと言っていいほど付いてくる。親にスーパーにお使いを頼まれると、狙ったかのように家のチャイムが鳴り一緒に買い物にいく様なそんな感じだ。

 小学校を卒業するという三月。俺は日葵より一年早く中学生へ進学する。小学校から中学校への進学は、同級生たちもほぼ全員が同じ学校に通うので、特に寂しさなどなく。来年度から、制服を身に着け登校するという変化に、大人に一歩近づいたという期待を持つ生徒の方が多いだろう。事実俺もそうだ。

 ただ一人。俺の周りに一人だけ。寂しさを隠そうとせず、今にも泣きだしそうな顔でずっと俺のことを見つめる女の子がいた。

「ようちゃん。来年から中学生になるんだよね。そっか、来年から一年間、ようちゃんと一緒に学校に通えなくなっちゃうんだ」

 二つ並んだ影がアスファルトに移る。橋本陽介と、立花日葵。物心ついたときから、ずっと一緒にいる言わば幼馴染という関係。

 春を間近に控えてるとはいえ、まだ肌寒い。俺の隣で寂しそうな日葵、大げさだとは思うが日葵からすれば、ずっと一緒にいた俺が一年とはいえ、違う道で登校するのはかなりのショックなんだろう。

「別に一年くらいどうってことないだろ。だいたい家が近所なんだから、家に帰れば嫌でも会えるだろう。そんな顔するなよ」

「うん、そうだけどさ。やっぱり寂しい」

 日葵は、視線を足元に落とす。気持ち程度だが歩く速度が落ちたみたいで、俺は悟られないように日葵の歩く速度に合わせた。

 何年も通った道。目を瞑っても家に帰りつくんじゃないかとすら思う。俺は六年間でコイツ五年間。見慣れた風景は、見飽きた風景へと俺の心を動かす。日葵の感傷とは裏腹に、俺は中学校へ通う新たな通学路に心は奪われていた。

 住宅街に入る前にある一軒のコンビニを過ぎると、町の賑わいが背後から消えていく。俺たちは他愛のない話をしながら、小さな子供ですら遊んでいない公園の横を通る。

「あっ、ペロだ」

 公園には見慣れた飼い犬がいた。近所の老夫婦が飼っている模様が白がかった芝犬。いつもこの時間に、飼い主である荒木鉄平が犬のペロの散歩に公園を訪れている。そんなペロは日葵を見つけると、飼い主である荒木さんを他所に一目散に日葵の元へと走った。

「あはは、ペロこんにちは。散歩中だったんだ。よかったねぇペロ。よしよし」

 ペロは日葵に懐いている。それも当然で、ペロもまた俺たちが幼い頃から一緒に遊んだ言わば仲間の様なものであった。もう一人の幼馴染と言っても良いかも知れない。

「荒木さんこんにちは」

 俺は、飼い主に挨拶をする。荒木さんはペロに遅れながらこちらへと歩みを進める。ペロと戯れる日葵を見て、半分以上が白くなってしまった髪の毛の頭をポリポリとかいた。

「全く、飼い主の私よりも日葵ちゃんに懐きよって。このままだと、そのうち私はペロに捨てられるかもしれないな」

 困ったように苦笑するが、その目は優しそうで、微笑ましいとも言える日葵とペロのじゃれあいに幸せを感じているようだった。

「いやいや荒木さん。日葵は、コイツは頭が動物並みだから、動物に好かれやすいんですよ。むしろ、日葵も一緒に飼ってあげてください。エサをあげると喜びますよ」

 冗談の言い合い。けど、冗談のネタにされた日葵は屈んで犬とじゃれあいながらも、むぅっと頬を膨らませ俺を睨んできた。

「違うもんね。ようちゃんも動物さんみたいだもんねー。ペロの方がずっと賢いよ」

 日葵の言葉を理解してかせずか、ペロも元気よく一鳴きする。あー、ペロめ。お前も日葵の味方か? 小さい頃何度も散歩に連れ言ってあげた恩を忘れたのかこの野郎。

「相川らず仲が良いな二人とも」

 荒木さんの言葉に、笑う日葵と、視線を外し小さく否定する俺。何となくもやもやとする気持ちになったが、理由がわからない。

「陽介は来年から中学生だったかな。だんだんと身体つきも男らしくなって。中学生になったら何か部活でも始める予定かい?」

「はい。俺サッカー部に入ろうかと」

 俺の答えに満足した様子の荒木さんは「そうか」と笑顔で頷いた。反応を見るに、きっと荒木さんも学生時代は、バリバリのスポーツ少年だったんじゃないかなと思った。

「ほら、そろそろ帰るぞ」

 放っておくと、永久にペロを撫でていそうな雰囲気を感じ、日葵にそう告げる。一人で先に帰ってもよかったのだが、何となく日葵に悪い気がして出来なかった。

「うん。じゃあねペロ。荒木さんも」

 日葵は立ち上がり大きく頭を下げる。礼儀正しいというか大げさというか、いちいち子供っぽいんだよお前。

「それじゃあ」と、荒木さんとペロに挨拶をすると公園を後にする。慌てた様子で、後ろから日葵が付いてくるのが分かった。日葵はいつもワンテンポ遅いんだ。そして俺と肩を並べると「ふう」と一息つく。

「ようちゃん、早いよー」

 笑いながら日葵は言った。どう考えても俺が早いんじゃなくて、日葵が遅いんだ。

 それから俺たちは言葉を交わさない。無言のまま家路を歩く。別に話したくないわけではないんだが、何年もこうやって一緒に帰ってると話す話題がなくなるんだ。学年が違うから、クラスの話もできない。そういえば、いつも俺から話題を振っていた気がする。

 日葵を見る。ショートヘアの髪は、薄く茶色がかっていた。日葵の親を見ると、髪の毛の色が薄いのはきっと遺伝なんだろう。年齢と比べても幼い容姿、身長も俺の目線一つ違っていた。五年生にもなるのに赤いランドセルに背負わされている。俺のクラスの女子たちは日葵なんかよりずっと大人っぽい。

「どうしたのようちゃん?」

 俺の視線に気が付いたのか、日葵はこちらに顔を向けて笑う。無邪気ともとれる笑顔がこの時はとても稚拙に思えた。来年から中学生という環境が、俺を少しだけ大人にさせると同時に日葵が幼いガキに見え始める。

「ようちゃん?」

 いつまでも黙っている俺に疑問を持ったのか、声色に少し不安が混じっていた。

「ごめん考え事してた、ほら早く帰ろうぜ」

 俺は気を使って、いつも通りな感じで日葵に返事をする。あれ……なんで気を使ってるんだろう? 正直よくわからなかった。

「ようちゃん、春から中学生だね」

 無垢な声。ハーモニカの音色の様だけど子供独特の甘ったるさが残る幼い声だった。声色から日葵が笑っているのがわかった。俺は日葵を見ずに「ああ」と小さく答える。日葵は、俺の素っ気ない返事に気が付いてか、気が付かないでか、スッと俺を追い抜くと、正面まで来て大きく振り返った。日葵らしい可愛い笑顔が俺の心臓をトクンと叩いた。

「中学校入学おめでとう。ようちゃん」

 やめてくれ。本当にやめてくれ。こんな外で、恥ずかしい真似をしないでくれないか。

 日葵に悪意がないのは充分わかる。からかってないのも理解できる。けど、辛かった。心の底から俺におめでとうを言ってる日葵を無視して、隣を素通りして、知らん顔で通り過ぎたい感情に駆られる。けど、長い付き合いという足枷がそうさせてくれない。俺はせいぜい視線を外し嫌味で返すくらいだ。

「まだ入学してないからやめろよ」

「じゃあ、入学してからまた言うね」

 それだけ言うと満足したのか、日葵は視界から消える。と言っても、俺の隣に並んだだけなのだが、俺は内心ほっとした。このまま日葵がうだうだと、つまらない事を言うようだったら、日葵に怒りをぶつけただろう。

 日葵は子供なんだ。それも同学年よりもずっとずっと幼い。きっとそうなんだ。

 俺は無言で歩くと、日葵はついてくる。今日はもう歩く速度を合わせる気分じゃない。今日は充分御守りをしただろう。そう自分に言い聞かせて、俺は家への道を歩いた。





 袖を通すと、少しだけ胸が踊った。

 変化をあまり実感できなかったが、決定的に違う箇所があるじゃないか。学生服。これは、小学校時代にはなかった物だ。

 少し大きめのブレザーの制服は、きっと成長を見越してのものだろう。胸のあたりのゆるんだ空間が、まだ自分は甘ちゃんだと告げれてるようで気恥ずかしさを感じる。けれど制服というのは、毎日スーツに身を包んで出社するサラリーマンと同じような物で、少しだけ世間から大人として扱われた気もした。

「あーあ、陽介もついに中学生か」

 隣りで母親が、しみじみと言った。今日から中学生という新しい一歩を踏み出す息子の隣で、あまりしんみりしないで貰えますか。

「そういえば、日葵ちゃんが陽介の制服姿を見たがっていたわよ。今日そのまま日葵ちゃんの家に寄って帰ってあげたら?」

 日葵という言葉にやきもきした。どうして中学生になるのは俺なのに、日葵の名前が出てくるんだと理不尽だけど怒りを覚える。

 制服姿の俺を見て、きっと日葵は似合うとか格好いいとか言うに違いない。やめてくれよ。こんな、どう見てもまだ制服に着せられているような姿を見て、似合うなんて言われてもイライラするだけだ。それなら、一層のこと見せない方がいい。せめて、ちゃんと俺の身体が成長して、この制服がピッタリ合う時に見せるなら。

「それとも日葵ちゃんをうちに呼ぶ?」

 母親はどうしても制服姿の俺を日葵に見せたいらしいが、俺はどうしても見せたくなかった。なんなら、今世界で一番見せたくない相手かも知れない。そう思うと、この話は平行線で交わることなどないと判断した。

「いいって大袈裟な。もう行くよ」

 強引に会話を終わらせる。時間にはまだ余裕があるけれど、これ以上話したくない。なぜなら母は、日葵が大好きだから。どう転んでも、最終的に生みの親という絶対に逆らえない権利を使ってくるに違いない。

「そう? 行ってらっしゃい? 中学校への道分かる? 小学校と反対だからね」

 わかるから、五月蠅いな。俺は今日から中学生だっていうのに、どうして子ども扱いをするんだ。そんな風に、母親に対して少しの苛立ちを覚えながら俺は家を後にした。

 小学校と反対側。新しい通学路、そして新しい環境での勉強。着慣れない制服に身を包み、まだ馴染んでない鞄を下げ歩き出す。

 満開の桜は、時折小さな風に揺られ桜色を散らす。道路に広がる天然の模様を絨毯に俺は、今日から中学校だと期待を膨らませた。



        ■■■■■



「今日も部活ですか? あ、いえ。ううん大丈夫です。今日はいるかなって寄っただけだから。はい、仕方ないです。それじゃ」

 赤色のランドセル。黄色のスカート。あどけなさの残る幼い顔は、溜め息と共に曇る。

「ようちゃん、忙しいんだよね」

 立花日葵は、今日も橋本家のチャイムを鳴らした。相手の母親の対応も、日に日に申し訳なさそうというのが伺える。まだ気を遣うなんて考えなくてもよい小学六年生の日葵も、内心悪いという気持ちでいっぱいであった。

 気象庁からは梅雨入りが発表され、空は雲に覆われている。それは雨を降らせる準備は整っていますと告げているようで、天を仰げば鼻頭が濡れそうな天気であった。

 立花日葵は踵を返す。見慣れた幼馴染の家の門を、こんなに孤独な気持ちで見る日が来るなんて思っても見なった。

 思い浮かぶのは幼馴染の少年。幼い頃からずっと一緒だった友達。三か月前までは一緒に登校して、一緒に下校して、常に自分の隣にいてくれた大好きな男の子。けど、それは彼が進学するに伴って失われてしまった。

 足取りは重い。最初こそ、彼は忙しいと自分に言い聞かせていたが最近は、もう会ってくれないのではという不安が募っていく。一足先に大人の階段を上ってしまって、自分は置いて行かれてしまったような気分であった。

「もしかしてようちゃん、私のこと忘れちゃったのかな。あはは、なんちゃって」

 冗談のつもりで口にした言葉。その自身の言葉が立花日葵のか弱い涙腺を刺激した。

 立花日葵は友達が少ない。学校では嫌われはしないものの、目立つ存在ではなかった。それもあって下校を誘う友達はいない。それでも平気だったのは橋本陽介がいたから。陽介にずっと甘えていた。友達なんて作らなくても幼馴染がいると、無意識に安心した。

 自分は独りぼっち。現実を突き付けられた気がする。幼馴染に頼りっぱなし。そういえばと陽介の言葉を思い出す。よく言われていた「子供っぽい」と、それは見た目のことだと思っていたけど、違っていた。立花日葵は、ずっと心が幼いままだったのだと。

 雨音がアスファルトの色を変える。溜め込んでいた感情を吐き出すかのように、天気は激しい雨へと姿を変えた。まるで立花日葵の心境を移すかのように。そしてまた、彼女はそれを受けれいれるように立ち止まる。

 家は近い。でも走る気は起きなかった。このまま濡れて帰ろう。仕方ない。これは涙じゃなくて雨なんだ。仕方がないんだと。



        ■■■■■



 一言で言えば楽しい。これに尽きる。部活はもとより、勉強もやりがいがあった。小学生の頃と違い結果を求められる試験も、俺は周りの同級生ほど苦にならなかった。

 期末試験も終わり、夏休み直前のクラスは緊張の糸が切れたのか、夏休みまでの消化試合と言わんばかりの授業を、皆が皆気怠そうに受けていた。俺もその一人で、窓の外を見ては中学初めての夏休みに期待を寄せる。

 時刻は正午を半刻過ぎた時間。チャイムが鳴る。今日は半日登校の日。ちなみに明日は大掃除で、明後日はは終業式であった。

 解放感に包まれる。そんなわけで今学期、事実上一学期最後の授業がいま終わった。

「陽介、今日は部活?」

 気怠い感じ。夏の眩しい日差しがカーテン越しに、教室照らしている。そんな中、帰宅の準備をしていると、突然俺の机の前まで来た友人の山下に声を掛けられた。

「今日は部活はないよ。お、なんかする?」

 俺の言葉に、山下はニッと口角を上げる。まるで悪だくみをする子供の様な表情。

「いいね陽介。ちょっと待ってくれ、他に何人か集めてみる。皆でどっか遊び行こうぜ」

 そういうと山下は、クラス中を回り他の生徒にも話しかける。男女問わず。この辺りがクラスのムードメーカーの彼らしい。

 山下は、小学校の頃から付き合いで、運よく中学でも同じクラスになれた。彼のおかげでクラスは直ぐに打ち解け、他のクラスの奴らよりも仲が良いと自信をもって言えるほどになっていた。そんな山下は、男女数人を引き連れて再び俺の机の前にやってくる。

「現在クラス中に聞き込みをしたところ、今日暇しておられるのは俺と陽介を含めて七人である。隊長、今日はどうしますかい?」

 隊長に任命された俺は、山下の周りを観察する。男子二人に女子三人。突然の発案なのに、これだけ集められるのは山下の人徳がなせるものかもしれない。改めて彼の凄さを実感する。

「隊長って言われてもな。えっと、どうしようか、カラオケでも行くか?」

 カラオケというワードに、一同が沸いた。まだ提案をした段階なのに、女子たちは何を歌おうかとか、先の相談を始める始末。

「カラオケいいね! ナイス陽介君」

 親指を立てて目の前にグッと握る女子。その隣りの女子も主張こそはしないものの、目を輝かせているのが分かった。

「私、カラオケ初めてなんだよね。ドキドキする。なんか大人の遊びって感じがする」

 一歩奥にいた女子も、お金を使うという遊びに期待を膨らませている様子だった。

「こりゃカラオケで決定だな陽介」

 ポンと俺の肩を叩く山下。思いついたまま言っただけだが、俺も心が躍った。そういえば俺も友達カラオケに行くのは初めてだ。




 一度帰宅して準備してから駅前で。と提案すると、一部からブーイングが上がったが、制服のまま遊びに行くのも気が弾けたし、そもそも俺は家に帰らないとお小遣いがない。そんなわけで結局一度解散となり、俺はいま一旦着替えるために自宅へと向かっていた。

 クラスメイトとカラオケ。胸が弾む。小学生の頃には考えられない大人の遊び。お小遣いを消費して、自分達だけで遊ぶ。去年までは遊びと言えば公園だったり、誰かの家だったりしたけど、今回は遊ぶ施設に行くんだ。

「小学生の頃は、公園とかだったしな。そうそう、いっつも俺は……あっ」

 ふと、とある少女の顔が浮かんだ。

 その顔は、ずっと隣にいた女の子。子供っぽくて、小さくて、歩く速度が遅くて、犬が大好きな、そんな子供。去年までは、ずっとその女の子と遊んでいた事を思い出した。

「そういえば、会ってないな。日葵」

 幼馴染の名を口にすると、今度ははっきりと思い出した。立花日葵。学校が変わり、一緒に登校することがなくなった女の子。生活のリズムが変わり、顔を合わせることがなくなった幼馴染。いまどうしてるんだろう?

 中学校になった最初の内は、母親から自宅へ日葵が訪ねてきたと言うのは何度か聞いた。けど最近じゃそれも聞かくなっていた。

 あの時は会いたくないわけではなかったが、部活で帰宅時間が遅かったのと、新しい生活に慣れるので一生懸命だったからそれどころではなかった。落ち着いたら会おうなんて考えていたけど、結局あれから一度も日葵と顔を合わせていない。日常が変わるというは、案外あっけないものなんだなと思った。

「ただいま」と玄関を開けると、母親と顔を合わせた。どうやら、俺が半日で学校が終わるのを知っていたので、昼食の準備をしている様子だった。

「おかえり、昼食出来てるから食べて」

 今日は友達と食べるからいいという言葉が出かかったが、喉元でそれを止める。せっかく作ってくれた母に悪い気がした。

「うん、食べる。でも今日は食べたらすぐに遊びに行くから。ちゃんと夜までに帰るよ」

 部屋に戻り、制服から外出着に着替えリビングへ戻った。テーブルには母が作ってくれた、出来立てのクリームパスタが美味しそうな香りを部屋中に漂わせている。刺激されたお腹が鳴ると俺は時間を確認する。大丈夫、ここで昼食を食べてから行っても、待ち合わせの時間には間に合うだろう。

「アンタ日葵ちゃんに会ってあげた?」

 俺がパスタを不器用にすすっていると、母親がふいにそんなことを言った。

「あー」と、俺は曖昧に返事をする。食事中だから話しかけないでくれというアピール。

「ずっと、アンタに会いたがってたんだから、たまに空いた時間位会いに行ってあげな」

 何で、と思った。いや、母親の言いたいことはわかる。わかるんだけど、日葵なんていつでも会えるじゃないか。日葵の自宅はここから歩いて五分もかからない。会おうと思えば、いつだって会える。

 でも、クラスメイトとのカラオケは今日しかない。俺がたまたま部活がない日に、たまたまメンツが揃ったんだ。今日を逃すわけにはいかない。そう思うと、必然的に日葵は後回しになってしまう。

「別に、俺と会わなくても大丈夫だろ」

 出た言葉は、自分の頭の中で考えた事と違っていた。正確にいうと、合っているが説明を大分はしょっているという感じだった。

「日葵ちゃんは幼馴染でしょ。大事にしないと、じゃないとお母さん怒るわよ」

 小さな怒りが込み上げてきた。幼馴染ってなんだよ。ただ、小さい頃の遊び友達なだけじゃないか。いや、そもそも遊び友達ですらないだろ日葵は、ただついてくるだけ。勝手に親同士が仲良くなって選択の余地も無しに、小さい頃から面倒を見させられたんだぞ。

「日葵は、同じ学年の友達と上手くやるよ」

 怒りを抑え平然を装い答えた。母親が日葵を大好きなのを知っているから。ここで感情的になっても仕方ないと。自分を抑えるのが必死で、思考はもうまともに働かない。

「日葵ちゃん、アンタのこと大好きだから」

 あ、その言葉はダメだ。それは言っちゃいけないやつだ。抑えられない。なあ、やめろ。言うなよ、やめろよ。おいっ!

「……なんで俺に押し付けるんだよ」

 気が付くと俺は立ち上がっていた。母は、一瞬だけ驚いた表情を見せるが、すぐに俺を睨んでくる。その顔は、母親にたてついたことに怒ってるのか、日葵を否定したことに怒っているのかはわからない。けど、そんなことはどうでもいい。

「陽介、アンタ何言ってんの!」

 物心つく前の俺に、勝手に常識を植え付けて。俺は小学校の頃は、ほどんど男友達と遊ばなかったんだぞ。行きも帰りも、ずっと日葵と一緒で、からかわれ、気を使われ、そんな退屈な日々だったんだぞ。だから今は凄く楽しい。同年代の友達と遊べるし。自分のタイミングで登下校できる。こんな普通のことを俺はずっと知らずに過ごしてきたんだ。

「……あっ」

 我に返った時、俺は思ったことを吐き出している自分がいる事に気が付いた。どうやら俺は、いま数年間溜まった感情を一気にぶちまけてしまっていたらしい。

 母親を見る。母は……っ。

「アンタって子はっ!」

 頬の痛みがあとから伝わり、そこで初めて叩かれたのだと気が付いた。泣きそうになったが、それを耐えた。俺はもう中学生だ、母親からビンタされたくらいで泣くものか。

「友達と約束があるから」

 俺はそう吐き捨て、逃げるように家を出た。でも、俺は悪くない。日葵が悪いとは言わないが、俺だけが責められる言われもない。

 外の気温は高く。せっかく着替えた服も一瞬で汗を滲ませた。照りつける日差しは、俺の黒髪を焦がす勢いがある。帽子を被ってくればよかったと小さな後悔をした。

 痛みの名残がある左頬を触る。自分は今どんな顔なんだろうか。もし、叩かれた跡がくっきり残っていたら、皆になんて説明しようか。笑い話で終わってくれるといいけど。

「もう、会えないな」

 何となくそう思った。あれだけぶちまけてどの顔して日葵に会おうっていうんだ。日葵に言ったわけではないとはいえ、俺の溜まった本音をを漏らしてしまった。

 幼馴染ってなんなんだろう。

 漫画では羨ましがられる代名詞の様な風潮がある。けれど実際に経験すると、思っているほど華やかではない。気が付いた時には、既に遊び相手が決まっているという感じ。俺が年上なところもまた、足枷であった。

 いつからこんな風に考えるようになったんだろうか? もっと小さい頃は、そこまで日葵といる事が苦ではなかった気がする。

「陽介、どうした? 頬にでっかい紅葉を作って。母親と喧嘩したか? それとも」

 不意の声に顔を上げる。俺はどうやら俯いたまま歩いていたらしい。目の前の見覚えのある人に、この距離まで気が付かなったか。

「荒木さん。どうも、こんにちは」

 白髪の老人は今日も犬を連れていた。

「どうした? かしこまったな。中学生になって大人の対応とやらを意識したか?」

 豪快に笑う荒木。夏の暑さにも負けない強さは年の功という奴なんだろうか。

「母親と喧嘩しちゃって、あはは」

 力なく笑って誤魔化す。母親と喧嘩したと説明するのが恥ずかしい。本当は嘘をついて終わらせたい気持ちが強いが、どうやら俺は頬に外から見てもわかるくらいにビンタの跡が残っているらしい。誤魔化せないね。

「反抗期ってやつか。あったな私にも」

 言いながら、しみじみとする荒木。俺は目を合わせることが出来ず視線を落とす。そしたら今度はペロの無邪気な瞳と重なる。

「そんなじゃないですよ。なんか、我慢できなくなって言ってることをぶちまけたら、この有様です。今から友達に会うってのにな」

「何があった? 私にもぶちまけてみろ」

 再び感情が暴走しそうになる。今度は怒りというより、その言葉に甘えそうな。俺の愚痴を聞いてほしいという欲求だった。でも、荒木も日葵が好きだし、俺と日葵が仲が良いことを大切に思っていくれた人だ。

「日葵ちゃんのことかな」

 俺が言いかねていると、そう言われた。

 心を見透かされているようだった。またまたこれが年の功という奴なのかと驚かされる。

「まあ、そうですね。そうです」

 日葵という名前にペロが吠える。しっぽを振ってどこか嬉しそうに感じた。それを見ると妙な罪悪感に駆られ、ペロからも視線を外す。行き場を失った俺の視線は、ひたすら宙を仰いでばかりになってしまった。

「最近、日葵ちゃんが陽介の家から悲しそうな顔をして帰っているのを見てるからな。きっと中学生になって忙しくなった陽介に会えなくて寂しがってるんだろうってね」

 荒木は、さらに「それで?」と俺に問う。きっと彼はその先、俺が頬に季節外れの紅葉を作った理由を知りたいんだろう。

「母が、日葵に会って来いってうるさくて。でも俺は、日葵と遊ぶより、同級生と遊んだりした方がよっぽど楽しいんです」

 怒られると思った。けど、思考も回らないし下手に取り繕う気はなかった。これで反対側にもう一つの手形を貰っても構わない。

「あっはっは。わかるなその気持ち」

 意外にも、荒木は俺の気持ちを理解してくれた。大きく笑うと、うんうんと頷く。

「どう考えても、その年齢なら男友達とバカやる方が楽しいんだよ。間違いない。そこで女を選ぶような奴は正直つまらん男だ」

 涙が出そうになる。泳いだ視線は、再び荒木に向けられた。皺の多い老人だが、瞳は強く逞しい。同じ男というのが、年の差を超えて繋がりあったような気がした。

「でも」

 荒木は話を続ける。相変わらず笑いながら話すのだが、どこかそんな言葉に強さを感じた。

「会いたがってる奴がいるなら、会ってあげないとな。陽介もワガママを通すなら、日葵ちゃんのワガママも聞いてあげないと」

 同じ目線でいろ、そう言われた気がする。

「ありがとう荒木さん」

「これくらい。お前たちが仲が良いと。うちのペロが喜ぶからな。ペロのためだよ」

 荒木の言葉にペロがワンと一鳴きした。



        ■■■■■



「日葵ちゃん。今日も一緒に帰ろ?」

 小学六年生の中津恵美は、最近お気に入りの友人が出来た。クラスで大人しい女の子。名を立花日葵と言う。五年生から、六年生のへの進学の際にクラス替えがなく。去年のクラスメイトはそのまま今年の学友になる。そういうわけで、立花日葵という少女の存在は当然去年から知っていたのだが、よく話すようになったのは最近のことであった。

「うん、いいよ」

 ハーモニカの様な声はそう答えた。恵美は日葵の声がお気に入りの様で、何気ない会話でも幸せに感じる。そんな、自分の特徴に気が付かない日葵は、ランドセルに教科書類を詰め込むと、慣れた感じで背負った。

「日葵ちゃんって大きくなったよね。なんか去年まではもう少し背が低かったような」

 恵美は悔しそうにそう言った。一年前まで、背の順では日葵は恵美の前、つまり小さい側にいたはずなのに今年は恵美の後ろに並んでいた。日葵の成長は目に見えて伺えた。

「うん、成長期なのかな。でも前まで着れてた服が切れなくなって困ってるんだよね」

 あははと苦笑する。そんな無邪気な笑顔に恵美は清々しささえ感じていた。多少悔しさはあったが、それも吹っ飛ばすような。日葵にはそんな魅力がある。恵美は、そんな日葵の隠れた魅力に一番最初に気が付いたと、内不思議な心誇らしさを抱いていた。

 日葵と恵美は並んで学校を出た。本格的な夏に姿を変えた天気は、今日も暑かった。

 帰路を歩く間、二人の会話は止まらない。基本的には恵美が話題を振るのだが、日葵もそれに楽しそうに答える。日葵と恵美は、友人になって日が浅いが、お互いのことを知ろうとする気持ちが、お互いに隠しきれないほど溢れるが伝わっていた。

「日葵ちゃんってさ。私と一緒に下校する前はどうしてたの? やっぱり一人?」

 それとない質問だったが、日葵は返答に困った。生まれた一瞬の間は、恵美も気が付いたようで、彼女の好奇心を掻き立てる。

「えっと、その。一緒に帰ってた人がいて」

 言いにくそうな日葵。けど、そんな仕草が恵美にとっての餌でしかない。好奇心旺盛な小学生は立ち止まり声を上げる。日葵はしまったと思ったが、彼女に嘘をつく自身も経験もなかったので、逃げられないと悟った。

「その……、あの、幼馴染の男の子」

 日葵は少しだけ悲しくなったが、それを何とか抑え込んだ。グッと笑顔を作ると、恵美の方を向く。恵美は、目を輝かせている。きっと男とは思ってもみなかったのだろう。

「ええ、本当に? 男子? 誰?」

 僅かな声色の変化に、まだ小学生の恵美は気が付かない。日葵にとって避けたい話題だったが、恵美は逃がしてくれそうにないだろう。

 恵美の質問は止まらない。日葵が答えるよりも、新たな質問が増えていく。蓄積された質問達は日葵を追い込む。戸惑っている日葵にようやく気が付いた恵美は、ばつの悪そうな顔を浮かべ「ごめん」と視線を逸らした。

「あ、私の方もごめんね」

 恵美は、しゅんとうなだれる。聞いてはいけないことを聞こうとしたんだと、幼いながら恵美は学んだ。

 そんな落ち込む恵美を見て、日葵は優しい笑みを浮かべる。そして自分でも避けていた話題だったけど、向き合うきっかけになったんだと、心の中で恵美に感謝をした。

「恵美ちゃん。えっとね。友達だから特別に教えてあげる。私もどうしていいかわからないから、相談に乗ってよ。恵美ちゃん」

 日葵は、橋本陽介の話を始めた。幼馴染だということ。ずっと一緒にいてくれたこと。中学生になって会えなくなった事。何度か会おうとしたけど、無理だったこと。もしかして私は、邪魔な存在だったのかと思い始めたということ。

「私、ずっと迷惑かけてたのかもね」

 日葵は冗談ぽく、軽い口調で言う。雰囲気を悪くしたくなかったという日葵の気づかい。そんな日葵の話を聞いて恵美は言った。

「日葵ちゃん。会って確認したら?」

 あっけらかんと言う恵美に、日葵は「へ?」間抜けな声で返した。

「だから、会って確認するんだよ日葵ちゃん」

「でもね恵美ちゃん。私は何度か会おうと思ってたけど、タイミングが合わなくて」

 その話は先ほどしたじゃないのと日葵。何度も橋本陽介の家を訪ねたが、部活でいないと会えなかった。そんなことが十数回続けば、もう会ってくれないと思うのは当然じゃないのかと、日葵は疑問は消えなかった。

「タイミングとかじゃなくて、家で待つの。帰ってくるまでずっと。会えないんだったら会うまで待つ。簡単な話だよ」

 恵美の強い言葉。思いもよらなかった。

 日葵は息を飲んだ。自分は、どうしてこうも消極的だったのだろうと。

「恵美ちゃん。私はようちゃんに会いたい。ありがとう。私会ってから確認してみる」

 日葵は恵美を真っ直ぐ見つめ言った。その表情はどこか強く。普段の日葵から想像できない。そんな強い決意を目で告げた日葵を見る恵美は、ニヤニヤが止まらない。日葵はバカにされたのかと、少し照れたが、恵美はもっと違うところで日葵の感情を、満足げな笑みで見ていた。



        ■■■■■



 時刻は十八時、外はまだ明るい。クラスメイトとのカラオケを早めに切り上げてきた俺は、幼馴染の家の前に立ち尽くしていた。オレンジ色の屋根が特徴的な一軒家。立花一家はここで生活をしている。父親と母親と一人娘が住むには少し大きめの家だ。

 ここに来るのは数か月程度ぶりだというのに、俺は緊張していた。見慣れた門に、見慣れたインターホンだが、俺の内側にある感情は初めての物で、そのちぐはぐさが妙に鬱陶しく思う。早々とインターホンを鳴らし、幼馴染の名を呼ぶだけだというのに。

 荒木さんに言われたから来ただけで、俺は日葵なんかに別に会いたいとは思わない。と、誰に聞かれるでもない言い訳を脳内で語る。そうだ、俺は日葵が会いたがっているから、仕方なく会いに来てやっただけだ、何を緊張しているんだ。普段通り、それこそアイツとは十年以上の付き合いじゃないか。

 ふうと一呼吸置くと、人差し指突き出す。

「母さんがうるさいからな」

 自分でも情けない言い訳だと理解しながらも言わずにはいられない。気持ちの制御というのは思ったよりも難しいんだな。緊張の理由はわからないが、緊張しているという事実だけはわかった。

 ボタンを押し込むと聞きなれた機械音が鳴る。いま、家中に呼び出し音が鳴っているに違いない。誰が気が付いて、誰がインターホンに出るだろうか。できれば日葵以外が望ましい。だってさ。わかるだろ?

「はい、どちらさまでしょうか?」

 声は日葵の母親の物だった。俺は内心少しほっとした。

「橋本です。橋本陽介。日葵いますか?」

 無駄にかしこまる。言った後で、自分がきをつけをしていることに気が付いた。誰かに見られたらきまりが悪いと、周囲を見るが、幸いにも夕方の住宅街に人通りはなかった。

「あ、陽介君。わあ、久しぶり。ちょっと待ってね。いま玄関を開けるから」

 屋内から駆ける音が聞こえる。そんな足音が止まると、ガチャリと扉が開いた。

「あ、こんばんは」

 言って、挨拶はこれでいいのか迷った。

 時間は夜だが、まだ太陽は絶賛稼働中、日が明るい状態でのこんばんはに少しだ違和感。

「はーい、こんばんは」

 日葵の母親は優しく笑う。まるで学生の様な若さがある。日葵の年齢の割に幼い感じは母親に似たのだろうと思った。

「あの、日葵いますか?」

 俺の言葉に、日葵の母親は困ったような表情を浮かべる。

「実はさっきまでいたんだけど、入れ違いで出かけちゃったの。コンビニに行って言ったからすぐに帰ってくると思うけど」

 日葵はいなかった。安堵と不安の二つの感情が同時に生まれすぐに消えた。ゾクッと一瞬だけ。会いたかったけど、会えなくてよかった。言葉で説明するとそんな感じ。

「あ、そうですかわかりました」

 俺は深く頭を下げると、日葵の母親の反応もうかがわず、逃げるように立花家を後にした。

 日葵が帰ってきて鉢合わせするのが何故か怖かった。どうして、こんな感情になるんだろう。俺は、自分の感情が自分で分からなくなっている。日葵という存在は、俺の中でどういう位置にいるのだろうか。

 立花日葵は物心つく前、本当に小さい頃からの遊び相手で、何をしても俺の後ろを付いてくる女の子。でもいつしか、それが鬱陶しくなって。楽しさなんてなくなった。

 他の男友達と遊ぶ時も日葵はついてくる。俺はそれが嫌だった。学年が違うということも、異性だということも、全部他の人からしたら、からかう為の材料になっていた。

「暗くなってきたな」

 夏の太陽はようやくその日の仕事を終える。辺りは日が暮れ、住宅街も静かな夜へとその表情を変え始めた。

「どうせ今日は、遅くなるって言ったんだ」

 母親に言われた門限は十九時。けれど帰る気にはなれなかった。日葵のことで母親と喧嘩して、そのままなんだ。すぐに帰ってたまるか。どうせ一度怒られているんだ。また怒られても同じ。今日はしばらく散歩してから帰ろう。うん、それがいいそうしよう。

 俺はそう考えると、家とは逆の方向に足を進め始める。薄暗い夜の町を歩くのは俺の気分を少しだけ高揚させた。



        ■■■■■



 立花日葵は橋本家の家の前にいた。

 母親にはコンビニ行くと駄々をこね、無理やりに家を出てきた。本来ならすぐに帰らねば心配するであろう年齢の少女。けど、日葵は今日は帰る気はなかった。少なくとも目的を達成するまでは絶対に家に帰らないと。

セミの鳴き声が落ち着き始めると、けたたましい夏の昼は、静かな夜へと姿を変える。まとわりつく蚊に小さな不快感を感じながらも、日葵はその場を動こうとはしなかった。

 もうチャイムを鳴らす気はない。目的の男子は帰ってきてないというは、少し前に彼の母親から聞いた。申し訳なさそうに謝られたことが、申し訳なく。日葵は気を使わせまいと笑顔で「また来ますと」明るく告げた。三十分ほど遡る出来事である。

 まだ帰ってきてない外出している少年。だったらここで待てばいい。彼の家の表札が見える少し横で待ち受ける。簡単な話である。目的の彼が家に帰る以上、間違いなく家の玄関を通過する筈なのだから。

「今日は絶対にようちゃんに会うんだ」

 幼馴染の呼び名を口にするトクンと心臓が脈を打った。そして小さく呼吸が乱れる。運動もしてないのにどうしてなんだろうと日葵は不思議に思った。けど、その鼓動は抑えきれない。悪いことをしている罪悪感が、全身をむしばんでいるのだろうと解釈した。そう、日葵は母親に嘘をついて、この場にいるのだから。

 時計を所持してない日葵は、現在の時刻が何時になっているのかわからなった。

 日は暮れ、人通りが少ないという状況が夜になったんだと推測する程度。夜あまりで歩くことのない小学生の少女は、それ以上は分かりようがなかった。

 少女はただひたすらに待つ。それしか彼に合う方法がない。日葵は、今日会うことが出来なければもう二度と会えないと、そんな風に感じていた。



        ■■■■■



 最初にからかわれたのは小学五年生の時だった。クラスメイトに、女子と帰る姿を目撃されたのがきっかけで、次の日の黒板にピンクのカラーチョークで描かれた相合傘と二人の似顔絵。似顔絵と言っても、子供の描く漫画のキャラクターの様なものだった。

 傘の下に並ぶ名前は、橋本陽介と年下の女子。そんな小学生らしい悪戯をした生徒も、日葵の名前までは知らないようだったが、薄い茶色で塗られた髪をした少女のイラストは間違いなく立花日葵だった。

 色恋沙汰が好きな、思春期になろうとする小学生には恰好のネタである。けれど、当時の俺には辛かったのを覚えている。怒りの矛先は、からかったクラスメイトでなく日葵に向けられ。一緒に下校したくないと結論付けるまで、そう時間はかからなかった。

 日葵に今日から一緒に帰るのを止めようと告げたとき、日葵は人目をはばからず泣きだした。頬を伝う滴に罪悪感を覚え、俺の提案はすぐさま却下と化す。日葵は子供なんだ。小さい小さい子供、俺が我慢しなくちゃいけないんだと無理やり自分に言い聞かせた。

「なんでこんなふうになったんだろうな」

 夜の公園で俺はベンチに腰を掛ける。思い出すのは日葵との関係と、懐かしい思い出。懐かしいと感じて初めて、日葵に対する感情が幼い頃と違うんだと悟った。

 俺は日葵にどうしたいのかわからない。嫌いなのか嫌いじゃないのか。会いたくないのか会いたいのか。幼い頃から当たり前のように一緒にいた関係に、初めて疑問を持った気がする。流れるままに身を任せ、ふわふわと重みのない関係を続けている俺たち。

 日葵は、このふわふわとした関係が当たり前で、それが壊れることを恐れているのかしれない。そうじゃないと、一緒に下校をしようと提案しただけで泣いたりしない。

 でも俺はそれが嫌だった。今ならはっきりと言える。義務の様に付き合い続けても、いずれ終わりが来る。少なくとも今の状況は一つの変化なのは間違いない。

 このまま合わない方がお互いの為なんじゃないのかと、根拠のない考えが生まれる。けど、それはそれで少し悲しい気もした。

「……帰ろう」

 答えの出ない疑問に嫌気がさした。公園の時計は、まもなく二十一時を指す。きっと母親は怒っているだろう。これから怒られに帰ると思うと気が滅入るが仕方ない。中学生はまだまだ子供、こんな時間から一泊過ごす手段なんて持ち合わせていないのだから。

 街灯は虫を寄せ集め、時折チチッと小さな破裂音を鳴らした。きっと虫たちが電灯に近づき過ぎたのだろう。

 俺は街灯を頼りに夜の町を歩く。家から漏れる明かりも時間のせいか少なくなっていた。

 歩く足取りは重たい。今から怒られに帰るからというわけではなく、頭に消えないもやもやがあるせいだ。

 家の前に差し掛かる。夜の住宅街は、当然誰もいないわけで辺りはシンとしていた。

 自宅玄関に手をかける。カチャリとドアノブが動くのを確認して、締め出されるという状態は回避できたと少しだけ安堵した。

「ただいま」と、小さく呟き玄関を開ける。そしてドアを開けて最初に目に入ったものが予想外のことで、俺は言葉を失った。

「日葵……? なんで俺の家に」

 日葵だった。俺の家の玄関を開けると立花日葵が立っていて、靴を脱ぐ場所から一段高い上がり框から俺を見下ろす。

「なんでじゃないよ! 遅いよバカ!」

 飛び出したのは今まで聞いたこともない荒い怒りの声。でもどこか僅かに震えていて、見ると日葵はうっすらと目に涙を浮かべていた。

「本当に、本当に心配したんだからね」

 そして日葵は泣いた。



        ■■■■■



「日葵ちゃん、やっぱりここにいた」

 声をかけられ日葵はハッとした。声の主は橋本陽介の母親、目の前の家の主婦だ。

「えっと、あの、ごめんなさい」

 怒られると思った日葵だったが、陽介の母親はどこか楽しそうに笑顔を向けた。日葵は状況を理解できずに、目が泳ぐ。悪戯がバレた子供の様な仕草。そんな日葵に、陽介の母はクスリと小さく笑みを浮かべる。

 時刻は二十時を少し過ぎたくらい。辺りは二人以外誰もいない。

「日葵ちゃん、中に入りなさい」

 どうぞと手を引かれ橋本家へ招かれる。二人の感情があまりに違いすぎて、日葵は困惑を隠せない。思考のまとまらないまま流されるまま橋本家へと足を踏み入れる。

 玄関を上がる。久々となる橋本家は、最後にお邪魔した時と変わっておらず、日葵は嬉しく、そして懐かしさがこみ上げる。

「日葵ちゃんのお母さんに連絡しとくね。日葵ちゃんが怒られないように出来るだけフォローするから安心して」

 言いながらスマートフォンを私に見せる。その後、日葵にわざと聞かせるように「あのバカ息子が」と独り言を主張させた。

「ようちゃん、そういえばようちゃんは」

 日葵の幼馴染。日葵は外で一時間ほど待っていたが、彼は結局姿を見せなかった。自分が目を離したすきに、帰宅しているのではという可能性も込めて尋ねる。

「陽介は、日葵ちゃんの家に行ってるよ」

 わけがわからない。小学生である日葵は既に思考が置いてけぼりをくらっていた。

「正確には行ってただけど。ちょうど入れ違いになったみたい。それで、日葵ちゃんがいないってわかって、ふてくされて時間つぶしてるんじゃないかな。あのバカは」

 声に小さな憤りが含まれている。

「中学生になってもまだまだ子供。日葵ちゃんうちのバカ息子が帰ってきたら説教をお願い。色んな人に迷惑かけてるんだから」

 顔は笑っていたが、不安が見て取れた。怒りも混ざっていて複雑な気持ちなのだろう。日葵もまた、不安と心配と、申し訳ない気持ちとで、感情が迷子になってしまっている。

 ひとまずわかっていることは、ここで陽介の帰りを待てばいいということだ。陽介と会ったら最初に何を言おうか考える。期待もあったが不安もあった。

 日葵はふと考える。自分は陽介に何を求めているのだろうかと。会って、どうしたかったのか。どうせ一年間は一緒に登校出来ないし、部活で忙しくて今までの様に遊べない。日葵が求めていることは叶わないのは理解している。

「日葵ちゃん」

 迷ってる日葵に陽介の母親が声をかける。

「日葵ちゃんが思ってる事を、ひたすら全部ぶちまけてあげればいいんじゃないかな」

「全部……ぶちまける?」

「そう、きっとスッキリすると思うよ」

 日葵はギュッと胸に手を当てる。自分が思ってる事、自分が言いたいこと。そして、何かを決意したいように、小さく頷いた。



        ■■■■■



 一言で言えば子犬みたいな女の子だった。

 小さい頃からずっと、俺の後をついてくる一つ年下の女の子。そんな彼女は物心ついたときには既に、一緒に遊ぶ友達だった。

 今の時代にしては珍しいかもしれない、親同士が仲の良い近所付き合い。その両家に年の近い子供がいれば、その子供同士が仲良くなることも至極当然で、俺と、その女の子は何かをする時は常に行動を共にしていた。

 その女の子の名は。

「日葵。どうして、俺の家にいるんだよ」

「どうしてもこうしてもないよ! ずっと心配してたんだから。ようちゃん、いま何時だと思ってるの? 九時だよ九時。寝る時間だよ! 今までどこほつき歩いてたの!」

 日葵の言葉は止まらない。

「なんだよ日葵! ちゃんと説明しろよ。だいたい俺はお前の家に行ってたんだよ。お前が帰ってないからこんなことになったんだ」

 帰宅早々に怒りをぶつけられた俺は、既に平常心でいられなかった。母親とか、どうでもいい。日葵はいつも俺をイライラさせる。せっかく会いに行ってあげたのに、不在で帰ったら日葵がいて怒られる。こんな理不尽なことがあってたまるか。

 俺は靴を脱ぎ捨てると、家に上がる。日葵と同じ高さに並んだ。上から見下されるのが嫌だった、これなら日葵は俺より背が小さいから日葵に見下されることはない。むしろ俺が上から日葵を威圧してやる。

 フッと違和感が生まれる。目線の高さがいつもと違う。いや、そうじゃない。日葵が大きくなったんだ。俺よりは背は少し小さいが、それでも以前の日葵より成長してる。そんな変化に戸惑い一瞬言葉を止めてしまう。

「私はいいよ! でも親に迷惑かけて。ようちゃん大人ぶってるけど、全然子供だよ」

 日葵の言葉が感情を突き刺す。同時生まれるのは怒り。日葵に子供扱いされるというのが我慢できないほどに腹立だしい。お前の方がずっと子供じゃないかよ。

「はあ? お前の方が子供じゃないか!」

「どこが?」

 日葵は反論してくる。

「どこが子供っぽいの?」

 どこがと聞かれて言葉が止まる。日葵はどこが子供っぽいんだろう。唯一指摘できた身長が、もう俺と変わらない。

「ほら、言えない。でも、私はようちゃんの子供っぽいところ沢山言えるよ!」

 何か言い返そうと思ったが、何も言えなかった。

「ようちゃんはいつも無茶して、私が止めても危ない遊びばっかりする。それで謝るときはいつも私も一緒だったよね。それに」

 止まらない。今まで溜まっていた鬱憤が、蛇口を全開にした水道の様に、まるで叩きつけるかの勢いで吐き出される。

 ここまで言われて、黙るわけにはいかない。俺だって、日葵には言いたいことは沢山あるのだから、言われっぱなしで終われるかよ。

「お前だって、いつもいつも俺の後をついてきて、俺の邪魔をするなよ。ちょっと俺がいなくなるとすぐ泣きそうな顔しやがって、心配かけさせてるのはお前も一緒だろうが」

 日葵はムッと口を紡ぐ。それから。

「だって」

 日葵は真っ直ぐ俺の目を見つめる。キッと睨む目はりりしく、そして輝いて見えた。

「ようちゃんと一緒にいるの楽しいから。だからずっと一緒に居たかったの!」

 言った後に、日葵は視線を床に落とす。

「でも、ようちゃんに迷惑かけてたのは薄々気が付いてたの。ごめんね、最初からちゃんと言えば良かった。でも、どうしていいかわからなくて、ずっとついていってたの」

 しゅんとうなだれる日葵。

「俺だって」

 しばらく沈黙の後に俺は言った。日葵は視線を俺へと戻す。先ほどまでの感情的な日葵はもういなくて、いつもの日葵だった。

「俺だって悪かったよ。連絡とか全然しないで、それにちゃんと言えばよかった」

 目を合わせられない。そういえば、俺は日葵に直接言ったことがなかった。勝手に鬱陶しがって、勝手に避けて。日葵からしたら不安で仕方がないよな。どうして、そんなことに気が付かなかったんだろうか。

「はいそこまで」

 割って入ったのは俺の母親だった。いつからいたのかと思ったが、冷静に考えれば俺の家だし、俺の母親がいるのは当り前だ。周りを見ると、今度こそいつからいたのか、日葵の母親も少し離れた場所から俺たちを見ていた。

「日葵ちゃんが怒ってくれたから、今回遅く帰ったことは許してあげましょう」

 俺の方を見てフッと鼻で笑うような、ちょっとバカにするような表情が見て取れた。遠くにいる日葵の母親は、どこか楽しそうで、もう張り詰めた空気は消えてしまっていた。

「……ようちゃん」

 再び見た日葵は、いつもの日葵だった。

「なんだよ」

 もう、緊張の消えた雰囲気では、日葵に何かをぶつけるという気になれず、俺もまたいつものように日葵に返事をした。

「ごめんね」

「俺の方も悪かったよ」

 日葵とは長い付き合い、それこそ物心つく前からの付き合いだけど、こんな風にぶつかり合ったのは初めてだった。

 日葵を見る。申し訳なさそうにしてるが、どこかスッキリしたように見える。なるほど、日葵は日葵で溜まっていたわけだ。

「そういえば日葵」

 俺は何気なしに声をかける。

「どうしたのようちゃん?」

「身長、伸びたな」

 気恥ずかしさを覚える。同じ目線の少女は成長期なのだろう。日葵は俺の言葉に少し照れながら笑い。そんな仕草が少女特有の無邪気さがあり、素直に可愛いと思った。

「えへへ、そうなのかな? あ、そうだ」

 日葵は、何かを思い出したかのようで、俺をじっと見つめると無邪気に笑う。

「中学校入学おめでとう。ようちゃん」

 やめてくれ。本当にやめてくれ。お互いの親たちが見ている前で、恥ずかしいだろ。

「ありがと、でも恥ずかしいからやめろ」

「だって、絶対言いたかったんだもん」

 日葵も恥ずかしったようで、少しはにかんで見せた。




 夏休みというのは、学生に与えられた特権で、平日の昼間から外でアイスを買って食べるなんてわけがない。通り過ぎるサラリーマンたちに、小さな優越感を覚えるなか、数年後には俺も同じ立場になるからと心の中で言い訳をした。

「ようちゃんお待たせ」

 一人の少女がやってきた。立花日葵、俺の幼馴染の女の子。夏の暑さに対応した日葵は薄着で涼しげな服装だった。

「新しい服なんだけど、どうかな?」

 そんな質問をするなよと思う。どう答えても恥ずかしい。けど、そんな気恥ずかしさも少し心地よくて、不快ではなかった。

「可愛いよ。大人っぽくなったな」

 無理して答える。作戦は俺の恥ずかしさの回避よりも相手に恥ずかしさを与えるという方にシフトした。

「そ、そうかな。そう言われると照れるよ」

 日葵は俺の思惑通り、顔を赤らめる。両手を胸の前で合わせもじもじとこそばゆそうにしていた。照れた拍子だろうが、少し俯き上目使いで日葵は「ありがとう」と言った。

「ほら、もう行くぞ」

 このままだと二人とも誤爆しそうだと判断し、俺は強引に一歩先に出る。日葵は慌てて俺の隣に並んだ。そう、今日は二人で出かけるのだ。

 隣りを歩く日葵。少し前までと違う。

些細なことで、お互いの成長を感じる。俺たちはまだ未熟だ。けど、これから変わっていくだろう。

「ようちゃん、私ね。中学生になったら陸上部に入ろうと思うの」

日葵は言った。その言葉が意外で、俺は思わず足を止め驚く。すると日葵は、この反応を期待してたのか、ふふんと笑う。

「なんか、最近体育で走るのが楽しくて。ちょっと前までは文化部かなって思ってたけど、思い切って運動部もありかなって」

 遠くを見つめ日葵は言った。そこには未来の自分が見えているのだろうか。

「いいんじゃないか、意外だけど」

「私も自分で意外って思ってるもんね」

 日葵は、少しはにかんで見せた。そんな仕草が可愛くて、心臓をトクンた叩いた。

 近くの木々から蝉の合唱が聞こえる。俺たちは、再び目的地へと並んで歩きだした。


子供の頃は女子絡みでからかわれるのが苦手だったという人はいる。

作者の私は大人ですが、子供の頃の気持ちを考えて考えて書いたのが本作品です。

むしろ子供に読ませて、ダメだしして欲しい。年齢を重ねると思春期とか幼少期とかもう想像でしか書けない(少なくとも作者は)

そんなわけで(どんなわけだ)、子供心というのを題材にした作品でした。

読んでいただいてありがとうございました。

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