(3)ワーキングデイズ その2
「あっ ぼっちゃーん、傘をお持ちしま……し……た……ん?」
そのとき、遠くにジュリアーノが現れた。傘を持って行かなかったイヴァンのために迎えに来たのである。まだずいぶん遠目にイヴァンを見つけ、声をかけようとした。が、やめた。
「ほほう……坊っちゃんがあれほど女性と近づいていて平気とは……はて……これはうまくすると…………」
つぶやきながら傘をたたむと木の影に隠れ様子をうかがうことにした。
普段のイヴァンであればジュリアーノの存在に気がついたかもしれない。しかし、この時のイヴァンは他のことで頭がいっぱいだった。
† † †
「そういえば……」 「そういえばさあ」
ふたりは同時に口をひらいた。
「な、なに?」
「ううん。そっちこそなあに?」
いつもハッキリモノを言うチカにしても、胸の真ん中あたりがモゾモゾとする不思議な気持ちに戸惑っていた。
「ドコかで会ったかなあ?って」
しばらくふたりの間にしっとりとした沈黙が漂っていたが、ミーにせかされるようにイヴァンが尋ねた。
「ふふ……」
チカの顔に笑みが生まれた。すると、まるでソレを待っていたかのように空が明るくなった。
「な、なんだよ」
「古い手ね」
「だから何がだよ」
つられてイヴァンの表情もいつも通りに、いや、いつも以上に柔らかくなった。
「ううん……いいの。そうね。いつか会ったのかもね。遠い昔のいつかに。でもね。私、鼻がいいのよ。だから分かる。あなたの匂いは…………あれ?ほんと、どこかで会ったのかも……」
結局答えは出ないまま、雨が上がるまでのしばらく、ふたりは東屋で過ごした。
その日からしばらく、ジュリアーノは風邪で寝込んだという…………
「そんなこと突然言われても困るよチカちゃん!」
ある日、オーナーの大声が事務所に響いた。机に座って事務処理をしていたオーナーの前には、神妙そうな顔のチカが立っていた。
「オーナー、実はお話しが……」
そのときイヴァンも事務所に入ってきた。
「なんだイヴァン、まさかキミまで辞めるとか言い出すんじゃないだろうな」
「え?いや、なんでそれを?というかもしかして……」
イヴァンはチカの方を見た。
「チカちゃんも……ですか?いやいや、たぶん前回の件はボクが悪いんです。結局ボクがここに来たばかりにあんなことに……、だからボクはここを離れようと思います」
「何言ってんのよ!」
チカもイヴァンの方にふりむいた。
「こないだのは私が未熟だったからでしょ。だから、だから、これ以上迷惑をかけたくないのよ!」
「いや、ボクの方こそだよ、キミにもオーナーにも迷惑をかけた。だからボクが辞めるよ」
「だーかーらー!なに調子に乗ってんの?浮かれてんの?アンタなんて居ても居なくても関係ないんだからね!」
「な、なんだと!だったらいいじゃないか、キミには関係ないだろう!」
「えーえー関係無いですよ!関係ないんだからアッチ向いてよね」
「ソッチのほうこそ向こう向けよ!」
バシンッ
「いい加減にしないか!ふたりとも!」
見かねたオーナーは書類を机に叩きつけた。
「ふたりとも同じように迷惑だ。仕事にならん!そして、ふたりとも同じなだけ必用なんだよ!このショップにはな。もし、迷惑をかけたと思っているなら、辞めずに残って働いてくれ。仲良くな。気づいているのか分からんが、君らが喧嘩してると、どうにも動物たちもザワつくんだ」
結局、そんな感じでふたりは前と同じように働き続けることになった。いや、前と違う点があった。イヴァンはチカとなら近くに居ても平気だったし、チカも口数は減らないもののイヴァンのことを認めるようになっていた。




