(1)狩猟の季節
ーーー それから数ヶ月後 ーーー
「坊っちゃん!いつまで泣いてるんですか!女に怒鳴られたくらいで!」
都心部のとある駅前にある、おしゃれカフェ『スターダックス』にふたつの影があった。今、声を上げたのは背の高い金髪の男……そう、いつかの運転手だ。今日も黒っぽいスーツ姿ではあったが、丸い色メガネをしていた。
「そ、そ、そ、そんなコト言ったって、しょうがないじゃないか!怖かったんだから」
もうひとり、瞳を潤ませているのは、高校生というには少し幼く見える少年だった。少年は美しい顔をしていた。透き通るような白い肌に赤いくせっ毛で、まぶたは二重、長いまつげが上を向き、瞳は青く、大きかった。男でさえ見つめられればハッとしてしまうような容姿であった。
チュー チュー チュー チュー
ズズズズ ズゴゴゴゴ パッフゥ
「だーかーらー!トマトジュースばかり飲まない!坊っちゃんに必要なのは血デスよ!肉でも魚でも野菜でも!ましてや果物なんかでもなく、体中をくまなく巡る赤き血こそが必要なのです!」
「わ、分かってる。分かってるよジュリアーノ。分かってるケド……」
少年の名はイヴァン。イヴァン・D・ヴェルフォード。由緒ある高貴な血族の末裔だ。そして金髪の男はジュリアーノ・R・グラウファス。彼は、ヴェルフォード家の執事だった。
彼らは母国で猛威をふるう流行病から逃れ、日本に来ていた。そして、彼らには人には言えぬ秘密があった。
「分かってるなら真剣にハントしてください!ほら!あの子なんてどうですか?少し尻が軽そうだし、坊っちゃんでもいけるのでは?」
「え?あの子?気が強そうだよ」
「じゃあ、あっちの、なんか全身真っ黒の娘は?目の下にアイラインまで引いて、まるで闇の一族のようじゃないですか!」
「普通に怖いよ」
彼らは道行く少女を品定めしていたのである。
「では……そこのお下げ髪の田舎者っぽい子は?」
『田舎娘』と言われた少女は、くるりと回転するとイヴァンを見てニコッと笑った。
「や、やあ……」
パシーーーーーンッ!
イヴァン渾身の微笑み返しも虚しく、その少女は微笑んだままイヴァンの頬を平手打ちした。
「誰が田舎者ですって?だいたい、おさげ髪じゃなくてツインテールって言うのよ!ツインテール!」
「そーよ、そーよ!さっきからアンタ聞こえてんのよ!丸聞こえよ!外人だからって容赦しないんだかんね!」
そこに、全身真っ黒な衣装の、黒ノ少女も加わった。
実のところ、この少女たちこそ、ハンターのように獲物を狙って罠をしかけていたのだ。気がつけばいつのまにか何人もの少女がイヴァンを取り囲んでいた。
「い、痛い!痛いよ。ボ、ボクが言ったんじゃないのにぃ」
「じゃあ誰よ!ウチら『フェンリル団』をナメたら痛い目みるわよ」
「ジュリアーノ~ゥ」
ジュリアーノはいつの間にか少し椅子をひいて、エスプレッソを飲みながらそのやりとりを見ていた。が、どうにもならないと見ると、やれやれ、といった表情で立ち上がった。
「アンタ?アンタがコイツの保護者?事と次第によっちゃあ警察沙汰なんだからね!慰謝料よこしなさいよ!」
『フェンリル団』とは、最近、繁華街でナンパな男を捕まえてはお仕置きをするという少女ばかりの集団であった。どこにでもいそうな女の子が突然牙を向く、だから、誰にもその正体は分からなかった。その少女たちが今、周囲から隠すように壁をつくり2人を取り囲んでいた。
「まっ~~~~たくぅ~仕方がありませんなあ~。窮鼠猫を噛むって具合に行くかなあと期待してもみましたが、やはりムリでしたかあ~」
「ちょっと!猫とは何よ!ウチらは狼よ!獲物を追い込み、捕まえる、狼なのよ!さあ、ブツブツ言ってないで出すもの出しなさいよ!じゃないと出るトコ出るわよ!」
ジュリアーノは詰め寄る少女たちをまるで意に介さず、そっとメガネをずらした。
「まったく……うるさいメスどもですねえ~貴方達、何かおっしゃいましたか?」
ジュリアーノは彼女たちの目を、そのエメラルドグリーンに光る瞳で覗きこんだ。
「何かおっしゃっいましたじゃないわよ!……何かって……何かって……何かって…………す、好きです!抱いて!抱いてください!」
「何言ってるの!わ、私が先よ!」
「私でしょ!」
すると一転、少女たちの眼の色が変わった。頬がピンクに染まり、一斉にジュリアーノに飛びかかった。少女達は各々に抱きついたり、手やら足やらをジュリアーノの体に絡めつけたりしはじめた。
しかし……
ドッ
パーーーーーーンッ
「離れなさい!卑しき下衆の者共よ!我が身体に触れうるはー気高き魂を持つ者だけなのですよ!」
ジュリアーノは盛大に少女達を跳ね飛ばしてしまった。突然、何人もの少女達が倒れ込んだものだから、通行人たちも足を止め、何事かと集まり始めた。
「ぬぅマズイですね~、目立つのはよくない」
人々の目が集まるとジュリアーノは困ったように壁際に下がった。
「アンタ達!なにやってんの!もう、こんなことやめなさいって言ったはずよ!」
その時、群衆をかき分け前へ出た少女があった。一見すると、その少女もドコにでもいる普通の少女のようだったが、目つきが、眼の色が違っていた。転んでいる少女達を起こしながら、集まった人々を帰すように指示を出していった。
「千夏来てくれたんだ……ゴ、ゴメンね。でもさ、コイツがなんか変な術を使ったんよ」
「変な術?嘘じゃないでしょうね?」
「ウ、ウソなんかじゃないよ。ほら、ケイもエミも……」
そこにはまだ、少女達に絡みつかれながらひきつった顔をしているジュリアーノの姿があった。
「アンタ……何者?もしかして…………」
ジュリアーノは千夏と呼ばれた少女の瞳も覗きこんだ。しかし千夏は他の少女とは違う目つきでジュリアーノをまっすぐに睨み返した。
千夏は一歩、また一歩と進み出た。傍らにいるイヴァンには目もとめず、ジュリアーノをまっすぐに見ている。イヴァンはどうするべきかわからず、状況を見守っていた。しかし、間近に少女の顔が迫った時……
「ヴァンパイア?」
吐息混じりに放たれた言葉が、イヴァンの耳元触れ、首筋から背中へと流れた。
「え?あ…………」
『ヴァンパイア』……その唐突なセリフのせいなのか、イヴァンの瞳は千夏に釘付けになった。
そんなイヴァンを気にすることもなく、千夏が目の前をすれ違う。
真っ直ぐに見開かれたその気の強そうな瞳に夏の日差しが反射する。
ブリーチされた明るい髪が風に揺れ、イヴァンの頬に触れた。
するとイヴァンの感覚はたちまちに研ぎ澄まされた。風のかすかな音が聴こえる。千夏の靴底のラバーが軋む音、 千夏が酸素を肺に吸い込み、二酸化炭素を吐き出す音、藍色のスカートがふとももに絡まり、また風に解き放たれる音、すべてが詳細に聞こえた。
自分の心臓の鼓動さえが高く強く鳴り響くのを聞くと、その熱せられた血液がポンプから吐出され、体内をめぐっていくのを感じた。
「うあああああああああああああああああああああああああ!!!!」
「ぼ、坊っちゃん?どうしました?」
イヴァンの身の変化を察知しジュリアーノはすぐさまイヴァンの肩を抱え駈け出した。その速度、飛躍する高さは、尋常ではなく、ほとんどの人々の反応速度の外側に有り、その場にいた人にとってはまるで突然視野から消えたようだった。だから、行く先を辿れた者はいなかった。
ただひとり、千夏をのぞいて…………




