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進化の渦の中で  作者: 宮沢弘
第一部:プロローグ
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35.5年め

 教室では生徒たちがザワザワと話している。

「特進科の連中ってあれだろ? なんて言ったっけ? ブライト?」

「最近そう呼ぶらしいな。だけど、あれで全員じゃないらしいぞ。あいつもそうらしい」

 そう言った生徒が、教室の中でリーガルパッドに落書きをしている一人を指差す。

「あいつはなんで特進科に入ってないんだ?」

「カードの申請を拒否しているって話だけど、実際はどうなのかな?」


  ****


 ホームルームが始まる。とは言っても、時間による教科の区別はなく、各々がスレートの指示により別々の教科を学ぶ。ホームルームという時間がとくにあるわけでもなく、言うなら、教諭がそう言ったときがその時間ということになる。

 教諭が話し始める。

「そろそろ、いろいろと言われ始める時期なので、少し説明をしておく」

 教諭は教室の中の一人にちらりと目をやる。

「特進科には、最近ではブライトと呼ばれている生徒達が集まっている」

 他の生徒達も、ある一人をちらりと見る。

「彼らは知性化テストの上位20%に相当する。だが、彼らが何か特別だということではない。DNAの解析の結果から、数万年前からブライトに相当する人達はいる。あくまで知性化テストでの上位の者というだけだ。その証拠に、ブライトでない両親からでもブライトが生まれている」

 突然、教諭の背後の壁面にいくつかの資料が映し出される。その内の一つは動画だった。動画が自動的に再生される。

「つまり、50万年ほど前にホモ・ハイデルベルゲンシスが現れ、40万年ほど前から25万年ほど前のどこかで、まずホモ・ネアンデルターレンシスが現れ、ついでホモ・サピエンスが現れました。ホモ・ハイデルベルゲンシスが実際にどういう末路を辿ったのかはわかりません。ただ、ホモ・ネアンデルターレンシスとホモ・サピエンスに別れただけなのかもしれませんし、形はどうあれ絶滅したのかもしれません」

 進化の樹状図が画面の半分を占める。

 教諭が、さっきちらりと見た学生を睨みながら言う。

「誰だ! 再生を止めろ」

 動画はそのまま再生される。

「ホモ・ハイデルベルゲンシスが現れた時点から、彼らが絶滅したと考えられる25万年前の間に、高知性人類が現れていたと考えられます。ホモ・ネアンデルターレンシスと行動を共にした高知性人類もいたかもしれません。ですが、3万年前ほど前に、環境の変化によるものか、ホモ・サピエンスによる攻撃のためかはわかりませんが、ホモ・ネアンデルターレンシスは絶滅しました。ホモ・ネアンデルターレンシスのDNAが現生人類にも数%程度残っているとの分析もあります」

 教諭が自分のスレートを操作し、背後の映像を消す。

 だが、それと同時に教室の後ろの壁に資料が映しだされる。

「骨格と筋肉の量が違いますから、ホモ・サピエンスが力づくで交配を行なったとは考えにくい。可能性があるとすれば、両者の合意の上でのことか、もしかしたらホモ・ネアンデルターレンシスによるものもあったのかもしれません。IGF1遺伝子かそれに相当するものがあったのでしょう。サピエンスはかないませんよ」

 教諭がまたスレートを操作し、教室の後ろの資料を消す。

 しかし今度は天井に資料が映し出される。

「このように、種というものの定義は、我々にとっても明確なものではありません」

 教諭が教室内ネットワークをシャットダウンする。

 それも虚しく、校内放送と、緊急用ディスプレイに続きが映し出される。

「つまり、高知性人類は、良く言えばホモ・サピエンスと共存してきたわけです。あるいはホモ・サピエンスにまぎれて隠れてきたと言う方がいいでしょう。例えば、ヒトラーや、アインシュタイン、マンハッタン計画に携わったオッペンハイマー、ファインマン、そして日本で独自に研究をしており、戦後オッペンハイマーをして『深淵からの声』と言わしめた朝永振一郎ともなが・しんいちろう、彼らは高知性人類であったことが判明しています」

 教諭がヘッドセットから情報機器室に、外部との接続およびLANのシャットダウンを指示した。

「このように、高知性人類がいかに危険な存在なのかは明らかです」

 その言葉をもって、教室、そして校内が静かになった。

 さきほどから教諭がちらちらと見られていた生徒が、スレートと投影キューブをとりだす。教室の天井付近に立体映像が投影される。だが、先の動画とは別の人が現れる。その人の前にはカワタと表示されている。

「ブライトを危険視する風潮があるのは知っています。確かに、ある意味において彼らは危険です」

 教諭が、投影している生徒に言う。

「投影をやめなさい。さっきから君は…」

 言われた生徒が静かに答える。

「さっきのは僕じゃないですよ」

 カワタの映像が続ける。

「というのも、彼らを理解することは少しばかり難しい。それに、彼らの行動は彼ら自身の興味、信念、倫理に基いている。社会性や規範を重要と考える私たちにとっては、彼らを理解することは難しいでしょう。ですが、彼らは無政府主義者でもテロリストでもない。彼らは、基本的に、社会性や規範にそれほど興味を持っていません。そういうことに興味を持つこと自体を理解することが難しいと言っていいでしょう」

 教諭は情報機器室に、ネットワークや機器が確実にシャットダウンされているか確認する。

「人は支えあっていると言われるが、彼らは自分で自分を支える方法しか知らないし、理解できない。いや、そういう能力が欠如しているわけではありません。それよりもはるかに優先順位が高いものを持っているのです。私の友人は、それを祝福とも呪いとも表現していました。おそらく、それがなにより的確な表現でしょう。むしろ、そうでないブライトがいたとしたら、知性化テストの結果で上位1%に入っていようとも、その人は実はブライトではないと考える方がいい」

 教諭がその生徒に近づき、投影キューブを取り上げ、スイッチを切る。

 それを見ながら生徒が静かに言う。

「さっきのは僕じゃないって言ってるのにな」

 その生徒は手首につけているブレスレットに命令する。

「親父のところからこの学校の衛星システムをクラック。妥当な時間内に出来なければ、学校周辺のスピーカ・システムをクラック。可能なら超音波スピーカ・アレイ・システムを構築し、あるいはスピーカ・アレイ・システムを構築し、この教室にて音声を構成。その後、先ほどの動画の続きを音声のみであっても再生」

 一瞬の沈黙の後、音声だけが続く。声はカワタのものだ。

「ちょっと誤解されるかもしれないが、こう言ってみましょう。コミュニケーションや支えあうという点についてだけ言えば、ブライトはホモ・ネアンデルターレンシスと類似点があると言っても良いかもしれません。単に性格あるいは考え方の上での類似点であって、DNAの類似点が我々普通のホモ・サピエンス以上にあるわけではありませんが」

 教諭は教室の外に飛び出す。だがそこは静かだった。

「むしろ、彼らは弱いのです。私たちは、規則、規範、組織、場合によっては信仰によって支えられています。ですが彼らはそういうものに意味を見いだせない。自分の興味、信念しか持っていない。もちろん彼らにも友人はいるが、体を友人と思っているのではなく、その人の背景や知性を友人と思っている。私たちにおける人間関係とはかなり異質なのかもしれません。いや、もちろん私たちにもそういう面は当然ありますが。ですが、たとえば、彼らの友人がコンピュータにアップロードされたとしましょう。彼らはおそらく同じく友人だと思うでしょう。ですが、私たちにはそう思うことは可能でしょうか?」

 教諭は教室に戻ると、声を荒げる。

「さっきクラックと言ったな! それがどういうことかわかっているのか?」

 生徒が答える。

「偏った意見を流した人は? 偏った意見だけを受け入れる人は?」

 教諭が生徒の前に立つ。

「そういうことを言っているんじゃない!」

 その間も音声が流れる。

「音声を止めろ!」

 生徒はさらに命令を出す。

「範囲を直径1kmに拡大。スピーカ・アレイ・システムの解除が効率的であればそれを選択」

 音声が大きくなる。

「もし、ブライトを利用しようとしたり、私たちが重んずる規範に押し込めようとしたら、彼らはどうするか? 答えは簡単です。私たちを価値のないものとみなすだけです。おそらく、石ころとすら思わなくなるでしょう。少なくとも、ロボットの方が知的だとみなすでしょう。敵対すらしないでしょう。仮に、種として分かれている、あるいは分かれ始めているのだとすれば、そういう理由ではないでしょうか?」


  ****


 最初に投影された動画と資料は、その教室にいた別の生徒のいたずらとわかった。

 だが、学校とその周辺では、「石ころとすら思わなくなる」、「ロボットの方が知的」という言葉がしばらく人々の口に上った。ブライトの思い上がりとも言われ、自分たちの価値が貶められたとも言われた。だが、最後に広範囲に放送された言葉の中にあった、「私たちが」、そして「私たちを」という言葉は忘れられていた。


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