32年め
「お父さん、先生がこれをお父さんに渡せって」
父親は封筒を受け取り、中を覗き込んだ。一枚の電子ペーパーが入っていた。それを取り出すが、その表面には「要認証」とだけ表示されている。
父親はポケットから指輪を取り出す。学位の授与に際して一緒に授与されるものだ。子供の学校に登録してるものと組になる鍵が入っているその指輪を電子ペーパーに近づける。すると内容が表示された。
「ふうううん」
内容を読みながら、何かが気に入らないという様子で声をあげる。知性テスト上位の児童・生徒に与えられる認証用カードの対象に自分の子供がなったという連絡だった。これに申し込むと返答すれば、数日の間に子供にカードが与えられるだろう。
「あのカードか。お母さんはどう思う?」
子供も電子ペーパーを覗きこむ。
「これ、要らないや」
「まぁ、お母さんの意見も聞いてみよう」
父親は読んだことを示す署名を、指輪で行ない、母親に印刷物を渡した。電子ペーパーが、位置が変わったことを検出したのか、その表面には再び「要認証」と表示される。母親も同様に指輪を取り出し、認証する。
「家なら私かあなたが教えればいいことだから必要ないし。学校で、あった方が便利?」
母親も同じく署名をした。
両親が子供を見つめる。
「わからない。学校の図書サーバにアクセスできなくても、家でどこにでもアクセスできるから。今まで必要だと思ったことはないから」
「なら、欲しいと思った時に申請すればいいわね」
母親がブレスレット型の仮想キーボードを取りだし、その旨の返答を電子ペーパーに入力した。
「そうだ。今すぐどうするというわけではないが、私の方に文面を送っといてもらえるかな。それがあれば欲しいと思った時にすぐに貰えるはずだから」
母親は頷くと、手を電子ペーパーをの上にかざし、手を払うジェスチャーをした。これで父親が使っている計算資源にも内容が転送されているはずだ。
両親は用事がすむと、すぐに指輪をしまった。必要から持っているだけだ。二人からはそういう雰囲気が漂う。
****
「お父さん、先生がこれをお父さんに渡せって」
父親は封筒を受け取り、中を覗き込んだ。一枚の電子ペーパーが入っていた。それを取り出すが、その表面には「要認証」とだけ表示されている。父親は電子ペーパーの下端からソフトウェアキーボードをプルアップし、子供の学校に登録してあるパスワードを入力した。
「おぉ、これか。凄いじゃないか。お母さん、見てごらん」
母親の方に差し出し、ほら早くというように振ってみせる。
母親も目をとおすと、笑みが溢れる。
「凄いわね。これは申し込まないといけないわね」
「私もお母さんも、やっぱり大したものなんだな。その証明だ」
両親とも喜びで笑みが溢れる。
「よし、お母さん返してくれ。申し込むって返事を入力するから。それにしても大したもんだな。同じクラス、いや今はクラスというのはないのか。知り合いだと他にもらった子はいるのか?」
父親は話しながら電子ペーパーのソフトウェアキーボードで申し込む旨を入力した。
「一人だけ知ってる。あそこの子」
「そうか。あの子と同じというのは大したものだ」
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翌々日は週に3日の登校日だった。朝、登校時に二人の子供が会った。
「申し込むっていうの書いてもらった?」
「ううん。要らないかなと思って」
「なんで? カードがあればいろいろ見れるんだよ」
怪訝な顔をしてもう一人の顔を覗き込む。
「うーん、家で教えてもらえるし、難しいページも見れるから」
「そういうの以外にも得なことがあるじゃん」
「あるけど、そんなに使うわけじゃないから。本の割引もあるけど、お父さんかお母さんに買ってもらえばいいし」
話しかけていた子供が、顔を前に向け、ポツリと言う。
「余裕だよなぁ、タカムラ」
「何が?」
話しかけていた方が黙りこむ。
二人は黙って登校した。
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学校で二人は担当教員に電子ペーパーを渡した。教員はすぐに確認すると、一人を呼び止めた。
「君、本当に要らないの?」
「はい」
教員はその生徒の顔をまじまじとみつめる。
「なんで? 優秀な人の証明なのよ?」
生徒は顔を逸らすように、右上の天井に目をやる。しばらくそこを眺めてから答えた。
「うーん、優秀とかそういうのは興味ないので」
「確かあなたのご両親は… それなのに反対しているの?」
教員は子供の目を覗きこむ。
生徒は教員に顔を戻す。
「両親が反対ということではなくて、僕自身がそれは要らないかなと思うので」
「ご両親はもらうように勧めなかったの?」
「はい。書いてあると思いますけど、欲しいと思ったらすぐに貰えるようですし」
教員は怪訝な顔をする。
「欲しいと思ってもすぐにもらえるものじゃないわよ。最低でも2年、テストで上位を取らないと。今回を断ったら、この2年の成績はクリアされて、もらえるのは早くても2年後よ」
教員はそこで何かに気づいた様子だった。
「あぁ、そうか。ご両親は二人とも指輪を持っていますものね。それならすぐに貰えるわけね。わかったわ」
****
夕方になり、職員室に教員が集まっている。教員会議が行なわれている。その最後に、あの教員が二人の生徒の件について報告をした。
「というわけで、彼の方は申請しないとのことです」
教員からの報告を聞き、校長が答える。
「片親が指輪を持っている場合も含めて、同じ例があるようですね」
先の教員が答える。
「これではしめしがつきません。指輪やカードの重みを自覚してもらわなければ」
校長は一旦机に目を落し、しばらくの後に答える。
「難しいところですね。先生方は指輪やカードの実際の目的を知っていますか?」
「優秀な人にいくばくかの優遇を…」
校長はうなずき、言葉を続ける。
「まぁ、それは表向きの話で。人類にとって異質な人を見分けられるようにするためですよ。化物を野放しにするわけにはいかないが、かと言って檻に入れるわけにもいかない。そこで見えない檻を作っているのですよ。異質物を排除したいが、我々の文明はその異質物に依存している。矛盾ですね」
先の教員が苦虫を噛み潰したような表情で答える。
「ならなおのこそ徹底しないと」
校長は、ふうと息とはく。何年もこの仕事をやっていて、何回この説明をしただろう。そういう表情だ。
「彼らは人類にとって異質だと言ったでしょう。人間の理屈を通そうとしても無理です」
その言葉が終わるか終わらないかの内に、先の教員が声をあげる。
「ではもう一人の学生についてはどうなのですか?」
うんうんとうなずきながら、校長が答える。
「フォルス・ポジティブでしょう。いや、テスト上位なのは確かですが、彼や彼の家族は人間だということでしょう」
他の教員が疑問を口にする。
「異質ということは、もう明らかなことなのですか?」
校長がその教員の方を向き、うなずく。
「絶対に口外しないでください。彼らをうまく利用していこうというのが、超国家的な合意ですから」
職員室を沈黙が支配した。