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進化の渦の中で  作者: 宮沢弘
第一部:プロローグ
6/37

44年め

 私は博士後期課程に進学した。どういう訳か教授から進学を勧められた。そうでなくとも進学希望だったが。教授が何をやったのかは知らないが、卒業研究の時から――実際にはもう少し以前かららしいが――私の研究に予算がついているらしい。教授から与えられたテーマという訳でもない。研究室への配属前から教授とは交流があり、その間に次第にテーマらしくなったものだ。たかが卒業研究に予算がついたというのもわからない話だが、教授はその予算がどこからついたのかも教えてくれない。

「紐付きじゃないよ」

 なら、どこから出ているのだろう?

 だが、そのおかげで4年生以来、自分で学費を払う必要はない。生活費以上のお金も受け取っている。


  ****


 修士論文の発表の前に、出資者にビデオ通話で状況の報告をした。だが、相手の映像は見えなかったし、話もしなかった。こちらは、スライドと、説明のための手書きのイラストや式を含め、報告の様子をビデオで送信していたが、向こうからの質問などは文字で送られてきた。

 教授は、そのうちに誰なのかを教えるとは言ってくれたが。


  ****


 ごそごそというような音で目が覚めた。向かいのソファーでロビーが本を読んでいた。

「おはよう、ロビー」

 ロビーという名の自律型ロボット、特にその人工知能が私のテーマだ。古臭い名前だが、たいして考えずにつけてしまった。名前を変えたければ変えればいいと言ってあるのだが、どういうわけかロビーは名前を変えない。

 ロビーは本から顔を起こし、こちらを見る。

「タカムラ、この1ヶ月で何日帰宅しました?」

「毎週帰っているよ」

 目を、そして顔を擦り、あくびをする。

「それは標準的な労働環境ではありませんね」

「『標準的な労働環境』だって? まぁこれが労働ならそうかもしれないけどね」

「私の開発は労働ではない?」

「違うんだろうなぁ。遊びだよ」

「私を作るのが遊びですか?」

 ロビーが辞書の更新をしようとしているらしい。

「うん。遊びだな。面白いからな。面白ければ、遊びだろ? それに学生だからかもしれないけど、働くっていう概念が私にはよくわからないんだ。面白いと思うことをやらないとして、それって生きているって言えるのか?」

「『働く』というのは生きるための糧をえることであり、おおむね契約に基づき…」

 ロビーが説明しようとするのを、私は手を振って遮る。

「は、労働ってやつと生きるってやつは分離できるのか? できると言うのなら、それ自体理解できないよ。狂気のさただ。それは生きている理由がないってことだろ? それとも、

残るのは『繁殖』こそ生きるってことになるのかな。その役立たずの辞書なんか捨てちまえ。もう君にはいらないだろ?」

「破棄も可能ではありますが…」

「あぁ、分かってる。念のために持っておけよ」

 ロビーは本に目を戻す。

 ロビーを見ながら、つい考える。


  ****


 ロビーを構成する理論的モデルはそれなりに多岐にわたる。生理モデル、統計モデル、シンボリズム、コネクショニズム、セミオティック――あるいはセミオロジー――、構造主義。それぞれは新しい技術や知識ではない。比較的新しいと言えるものは現象学だろう。もっとも古い精神現象学ではない。それを基礎、あるいは批判対象として現われたヘテロ現象学を経て、一般化することで対象を客観的に扱えるようにした志向的現象学――しばらく前までは客観現象学と呼ばれていた――を使っている。実はこれも新しい概念ではない。それらを使った時間と空間のモデリング、そして理解における多世界モデリングはモリヤという先生から教授が引き継いで、資料を持っていた。それをさらに私が引き継いだ。

「まったく…」

 私が作った、新しいものはないな。ただ、何だろう。それがどういうものであれ統計も必要だし、かと言って古い型の論理を捨てるのも、何かが違うと思った。そして、たとえば文の特徴の、複数の文の間での生起や傾向。エピソード記憶の中でも外でも同じだ。それをモデルにできれば、思考のモデルが作れるのではないか。ただ、それは "ON THE EDGE" とも言える考えだ。プリミティブな生得的な回路はあるとしても、人間には知性はないという考えにもつながるのだから。そして、残念ながらそれが機能してしまっている。少なくともロビーでは。あるいは、そのモデルをどのように、どのようなものを構築するのか。そこにかかわる脳機能の差異。それがあることを認めなければならない。とくに「通常は問題ない」とされている人の間にも、その違いがあることは明らかだ。私が行なった、何か新しいものがあるとすれば、そこかもしれない。だが、それはタブーとされていた。そこは、「『繁殖』こそ生きるってこと」を補強してしまうのではないだろうか?

 そして、ロビーはそれらを統合した人工知能となっている。なぜこれに予算がつくのか、まったく不思議だ。

 修士の1年の時に、初期の統合モデルの開発にめどがつき、昨年の後半にはロビーに統合モデルをインストールした。まだシンボリズムやセミオロジーの扱いが中途半端だったが。内省をさせると、確かに内部状態を参照しているところまではもっていけた。

 そして、もうロビーは大丈夫だろう。


  ****


 自分の机に戻り、計算機を見ると、昨夜作ったプログラムとデータのコンパイルが終わっていた。

 ロビーをソファーから呼び寄せる。

「ロビー、プログラムとデータの更新をするので、ちょっと拘束させてくれないか?」

 ロビーはうなずくと、部屋の片隅にあるハーネスの所に歩み寄る。

 ロビーが台に乗ったのを確認し、余裕があるように拘束する。プログラムとデータの更新がコケていて、万が一としても暴れられたら困る。おかしいと思われるかもしれないが、ただ拘束するのは躊躇われる。だからなのか、いつもついロビーに確認をしてしまう。

 私は計算機の前に戻り、更新の準備をする。

「ロビー、今のメモリの内容をバックアップし、新しいプログラムをインストールする。記憶の回復はそっちでできるはずだ」

 ロビーが頷く。

 私は”update”というボタンをクリックする。

 数分後、画面がダウンロードとアップロードの完了を知らせてくる。

「ロビー、どうだい?」

「大丈夫だと思うな。シンボリズム面での記憶の構造化に変更があったようだが、解析と再構築は出来たと思う」

 ロビーの口調が少し変わっている。うん。いいね。

「よし、なら再構築が出来たかどうかを見るために、今の状態をダウンロードさせてくれ」

「わかった」

 私は”download”というボタンをクリックする。さっきこちらから送ったものを、ロビーが自分で再構築したものを記録しておく。これで前のバージョンと、そして今のバージョンについてはアップロードしたものとロビーがそこから再構築したものという3つのデータがここに揃っている。毎回のことなので解析用ツールは作ってあるが、これらの解析に1週間ほど時間がかかる。

 ロビーの拘束を解き、ロビーにも手伝ってもらう。


  ****


 私とロビーが作業をしている様子は、傍から見ると異様だと言われたこともある。それぞれが計算機を操作しながら、二人の間で通じる略語や用語をてんでバラバラに口に出している。それは相手への依頼や連絡なのだが、確かに周りからはわかりにくいだろう。双子語のようなものかもしれない。

 あるいは、私が休憩している時、私は同じようにロビーにだけ通じる言葉を口にすることもある。「XXのモジュールのYYのソースのZZ行目あたりの、AA機能がこうなっているはずだから、こう直して試してみてくれ」というのを、「あいうえお」と言い、「何年何月何日の何時頃のログで視覚センサーからの個体識別結果の正答率を、以前のプログラム、および新しい版でのシミュレーションと比較してくれ」というのを「あかさたな」と言うようなものだ。まぁ、そりゃぁわからないだろう。

 チャットだって使えるが、その場で思ったことを声に出すほうが早い。いっそのこと、脳から直接信号を送りたいが、その技術にはまだそこまでの性能はない。


  ****


 ロビーはおそらくもうとっくに信頼できる。実際、データの解析など、信頼して任せている。あとは、ロビーにストレス・テストを行なうくらいだろう。その結果に合わせてプログラムを変更する必要があるだろうが。何となくストレス・テストを行なうのは気が引ける。私にとっては、ロビーは既に人格があるのだ。

 進学して2年弱、あるいは2年で学位を取得し、退学するかもしれない。教授の退官のタイミングにも合うし。ちょうどいいように思う。教授とこのあたりも話しておこう。

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