13年め
(*** 13年め ***)
知性化の研究所に着く。最初にあの話を持ってきたイケダがここで研究をしている。
緑も多く、その間に何棟かのビルがそびえている。ガラス張りの壁面が日を浴びて輝いている。人々が行き交い、議論をしている。その光景に、また輝きを感じる。それらの輝きに浮かされながら、足を進める。
受付でIDを示す。受付係がカードを私に渡しながらいつものように言う。
「では、D.0 サイモン、通路などはカードの表示に従ってください。研究所内でのあなたの情報機器の使用は制限させていただきます。記録などが必要であれば、そのカードをお使いください。お帰りの際にご自分の情報機器への情報の転送が必要であれば、認められるものであれば可能です」
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指定された会議室に着く。カードを扉の錠にかざすと、鍵が開いた。中に一歩踏みこむと、そこにはイケダと、もう一人――同僚だろう――がいた。そして壁にはチンプ――知性化されたチンパンジー――の映像が映っている。普通のチンパンジーよりも、ずいぶん人間に似ている。
「ようこそ、サイモン」
こちらに気付いたイケダが手を振る。
「ロックホルドはいないのか?」
「あぁ。年だからな。一種の外交が忙しいそうだ。ボヤいていたよ」
まぁそういう年か。以前会った時も、研究に専念したいとボヤいていた。
「で、話というのは?」
何となく目はチンプに向いてしまう。
「その前に、ファーラーを紹介しておこう。情報が専門だ」
「よろしく、サイモン」
ファーラーと握手をし、話を戻す。ファーラーもチンプと自分のスレートにすぐに目を戻す。
「それで、この映像は?」
イケダはファーラーの様子を見てから、答える。
「うん。君は、なんと言うか、ともかく生まれてしまった。君の意思や希望とは関係なしに。それは人間も同じだが」
「あぁ、それで?」
私はそのあたりは大して気にしていないのだが、やはりそういうことを気にする人間もいる。イケダからそういうことを言われたのは少し意外だったが。
「それで思ったんだが、知性化された動物たちは生まれることを望んでいるのかと思ってね」
私は映像を見ながら問いかける。
「だが、遺伝情報の表現型なら君だってわかっているんだろ?」
「そこだよ」
イケダが人差し指を立て、左右にふる。
「だが、同時にそこではない。まさに生まれることを望むかどうかなんだ。私だって表現型がどうなるかはわかる。だがチンプが、たとえばどのような外見を望むかがわかるか?それに生まれることを望むかどうかも」
「わからないな。わかりようもないだろう」
イケダにしてはおかしなことを言うものだと思ったが、そういう意図だったのか。
「そこで、DNAを基にした表現型を計算し、その表現型そのものをシミュレートできたとしたら? 外見から、脳機能の表現型、そしてその表現型の実行だ」
さすがにその言葉には驚いた。
「そんなことができるのか?」
イケダは楽しそうにクスリと笑う。
「そこでファーラーがやらかしたんだ。電磁情報となっているDNA、言うならGATCという4種類の文字が並んだただの文字列から、表現型の実行までをシミュレートする。まぁ他にもRNA群やら酵素群やらいろいろと計算するわけだが。君が見ているのがそれだ」
そこでファーラーが話し始める。
「チャーリー、こういうのはどうだい?」
映像が二つに割れ、片方に先ほどからのチンプ――チャーリーというらしい――、もう片方に幾分人間に似た映像が現れる。チャーリーが答える。
「難しいな。人間に似ている方を望む気持ちもあるが、それと相反する気持ちもある。この辺りが私に判断できる限界かもしれない」
ファーラーが続ける。
「どうする? とりあえず新しい版に移行してみるかい?」
「そうだな。そうしてみよう」
ファーラーが手元のスレートで何か操作をすると、チャーリーの映像が消え、先の幾分人間に似た映像が残る。ファーラーはその顔に向かって話しかける。
「チャーリー、移行できたと思うがどうだい?」
映像が答える。
「ふむ。少し内部でシミュレートさせて欲しいが」
「わかった」
私はファーラーに向かい、質問した。
「今のはどういうことだ? チャーリーと呼んでいた映像が消え、新しい方の映像が残った。だがあなたは両方ともチャーリーと呼んでいたが」
ファーラーは、「うーん」と唸ってから答える。どこから説明したものだろうという表情だ。
「それは両方ともチャーリーだからだ。古い版のチャーリーの記憶や経験、それにはシミュレーションもあれば、私たちとの会話のような現実もあるが、それらを新しい版に移行したからね。両方ともチャーリーだよ。もし望むなら――私たちなのか、彼がなのかはともかく――、いくつもの版のチャーリーを同時に実行できる」
「それをやったことはあるのか?」
「何回かある。チャーリーの希望でね」
私だったらどうしただろう。生まれることを望んだだろうか? それにバージョンが違う自分との会話。おそらく記憶や経験を共有していたとしても、何か認識が違うだろう。そんな状況が経験できていたとしたら、私ならどうしただろうか? いや、そもそもそういう状況を望んだだろうか?
ふと、疑問がよぎる。
「私の後継世代にも、これをやるのか?」
イケダが答える。
「そこだよ。そこを君に聞きたくて、来てもらったんだ」
****
受付に戻る。受付係がいつものように言う。
「では、持ち出しを希望する情報や物品はありますか?」
「いや、ない」
足がふらつく気がする。車に乗り、一息つく。イケダには、答えを待ってもらった。私に決められるのだろうか? いや、私が決めていいのだろうか? チャーリーには魂はあるのだろうか? 私には?
私は人間ではない。だが、きわめて人間に近いはずだ。ならば、イケダたちは、それにチャーリーも何者だ? それに私をデザインした者たちも。
何年も前にイケダが私に高知性人類について告げた時、それがどういうことかわかっていたのだろうか? 私にはわかっていたのだろうか?