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進化の渦の中で  作者: 宮沢弘
第二部:ヒトたち
24/37

22.2年め

(** 22.2年め **)


 疾病対策局のエージェントを名乗る者がやって来た。はなから胡散臭い。知能テストについて話を聞きたいとのことだが、それで疾病対策局だって? そういう可能性もまったく無いではないだろうが。はじめから疑ってくれと言っているようなものだ。

 椅子を勧め、冷蔵庫から水のボトルを取り出し、彼に勧める。

「カワタ先生は、先日、デザインド・サイモンに会ったと聞いたのですが」

 そう彼が切り出す。これは本題に入っているのだろうか?

「えぇ。知能テストの件で少し話しました」

 彼は手を組み、親指を回している。

「デザインド・サイモンは、先生に何を依頼したのですか?」

「そうですね。知能テストの基盤となる考え、そしてテストの内容、そういうことについての意見を求められました」

 彼は両手の親指を合わせる。

「先生、ぜひ本当のことを話していただけないでしょうか? そうでなければ、協力のしようがない」

「協力? 何についてでしょうか。知能テストの検証は、それは大規模に行ないたいが。あなたがそういうことについての権限をお持ちとも思えないが」

 このエージェントは、サイモン氏について何を知っているのだろうか? サイモン氏の同志なのだろうか? 違うような気がする。サイモン氏から私のことを聞いているのなら、こんな尋ね方はしないだろう。良くも悪くも、彼らはこういう言い方はしない。

「デザインド・サイモンは、ある種の差別主義的な思想を持ち、それを助長する活動を行なっている疑いがあります」

「ほう。それで?」

 できるだけ興味を持ったふうを装うように心掛ける。

「もし、先生がそういう事柄に何らかの反感を持たれるのであれば、先生をデザインド・サイモンの活動から保護することが可能です」

「うーん、サイモン氏からはそういう差別主義的な雰囲気も、話しもありませんでしたね」

 彼は鞄からスレートを取り出し、論文をいくつか表示する。少し覗き込むと、どうやら主に私の論文のようだ。

「先生は、このような論文を発表されている。これらは先生とデザインド・サイモンとの関係を疑わせるに充分なものだと思いますが」

 彼がスレートを私の方に押し出す。私はちらちらと眺めながら答える。

「そうは言っても、全部、サイモン氏に会う前の物ですが?」

 彼は軽く鼻を鳴らす。とぼけているとでも思っているのだろうか?

「分子進化学からも、社会学からも、教育関連の分野からも、先生の論文を支持する結果は発表されていない。にもかかわらず、なぜ先生はこういう論文を発表し続けているのですか?」

「それだけを研究しているわけでもありませんが。気になったからとしか言えないですね。他に表現のしようがない」

「では、先生は今後、どのような結論を出すつもりなのですか?」

 結論だって?

「結論というと?」

「例えば、彼らが社会の主導権を持つことが望ましいとかそういう類のことです」

 なるほど。つまり、発端から結論まで、サイモン氏の描いた絵に則っていると言いたいのか。サイモン氏たちの陰謀だと言いたいのか。

「ちょっと待って下さい。その『彼ら』というのは?」

 彼が左側の唇を歪ませる。笑っているのだろうか?

「デザインド・サイモンの一派ですよ。彼らは、人間が時間をかけて得た、自由と平等、そして民主主義を否定しようとしている」

 私はしばらく言葉がでなかった。そういう問題ではないのだ。にもかかわらず、そういう問題と見ているのだろうか? そういう問題としてしか見ることができないのだろうか?

「サイモン氏の一派というものが、それらを破棄し、自分たちで権力などを握ろうとしているとお考えなのですか?」

「正確には、デザインド・サイモンの一派というわけではありませんね。いわゆる『高知性人類』がですね」

「高知性人類ですか。面白い呼び名ですね。ところで、そうだとして、何が問題なのでしょう?」

 彼は軽く声をあげて笑った。

「『何が問題か』ですって? その意味がおわかりにならない先生でもないでしょう。自由と平等と民主主義に疑問の声をあげようとしているのですよ? それがどんな社会をもたらすかを想像できないというわけではないでしょう」

「面白いことをおっしゃいますね。では、考えてみましょう。王が充分以上に賢いとします。そうであったとしても、国の全てについて一人の王が判断を下すことは不可能だ。全てを調査し、その上で判断する。これは不可能だ。その判断が適切か否か以前に、不可能だ。単純に時間という物理量の制約から、不可能だ。」

 彼がまた鼻を鳴らす。

「そこで、王は、やることを個人や組織に委任することになる。充分に多くの組織や個人に委任するとしましょう。そうすれば、時間という制約はおそらくなくなる。あるいは、少なくとも充分に緩和できるとしましょう」

「その段階で、人類は長い時間を過ごしてきた。だが、そこからもう一歩進んだ状態が現在ですね」

 彼はうなずきながら相槌を入れた。

「さて、では、王の賢さを維持しつつ、そのような委任がどのような条件によって可能となるでしょうか?」

「条件などない。その任にある人の責任においてだ」

 声に、すこし苛立ったような感じがある。

「委任が可能になる条件は、委任される側が充分に知性を持っているかどうかでしょう。もし、その任に当たる人に充分な知性がなかったとしたらどうなるでしょうか?」

「任に当たること自体が、充分な試験や観察の結果でしょうね」

 苛立ちが少し高まった様に思う。

「さて、言うまでもありませんが、これは政治においては選挙という形において、一般の市民にまで敷衍できる事柄です。もし、市民が――これは被選挙人も当然含みますが――、充分な知性を持たないとしたらどうでしょうか? その市民が選ぶ被選挙人に充分な資格があると、誰が――あるいは何が――保証できるでしょうか?」

「だからこその民主主義だ。多くの市民の知性による判断を尊重する。任に当たることこそが資格や能力の証左でしょう」

 なぜ、任に当たったことが能力などの証明になると言えるのだろう? また市民の知性とやらが、一体どれほどのもので、一体何を保証するというのだろう?

「そうすると、結局、話は昔から言われる話になる。まぁ委任は多かれ少なかれあるわけですが。『賢帝か衆愚政治か』という話ですね」

「賢帝など存在しないし、期待することによって愚かな王を生み出すことも馬鹿げた話だ」

 彼はソファーに背中を預ける。私から情報を引き出そうという試みは、もう諦めたのだろうか?

「安定した衆愚政治を望むのであれば、今のあり方は完璧な方法です。任にあたったことが、その人の能力や知性を保証するという考え方は全く完璧だ。どこにも瑕疵はない。なぜなら、そこに瑕疵を発見しようとすること自体をナンセンスと宣言している考え方だ」

「能力がなければ任ぜられることもないのだから、どこがナンセンスなのかね?」

 まぁこういう人間が多いわけだが。話の前提から噛み合わない。私は人間だが、サイモン氏との会話の方がはるかに理解しやすい。知り合ってそれほど時間が経っているわけではないが、彼とは気が合うと思う。少なくとも、このような手合いよりも。

「そうした衆愚政治の中、状況によって、王は愚か者とも呼ばれ、英雄とも賢王ともなる。それを決めるのは人間であり、その人間の知性は危ういものです。その危うい知性が下した判断は妥当なのでしょうか?」

 彼はソファーから背を起こし、右手の人差し指を立て、声を荒らげた。

「君もやはりデザインド・サイモンに同調しているのだね?」

「大雑把な話ですが、民主主義の根本的な思想、『皆で決めたことだから』というのがありますね。民主主義的に決めたことが合理的であることを何が保証するのでしょうか。なんというナンセンスでしょう。そのナンセンスに付き合うことの不条理。その安定したナンセンスから逃れる方法は?」

 彼は、私から質問されているとは、しばらく気付かなかったようだ。少しばかり噛み合わない会話を――それを会話と呼べるのなら――していたのだからしかたないだろう。そして、答える。

「社会に反旗を翻すということかね?」

「いいえ。私だったら、そうはしないでしょう。ナンセンスに対して、意味をなす質問をしても無駄だ。ナンセンスにとってはナンセンスこそが論理ですから。論理は、そこにおいてはナンセンスになる。いや、ナンセンスにも論理はあるのですから、その『ナンセンス』はナンセンスでさえない。その『ナンセンス』から逃れる方法は、自らもその『ナンセンス』の一部になることでしょう」

「何か知っているような話しぶりに思えるが。はっきり言ったらどうなのかね?」

 私は、水を飲み、ゆっくりと答える。

「高知性人類でしたでしょうか?」

 彼は苛立ちの表情を浮かべながらうなずく。

「高知性人類は、人間は充分に知性化していると信じ、知性に基づく社会を目指そうとした。少なくとも、科学だろうとなんだろうと、人類全体で共有できる知識であり知性だと考えた。あるいは、言い換えましょう。人類は知識と知性を共有できる存在だと考えた。何回も、何回も、何回も、何回も。そして、その結果が現状だ」

「だから、自分たちに有利な状況を創りだそうとするのだろう」

 彼の苛立ちはさらに増したようだ。右足が貧乏ゆすりをはじめている。

「私だったら、諦めますね。ただ、高知性人類についての事実だけは確認しておきたいと思いますが」

 彼は手を顎に当て、考えていた。

「デザインド・サイモンたちがやろうとしていることは、そういうことなのかね?」

「私は、私だったら諦めるしか方法はないと考えただけです。おそらく、私にはそういうことも可能でしょうから。高知性人類がどうするかはわかりません。かなりの確率で、人類とはかかわらない方がいいという結論になるでしょうが。あなたに会って、今、考えたのはそういうことです。先日を除いて彼と話したことも連絡を取ったこともない。あぁ、先日会うことについての連絡を除いてですが」

 私はボトルを取り、また水を飲んだ。しばらく沈黙が続く。

「わかりました。ご協力ありがとうございました」

 彼は立ち上がり、ズボンのポケットに両手を入れて部屋から出て行く


  ****


 私は、苛つきながら、駐車場に着くまで考えた。カワタは、「高知性人類がどうするかはわかりません」と言った。つまり、連中は何かをやるということだろう。

 高知性人類だって? まったく馬鹿げた考えだ。そういう考えがどれだけ人間に害をなしてきたか。

 任に当たったことは能力を何も保証しない? それが保証せずに何が保証するというのだ?

 「民主主義的に決めたことの合理性」だって? なぜそれを疑う必要がある? 合理的であろうとなかろうと、そういうルールだ。なぜそれを疑うのだ?


  ****


 窓の外を見ていると、彼がこの建物から出て行くのが目に入った。おそらく、私が最後に言った言葉を、彼は、「高知性人類は何かをやるつもりだ」と受け取っただろう。それ以外に受け取りようがない。なぜなら、はじめからそういう結論を持っているのだから。それが、人間――私も含めて――の限界だ。正しいと言われていることによる呪縛、ルールとされていることによる呪縛。それらを疑わないこと自体が、自分自身の知性の限界を示している。私には宇宙の外側というものを想像できない。それがあるとしたらだが。あるいは、宇宙の外には何もない、何もないという事象すら存在しない、そういう考えも想像できない。そこは私の限界の一つだ。だが、私は彼らが何かをやるなどということは言っていない。

 彼はサイモン氏たちの考えを「選民思想」のようなものと結びつけているようだ。残念ながら、そうだったらどれほど簡単なことか。人間とチンパンジーは同じ祖先から分化したと言われた時には、人間はそれを理解できずにいた。今度は、チンパンジーと思われていた群れの中に人間がいると言われている。もし、彼らがここで「人間」と呼ばれる側だったらどう考えただろう? だが、皮肉なことに、今回は、「自分たちがチンパンジーと呼ばれている」ことを知っている。あぁ、その点は「人間とチンパンジーは同じ祖先から分化した」と言われた場合にも同じような状況だったのかもしれない。

 そこで気づいた。人間がデザインドやロボットや人工知能に苛立ちや恐怖を覚えるのは、他者からの侵略だからではないのだろう。同じ者と考えているからこそなのだろう。ロボットたちを自分たちの地位に上げて考えているのではない。自分たちがロボットたちの舞台――人間は、そこは人間よりも低い場所だと考えている――に引きずり降ろされることを恐れているのだろう。知性という、特権を保証すると思われた自分宛てのチケットが、実は広告の裏と芋版で作られたものだということを認めたくないだけなのだろう。

 昔の作家が書いていたナンセンス・コメディではないが、人間よりハツカネズミの方が賢いというのは真実なのだろうと思えてくる。おそらく、そこから出発し直さないといけないのだろう。私は何匹めかのフェレットを飼っている。フェレットを見ていると実に面白い。目標を設定し、空間モデリングを行ない、計画も立てている。まぁ、少なくともそう見える。フェレットと人間の間に、越えられない溝があるだろうか? 私にはそうは思えない。だが、おそらく人間とサイモン氏たちとの間には越えられない溝があるように思う。

 サイモン氏たちは終末――それがサイモン氏たちのものであれ、人類のものであれ――に間に合うだろうか。


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