22年め
(*** 22年め ***)
「カワタ先生、おいで頂いてありがとうございます」
カワタ先生は40代なかば。若手からは外れてしばらく経っている。私は机の引き出しからジャミング・キューブを取り出してポケットに入れながら、先生にオフィスのソファーを勧める。先生が腰を下ろす間に、コーヒーを2杯注ぐ。ついでに新しいコーヒーを淹れるように操作する。
先生の方に向き直りながら、すこし言い訳をする。
「ちょっとアレですが、今、新しいコーヒーを淹れますので」
テーブルにカップを置く。ジャミング・キューブもテーブルに置き、起動する。
「Mr. サイモン、ずいぶんな用心ですね」
「ええ。まだそういう段階なので。先生に話を受けていただければ、状況も変わっていくでしょうが」
先生がコーヒーを飲み、渋い顔をする。
「で、どういう用件なのでしょうか?」
私もコーヒーを飲み、やはり渋い顔をした。
「先生が最近、知能の高い学生について少し発表されているので、お話を伺いたいと思いまして」
先生が片方の眉を上げる。
「正直なところをお願いしたい。そんなものなら公開している論文や記事でご存知でしょう」
どう切り出したらいいものが、少しばかり悩むが、素直に切り出すことにした。
「私の古い友人が、20年ほど前から、人類は分化していると言っています。おそらく、人類と、知性を持った人類に。ジーン・マップも見せてもらいました。動物の知性化と似たような傾向がいろいろ見られるそうです。言葉は違うが、先生が述べられていることと同じではありませんか?」
先生はうなずくと、部屋の中のあちこちに目をやる。何かを探しているというよりも、どう切り出すか、言葉を探しているようだ。
「あぁ。そういうことでしたか。私もそれほど経験があるわけじゃないが、稀に、荒削りではあるものの最先端のアルゴリズムを自前で組み上げる学生を目にしています。そういう場合には、『書いてあるから本を読め』と言っていますが」
先生はそう言うと笑った。
新しいコーヒーが出来た音がする。
「コーヒーを新しいのにしましょう」
そう言って私はソファーから立つ。新しいカップにコーヒーを注ぎ、ソファーに戻る。
「こういう言い方は失礼だとは思いますが、先生は人類だ」
先生が笑いながら答える。
「それは自分でもわかっています。ぜひ、あなたの友人のデータを拝見したいが、可能なのでしょうか?」
「では見ていただきましょう。これが友人からもらった最新のデータです」
私はポケットから端末を取り出すとテーブルに置き、立体投影する。
先生がいろいろと操作しながら、データを確認する。
「これは。私が想像していたよりも切迫した状況のようだ。で、私にどうしろと?」
私の顔をまじまじと見る。
「こういうことが世間にそのまま知られたらどうなると思いますか?」
「うーん、どうだろう? おそらく、良い印象は持たないでしょうね」
「私の友人もそこを心配しています」
先生が少し考えこむ。
「あなた方が目指しているところは? つまり共存を目指しているのかということですが」
先生はじっと私の目を見る。
「いや、私たちは共存は無理だろうと考えています。そうですね。例えば、人間は歴史を通して戦争をしてきた。仮にホモ・ネアンデルターレンシスが生き続けていたとしましょう。そうすれば、もしかしたらホモ・サピエンスは団結し、ホモ・ネアンデルターレンシスを相手に戦争をしていたかもしれない。たぶん、そういうことが起こるのではないかと考えています」
静かに、テーブルの上の映像を先生は繰り返し見た。
「形はどうあれ、そういうことでしょうね」
そう言うと、先生は視線をテーブルの上から私に移した。
「ですから、私たちは、高知性人類は地球から出て行くしか方法がないと考えています。いや、少なくともその可能性を考える必要があると」
先生はうなずく。
「そうすると、質問は最初に戻ることになる。私に何を期待しているのでしょう?」
先生のように冷静な人が多ければ、問題は起きないのかもしれない。だが、それは幻想だということはわかっている。
「先生は人間としての立場から、彼らへの風当たりが悪くならないように活動していただけないものかと」
先生はカップを手に取り、一口飲む。
「ふむ。つまり、先ほどのデータを見る前の状態で活動していけばいいということでしょうか?」
「ある意味ではそうなるでしょう」
先生は楽しげに何回かうなずく。
「ただし、今度は知った上でだ。彼らの存在を明らかにするのはいつ頃を考えていますか?」
「おそらく10年以内かと考えています」
「当然、先ほどのデータを公開するわけには…」
思わず私は首を横に振る。
「それは避けていただきたい」
「とすると、私自身で当たり障りのないデータを集めるところから始めないといけませんね。少し忙しいかもしれない」
「引き受けていただけますか?」
先生は軽く笑みを浮かべた。
「えぇ、やりましょう」
先生がコーヒーを飲み干す。
「ところで、知能テストの大きな改訂の動きもあなた方の働きで?」
「半分はというところでしょうか。のこり半分は偶然です」
先生は空になったカップを覗き込みながら、興味があるのかないのか、それもわからない声で言った。
「他にも協力者がいるようだ。あなたの友人にも、他の協力者にも、ぜひいずれお会いしたいですね」
先生はカップをテーブルに戻し、手を差し出す。私は握手をして立ち上がる。ジャミング・キューブも停止し、ポケットに収める。
先生が部屋のドアを開け、振り返る。
「あぁ、そうだ」
私は驚き振り返る。
「そういえば、新しい知能テストが実施されるようですね。充分なテストが行なわれているのだと思いますが、これまでのいくつかのバージョンより、良さそうなのですか?」
胸を撫で下ろす。つまり、高知性人類をうまく発見できるのかということだろう。
「もちろん完全という訳ではありませんが。良いものだそうです」
「私も研究者として興味があります。可能なら資料やデータをいただけますか?」
「それなら後ほど送りますよ」
先生は少しばからキョロキョロと部屋の中を見回した。これなら見られたとしても大丈夫だろうというように。
「では失礼することにしましょう」
先生は会釈をして帰っていった。