57年め
(*** 57年め ***)
チャーリーに呼び出され――方法は、まぁ、あまり勧められるものではないが――、私は知性化研究所へと赴く。
知性化研究所に着くと、私は周囲を見回した。正直言って、あまり手入れが行き届いていないように思う。昔は輝いて見えたものだ。実際、ガラス張りやら何やらで輝いていたが。それだけでなく、印象として輝いて見えた。今や、ガラスは曇り――ひどいところは何かの板が裏張りされている――、知性の輝きも消えかけている。
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チャーリーの研究室に入ると、チャーリーがディスプレイの中からこちらに目を向ける。
「で、話というのは?」
研究室にある椅子を適当に引き寄せ、埃を払い、腰を下ろす。
「サイモン、君も体験していることだろうと思うが。その、何と言うか、友人たちがいなくなることは寂しくないか?」
「いなくなる…か。だが、そういうものだ。それに、Ascendすれば…」
私の言葉をチャーリーが遮る。
「あぁ、新しい友人は作ることもできるし、新しい友人ならAscedすることも
できる。だが、例えば、今のファーラーをAscendしたとして、それは彼なのだろうか? あるいはイケダたちをどうやってAscendする? もういなくなっているのに」
今のファーラーの様子を思い浮かべる。そしていなくなった友人たちの顔も。彼らとの会話も脳裏をすさまじい勢いで駆け抜ける。
「ファーラーはもう80を過ぎていたか? そうだな。今のファーラーが、私たちが知っているファーラーなのかと言われれば、違うのかもしれないな。イケダたちは… Ascendの技術が確立される前に…」
チャーリーが頷く。うつむき加減で、視線も下を向いている。こんなチャーリーを見たのは初めてだと思う。
「それで考えてみたことがあるんだ。記録から――どのようなものであれすべての記録から――、彼らを復元できないだろうかと。ファーラーについては、記録でAscendしたデータを補完できないだろうかと」
私はチャーリーを見据えた。しばらく、無言で。
「チャーリー、君は知っているはずだ。それに似た計画はあったことを。そしてその結果も」
「あぁ。知っている」
チャーリーの言葉が一旦途切れる。
「だが、サイモン、データから統計モデルだけでなく、その背後の性向や論理、経験を再構成できるなら。以前開発した統合アルゴリズムを応用すれば」
「チャーリー!」
私は語気を荒げた。
「それができたとしても、それは彼らなのか? よく考えろ!」
「私は…」チャーリーがうめくように呟いた。「私はこれに耐えることができるかわからない。君は人間の文化の中で長いあいだ生きてきた。だから耐える方法も知っているのかもしれない。だけど… 私は、その方法を知らないんだ」
確かにチャーリーはその方法を知らないだろう。方法などない。ただ忘却にまかせるだけだ。だがチャーリーには忘却はない。いつでも記録と記憶を呼び出せるのだから。だが、友人たちをおもちゃにしていい理由にはならない。それが実際には友人たちではないとしても。だが、もし可能なら? 充分に友人たちに近い存在として復元できたとしたら?
「君がそういうことを言い出すということは、記録はもう持っているんだな?」
「あぁ」
「ファーラーもAscendして、それらすべてのデータを預けてみてもいいだろうと思う人がいる。結果は… 期待できないだろうな。それに可能だったとしても、復元人格が存在を望むかどうか。あるいは、私たちの希望に沿わない復元人格だとして、機能の停止を誰が頼めるのか。そして復元人格がそれを認めるかどうか。その点については、各々の復元人格の判断に任せる。そういう条件でなら」
チャーリーが頷く。
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私は車の中で通信を起動する。
「タカムラ、復元人格のことは知っているな? 私の友人が、友人たちの記録を集めたのだが、それから可能だろうか? それから、これからAscendしたデータを記録で補完して欲しい人もいるのだが」
端末の向こう側では、タカムラとロビーがよくわからない会話をしている。外国語というわけでもないようだが、何を言っているのかさっぱりわからない。
「その計画は以前ありました。ですが、あなたも、その結果は知っているでしょう?」
タカムラは明らかに怪訝な表情をしている。何のために? そう思っているのだろう。
「もちろん知っている。だが、友人が… 辛そうだったのでね。データの統計その他のモデル化だけではなく、そういうモデルを構築するであろう、個人の経験や世界のモデルへと抽象化できればと友人は言っているんだ。記憶の統合アルゴリズムを応用すればと」
またタカムラとロビーが、そして今度はあちらのラグナロクも加わって何かを話している。相変わらず、何を話しているのかはわからない。
「Ascendのデータを記録で補完する人がいるんですね? なら、その人から試してみましょう。ロビーたちに何か考えがあるようだ。今、話を聞いたが、見込みがないわけじゃなさそうだ」
「ありがとう。無理だったらそれでいいんだ。おもちゃみたいなものができたとしても… 私の友人も、私も、それは望んでいない」
また端末の向こう側で会議が行なわれる。これはたぶん、いわゆる言語ではないのだろう。例えて言うなら、言語表現を情報圧縮し、発話しているようなものだろう。伝達そのものは速くなるだろうが、圧縮と解凍のコストはどうなのだろうか? タカムラは生身でやっているように見えるが。
「つまり、極上の状態で復元しろということですね?」
「あぁ。できるかな?」
「充分な記録があれば、可能性はあります。ただ、言わなくてもわかっていると思いますが。Ascendしたデータを記録で補完する人はともかく、他の人の場合、復元人格がその人だと言えるのかどうか」
私は頷いて答えた。
「その点もわかっている。実際には別人でも構わないんだ。ただ、極上の知性と、私たちへの極上の刺激が欲しいんだ」
今度はタカムラがうなずき、答える。
「それがわかっているなら構いません。やってみましょう」
「ありがとう」
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走っている車の中で、考えた。
これは赦されることなのだろうか? 誰に? 亡くなっている本人に? 亡くなっているのにどうやって赦すと言うのだろう。復元人格がオリジナルとはまったく異なる人格になっていたら、誰が赦すのだろう? 本人だろうか? まったく異なる人格なのに?
だが、可能ならば、世界はそれを禁止していないということだ。禁止されていないのなら、行なってはいけない理由は何があるだろう?
答えは出ない。ただ、友人たちが復元されたら、私も嬉しいだろう。それだけは、そう思う。