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進化の渦の中で  作者: 宮沢弘
第一部:プロローグ
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1.2年め ―100年後を目指して―


 国際科学諮問委員会へと向かう。彼との約束だ。何とか取りつけた、というわけでもない。案外古くからの知り合いだ。彼がね… と思いつつ足を進める。

 ロックホルドの助言を考えたが、サイモン以外に信用できそうで、なおかつ適切な人物は思い受かばない。

 門ではなぜか充分すぎるように思える装備の職員が私を止め、名前やら要件やらなにやらを確認する。受付にだろうか、それとも彼にだろうか、確認をし、どうにか門を通れた。

 受付で、また同じように名乗り、要件を伝え、やっとゲストIDのカードを渡される。帰りには、物品や資料の不正持ち出しがないかの確認も行なうという。

 以前、ほんの2、3年前に来た時にはこんなではなかったはずだが。いや、2、3年前に来た時には、そもそもこの建物ではなかった。

 この10年か20年か、文化と科学に対しての金の使い方について世論がやけに厳しい。いわゆる役所仕事なら、各研究所や大学への予算を減らすところだろうが、国際科学諮問委員会は、これもどういうわけか、自分でできるかぎりその負担を負っている。人員も減っているのだが、建物も規模の小さいものに、設備も充分でないものに何度か移転している。

 門でやけに厳しかったのも、それが何か影響しているのだろうか。

 ぼんやりとそんな事を考えながら、彼、サイモンの部屋へと向かう。


  ****


 彼の部屋の前に着き、ドアをノックする。センサーもないのか。いつの建物なのか、どれだけ手入れされていないのか。

 「あー、イケダかな? だったらどうぞ、開いてるよ」

 彼が中から声を張り上げる。

 私はドアを開け、部屋に入る。部屋の内装、調度品、何もかも古道具屋から調達したのではないかと思えるようなものだ。バランスも統一感もない。

 「サイモン、いくらなんでもこれは酷いんじゃないか? お前だけこうなのか?」

 サインモンは私より何歳か年上だ。学生のころ、ある先生が提供してくれていたサロン――ただの学生の溜まり場だが――で知り合った。彼は、いわゆる自然の人間ではないが、機知に富み、研究者になるものと私は思っていた。だが、彼は、自分が作られた役目を果すと言い、役人への道を選んだ。彼は、彼が言っていたことが嘘でなければ――そして、もちろん嘘ではないだろう――、かなり長命なはずだ。ずっと負わされた役目を担っていくつもりだろうか?

 「私だけがこんな扱いだったら、むしろいいんだろうけどね」

 豪快とも、諦めともとれる笑い声をあげる。

 私はソファーに向かい、つい指で表面を撫でてみた。ザラザラだ。どんな質の、いつのものだろう。指先を眺めながらそう思う。

 「君が来るんだから、拭くくらいはしてあるぞ」

 「いや、そういうことじゃないんだ」

 サイモンがまた張りのある声で笑う。

 「わかってるさ」

 サイモンがデスクから離れ、向いのソファーに座る。

「それにしても、面倒くさい方法で送ってきたものだな。2種類のややこしい暗号化、閲覧用サンドボックスを構築し、その上でブラウジングさせて」

 サイモンは計算機を指差して手を振る。

「あー、いや。サンドボックス上での言語も定義し、そこでもう一度復号し、それでディスプレイにデータを送らせた。ディスプレイのチップでもサンドボックと言語を定義し、それでやっと実際に表示させていた。少し画像が読みにくかったと思うが、監視カメラと監視ソフトへの対策も両方でやらせていたんだ」

 彼が呆れ顔で訊ねてくる。

「ディスプレイでそんなことができるのか?」

 私は苦笑いを受かべる。

「昔、あの部屋で資料を見せたことがあっただろう。大昔のPostScriptプリンタでマンデルブロ集合を計算させた人だっているんだ。それくらいならな」

 彼は自分のソファーの後ろの冷藏庫から缶コーヒーを取り、私に勧める。

「だが、ここには監視カメラなんかないよ」

 サイモンはソファーを、壁を、デスクを、天井を指差す。

 私は改めて部屋の中を見回す。

「かもしれないな。だけど映像と音声のジャミングをさせてもらよ」

 私はテーブルの上に4つのジャミング・キューブを置き、起動させる。

「監視カメラはないとしても、計算機にカメラがあるかもしれない。私のスレートの通信を傍受する監視デーモンがあるかもしれない」

 サイモンはうなずく。

「それは否定できないな。君がそれだけの対策をとる必要があるだけの資料だとは思う」

 私はあのデータをテーブルの上に表示する。

「君としてはどういう方策があると思う?」

 彼が缶を揺らしながら缶の口から中を覗き込み、少し考える。

「そうだな。例えば、クロマニヨン人も現代人もホモ・サピエンスだ。だが、骨格の頑丈さが明らかに違う」

「あぁ」

「ならば、両者をホモ・サピエンスとにまとめるのは若干無理があるのかもしれない」

 彼が目をつむる。額の前の窓に――彼はいつもそういう表現をしていた――何かを映し出し、考えをまとめているのだろう。

「なぁ、現生人類はホモ・サピエンスという単一種だという根拠は何だと思う?」

 私はスレートの表示をDNA――あるいはジーンか――に切り替え答える。

「生物学的に… 今なら当然DNAの問題だろう?」

 彼が得意気に笑みを浮かべる。

「いや、違うね。君は昔からそのあたりがナイーブだな。理想主義と言ってもいいかおしれないが」

 そう言うとサイモンは真顔になり、額に指を当て、言葉を続ける。

「これは政治の問題だ。 一回、科学的であれ政治的であれ、あなた方は『ホモ・サピエンス』ですと言ってしまったんだ。その後、その前提で世の中を回しているのは政治だ」

 サイモンは右腕を大きく振る。

「こんな場所だってその一部だ」

 自虐的な笑みを受かべながら。

「それを今になって、あなた方は『賢い人』ではありませんでしたなんてことを言えるか?」

 彼がコーヒーを口に含む。

「いや、ホモ・サピエンスという種名はそのままだっていいだろう」

「だとしても、あなた方より進化した人類が現れましたと言えば、それをどう感じるかはおおよそ同じだろ?」

 彼はソファーから立ち上がり、デスクからリーガルパッドとボールペンを取ってきた。

「いいか、こうホモ・サピエンスがずっと続いているだろ」

 彼がリーガルパッドの上から下にボールペンで太く青い線を描き、その下にホモ・サピエンスと書いた。

「そして、最近ロボットが現れた」

 短い線を描き、ロボットと書いた。

「知性化された動物がいる」

 もう少し短い線を描き、知性化体と書いた。

「そう言えば、知性化研究所に移るんだって?」

 突然、思い出したようにこちらに顔を向け、訊ねる。

「あぁ。ロックホルドにデータを見せたら、そういうことになった」

「そうか。動物の知性化は君のデータと君で一気に進むな」

 彼は話を戻そうというように手を振る。顔をリーガルパッドに戻す。

「それにデザインドがいる」

 同程度に短い線を描き、デザインドと書いた。

「そして更に高知性人類だ」

 クエスチョン・マークと高知性人類と書いた。

 そこで私に再び顔を向ける。

「私としては、もう腹がいっぱいだよ。だいたい、おおよその人間はどう考えるだろうね?」

 私を凝視し、しばらく黙る。

「正直言って、既に自分達の価値――どういう価値かは知らないが――が、どんどん目減りしていると感じているんだよ」

 思いもよらなかった言葉だ。

「目減り? 何が目減りするというんだ? 言うなら、話し合う仲間が増えてるだけじゃないか」

 サイモンは軽く笑い、言葉を続ける。

「そういうところが君はナイーブなんだよ。おおよその人間はそうは考えないのさ」

 彼は言葉を区切り、デスクの向こうの景色に目をやる。

「門や受付が、以前とは様子が違っただろ。建物がって話じゃなくて」

 私はうなずいた。

「ああなった理由の一部は――全部じゃないと思いたいけどね――、私にもあるんだ」

 納得するとともに、憤りが湧いてくる。

「君がデザインドだからか!?」

 彼は手の指を組み、親指を立てると、うつむいてそこに額を乗せた。

「あぁ。言っただろ、もう腹がいっぱいだって」

「誰か君の後ろ盾になってくれる人はいないのか?」

 彼が弱い声で答える。

「いるよ。いなけりゃ、もう分解されてるだろうな」

 それが幸いなのか、それとも不幸なのか。それでも、負わされた役目を果たそうという彼の気持は変わらないのか。

「君は… 逃げようとは思わないのか?」

 サイモンは顔を上げ答える。

「イケダ、君には理解できるだろう。これは教育でも遺伝情報に書かれていることでもない。私自信の呪い――あるいは祝福――なんだ」

 呪い。あぁ、それなら理解できる。私も、ロックホルドも、モリヤも呪われているのだ。自分自身で呪ったのだ。おそらく、皆、幼少時に自分自信に呪いをかけたのだ。自分自身以外に誰が呪いをかけられるのか。突然の天啓とも思える疑問。それをもたらした者がいるのならば、その者に呪われたのだろう。だが、その者は私たち自身の他にいるはずもない。

 サイモンが顔を上げた。

「だが、幸い、物理学者なんかは普通の人とは違うという類の認識はあるんじゃないかな。その辺りを利用するさ。時間をかけてね」

 唐突に話を戻す。呪いについては人に話すようなことではない。わかる人にはただ「呪いだ」と言えば全てが通じる。わからない人には幾万言を尽くそうとも通じない。

「君の任期はあと何年だ?」

「4年てところかな」

「その間で、工作をできるのか?」

 サイモンはしばらく考えてから答えた。

「4年だけじゃ無理かもしれないな。だが、他のところでも何かできるだろうし。また戻ってくるかもしれないし。その頃にはもっと上の肩書になれるかもしれないからな」

 私はうなずき、コーヒーを飲み干した。

「だが、そう上手くいくとは思わないでくれ。10年オーダーでは、ちょっときつい立場に置かれるかもしれない。君たちも、君がみつけた人たちも。だが、まぁ私には付き合える時間だろう」

 サイモンは自分自信でかけた呪いを背負っていくつもりだ。私も、ロックホルドも、モリヤも、他の生き方など知らない。呪われていない人生に、何の意味があるだろうか。

「きつい時期もあるだろうさ。私と友人は、当面は君に協力できる。できるだけ上手いことやってくれ」

 私はそう答えると、ジャミング・キューブに手を伸ばす。

 サイモンは、私がジャミング・キューブを停止する前に、リーガルパッドから二枚剥がし、丸めてポケットに押し込んだ。

 私はソファーから立った。彼もソファーから立った。彼のIDカードには大きく”D.”と印刷してあった。


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