49年め
(*** 49年め ***)
何となく薄汚れている部屋のなかで、私はケニストンのデスクの前、彼の横に椅子を持ってきて座っていた。ケニストンは渡した資料に渡した。彼は何回か資料の前後を確認しながら、それでも手早く目をとおした。
「ふん、これがテストのメジャーアップデートか。なるほどね」
ケニストンは資料を読み終わると、ただ読んだということを知らせるためだけのようにつぶやいた。
「で、この誤判別率は本当なのか?」
椅子に背を預けていたケニストンは。左に座っている私に顔を向けて尋ねた。
「99%の確かさで、0.01%以下。複数回のテストの結果で判定するから、誤判別率はさらに3桁下がるらしい」
ケニストンは少しばかり天井を見上げる。おそらく数字を思い受かべ、桁を外しているのか。それとも対数にして引き算でもしているのか。
「すると、年代を10年程度で区切るとして、その中で100人とか200人程度か」
ケニストンは正面に顔を戻す。正面のディスプレイにはチャーリーと、もう一人が映っている。上顎も下顎も少し突き出し、耳は顔の横というよりも上寄りについている。まだ調整の途中といった印象を受ける。
ケニストンは前腕をを支えとして、身を乗り出してディスプレイに向かい質問をする。
「チャーリー、バレンタイン、そのあたりは本当にそんなもんなのか?」
ディスプレイの左側からチャーリーが答える。
「どうやらそのようだ」
「そんなものだろう」
ディスプレイの右側からはいくぶん気取りにくい声が答える。
「ふん」
ケニストンはゆっくりと椅子の背に身を戻すと、またポツリと言った。
「ファーラーもゴーセルも、詳細はともかく、機能するだろうと言っている」
ケニストンが何を気に入らないのかはともかく、他の人の意見も伝えてはみる。
「あんた、老いぼれどものところにもわざわざ行ったのか」
驚いたようにケニストンは私を見た。私は、その勢いに驚き、考える間もなくうなずいた。
「ファーラーね。ふん。ゴーセルもか」
そう言うと、顔を正面に戻した。だが、ディスプレイを見ているわけでもない。眼の焦点はディスプレイの手前のどこかに合わせている。ディスプレイの中からはチャーリーとバレンタインがこちらを覗き込んでいる。
「そうすると、聞きたいことがある」
しばらく黙っていたケニストンは、ぼんやりとした目のまま、誰にというでもなく口を開いた。
「あんた方は、これでどうしたいんだ? これで、まぁだいたい判別できる。それでどうしたいんだ? つまらん答えをするなよ。あんた方が、どうしたいかだ」
私はうなずいてから答えた。
「ともかく、まだしばらくつらい状況が続くかもしれない。だけど、おそらく考えていることの半分くらいには来ていると思う。いつか出かけることになったときに、皆で揃って出かけられるようにしたい」
「ふん」
またケニストンが承諾とも不満ともつかない声を出す。
「知性化研究所の、しかもこの部屋でもそういう言い方になるのか」
「あぁ」
ケニストンは部屋の中を見渡す。
「ま、そうだろうな。なんとなくボロくなっているし。それもここだけじゃない。それで半分なのか? 間に合うのか?」
「間に合って欲しい。私でもさすがにそれを見ることはできないだろうが」
ケニストンはまじまじと私の顔を覗き込む。
「あんた、肉付きも血色も悪くはない。普通の50歳台半ば程度には見える。実際には90か?」
私は軽く笑みが浮ぶ。浮かんだと思う。
「いや、まだだ。確かに近いけどね。年齢もあるし、半分だとうこともある。実際、私が直接、そして密に連絡をとるだろう人間は、今のところあと一人だけだ」
ケニストンは左の床に目を落す。
「あぁ」 彼は思い当たることがあるというように唸った。「ゴーセルのところのやつか」
私はうなずいた。
ケニストンは頭の後ろで両手を組むとそこに頭を乗せてぼんやりと言った。思い出しながら、話しているのだろ。
「あいつはよくわからんところがあるな。ゲノムの設計にもいくらか知識があるようだが」
「だめだ」 私ははケニストンの言葉を遮るように首をふる。「ここだけに誰も彼もを集めてしまうわけにはいかない」
ケニストンは組んだ手に頭を乗せたまま、私の方に顔を向け、チャーリーを見て、バレンタインを見た。チャーリーとバレンタインも、それについては私と同じ意見のようだ。
「そうかもしれんな。だが、将来、あいつの居場所はどこにある?」
ケニストンは顔を戻し、改めて天井を見ながら言った。
「大学があるだろう」 ディスプレイの左がわからチャーリーが答える。「どういうものになるのであれ、大学はすぐには消えないよ。それに彼には身近に親しい友人がいる」
「あぁ、ロビーね。なるほど。君たちはロビーに何かを仕込んでいるのか?」
そのままの姿勢のままケニストンは疑問を口にした。
「まさか。誓って何もしていない」
私とチャーリーは笑いながら答えた。バレンタイは今の話題に少し乗り遅れているように見える。
少し間をおいて、ケニストンが言った。
「そうか。人類は終わるんだな、人間の歴史は。少なくとも俺たちが知っているものは。もうはじまりの半分か」
私はテストの資料を受け取り、ケニストンに促されて部屋からでた。部屋の扉が閉まる時、ケニストンは、椅子の骨に浮かんだ錆が移った両手を見て、それから両手を擦り合わせていた。