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進化の渦の中で  作者: 宮沢弘
第一部:プロローグ
1/37

1年め ――発見――

(** 発見 **)


 朝――私が起きた時が朝だ――、研究室の簡易ベッドで目が覚める。腕に着けている小型端末を確認すると、昨夜走らせていた統計処理が終っていた。ベッドから出ると、小さな冷藏庫の上にあるエスプレッソ・マシンにカートリッジを押し込みスイッチを入れる。蒸気が押し出される音を聞きながら、その脇にある流しで顔を洗う。もう一度端末を確認すると「有意な差がある」と要約が表示されている。エスプレッソ・マシンのカートリッジを入れ替え、もう一杯分淹れる。

「まずいな」

 私の手に負える問題や状況ではないようだ。

 カップを取り、デスクに向う。分析された超空間を三次元に投影したものを、デスクの上に立体表示する。立方体に、弁別の基準となる平面――もとの超空間においては超平面だったもの―――が赤く現われている。

私は髪を掻きむしり、椅子に背を預けて天井を見上げる。


  ****


 この四半世紀にわたり、不妊が問題となっている。出生数は実のところ問題にはなっていない。だが、精子にも卵子にも、精子の数にも、そして両者が持つDNAにも何ら問題がないにも関わらず、受精しない例が明らかにある。もっとも、最近では精子か卵子のDNAを受精の前に書き変え、あるいは受精卵の段階でDNAを書き変え対応している。問題となっているのは、主にその処理の倫理面の話だ。

 キリスト教系疑似科学の信奉者達は、アダムとイヴは完全な遺伝子を持っていたが、現在に至るまでに世代ごとに劣化し、それが現在の不妊の問題となったのだと言っている。これは今に始まった主張ではないが。

 あるいは、種の寿命を迎えていると主張する者もいる。疑似科学の主張とどう違うのかはさっぱりわからないが。

 だが、そういう問題ではないことは言うまでもない。大きい声が、問題を大きく見せているだけだ。

 これに気付いたのは数年前だ。可能な範囲でではあるが、過去の不妊治療の際の様々な情報も手に入れ、検討をしてみた。普通の不妊を排除した上でカップルの不妊の割合を計算した。すると、不妊の割合は次第に減っている。「何かがまずい」と思ったことに、特に理由はない。

 生物種の定義は、厳密なものではない。もちろん、交配できなければ別の種だ。だが、普通は交配しない場合でも異なる種とされる。交配可能であっても、だいたい一代種だが。たとえば馬とロバだ。あるいは北アメリカ大陸にいる種とアフリカ大陸にいる種は、どれだけ近縁だろうと普通は交配しない。

 不妊の割合が減っている。それだけなら喜ぶことだろう。だが、「普通は交配しない」という考えが頭をよぎった。もし、そういう状況だとしたら…

 そこで、受精率の調査を行なった。もちろんこの調査で人工授精児をむやみに増やすわけにはいかない。人工授精を希望しているカップルを対象にするしかないが、少しばかり余計に特に卵子を提供してもらうことにした。生命がどの時点で宿るとするのかは倫理の問題だが、受精卵の細胞分裂が確認された時点で細胞を破壊した。実際には成長過程での死亡もあるため、もっと長く観察したいが、なかなかそういうわけにもいかなかった。

 受精率と多くの要因を調査すると、カップルの間での職業の違い、収入の差、学歴の差、家系の差、知能指数の差などと弱い負の相関があるように見えた。つまり、差が大きければ受精率が下がる関係があるように見えた。

 だが、これは既にカップルになってる場合だ。おそらく、問題はそこではない。次に、まだカップルになっていない場合の調査のため、数十回のパーティを行なった。事前に少しばかり時間をかけて、参加者のプロフィールを知るためという理由で――まぁ嘘ではない――、インタビュー、アンケート、そしてテストを行なった。パーティの間の人々の動きを記録し、パーティの後では、誰が誰に惹かれたかという聞き取りを行なった。カップルになって帰ろうとしている人達にはまったくもって申し訳ない実験だ。興醒めもいいところだろう。その場で参加者の精子と卵子も欲しいところだが、無理を言うわけにもいかない。それでも、もちろん後日だが、同意してくれた人からそれなりに提供してもらった。精子も卵子も複製し、様々な組み合わせでの受精の実験も行なった。もちろん、パーティの前、最中、その後のデータも分析した。


  ****


 それらのデータを統計処理した結果がデスクの上に浮んでいる。

「まずいな」

 天井を見上げながら、もう一度つぶやく。

 何しろ、この超空間と超平面はどこかで見たことがある。いや、実際には見たわけではない。聞いたことがある。

 だが、これで互いに惹かれるかどうかと、受精率についてのデータが手に入った。次にやることは専門家に聞いてみることだ。


(** 知性化研究所 **)


 その日の夕方、私は、手に入れたデータを持って、知性化研究所の友人――友人と言うよりもむしろ先生だが――を訪ねた。私がいる遺伝人類学研究所よりも立派なキャンパスだし、建物だ。私が思うに、遺伝人類学は役目を終えようとしている。少なくとも、華々しかった時代は終わろうとしている。その次の世代が、動物たちの知性化と、フルスクラッチDNA、そしてDNAとRNA、加えて細胞の環境をチューリング・マシンとみなしたDNAコンピュテーションだ。

 受け付けで名乗り、友人に会いに来たことを告げる。ゲスト用IDカードを受け取ると、私は友人の部屋へと足を進める。

 友人の部屋の前に立ち、ジャケットの内ポケットに用意してきたものを確認する。一辺が1インチほどの立方体がいくつか。その間に、センサが告げたのだろう、友人が扉を開けた。

「やぁ、イケダ。何か気になることを見付けたって?」

 彼は私を部屋に招き入れ、椅子をすすめる。

 ロックホルドの部屋は研究者には珍しく、整理されている。だが、それはここが彼の応接室だからだ。隣の部屋を覗いてみると、媒体が紙だろうと電子だろうと、本が獺祭状態になっている。私の研究室も似たようなものだが。獺祭状態になっている部屋や、へたをすると建物は、その人の外部脳だ。整頓しようとするなら、連想や関係から、獺祭状態にならざるをえない。

「見付けたというか… もしかしたら、まずいかもしれない。ロックホルド、何がどうまずいのかは聞かないでくれ」

 私はジャケットの内ポケットから数個のキューブを取り出す。

「すまない。ちょっとこれを使わせてもらう」

「ジャミング・キューブか。そんなにまずいことなのか?」

 私は頷きながら、ロックホルドと私の間にあるテーブルの四隅にキューブを一個ずつ置き、起動する。

「ともかくこれを見てくれ」

 脇にかかえていたスレートをテーブルの上に置き、起こす。データを選び、スレートの上にそれを立体表示させる。表示された立方体の中には、あの超平面が赤く広がっている。

 ロックホルドは表示を右から、左から眺める。

「これをどこで手に入れた? 以前この話はしたと思うが、こんなデータは渡していないはずだ」

「それはまだ答えないでおきたい。君に先入観を持って欲しくないからな」

 彼は椅子に深く座り直し、表示と私とに交互に目をやる。

「先入観もなにも… 私のところに持ってきたのだしな。それに見慣れな図だ。これは原種と知性化種に見られる関係だろう。表には出していないはずだがどこで手に入れた?」

 専門家にも、やはりそう見えるのか。安堵とも不安ともつかない気持がじわじわとわきあがる。

「本当にそうか? よく見てくれ」

 見間違いだと言ってくれと願いながら。

「多次元空間の構成はわからないが、当然異性間の関係についての要因が並んでいるのだろう?」

 彼が表示を手で払うと、私のスレートの表示は消えた。彼がテーブルをリズムに乗せて指でタップすると、テーブルの表面に様々なデータが表示される。その中から一つを選び、テーブルの上の空間に表示させる。

「具体的な要因やその並びは違うだろうが。ほら、受精率の超平面がこう現れる」

 確かに似た超空間と超平面が現れた。

「それに、異性が互いに惹かれるかどうかを見てみよう」

 彼は表示の中に手を突っ込み、その中心を握ると左に表示を移動させた。別のデータを選び表示させると、空いたところにそれが表示された。

「これを合わせて、君が持って来たであろうデータと同じようにしてみよう」

 ロックホルドは両方の表示に手を突っ込み、手を合わせる。表示は部分ごとにパタパタとパネルがひっくり返るように入れ替わる。そこには、私が見たくなかったものが表示されている。

「例えばこの次元は推定知能指数の差だ。差が大きくなると受精率が下がる。こっちの次元だと、知性化が一定の範囲を超えると、知性化種は原種には興味を持たなくなる。原種も知性化種に興味を持たなくなる」

 ならば、君が持ってきたデータは何なんだ? ロックホルドの目が訴える。

「いいか、よく聞いてくれ。これは人間のデータだ。不妊の問題は知っているだろう。そして不妊の割合が実は減っていることも。そこで調査したんだ」

 彼が唸り声をあげた。

「要因が何かを教えてくれ」

「職業の差、収入の差、学歴の差、家系の差、知能指数の差、それに他にもいろいろ」

 データに要因を表示させる。

 それを見ると、彼はブレスレット型のキーボードをポケットから取り出すと、両手にはめ、何かをコンピュータに打ち込んだ。

「当然のことだが、原種と、一定の知性化を行なった知性化種を一緒に知能指数の検査をしても意味のある結果は得られない。そこで他の要因も含めた知性化値を求めるようにしている。それをそのまま使えるわけではないが、そっちで使った要因に対して一次近似にはなるような式を作った。今そっちに送る。こっちのデータの知性化値ベースの比較はこうなる」

 彼がテーブルの上で指を鳴らすと、表示がシンプルなものに変化した。

 私のスレートに新しいノティファイが現われる。そこには彼が作った式が書かれていた。それをこちらのデータに適用する。ロックホルドに目をやると、彼はテーブルの上の表示を横にずらし、空間を空ける。そこに私は、今、計算した結果を表示する。彼のデータほどはっきりしたものではないが、似た表示が現れた。

「知性化に際して、この場合チンパンジーがいいだろう、DNAの変異に関してのデータに君もアクセス可能にするから、比較してみろ。どこを比較するかはわかっているな?」

 ロックホルドはテーブルの上の表示を原種と知性化種のDNA変異を示すものに入れ替え、さらに空間を空ける。その後で何かを入力すると、私のスレートに新しいノティファイが現われた。私はそれをタップし、原種と知性化種のDNA変異と、こちらがもっているDNAのデータとの比較をスレートで計算し、主要な部分をテーブルの上の空いたところに表示する。

 彼は身を乗り出し、私が表示したデータをしばらく睨むと、両方のデータに手を突っこみ、あちこちを指差す。

「私達が人間のDNA、いやジーンをモデルにして知性化を行なっているのは知っているだろう。他にモデルにできるものはないからな。ほら、対応する部分に変異がある。そうか。こういう変異ならもっと…」

 ロックホルドが自身の思考に没入する前に、私は急いで問い質す。

「どういうことだ?」

 没入しかけたところに話しかけたからか、それとも半分没入しているのか、いくぶん不機嫌に思える声で彼が答えた。

「私に言わせるな」

 予想はしていたが、聞きたくはなかった答えだ。

「つまりそういうことなんだな。どうしたら良いと思う? 撹拌が必要なのか? それとも…」

 彼は答えるのを躊躇った。目をつむり、深く呼吸してから答える。

「君のデータを見る限りでは、撹拌をするには受精率が低かろうと人工授精児を増やすしかない所に近づいていると思う。それも生物学的な親の意思とは別に。そんなことが可能か?」

 もう、そこまで来ているのか。私は体から力が抜けていくのを感じる。

「では、あと何世代で傾向がよりはっきりしてくる?」

 彼はまた答えるのを躊躇った。

「私は分子時計の方は詳しくない。何しろ意図を持ってDNAを組み替えているのだからな。もし、いいか、もしだ。もしもホモ・サピエンスから始まっているのだとしたら、これはおそらく1,000年ほどの間に起きている、断続的な、未来から見れば不連続と思えるような進化だ。だが、ホモ・サピエンスから始まってはいない可能性もあるが。それしか答えられない」

 もう手遅れなのだという考えを噛み締めながら、最後に訊ねる。

「数世代でそちらなみのデータになるんじゃないか? 文化的差異も影響するだろうから、おそらく変異は加速するかもしれない。下手をすると3世代ほどかもしれない」

 沈黙が1分ほど続く。

 ロックホルドは絞り出すように答えた。

「どこかに報告するのが良いのだろうが… 友人として忠告しておく。どこに、そして誰に報告するかはよく考えろ。そして言葉も選べ。どうするかは我々が決めることではない。かと言っておかしな奴に判断させるわけにもいかないが」

 ロックホルドがテーブルの上で手を振ると、映像が消えた。

「イケダ、君、こっちに移れ。ホモ・サピエンスのDNAやジーンに造詣が深い人間がこっちにも必要なんだ」


(** およそ100年後 **)


 一世紀前の記録をデータの海から発掘した。ホモ・ネアンデルターレンシスとホモ・サピエンスの交雑もこのようなものだったのだろうか? いや、おそらく明らかな二つの種となるよりも前の状況に近かったのだろう。ホモ・ハイデルベルゲンシスからホモ・ネアンデルターレンシスとホモ・サピエンスに分かれ始める頃、あるいはホモ・ハイデルベルゲンシスとホモ・ネアンデルターレンシスが分かれ始める頃、その時期に近かったのかもしれない。

 今、我々はホモ・サピエンスと亜人類、別の呼び方ならデミ・ヒューマンに分かれている。亜人類と呼ばれるのは、そちらが少数種だからだ。そしてホモ・サピエンスはその名を手放したくなかったから。別の種に分かれて行くことを認めたくなかったから。

 他の生物種の進化とはおそらく違う要因が強く影響していた、あるいは影響しているのだと思う。ホモ属、あるいはそれ以前から自然の中で知性化していたのだから。知性化が影響していないとは考えにくい。性選択に似ていないこともないだろうが。

 亜人類はバイオチップを埋め込まれ、居場所や思想が見張られている。人間ぽいコンピュータ、あるいはロボットと似たような扱いだ。特権がないわけでもない。危険思想でない限りにおいて考えるのは自由だ。その環境は大体において保証されている。

 彼らがその後どうしたのかはまだわからない。彼らの判断と行動が適切だったのかもまだわからない。我々が今どう行動するのが良いのかもわからない。まぁわからないということにしておこう。あまりはっきり考えると危険だ。未来が暗いというわけでもない。


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