女は強い
「男性に陣痛の痛みを与える」という実験はどこかの国で行われたことがあるそうなのですが、この「女は強い」はフィクション作品ですので、実際にあった出来事とはまったく関係のないお話です。ご了承ください。
女は強い。
こんな言葉を耳にしたことがあるでしょう。そして、誰もがその言葉にうなづきます。さらに女性の強さを表すのに「男に陣痛の痛みを与えると死ぬ」といわれることさえあります。それほどまでに女性の強さというものは世の中で認識されているのです。
そんな中、女が強いということを証明しよう、と言い放った人がいました。その人の名前は神谷恵といい、ある大学付属病院に勤める開発者でした。彼女を中心とした大学付属病院の開発チームはなんと、陣痛の痛みを人為的に与えることができる装置を開発したのです。
「この装置で男性へ陣痛の痛みを与える実験をします。世間で言われるように死亡するということはまずありません。ですが、男性は陣痛の痛みに耐え続けられないでしょう」
この神谷恵の言葉はニュース番組でも報じられ、世間の関心を集めました。また、神谷恵が所属する大学付属病院は構成員が全員女性です。ですから、自分が女性であることに誇りを持っている人々からは「彼女たちが私たちのヒーローになるのではないか」と、特に注目を集めました。
そして、実験は始められました。被験者の男性は筋肉質でがっちりとした体型です。白いベッドに寝かされ、腹部に小さな吸盤のようなものがいくつか取り付けられていきます。吸盤にはコードが出ていて、装置を操作する監視室へと伸びています。監視室で開発チームの女性が痛みを調節するダイヤルを少しずつ回していきます。被験者の男性はまだ余裕の表情を浮かべています。
しかしそれから十五分後、被験者の男性の表情は明らかに険しくなっていました。男の意地をかけて、必死に我慢しているようにも見えます。顔に汗をびっしょりとかき、両手でベッドの端を強く握っています。ですがもう十五分もすると、被験者の男性はギブアップせざるを得ませんでした。その後も、何人かの男性が被験者となりましたが、大体同じような結果になりました。
監視室にいる開発チームの女性たちは笑顔を浮かべました。実験は成功です。これで女性が男性よりも強いという根拠が、ひとつ証明されたのです。この実験結果はまたニュース番組で取り上げられ、そのニュースを見た誇り高き女性たちは歓喜し、世の中の男性を卑下するようになりました。
ですが次の日、そのニュースを見たある男性がテレビ局に電話をかけたことによって状況が変わりました。
「あの装置を使って女性にも痛みを与える実験をしなければ正しい結果はわからないんじゃないかな」
その男性は椎名正人という大学生で、たまたまニュースを見て引っかかりを覚えたのだといいます。彼が知識に対して貪欲な姿勢を持っていることが、電話越しにテレビ局のスタッフに伝わります。そして彼はその姿勢をもって、テレビ局を動かしてしまいました。再実験とその取材をテレビ局が引き受けたのです。大学付属病院の開発チームは再実験と取材を断りましたが、理由が不明確であることから承諾せざるを得ない状況になり、結局承諾しました。
そして、再実験が始まりました。被験者は大学付属病院の開発チームの一人です。開発チームの仲間たちが、監視室の中から少しずつ痛みを送ります。一分、三分、五分、十分……そして、三十分が経過します。被験者の女性は確かに痛みを感じているようですが、男性が実験を受けたときほど苦しんでいるようには見えません。そして、一時間が経ったところで実験は終了しました。
「これで、正しい結果がおわかりいただけたでしょうか」
監視室を出た神谷恵がテレビカメラに向かってそういいます。テレビ局のスタッフたちはうなづいて、仕事を終えた気持ちで帰ろうとします。ですが、そこに何人の男性を連れた白衣の男性が現れます。その白衣の男性を見て、神谷恵は驚きの表情を見せました。「鈴村先生……」とこぼします。
「神谷くん、実験の様子は拝見させてもらったよ。しかしね、気になることがあるんだ」
テレビ局のスタッフたちは鈴村という謎の男性の出現に戸惑いますが、新たな展開が見られそうなこの状況に帰るわけにはいきませんでした。すぐさま謎の男性にカメラとマイクを向けます。
「被験者の女性は確かに痛みを感じているようだったね。しかし、陣痛を味わった女性があの程度の痛がり方で済むのだろうか。わたしが言いたいことはわかるだろう、神谷くん。申し訳ないけど、開発チームから被験者を出してくれ。装置をわたしと仲間たちが操作しよう。そして、その操作に不正がないことを証明するため、テレビカメラで撮ってもらおうじゃないか」
その言葉に、神谷恵は「はい」とつぶやくしかありませんでした。この鈴村という男性は何者なのかと神谷恵に尋ねると、ぼそぼそと答えてくれました。鈴村は医師であり、また開発者でもあり、そしてそれを次世代の人間へと伝える講師でもあるそうです。神谷恵もまた、自身が大学生である頃から鈴村に医学と開発の知識を教えられていたのだそうです。この道では有名な人らしいのですが、当の鈴村は「それほどでもないよ」と笑いました。
そして、また再実験が始まります。鈴村が痛みを調整するダイヤルをゆっくりとまわし、時間をかけて痛みを送ります。鈴村の手が止まります。ダイヤルが指している値が、陣痛の痛みのレベルのようです。先ほど開発チームの女性が操作したときよりも、遥かに高い値です。被験者の女性は痛みに悶えます。そして、三十分後には男性と同じようにギブアップをしました。その後何人かの女性に同じ実験をしましたが、同じような結果でした。
「これが正しい結果だね、神谷くん」
神谷恵はまた「はい」とつぶやきました。結局、結果は「個人差はあるものの痛みに対する耐性に性差は関係ない」となりました。その結果はテレビ局によって報道されることになりましたが、神谷恵たちの不正については社会の混乱を招きかねなかったので、報道をしないことになりました。
実験のあと、テレビ局のスタッフは鈴村に尋ねました。どうして今日の再実験のことを知っていたのかと。すると鈴村は、こう答えました。
「いやあ、わたしが教えている大学生の子が電話で教えてくれてね」
その大学生の名をスタッフが尋ねると、やはりその大学生は椎名正人でした。彼の一本の電話がなければ、開発者たちの大きな嘘が世の中を変えていたかもしれません。そう思うと、その場にいた人間は身震いをせずにはいられませんでした。
正しい実験結果が報道されると、世の中の誇り高き女性たちは何事もなかったかのように元の振舞いを見せ、男性たちは渋々元の振舞いを返すのでした。そんな風に、世の中はまた元に戻っていきました。
それから五年が経ちました。椎名正人は一年前に結婚をしました。そして、鈴村のもとで働いています。主に医療用の装置を開発しています。今は開発品の納期が間近で、とても忙しい時期です。
すでに日付が変わってしまいました。仕事を終え、椎名正人は遅い帰宅をしました。こんなに遅くなってしまったのは初めてのことです。妻もまた明日には仕事があるので、もう寝てしまっているだろうと玄関を開けると、リビングからぱたぱたと妻が小走りにやってきました。妻は「お疲れ様」と言って、笑顔で椎名正人を迎えます。椎名正人は驚きながらも、家に上がりました。リビングに入ると、食卓に二人分の食事が並べられていて、また椎名正人を驚かせました。
「食べてないのか?」
「うん」
「ぼくのことは気にしなくてもいいのに。迷惑かけてごめんな」
「いいの。わたしがあなたと一緒に食べたかっただけだから」
「……そうか。ありがとう」
そのとき椎名正人は、やっぱり女は強いのかもしれない、そう思ったのでした。