終焉魔女さん、愛娘のためなら敵対者は根絶やしも辞しません
以前に出した「終焉魔女さん、拾った娘を溺愛する」の続きになっています。
もしよかったらそっちを先に読んでいただいた方が、色々楽しめるかも?
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そこは深い森の中。
少し辺りを見渡そうとしても人の手が加えられていない草木がそこかしこに張り巡らせ、良好な視界の確保を遮ってくるこの地は〈失墜の森〉と呼ばれ人々から恐れられている。
というのも何を隠そう、ここの森には至る所で強力な魔物が日夜己の縄張りを主張して争いを繰り広げている景色が散見されているからだ。
人々が多く住み暮らす人里付近に一体でも現れればすぐにでも大きな騒ぎとなり、大規模な討伐隊が即座に編成されるだろう程度には凄まじい強さを有した魔物が蔓延る森林。
ゆえにこの場所へとわざわざ足を踏み入れようとする者は余程の愚者か蛮勇を試そうとする命知らずな人間くらいなもの。
一部、森の危険性に比例して原生している貴重な植物や素材の類を手に入れようとする者もいるが、そうした人間の辿る末路は大抵方向感覚を失い遭難するか魔物に襲われるかだ。
そうした事情もあり、ここはたとえ筋金入りの研究者やリスクを顧みない冒険者だろうと好奇心を抑え込んで二の足を踏むほどの危険地帯と化している。
当然ながら人が住み暮らすためには良好な環境であるとはとても言えず、そんな頭のおかしいことを実行するなど正気の沙汰ではない。
……が、しかし。
これらの数多く語られる森の危険度とは裏腹に、この地にはもう一つ国の中でまことしやかに囁かれる噂話が存在している。
誰が最初に伝え始めたのかは知る由もないが、真相はどうあれあの危険極まりない〈失墜の森〉には──ただ一人の魔女が暮らしている、と。
とても信じられる内容では無い。あの森の恐ろしさを知っているのなら尚更。
しかしそれでも独り歩きしている噂はまるで真実であるかのように人々の間で浸透しており、通称“終焉の魔女”と呼称され畏怖される女にまつわる逸話を積み重ね続けている。
曰く、かの有名な魔女は持ち合わせて実力も並大抵のものではなく隔絶した強さを持っている。
曰く、“終焉の魔女”が暮らす手元にはこの世のありとあらゆる価値を持った財宝や既にこの世には現存していない研究材料、果てには遺失した古代の書物までもが残されている。
またある噂では、魔女一人だけで国一つ分に匹敵する戦力となるなんて荒唐無稽な話まで市井を駆け巡る始末。
どれが本当でどれが尾ひれのついた内容なのかは誰にも判別できやしない。
何しろその全てが真実味の無い御伽噺かのような曖昧さで、具体的な証拠も根拠さえも出てきていないのだから。
ただ、唯一そこで断言できる噂があったとするなら…かの森に魔女は実在している。
補足するなら世の中に広まっている真偽不明の話題も多少誇張されている物もあるにはあるが、中には確かな真実が含まれていることも少なくはない。
……だが、あえて言及するのであれば。
今その国に流されている話の中では、一つだけ致命的に欠けてしまっている要素があるということ。
◆
「──ふぅ、今日はこんなところかしらね。もう少し続けてもいいけど…これ以上夢中になって時間を忘れたら元も子もないもの」
〈失墜の森〉中央から少し逸れた位置にある箇所。
どこまで歩き進もうと動く足を阻んでくる草木の姿が途切れることはない森続きの光景であるが…そんな中にある一つの小さな小屋。
到底人間が住むことなど出来ないとして圧倒的な知名度と恐ろしさを誇る地にて、信じ難き事実にはなるも一人の女が満足げに部屋の一角で溜め息を漏らしていた。
もちろんこの異様な場所でここまで自然体で振る舞うことが出来ている者がまともな正体をしているわけがない。
彼女──全身を覆い隠せるようなローブと三角帽子を身に纏い、いかにも『魔法使い』的な恰好をしながら美しい銀髪を揺らすこの者こそ現在俗世で伝説のように語られる“終焉の魔女”張本人である。
名をアルメリア・リオスとした彼女は今、何をしているのかと問われれば日課でもある魔法の研究開発を一段落させたところだ。
……そう、これこそが世間を騒がせている魔女の姿そのもの。
容姿に関する情報の錯綜も多々行われていたために、有力な説として魔女は高齢の老婆なのではないかなんて言われることもあるが現実は全くの真逆。
むしろ肌は若々しさを主張するように艶やかさを強調していて、見た目だけなら美女と表現しても何ら違和感を覚えることはないだろう。
だがそんなことはどうでもいい。
見た目がどうであろうとこのアルメリアこそが魔女本人であることは間違いなく、小屋の一室として設えていた研究室にて魔法の研究解析を終わらせれば彼女が本日やるべきこととしてメモしていた事項は片付いた。
…いや、それは違うか。
今日取り組む事柄は片付いたと言ったものの、実のところまだアルメリアには他の何を差し置いても優先しなければならないことがたった一つだけ残っている。
そのことを思うと流石の魔女も辺りに散らかった研究材料の後始末などしている余裕はなく、適当に魔法で展開した異空間へと放り込むとそのまま部屋を出る。
すると彼女が──母が部屋を出て扉を開ける音を耳聡くキャッチしたのか。
少し遠くからパタパタと可愛らしい足音を響かせ、アルメリアにとって大げさでも何でもなく目に入れても痛くない程愛おしい存在が勢いよく彼女の胸元に飛び込んできた。
「まま! もう今日のお仕事終わったの!」
「うわっと…! もう、セレネ…そうやって勢いをつけて飛んできたら危ないでしょう? 怪我しちゃうからメッ、ね?」
「えへへ…ごめんなさい。でも、ままがお部屋から出てきて嬉しかったから……」
「…………マズい。うちのセレネが…可愛すぎるわ…!」
アルメリアの胸元めがけて駆け寄ってきたのは小さな少女。
美しく切り揃えられた金髪をたなびかせ、その髪色にも負けないくらいには子供らしいあどけなさを残しつつも将来は美少女に育つだろうことが窺える、セレネと呼ばれた彼女。
本来魔女たるアルメリア一人だけで暮らしていると噂されているこの家に、馴染み切った様子でいるこの子の素性は…今のやり取りだけで充分すぎるほど分かってしまう。
つまるところ、これこそがまだ外の世界でも知られていない“終焉の魔女”の秘密が一つ。
今しがたアルメリアのことをママと呼んだセレネは彼女の最愛の娘であり、血こそ繋がっているわけでは無いがそんなこと些細な問題ですらない。
以前に森の道中で彼女のことを見つけてから気まぐれに拾い上げ、育てていった最中でいつの間にかこの世の何よりも大切な存在に変わっていたことに比べれば全ては些事である。
それほどまでに母であるアルメリアはセレネのことを溺愛していて、娘が日々成長していく様子を見守ることは生活のあらゆる場面において最優先事項に数えられるほどの事となっていた。
「…ねぇ、まま……今日のお仕事が終わりなら、抱っこしてもらっていい…?」
「……あらあら、全くセレネはいつまで経っても甘えん坊ね。それならこっちに来てちょうだい? ──よいしょっと。セレネは温かくて可愛いわねぇ」
「ん~…だって、さっきまでずっと一人だったから寂しかったんだもん…」
また彼女にとって幸いだったことがあるとするなら、それは娘のセレネが成長を遂げるにつれて母のことを避けるような性格にはならず、どこまでも母親大好きな女の子に育ってくれたことだろう。
セレネを拾ってから早五年。
今となっては五歳にまで成長した娘であるが、昔から母の腕で抱きかかえられることが好きな癖は変わっていないらしい。
そんな一面もアルメリアからすれば愛してやまないポイントなので、是非とも今後も続けてほしい!
…などと願わずにはいられないがそこは一旦置いておくとして、今は親子の時間を満喫するべき。
何せこの会話だけでも微かにセレネの本音が聞けてしまったが、アルメリアは自分の日課としている魔法研究を行っている時間は彼女を研究室に入れないよう言いつけている。
そうすると必然、母がいない間は娘が家で一人寂しく待つだけの時間が生まれてしまうわけで…大きな声で不満を叫びこそしないが肩に顔をぐりぐりと擦り付けて囁く様子から大体の内心は察せてしまう。
ただこればかりはアルメリアも意地悪を言っているわけでは無く、むしろセレネの身の安全のためでもある。
というのも日頃から実験している魔法の性質上、暴発の可能性は極限まで減らしているが彼女の取り扱う魔法はそれなりの威力を持ったものが多い。
仮にそれをセレネが同じ部屋にいる状態で、万が一にもコントロールを失うことがあったりすれば…どうなるかは想像もしたくない。
だからこそ普段は心を鬼にしてあの部屋には許可なく入らないようにと言い聞かせ、その代わりに研究が終わった直後のこの時間はセレネの気が済むまで存分に甘えさせてあげている。
なおちなみに、その機会に乗じる形ではあるがもちろんアルメリアの方も娘との交流はこれでもかと満喫している。
日頃から四六時中一緒に居て気の済むまで可愛がっているはずだというのに、その程度で魔女のセレネを可愛がり尽くしてあげたいとの欲求が収まるわけでは無いのだ。
よってこの時間は娘の我慢してくれていた分の報酬と寂しく思わせてしまっていた時間の分だけ埋め合わせる目的も兼ねて、毎日眺めてもまるで飽きないセレネの愛らしすぎる頬や頭を撫でて思う存分親子の時間を堪能。
けれどもそんな至福のひと時もほんの些細なきっかけで突然の終幕を迎えることに。
具体的に述べるのなら、セレネの小さなお腹から響いてきた空腹を告げる乾いた音によって。
「…ふふっ、何だか可愛い音が聞こえて来たわね? もうお腹空いちゃったの?」
「お、お腹鳴ってないもん! …でも、ご飯は食べたい…かも」
「そうね…こんな時間だものね。すぐにお昼にしましょうか。ママご飯作ってくるから、あと少し良い子で待っててくれる?」
「…うん!」
女の子としてのプライドなのか、突如鳴り響いた空腹の合図をセレネは顔を真っ赤にしながら否定していたがそれでは母の目を欺くことなど出来ない。
しかしこれ以上しつこく追及すると娘の機嫌を損ね、最悪口をきいてくれなくなってしまう可能性もありそれだけは避けたいところなのでアルメリアも深追いはせず昼食の準備をすることに。
一旦抱きかかえていたセレネを床に優しく下ろし、彼女の腕が遠ざかってしまったことで微かに惜しそうな表情を浮かべていた娘の反応に悶えそうになりながらも…アルメリアは自宅のキッチン向けて進んでいく。
「──まま、今日のお昼なぁに?」
「う~ん? 今日はねぇ…せっかくだし鳥のお肉を使った包み焼きにしてみたわ。セレネ、これ大好きだものね」
「ほんと!? やったやった!」
「こらこら、そんなはしゃいでたら危ないわよ。大人しく席に座ってね?」
「はーい!」
「よしっ。ならちょうど出来上がったし、一緒に食べましょうか」
早速昼食の調理に取り掛かろうとアルメリアも一通り食材を並べていったわけだが、その後は特に時間がかかるわけでもなし。
何しろ料理をするのは様々な方面で実力の高さが知られている“終焉の魔女”であり、その呼び名には到底似合わないだろうが料理も彼女の魔法を駆使すればすぐに終わること。
それに現在進行形でお腹を空かせている愛娘を待たせるなど言語道断であるため、時折調理台の上で派手な炎が吹き出したり勝手に流し台へと皿が浮いて運ばれて行ったりと、摩訶不思議な景色が展開されながらも五分と経たない間に昼食は完成した。
献立の内容についても抜かりはない。
ちょうど運良くついこの間アルメリアが外を出歩いていた際に確保していた鶏肉の在庫が残っていたのでそちらを使い、森に自生していた香草を何種類か使用して包み焼きにした後で軽く味付けをした肉を主菜としている。
他にも栄養バランスを考慮して小さなサラダを作ったり、街の方で調達していたパンも置いておけばボリュームについても文句はないはず。
よって次々と並べられていく料理に子供らしく瞳を輝かせるセレネのリアクションを微笑ましく思いつつ、彼女も席に着けば穏やかな昼食の開始である。
そうして母としても気になる娘の感想はというと………。
「……んん~! 美味しい! まま、このお肉すっごく美味しいよ!」
「そう? うふふ、それなら頑張って作った甲斐もあるわね。お代わりもあるからいっぱい食べて良いわよ。…だけど、お野菜もちゃんと食べないと駄目だからね?」
「うっ……はぁい」
「はい、よろしい。──…それにしても、倒した時は気にしてなかったけどあの鳥…結構味もいけるのね。今度また狩ってこようかしら…」
贈られてきた言葉は文句の一つもない百点満点。
幼いからこそ混じりけのない素直な感情を表に出してくれるセレネの褒め言葉は他のどんな称賛よりもアルメリアの胸に染み渡るものであって、愛しい娘の満開の花を咲かせたような笑顔を見られただけで彼女の満足感は限界値を優に超えていく。
そこあるのは確かに微笑ましい家族の時間だ。
…また、完全なる余談ではあるが机を挟んで座っていたセレネには決して聞かれぬ声量でボソッとアルメリアが呟いた独り言。
特に意図して漏らしたわけでもないのだが今の発言から察せる通り、今日の昼食で使った食材の鶏肉は彼女が直々に森で討伐してきた魔物の肉である。
味は良く、少々淡泊ではあるがそれゆえに調味料の風味がよく馴染んでいて正直期待はしていなかったものの実際に食べてみるとかなりいける。
手に入れた経緯としては単に森を進んでいたら急に襲い掛かってきたので、返り討ちにしただけではあれどこの分ならまた狙って狩るのも良いかもしれないとアルメリアは思案する。
……ただし、彼女自身が認識していない上に以前は容易く倒せてしまったため軽く捉えられているが、補足すると現在は食材の肉と化した大元の魔物はかなり強力な部類に属する相手である。
具体的な特徴を語るのならその魔物は全身を黒の羽毛で覆った巨大な怪鳥であって、強靭な硬度を誇る皮膚とそれに比肩する鋭さを宿した羽一枚一枚を広域に振り撒いてくる攻撃を仕掛けてくる。
並の相手であれば何もできずやられ、そこらの傭兵団や冒険者のパーティだろうと数秒と持たず全滅させられることだろう。
出現が確認されれば国の主要都市から騎士団の一軍……あるいは魔法師団がまとめて送り込まれてくる程には脅威としても認識されている魔物。
……が、残念なことに相手取った者が並のレベルにはまるで収まっていなかったがゆえにあっさりと返り討ちに遭う結果となる。
こちらも結末だけを切り取って語るとアルメリアへと接近してきた瞬間に放たれてきた羽の弾幕は全て展開された魔法障壁によって防ぎ、その隙に片手間で構築した風属性の魔法で首を一刀両断にして絶命させた。
敵も弱かったわけでは無い。むしろ魔物全体で見れば強力な部類だ。
ただ残念なことに、会敵した手合いがそれを遥かに上回っている魔女だっただけのこと。
まぁ何はともあれそんな経緯を経て入手した食材。
アルメリアは己の隔絶した実力ゆえに分かっていないが、世界的に見れば強靭な魔物なだけあって味も優秀。
本来ならその討伐難易度ゆえに高級食材にカテゴライズされるので当然と言えば当然だろうが…そこは今の彼女にとってはどうでもよいこと。
現在のアルメリアが気にしている点があるとするならそれは今後の食糧確保に関する方式であり、近いうちに魔女による魔物の乱獲が行われる未来は……避けられないのかもしれない。
◆
また別の日。
天気も快晴でいて過ごし心地の良い一日の始まりを実感させられるものだが、そんな時にてアルメリアとセレネの二人はいつもの小屋とは違う……人で溢れかえった街の中を手を繋いで歩いていた。
「ねぇまま。今日はここに何を買いに来たの? ご飯?」
「ご飯、ではないわね。少し魔具……って言っても難しいか。魔法を使える道具で見ておきたいものがあったから、ここまで来たのよ」
「へぇ~…」
「ふふふ…まだセレネには退屈だったかもしれないわね。もし帰りたかったらすぐにお家にも帰れるわよ?」
「退屈じゃないよ! ままと一緒にお買い物できて楽しいもん! だから帰るのはヤッ!」
「……ヤバいわ、超可愛いうちの子…!」
見ようによっては少し年の離れた姉妹のようにも見える二人ではあれども、本人たちは気にした様子もなくセレネが人混みにぶつかってしまわぬよう注意を払いながら歩いていた。
そんなアルメリアがやってきていたのはこの国の中枢を担う地、主要国家の中でも一大規模を誇る周辺全てが巨大な壁に囲まれた王都であった。
誇張抜きにこの国一番の盛り上がりを見せていると言っても過言ではない都市を訪れて何が目的かと問われそうなものだが、そこに対した理由はあるわけでもなく。
単純にアルメリアが趣味にもしている魔法に関連した研究開発、そこから波及する形で発展している魔具と呼ばれる技術の新分野が出てきたとの情報をキャッチしたのでそちらを見に来たのだ。
わざわざ王都まで足を運んだのはこうした技術進歩の最先端を発明するのは得てして国家の中心地であり、最も確実に現物をチェックできると思ったからである。
それに本来ならネックとなる長距離の移動による移動時間もアルメリアであればどうにでも出来る程度のことでしかないために、暇が出来た今日この時に人の波に紛れて馳せ参じたというわけだ。
…ただ、そこで少し予定外だったのはセレネが一緒に付いてきていること。
元々アルメリアの予定としては娘まで連れて行こうとは思っておらず、大して時間がかかることでもないので自分一人で出向くつもりだった。
しかし……そんな彼女の想定とは裏腹に、いつもは母の言う事にも聞き分け良く家で留守番をしてくれるセレネがこの日に限って珍しく一緒にほんの少し駄々をこねたのだ。
もちろん最初は優しく言い聞かせて家で待っていてもらうことに納得してもらおうと尽力もしてみた。
だが、拗ねたように頬を膨らませたセレネから何とか聞き出した我儘を言い出した理由。
曰く、『最近一人で過ごすことが多くて寂しいからままと一緒にお出かけがしたい』…などと言われてしまえばアルメリアに断ることなど出来るはずもない。
…実際最近は、彼女自身もセレネを一人にさせてしまうことがほんのわずかにだけ多かったことは自覚していた。
可能な限り可愛くて仕方がない、世界で一番愛おしい存在である娘との時間を作ろうと意識はしていても日課の研究から小屋の近辺の安全確認も兼ねた魔物狩りを始め。
その他諸々の雑事も含めるとまだ幼い子供に過ぎないセレネからすれば母との時間が少なく感じられてしまい、知らず知らずのうちに不満が溜まっていたのかもしれない。
正直なことを言うのなら、アルメリアはセレネに小屋で静かに留守番をしていてほしかった。
何しろ王都ともなれば盛り上がりも凄まじいがその分そこに住まう人の数も増していき、中にはよからぬことを考える者がいてもおかしくない。
その場にセレネを連れて行けばどうなってしまうのか。
アルメリアが傍に居れば滅多なことにはならないと思いたいが、それでも世の中に絶対なんて言葉はない。
もしこれで可愛い可愛い娘の身に何かあった時には…その際は、魔女の怒りが王都全体を飲み込むことになるだろう。
ある意味では国家のピンチに陥る事態になり得る可能性も秘めているということだ。
あちらからすればとんだとばっちりである。
ただ、一方で彼女もこのままではいけないことは分かっていた。
常日頃から森にある小屋で過ごし、そこで育ってきたセレネは健やかに成長してくれているが…外の環境と断絶されたあの場所に留まらせ続けるのは、娘のためにもならないことを。
たまには森以外の人里で過ごすことも、セレネの成長にとって重要なことであるのは分かり切っていた。
……なので、かなり悩みに悩み抜きこそしたが最終的には彼女も連れ添って王都まで向かうことに。
そして現在、嫌でも人目を惹く美しい容姿を持った銀髪の魔女と幼子でありながら将来成長した暁には美少女になることが容易に窺える娘という、通りがかった者の視線をそこかしこから集めつつも二人は混み合った道を進んでいった。
──この先で待ち構えているトラブルと、通った道から分岐するように出来上がっていた路地裏から覗く粘ついた視線にはまだ気が付かぬまま。
「………なぁ、見たか? 今通って行った娘」
「あぁ。久しぶりに見つけた上玉だったな…どうする?」
「とりあえずはボスに報告だ。けどまぁ、あそこまでの見た目なら相当な価値がつくことは間違いねぇ。十中八九狙うことは確定だろうさ」
表通りの明るさや賑やかさとは正反対と言っても差し支えない、王都の広さが逆に仇となり生まれてしまった入り組んだ構造を持つ裏路地の一本。
国に仕える騎士団や内政の大半を担っている宰相でさえも、その全容は把握できていないと言われている暗がりの道。
ゆえにこの場は表舞台には上がってこない者達…犯罪紛いの行為に手を染めた者やあくどい所業をする者の隠れ蓑としても機能しており、ここにいる男二人も立場としてはそれに近い。
そんな彼らは今しがた目の前をすれ違ったところで偶然見かけた親子と思われる女二人について語り合っている。
片方は果たして本当にこの世の存在なのかと疑ってしまうほどに美しく、そして見惚れてしまいそうな輝きと艶を放つ銀の長髪をたなびかせた魔法使いと思われる様相の女性。
もう片方は幼い子供ながら、その顔立ちを見れば将来性の高さが容易に察せる愛らしい少女。
そして、その二人のうち一人──特に利用価値の高い少女をどうするかと、隠し切れない悪辣さを滲ませた表情を交わしながら今後の動きを定めていた。
「しっかしそうなると…隣にいたあの女はどうする? 見た感じ、あっちも場合によっては有効活用できそうな感じではあったが」
「さぁな。…確かに見た目はいけそうだったが、多少は腕も立ちそうに見えた。まぁ気にしなくてもいいだろ。隣に誰がいようと娘一人を狙うくらいなら、いくらでもやりようはあるってもんだ」
「へへっ、言われてみればそうか。…ほんじゃ、早く報告に行こうぜ」
浮かべた顔つきはどこまでも下卑た思惑によって濁ったもので。
語られた会話の内容は狙う者と狙われた者の立ち位置をどこまでも明瞭にするものでありながら、数秒後……この場から既に男たちの姿は跡形もなく消え去っていたのだった。
◆
「セレネ、大丈夫? 歩き続けてるけど疲れたりしてない?」
「平気だよ! このくらい私でもへっちゃらだもん!」
「そう? ならいいけど…疲れたらすぐに言ってちょうだいね。その時はすぐにでも抱っこしてあげるから」
王都の明るい中央通り。
相変わらず人の波が途切れる気配がない道沿いをしばし歩き進んできたわけだが、未だゴール地点として設定していた店舗には到着しない。
その道中で何度かアルメリアは娘が気が付かぬ間に徒歩の連続で疲れていたりしないだろうかと尋ねる場面もあれど…聞いてみても問題は無さそうだ。
アルメリアは自身が規格外ゆえに体力の消耗とは無縁なため、心配する必要もないがセレネはそうもいかないので場合によっては抱きかかえて進もうかとも考えていたがこの分ならその心配も不要だろう。
子供ゆえに持ち合わせている無尽蔵の体力ゆえか、それとも母と出かけられたことから溢れ出ている歓喜の副作用として疲労を感じていないだけか……おそらく両方か。
どちらにせよ、ある程度進んできたことでようやくどこを眺めても人で溢れかえるほどの光景からは少しずつ離れてきているのでここまで来れば歩くのにもさほど体力は消耗しないはずだ。
だからこそアルメリアもここからはセレネがふとした拍子に転んでしまわないよう目を配りつつ、それでいて微笑ましく思いながら小さな掌をそっと握りしめる。
そうしてこの状態のまま順調に目的の店まで進んでいく……かと思われたが。
途中、偶然にも通り道にて見かけたある場所を目にしたセレネが歩みを止めたことでアルメリアの意識もそちらに引っ張られることに。
「あっ……」
「うん? …あぁ、なるほどね。セレネ、あそこが気になるの?」
「えっ? う、ううん…気になってるわけじゃなくて、ただその……楽しそうだな、って…」
「…ふぅん、そっかそっか」
娘が目にした先、そこにあったのは特別目を見張るほどの何かというわけではない。
きっとこの近くを頻繁に利用する者であればごくありふれた光景であって、そうでない者であっても似たような景色を一度は見たことがあるに違いない。
何しろそれは先ほどまでズラリと大通りに沿って並んでいた建造物の数々とはまた真逆の空間。
住民の営みを思わせる建物から少し離れた位置に突然現れた、かなりの広さを持つ自然豊かな広場──そしてそこで駆け回りながら夢中で遊んでいる子供たちがいる光景なのだから。
…だが、ほとんどの者にとって見慣れた一場面であろうとここにいるセレネにとってこれはとても新鮮なものとして視界に映る。
普段からアルメリアと暮らしている環境を思えば当然であるが、同年代の子供たちと遊ぶ経験が少ない彼女からしてみれば興味を引かれて当たり前で…羨ましく見えるものだったのだろう。
ゆえにそんな内心を察して身を屈ませてきた母からこう問われた際にも、僅かながら動揺する素振りを見せてしまったのかもしれない。
「ねっ、セレネ。もしママが良いよって言ったら…あそこであの子たちと遊んでみたい?」
「え…?」
「誤魔化さなくていいし、我慢なんてしなくていいわよ? 隠そうとしてもバレバレだもの…セレネ、みんなと一緒に遊んでみたいんでしょう?」
「そ、それは……」
ここまで分かりやすい素振りを見せられてしまえばアルメリアだろうと容易に察せる。
むしろ愛しい娘が見せた珍しい変化だったからこそ誰よりも鋭敏に感情の変わりようを察知してみせ、目の前の広場で楽しそうに走り回る子供たちと共に遊んでみたいのだろうと思う彼女の我儘を受け入れる姿勢を見せた。
もちろん強制はしない。無理強いもしない。
あくまでも見せる姿勢としてはセレネ自身がどうしたいかを示せるようにすることであって、アルメリアがしたのは我慢強い愛娘の欲求をほんの少し後押ししてあげる程度。
「もしセレネが遊びたいんならママはその間にお店で用事を済ませてきちゃうから、時間も気にしなくていいわ。…それで、どうしたい?」
「……え、えっと…」
(……んん? どうしたのかしら。間違いなくセレネは広場を見ていたし、あの子供たちと一緒になって遊びたいと思ってるはずなんだけど………あ、そういうことね)
が、そこまで優しく尋ねてみても不思議なことにセレネは一向に首を縦に振ろうとはせず。
アルメリアの見立てではほぼ間違いなく今指摘したことが娘の望んでいることと一致していると確信していたため、その反応は些か違和感を覚えるものであった。
ただしかし……それもとある一点。
目線を同じ高さに合わせていた母の瞳を、自分の視線は泳がせつつもまるで迷うかのような仕草を見せるセレネの小さな手が微かに震えているところを見つけて彼女も合点がいった。
これは完全にアルメリアの推測の域を出ない話にはなるが、おそらく──セレネは怖がっているのだ。
母と離れてしまうことが、ではない。…それはそれで悲しいが。
セレネは恐れている対象はもっと直接的な事。
要するに今目の前で遊んでいる子供たちの輪に突入していき、その過程で向こうから輪に入ることを拒絶されてしまうのではないかと思い…怯えてしまっている。
しかし無理もない。普通の子供ならともかく、セレネは育ってきた環境が特殊。
アルメリアと住む小屋は人々から脅威としても恐れられる〈失墜の森〉奥地であり、そんな魔境を訪ねてこれる者など数える程度しか存在しない。
時折訪ねてくる母の知人と知り合う機会こそ何度かあれど、セレネと同年代の友人となるとそれこそさらに数は減っていき……両手の指の数に収まればいいレベルになる。
ゆえに今この時、あれほどの子供たちが集まる場所へと駆けよって行くことに慣れているはずもない彼女が内心に恐れを抱いてしまうのは当然のことであって、おかしいことでも何でもない。
なのでアルメリアが掛けるべき言葉はとっくに決まり切っている。
「平気よセレネ。そんなに怖がらなくても、ちゃんと『一緒に遊びたい』っていう気持ちをあの子たちに伝えられれば除け者になんてされることは絶対にないわよ。ママが保証してあげる。それでもまだ不安なら……これを付けていたらいいわ」
「…あ、これ……」
「そっ、前にあげたネックレスね。私は少し離れなくちゃいけないから…もし危険な時、きっと守ってくれるはずよ」
「……う、うん」
何も不安がる必要などない。
過剰に怯える意味もない。
子供というのは一見難しいように見えて実は難しい事情など考えていないことが多いもので、一度輪に入ってしまえば話はとんとん拍子に進んでいく。
よってこれは最初の一歩を踏むためのおまじないに近いもので…娘が抱えている不安を消し去る意味でもアルメリアは手元から青色の石が美しく輝くネックレスを取り出し、首元に着用させてあげる。
これは以前、とある出来事から母が娘へと贈ったもの。
以来セレネにとってかけがえのない宝物となった一品で、これ一つあるだけで心持ちは大分変わってくる。
だがまた足りていない。彼女の勇気を振り絞るためにはあと一手届いていない。
…けれどもう、その一歩を踏み出させるための言葉は何よりも明瞭であり、ただこう言ってあげればいい。
「うん、よく似合ってるわ! …大丈夫よ、何も怖がる必要なんてない。セレネらしく関わっていけば全部上手くいくに決まってるわ」
「そう、なのかな……」
「えぇ、もちろん! だってそうでしょう? なんてったってセレネは、この私の娘なのよ? ほら、こう考えたら世の中のほとんどは恐れるような物じゃないと思えてくるわよ」
「…! ……うん! まま、私行ってみる!」
最後のエールとして力となるのは、他ならぬ母であるアルメリア自身。
間違いなくこの世界でも比肩する者など数える程度にしか存在しない、最強の魔女の娘であるという肩書きを自覚させてしまえば他の事は全て些細なことに思えたはず。
おそらくセレネもそれは同じことを思ったはずで、口元に指を当てながら薄く微笑む母の顔を見て笑いを零していた。
同時に、何一つとして怖がりながら挑む様な事ではないと半ば強制的に理解させられて。
しかしそれこそが火種となり、さっきまでとは打って変わって元気よく返事をしたセレネの瞳は決意の色を濃く表していてもう心配もいらないことが伝わってきた。
最後に母としばし別れてしまうことを惜しく思ってくれたのか、セレネの方から小さな身体を精一杯に使ってアルメリアに抱き着き……今度は満面の笑みを浮かべた後に、子供たちのいる場所めがけて駆けていく。
「……あの分なら大丈夫そうね。ネックレスもあるし、万が一があっても少しくらいなら平気でしょう」
その後ろ姿を…愛娘が自分の傍から離れていく姿をつぶさに見守っていたアルメリアはというと、少しずつ遠くなっていくセレネが声の届かない範囲にまで走り去ると一言ぽつりとこぼす。
………この際なのでもう正直に言ってしまおう。
先ほどはあんな頼れる母親のような雰囲気をありありと示してセレネに言い聞かせていた彼女であるが、その実本音を晒してしまえば娘を一人になどさせたくなかった。
それはそうだろう。
僅かな時間といえど自分の近くからセレネを遠ざけてしまえば何が起こるか分かったものではなく、欲を言うなら四六時中セレネとは密着したまま過ごしたいと思うほどアルメリアの娘愛は強いのだ。
それでも一人の母親として、子供に構いすぎることが悪影響に転じてしまう可能性があることは理解しているつもりだ。
加えて森の小屋では暇さえあればセレネの可愛さを思う存分愛でているのだから、こういう時くらいは娘にも新しい人との繋がりを得てくれた方が良いはず。
なので非常に……非っ常に遺憾であるし心の奥底では何一つ納得など出来ていないがその辺りは追々埋め合わせをすることにしておいた。
「とりあえず、私は私の用事をさっさと片付けに行っちゃいましょう。…一秒でもセレネと長く離れるなんて苦痛でしかないわよ、全く」
セレネに見せていた堂々とした立ち振る舞いは一体どこへやら。
まさしく不満たらたらといった有様で自分で誘導した結果だというのに、想定もしていなかった愛娘と別れて過ごす時間を味わうことになったアルメリア。
そんな魔女は半ば憂さ晴らしでもするように人の目がない道端の死角へと移動すると、編み上げた魔法によって即座に転移していったのだった。
◆
一方その頃、アルメリアと一時的とはいえ別れたセレネは…ほんの少し湧きあがらせた勇気によって奮い立たせた足の勢いのままに子供の群れへと近づいていく。
そしていつもとは違う、すぐ傍に誰よりも頼りになる母の存在が無いことに再び不安な思いが立ち上りそうになるも、首元に身に着けた彼女の宝物でもあるネックレスを握りしめて──自ら声を掛けに行く。
「…ね、ねぇっ! ちょっとだけいい?」
「──…んー? この子だぁれ?」
「知らない子だー!」
「髪きれー!」
子供たちとは言っても落ち着いて数えてみれば男女が入り混じった数人程度の規模感。
だとしても全く顔を合わせたこともない、赤の他人に声を掛けに行くのは相応に勇気のいることだ。
同年代でまだ幼いセレネなら尚のことであり、もしかしたら呼びかけても無視されてしまうかもしれないという危惧もしていたが…その懸念とは裏腹に返ってきた反応は好意的なものが多い。
しかしあちらも突然話しかけてきた彼女の存在に困惑している子が一定数いる様子。
まぁ大体は、戸惑いながらもセレネの持つ容姿…子供ながらに目立つ金髪と整った顔立ちに意識を引っ張られているらしいが。
ただ呼び止めたことで一気にセレネは注目を浴び、好意的な類であっても多くの目に晒されると自然と全身に力も入ってしまう。
…だが、ここで弱気になって退きたくはない。
だってセレネは母から教えられているのだ。
自分は誰よりも強く、そして世界の誰よりも大好きな母の娘であり、こんなところで恐れるような物は何一つとしてないと。
別れる直前にまでセレネのことを励ましてくれたアルメリアの言葉を思い出し、何度も頭の中で反芻させていけばいつしか緊張で真っ白になりかけていた思考にも落ち着きが戻った。
そして短く深呼吸をした後で、今の自分が伝えたいことを誤魔化すことなくセレネは何とか振り絞ることが出来た。
「あ、あのね…えっとぉ……わ、私も一緒に遊んでもいいかな…っ!」
…言えた。伝えることが出来た。
多くの人を前にして若干声も裏がってしまったかもしれないが、そう伝えられた向こう側の気になるリアクションは果たした如何様なものか。
流石に親しい仲でもないセレネを、どこから来たかもわからない余所者では拒絶されてしまうのか。
それとも、答えはどうなるかと固唾を呑んで見守っていると…返事は彼女が想定していた中でも最良の結果であった。
「うん、いいよっ! 一緒に遊ぼー!」
「…! い、いいの!?」
「もちろん! 何する何する?」
一瞬セレネの申し出にキョトンとしたような表情を一同が浮かべつつも、言葉の意味を理解すると子供たち全員……特に女子サイドの面々は断る理由もないと言わんばかりの受け入れ具合で彼女を迎え入れてくれた。
やはり、女の子は可愛いものに目を惹かれるものなのだろう。
日頃からアルメリアは彼女を猫可愛がりしているのと、娘として多少……否、少々過剰かもしれないレベルで身内贔屓の評価が混ざることは多々あるがそれはそれとしてもセレネの容姿は子供ながら整っている。
ゆえにこの年の、可愛いものに目がない女子からは肯定的に受け入れられ、輪から外されることなく無事に仲間へと入れてもらえた。
「えー? 女なんて入れてどうするんだよ!」
「そうだそうだ! どうせ俺たちについてこれずに泣くだけだっての!」
「うっ……」
「あんたら、うっさい! いいもん、この子と遊ぶのはあたしたちの決定事項だから!! …ね、一緒に遊ぼ!」
「あ……うん!」
…ただその傍らで、同性からは問題なく受け入れてもらうことが出来たがもう片方。
まだ何人か残っていた男子からは、少し意地悪くも聞こえる言葉遣いでセレネの参加をあまり歓迎するような雰囲気を漂わせてはいないようにも思える。
しかしこちらはこちらで言う事にも理解出来ないわけでは無い。
この年頃の男の子というのはどうして女子……異性と混ざって遊ぶことを仄かに気恥ずかしく思ってしまう難しい内心を抱えてしまうもので、どうしても素直にはなりづらい。
ゆえに表面上こそセレネが加わることを刺々しい物言いで遠ざけるように言っているが、それもよくよく見ていくと──彼らの視線は隠し切れない頻度で未だ不安そうな彼女へと向けられているのが分かる。
…無理もない。年頃の男子といえど、セレネほど目立つ容姿をしながら雰囲気は大人しめなんていうギャップまで持ち合わせた少女の魅力を完全にスルーなど出来るわけがない。
一応パッと見の感情は取り繕えているかのように思えても、実際のところ男子の中の何人かはセレネが近づいてきた瞬間に彼女の存在に見惚れていた者もいたので…つんけんとした態度を取ってしまうのは大体そんな事情。
つまるところ、好きな相手…もしくは気になる人には素っ気ない接し方をしてしまうというあれだ。
中々素直な感情を表に出せない男子の本心を、今までこうした相手との接し方に触れてきた経験が少ないセレネに察してみろというのも難しい話。
どちらにせよ彼女に実害は少ないので、察せようと察せまいとあまり関係ないのが幸か不幸であるのかは……人によって判断が分かれるところか。
途中の過程にて紆余曲折あり、何かしらのトラブルが発生するかと思われたセレネの勇気を出した行動も蓋を開けてみれば何てことはない。
むしろ全て丸く収まったという表現こそが当てはまりそうな結末を迎えた彼女は、出会って間もない彼らともすぐに打ち解けて時間を忘れて遊びに夢中となっていた。
それだって内容は大したものじゃない。
遊ぶと言っても広さが確保されているだけの広場ゆえに遊具は少なく、ひたすらに土の上を駆け回っているだけの時間だったと言われてしまえばそれまでだ。
もちろん、それだけの事でも同年代と全力で遊ぶ状況が新鮮なセレネにとっては時の流れを忘れるほど楽しいひと時であったが。
ただ彼女はそれで満足するに足りていたとしても、他の子どもがそうであったかどうかはまた少し話が変わってくる。
「…なぁー! もう同じことばっかりやってて飽きたよ! なんかもっと面白いことやろーぜ!」
「面白いことって……例えばなぁに?」
「そりゃ、あれだよ…とにかく面白いことだ! ずっと走ってるだけじゃつまんねーもん!」
というのも、グループの中の一人。
少しやんちゃな気配を漂わせている男の子が突然に地面に寝っ転がり、この状態はつまらないから別のことがやりたいと言い出し始めてしまった。
気持ちは分からないでもない。
実際彼らがしていたのは延々と単調な追いかけ合いや走りでの競争を繰り返していただけなので、最初はともかく時間が経てば飽きが来るのは当然のこと。
ただ彼が不満たらたらといった様子でこぼしていた、面白いこととやらの具体的なプランに関しては持ち合わせていなかったようでセレネの質問には曖昧な答えしか返されてこない。
…けれども、そんな退屈な流れを断ち切るように今度は予想外の方向から張り上げた声がもたらされることに。
「──それなら、いい考えがあるぜ! 面白そうな話があるって今こいつから聞いた!」
「えっ、本当か!? 何々、どんな話だよ!」
「へっへ~…聞いて驚くなよ?」
「……?」
彼らの会話に割り込む形でそのようなことを言いだしてきたのは、数人いる男子の中でも一番背丈があり力も強い、リーダー的な立ち位置にいた男子だった。
その隣には少し線が細く、纏う雰囲気も堂々としたものというよりは気弱そうな印象を受ける男の子がおりおそらくは彼から聞き出した話題があるとのことだが…一体何なのか。
要領を得ない宣言を一方的にされたことでセレネの頭には疑問符が浮かびかけるも、その態度に反応されるよりも前に目の前の男子から話題の中身は語られてくる。
「それがお前らさ、最近ここいらでユーレイ騒ぎがあるって聞いたことあるか?」
「「「ユーレイ騒ぎ? 何それ?」」」
「何だよ、誰も知らねーのか! しゃあない…この俺が教えてやるよ!」
まず真っ先に聞かされた話の題目はユーレイ騒ぎと名付けられているものらしく、その時点でセレネは知る由もなかったが…意外なことにそれは他の子供たちも同じようだった。
彼の放った言葉にこの場のほぼ全員が首を傾げて疑問符を返していたため、察するにまだ噂がそこまで広範囲に拡散されていることではないのだろう。
しかしあちらとしてはそれはそれで構わなかったらしく、特に気にした様子もなく逆に張り切った様子で続きを喋っていく。
「…実はな、ここんところこの街の路地裏で妙なことがよく起きてるんだとさ。こいつが聞いたところによれば、道の路地裏に子供一人で入っていくとユーレイに襲われる…だよな?」
「う、うん……ぼ、僕も少し聞いただけだから何とも言えないけど…噂だとユーレイに襲われた子は帰ってこれないんだって…」
「何それ、怖ぁい!!」
「へっ、何だよビビってんのか? そこで物は相談だ…俺たちみんなでさ、このユーレイ騒ぎの真相を解き明かしに行こうぜ!!」
要するに聞いた内容をまとめると、知らない者も多いが近頃この王都では謎の存在による騒動が巻き起こっているらしい。
話の中身も具体性に欠けていて、細かい部分に至っては大半が不明瞭なままであるが…彼の狙いはまさにそこにある。
つまり、今巷を騒がせているこの一件について退屈凌ぎも兼ねて詳しく探ってみようとの誘いであった。
……が、それに対するリアクションはあまり芳しくない。
「えー! ヤだよそんなの! ユーレイなんて怖いもん!」
「ユーレイなんているわけないじゃん! わたし、そんなバカみたいなことに付き合わないもん!」
「それはさすがに……危なくね? 裏路地ってヤバそうだし…」
「な、何だよお前ら! 人がせっかく面白そうなことに誘ってやってるのに!」
彼も彼でまさか断られるとは思っていなかったのか、それとも自分が仕入れ提供した話題の面白さに相当な自信があったのか。
返ってくるのが反抗的な態度ばかりだったことに狼狽えつつも、どうにか賛成する者がいないかと周りを見渡すがそんな者は残念ながら一人としていない。
「それならお前はどうするんだ! こんな面白そうなことなんだから、一緒に行くよな!」
「…ぼ、僕も行かないよ……うちのお母さんに路地裏は今危ないから行っちゃ駄目だって言われてるし、何だか薄暗くて怖いし…」
「…~~!! ちくしょう! ここには腑抜けたやつしかいないのかよ、臆病者が!」
確かに暇つぶしとしての威力は充分だったかもしれないが、幸か不幸かここにいる大半の子供は自分たちの親から路地裏の危険性について言い聞かされているらしい。
だが自信満々に誘いを持ち掛けた彼としては心中穏やかではいられないだろう。
もうこのままの勢いでは一人で向かうなんてことまで言いだしかねない…いや、実際にそう口にしてきた直後、次なるターゲットはこの場で最も新参者であるセレネに向けられてきてしまった。
「ちっ、それならいいっての!! こうなったら俺一人でも行って謎を解き明かして来てやるからな! …おい、それじゃあお前はどうする! どうせ女子だからビビって来ないって言うつもりなんだろ!」
「…セレネちゃん、あんなやつの言う事聞かなくていいからね。お母さんに怒られたらわたしだって嫌だもん!」
「う~ん……そうだなぁ…」
ここまで言った手前、後に引けなくなってしまったのか。
年頃の男子特有の強がりとも言える振る舞いを露わにしてセレネへやけくそ気味に発破をかけてくるも、その返事は…正直少し悩んでしまう。
別に彼の現状に同情したわけではない。ユーレイ騒ぎに興味を引かれてもいない。
ただ、今聞いた話だけをまとめるなら単なる不穏な噂話として片付けられても…セレネだけは全く異なる危険性を有していることに思い至っていたからだ。
それというのも、今回話に出てきたユーレイはいわゆる怪奇現象に酷似した存在のように語られていたが、実際のところは魔物の可能性もあると考えていたのだ。
幼い子供ゆえに把握していないのかもしれないが、こうした噂的な幽霊とはまた異なってこの世界には霊体の系統に連なる魔物が現実にいるのだ。
種類は全身が透けた発光体のレイスに始まり、有名なところだとゾンビやスケルトンなんかもこの系統に属する魔物である。
もし、今耳にしたこの騒ぎが霊体の魔物によるものであるとしたら…今にも突っ走っていきそうな彼を一人で路地裏に向かわせてしまうのは危険だとセレネは案じていた。
かつて母のアルメリアから直々にそのような魔物も世の中にはいると教えられた記憶がある彼女は当然その危険度も理解しており、そこに男子とはいえ子供一人で行くのは危ないことなど誰の目から見ても明らか。
一番良い方法としては何とか向こうにも言い聞かせて納得してもらい、路地裏に行こうとすること自体をやめてもらうことなのだが…それは難しい。
こちらも意地になって粘り強く説得をすればどうにかなる可能性は残されているとしても、それが上手くいくまでにどれだけの時間が必要になるか分かったものではない。
であれば、セレネ自身この選択肢が褒められたことではないのを自覚はしつつも…こう返すしかなかった。
「……うん、いいよ。私も一緒に行く」
「おっ、本当かよ!! なんだよ…お前も結構見る目あるじゃねぇか!」
「え、セレネちゃんいいの…? あんなやつに従わなくてもいいんだよ?」
「ううん、大丈夫。そんな危ないことはしないし…危ないって思ったらすぐに戻ってくるから」
「そう……ならいいんだけど」
他の者が相変わらず誰一人として同行に賛成しようとしないので、仕方なくセレネは自分が参加することで場を丸く収める形を選んだ。
すると目の前の彼はさっきまでの不機嫌さを一気に吹き飛ばし、無事に機嫌も回復してくれたようで彼女のことを見直したように輝いた瞳を向けていた。
…本心を白状してしまうのなら、セレネもこの返答が正しかったとは思っていない。
こちらの身を心配して声を掛けてくれた少女が言っていたように、いくら心配だとしてもセレネが首を突っ込む理由はない上、何より母へとそんな場所へ赴くことを報告しないまま付き添うことになってしまうのだから。
普段の彼女ならまず選ぶことはないだろう行動なのは言うまでもない。
ただそんなリスクを背負うことになったとしても、セレネは短い時間を共有しただけの仲だったとしても…既に赤の他人ではなくなってしまったこの少年を見捨てるような真似はしたくなかった。
また一応の保険としても、セレネは前々から自身の母にして“終焉の魔女”であるアルメリアからいくつか魔法の扱い方を教わっている身。
流石に魔女と呼ばれるほどの実力者たるアルメリアと比べれば何段階か力量は見劣りしてしまうものの、万が一の際にはそれらを使って対処は…出来なくもない。
ゆえにセレネは自分が同行し、もしもの時には魔法で時間を稼いですぐに路地裏から離れる。
無論、何も起こらないことが一番であるしそうそう変わったことなど起こらないだろうが、念には念を入れておいて損はないはず。
なので出来るだけすぐに帰ってくることを他の女子や男子の面々とも約束し、その間に母親が戻ってきたら説明してほしいと伝言だけ頼み、セレネと一人の少年は近くの細い道から薄暗い路地裏へと足を踏み入れて行った。
「──何だか、思ってたよりもずっと何もないね。もう帰らない…?」
「へっ、どうしたんだよ。もしかしてここまで来てビビったなんて言わないよな? 何か見つけるまで俺は帰らないぞ!」
「……そうじゃなくて」
一本一本が細い小道。それらが複雑な迷路のように入り組んだ構造をしている路地裏。
表の道とは別の街にいるんじゃないかと錯覚しそうになるほど、人の気配が少なく耳に聞こえてくる音は自分たちの足音程度しか存在しない。
捉えようによっては不気味にすら感じられる空間にセレネと少年はやってきており、彼曰く噂の渦中でもある路地裏には…想定していた以上に目を見張る物が残されていない。
ただただ建物が立ち並ぶだけで、綺麗に整えられている範囲もあれば正反対に廃棄物がそこかしこに散乱しているようなエリアさえある。
まるで一定の範囲ごとに別世界が広がっているかのような歪さは長く直視したいものではなく、嫌な予感しか覚えないセレネとしては一刻も早く広場に戻りたかったが前を先行する少年がそれを許してくれない。
「いいか、聞いた話じゃユーレイは道の奥に進んでいくと出てくるってことらしい。そこまで行ければ俺たちだけで謎はすぐに解けるぞ!」
「…そんなに遠くなんて、私行きたくないよ。あんまり戻らないとままに心配かけちゃうから…」
「あ、何だよ? まさかお前母ちゃんのことが怖いのか? ったく情けねぇな! ユーレイよりも母ちゃんの方を気にするなんてやめとけよ!」
「…! そうじゃないよ! ままは怖くないもん! …ただ、もし変なことがあったら危ないなって言いたかっただけで──…」
ズンズンと突き進んでいく少年の歩みには迷いというものが一切ないが、どうやらその進行方向を決める即決具合もただ単に道の奥へと考え無しに進んでいただけらしい。
…このままでは、本当に元居た場所まで帰れなくなってしまうかもしれない。
ただでさえここは見通しも道を覚えるのも至難な空間であり、今ならまだうろ覚えながら歩いてきた道を順々に辿って行けば表の道まで出ることは不可能じゃない。
しかし現状のまま事が進んでしまうと、間違いなくセレネたちは帰り道の方向すら分からない状態で途方に暮れることとなる。
いくら何でもそうなっては困る。
セレネとしてもアルメリアがいつ戻って来るかは分からず、仮にセレネがあの広場にいない状態で母が帰ってきてしまえば確実に心配される。
それを憂慮していたからこそ、あの場に残った子たちに伝言を頼んだわけだがそれとて絶対ではない。
だから彼女は、これより先に進んでしまえば状況を悪化させてしまいかねないと判断して少年の足を止めようとした。
……がしかし、その声を届けるのは一瞬だけ遅かったのかもしれない。
「ほれ、早く行かないと日が暮れちまうぞ! さっさとついてこないと置いていっちまうから──うわっ!?」
「…ってぇ!? なんだ、このガキはぁ…っ!」
「え…?」
自分の求めていた場所を探検していることと、この先にある展開を妄想してテンションが高まってしまったのか。
もはや道を戻る選択肢など頭になく、それどころか駆け出していきそうな雰囲気を漂わせていた少年がさらに進める足を早めようとして……直後。
曲がり角からいきなり姿を現した謎の人物。
気分が高まっていたことで正面をよく見ようとしないまま走りだそうとしたことでぶつかってしまったようだったが…そんなことよりも彼らと衝突した相手。
突然出てきた子供の姿を認識しても苛立った空気を隠そうともしない者の正体は、両方ともが何故かその身体に武器を持ち合わせていた二人組の男であった。
◆
「はぁ~…しけてるわね。新しい技術が出てきたなんて言われてたから見に来てみれば、どれも大したことなかったわ…今回もハズレ、と」
──セレネと別れた直後。
愛娘が問題なく子供たちの輪に入っていけたことを確認したアルメリアはこれならしばらくは問題も無いだろうと判断し、早急に己の用件を片付けてしまうためにも目的だった魔具の専門店を訪れていた。
…ただ、そこで見つけることが出来た目当ての品はどれもこれも期待を上回るような代物では無し。
事前に掴んでいた情報ではもっと画期的な技術が開発されたと宣伝されていたというのに、蓋を開けてみれば広告とは比べるべくもない程に細かな機能が内蔵されているだけ。
これならアルメリアが作り上げた魔具の方が余程優秀な機能を持ち合わせているくらいだ。
「仕方ない…今日は一応他に面白そうな物がいくつか見つけられたし、それだけ買って帰りましょ……セレネをいつまでも一人にしておくのは怖いものね」
だが一応は目的としていた魔具以外の範疇で、アルメリアも興味をそそられる物品を何個か掘り出せたのでそれで良しとしておく。
何より、いつもならこれで満足することはせず品定めを続行していただろうが…今日ばかりは愛する娘のセレネを一人置いてきてしまっている。
…彼女も納得した形で見送りこそしたとはいえ、たとえセレネが望んだことであったとしても心配なことに変わりはないのだ。
もとよりアルメリアは娘に対しては昔から超が付くほどの過保護であり、自由を縛り付けることこそしないが普段の生活では片時も離れないなんて表現が当てはまるほどにセレネを溺愛している。
そんな魔女さえも篭絡してしまう愛娘と離れてしまったことで発生したダメージは…思いの外深刻だった。
ともかく今は余計なことを考えず、一刻も早くセレネの下へ戻り全力で愛でてあげなければアルメリアの精神が持たない。
よって早いところ用件を済ませるためにも見繕った魔具をいくつか選別し、店主と思われる老婆の所まで運んでいった。
「よいしょ…っと。お婆さん、こちらの魔具全部頂けるかしら?」
「うん…? …あぁ、もちろん構わないよ。さっきから随分熱心に見ていたようだけど…何かお眼鏡にかなう品は見つかったのかい?」
「まあまあね。興味を引かれる物はいくつかあったけれど、期待してたレベルを超える物はなかったもの」
「くくく…そりゃあ手厳しい評価だったもんだ。まぁ魔具との出会いは良い時もあれば上手くいかない時もある。たまにはそんな日があってもいいだろうさ。ちょいと待ってな、今計算するよ」
手に取った魔具の生産をするためにも店主の女性……その皺がれた声と深い猫背によってさらに小さく丸まって見える体躯の老婆。
しかしその奥に隠された瞳と呟かれる言葉一つ一つには確かな年の功というものを感じさせるこの人の下へと運べば、物色中の様子でも見られていたのか内心は見透かされていたらしい。
アルメリアが求めていた品質の物は見つけられなかったとぼやけば、何が面白いのか肩を震わせてあちらは笑い声を噛み殺す始末。
ただ不快に思わせたわけでは無いようで、それどころか彼女の返答を面白おかしく受け取ったように反応を示していたので問題もあるまい。
「…さて、金額だけど全部まとめてこんなものだ。払えるかい?」
「平気よ。流石に私も対価を払いもせずに出ていくほど礼儀知らずではないもの。…敵対してきたやつは別だけど」
「ん…何だって?」
「何でもないわ。それよりこれでお願いね。ピッタリあるはずよ」
そして提示されてきた金額についても不満はない。
こう見えても金銭はそれなりの規模で所有している彼女の懐であれば何一つ支払いに滞りもない値段であったため、特に文句を言う事もなくそのまま代金を払う。
「はいよ、ちょうどだ。どうも毎度あり。しっかしこうも美人な女を見かけるのは久しぶりだね…あんた、この辺りの者じゃないだろう」
「うん? えぇ、そうだけど。それがどうかしたの?」
「別にどうこうするってわけじゃないけれどね。…ただ、近頃この辺りは物騒なんだ。帰るんなら出来るだけ表の通りから戻った方がいいよ」
「──物騒? …どういうことかしら?」
過不足なく払えた金額は向こうからも文句を言われることなく手渡しされ、そうすればアルメリアもこれ以上ここに居座る理由は無くなる。
なのでセレネを置いてきてしまった広場へとすぐにでも戻ろうと足を動かそうとしたところで…背を向けた直後に後ろから投げかけられてきた店主の言葉が引っ掛かった。
別にこの老婆の言う事を無視してしまっても構わなかったのだが、不思議と今ばかりはあちらの物騒なんて単語がアルメリアのどこかに引っ掛かりを感じさせた。
ゆえに逸る気持ちを抑え込みつつも、一体どういうことなのかと少し目を細めて問い詰めにかかった。
「あたしらも詳しいところまで知ってるわけじゃないよ。…だけどね、最近ここいらの近辺で物騒な噂が飛び交ってるのさ」
「…と、いうと?」
「何でも、知り合いが言うには誘拐犯が出始めたんだとか……実際、何人かは孤児の子たちの姿が確認出来なくなってるらしいからね。案外噂だけに留まらないかもって、最近は皆警戒してるんだよ」
「誘拐…ですって?」
そこで聞けたのは、アルメリアにとってもこの街──王都にとっても歓迎は出来ない類の噂話。
何でもここ最近になってこの近くでは誘拐犯と思われる者達が出没しているらしく、まだ目立った被害こそ出ていないが身元の確かでない孤児が幾人か姿を消しているのだとか。
しかも主にその被害が発生するのは王都でも人の目が届かない路地裏…後ろめたい行いをするのにはうってつけの場所なために誘拐という線の信憑性も増しており、住人も自分たちの子供には決して路地裏に近づかないよう言い聞かせているとのこと。
「子供たちの間じゃ、ユーレイ騒ぎなんて呼ばれて面白がられるみたいだよ。…全く、嫌な状況になってきたものだねぇ…早いところ犯人が見つかってくれればいいんだが、組織ぐるみの可能性もあるってんだからね」
「……なるほど、ね。分かったわ、そういうことなら気を付けて帰らせてもらうわね。忠告ありがたく受け取らせてもらうわ」
「あぁ、心配はいらないと思うが念のため注意して帰んなよ」
ただ、その場で聞いた話を脳内で一度簡潔にまとめていくと、アルメリアは特に何か言うわけでもリアクションを示すわけでもなく穏やかな様子で店を出て行った。
傍から見れば店主の忠告を素直に受け止め、自分も現在この王都を駆け巡っている不安の種でもある誘拐事件に巻き込まれないよう留意したように思えるだろう。
…だがその実、彼女が内心で思い浮かべていたことはまるで異なっている。
(……誘拐。話だと発生しているのは路地裏らしいから、セレネは大丈夫…よね? あそこなら他の人の目もあるし、怪しい真似は出来ないはず……いいえ、とにかく今は早く戻りましょう)
彼女が表面上は平然とした態度を貫きながらも、頭の中で考えているのはたった一人の娘の事。
この世の何者よりも大切であると断言できるセレネは、今無事なのだろうかと湧き上がってきてしまう不穏な予感がアルメリアの胸中に燻りかける。
が、そこまで過剰に不安がる必要はないとも思っている。
広いとはいっても見晴らしの良いあの広場であればおかしなことがあればすぐに誰かが気が付ける上、そもそも現場は裏道に通ずる路地裏と言われている。
セレネが母に対して何も報告しないままそのような場所に行ってしまうとは考えづらいため、騒ぎ立てるほどの事ではないだろうと思い込むことで込み上げる嫌な予感を打ち消した。
…もちろん、早く戻るに越したことはないので直接自身の目で娘の安全を確認するためにも足早にアルメリアは来た道を引き返していく。
そうして戻った先にて──見えた光景と見えなかった者。
その二つを把握するまで…時間はさほどかからない。
◆
少し時間は遡り、王都の薄暗い路地裏にて。
突然現れた男二人組、それも武器を携帯している所に奇妙な違和感を覚えつつも…こんな場所でトラブルは避けたかった。
ゆえにセレネはすぐに謝ることで向こうの怒りを鎮めようと冷静に判断し、この場をやり過ごそうとした。
……しかしながら、その冷静な判断は相手がまともな人物であれば通用するものでしかない。
「あ、あの…っ。ご、ごめんなさい…! 私たち、前見て歩いてなくって……すぐどこか行くので──…!」
「……あ~! いってぇ! 何してくれてんだよこのガキは…お前らがぶつかってくるから、この俺の足が折れちまっただろうが!!」
「…え?」
「なぁおい見てみろよこれ…もう見るからに骨は折れてるよな?」
「ほうほう…こりゃあひでぇな! かなりの重症だ!」
「う、嘘…っ」
いきなり出てきた二人の内一人……少年がぶつかってしまった方でもある少し瘦せ気味でありながら腰に短剣を二本差した男は、これまた急に片足を押さえ始めた。
彼曰く、こちらがぶつかってしまったせいで骨が折れたなんて言われてしまうが──そこには重大な怪我など無い。
それどころかかすり傷すら負っていないというのに、隣にいた大柄の男…背中に巨大な斧を携えた相手にわざとらしく確認を取る始末。
どう見ても友好的な相手ではない。
即座に謝罪をしようとしたセレネの返答など意にも介さず、まるで自分たちの言葉しか発言は認めないとでも言わんばかりの態度を見せつけられて…そこに口を挟む者が一人、ここにはいる。
「な、何言ってんだよ! 少しぶつかっただけで足が折れるわけないだろ! 言いがかりは止めろよ!」
「あぁん…? 何言ってんだはこっちのセリフだ。そっちがぶつかって来なけりゃ怪我せずに済んだんだよ! こりゃあ足の分、弁償してもらわないと割に合わねぇな…おい、そっちのガキ! お前は俺らと一緒に来てもらうぞ! 意見は聞かないからな!」
「や、やだ…っ!」
「ちっ、抵抗するんじゃねぇよ!」
彼らの言い分になど納得できないと、当然の考えではあるが背丈も放たれる威圧感も段違いな大人二人へ果敢にも真っ向から歯向かうのは衝突した少年本人。
確かに不注意で衝突してしまったことはこちら側に非があるとしても、そこまでの難癖をつけられる謂れはないと勇敢に反論してみせた。
しかしもちろん、その程度の反抗で諦めてくれるようなら向こうも最初からあんな言い方はしていないはず。
むしろ今の言葉を聞いて怒りが再燃してしまったのか、傍にいたセレネのことを弁償と称して連れて行こうと腕を伸ばしてきた。
「な…っ! おいお前たち、セレネは関係ないだろ! 女子に手を出そうとするなんて卑怯だぞ!」
「卑怯? おかしなことを言われるのは困るな…これはただのガキへの躾だ。ってことで…いつまでも抵抗されると面倒なんでな。ちっとばかし痛い目見てもらうぞ──…っ!」
「…!」
「──なっ!?」
「へ…?」
まさかあちらのターゲットがセレネに移ってくるとは彼も予想していなかったのだろう。
こんな展開になるなど予想しておらず、セレネ自身も自分に伸ばされた腕を振りほどこうと必死になったところで…痩せ気味の男が躾と称した拳を振り上げたのを見て、思わず全身を硬直させてしまう。
その動作が示すことなど実際に体験するまでもなく明らかだ。
挙動が何よりも如実に証明してくる、これから鈍い衝撃が襲ってくるのだという現実を予期してセレネもギュッと目を瞑りながら暴力には耐えようとして………。
…次の瞬間、振りかぶってきた拳が振り下ろされるのと同時に目の前で発動した魔法障壁によって彼女が傷つけられる未来は防がれた。
「な、何だこりゃ!? おいガキ、お前一体何をしやがった!」
「わ、私はなにもして──…っ! …チャンスだよ、すぐに逃げよう!」
「え…あ、あぁ!」
彼女にとっても男たちにとっても予想だにしていなかった展開。
しかしそれは至極当然の話だ。
何しろこれはセレネ本人が自分を守ろうと思って発動した魔法ではないのだから。
というのも、今の現象を引き起こした原因は彼女が首から下げている青みがかったネックレス…以前母からプレゼントされたアクセサリーに内蔵されていた魔法が発動した結果である。
セレネはこのネックレスを単なるお守りとしてしか認識していなかったが、実を言うとアルメリアの手によっていざという時は娘を守れるようにと様々な効果が刻み込まれている代物なのだ。
今の障壁もそのうちの一つ。
装着者めがけて放たれた、一定以上の衝撃を伴った攻撃に対して瞬時に結界を用いた防御を自動発動させる魔法。
これまではお披露目の機会が無かったために日の目を見ることが無かった効果も…この危機的なタイミングで、まさしくアルメリアの狙い通りにセレネの身を守ってくれた。
そして、この機を逃す彼女ではない。
今しがた眼前で繰り広げられた光景の全てを理解できたわけでは無いが、それでも何となくの直感で母が自分のことを守ってくれたのだろうことだけは把握した。
ならこの男たちも困惑している合間にこの場を離れ、可能なら人の目も多い表の道まで逃げ込む。
即座にそう判断したセレネは近くで呆然としていた少年に呼びかけ、二人で逃走することを画策する。
…だが惜しくも、その決断を下すのはほんの一瞬だけ遅かったのやもしれない。
「くそっ、妙な魔法使いやがって…! おいガキどもが逃げるぞ! 多少傷がついても構わねぇ! 何としてでも捕まえろ!」
「分かってらぁ! …へへへ、残念だったな。もしかして俺らから逃げ切れるとでも思ってたのか? ガキども…可哀そうにな」
「気ぃ抜くなよ! 見た目は良いが、女のガキはおかしな技を使ってくる可能性もある!」
「へいへい…まっ、そういうわけだ。悪いが大人しくついてきてもらおうか?」
「ぐっ…!」
数秒の隙を見出してすぐに逃げ出そうとした彼らの行動は決して間違っていなかったはずだが、不備があったとするならその狙いを男たちにも呆気なく見破られてしまったこと。
的確な指示を大柄な男へと出し、セレネたちが逃げるために最適なルートでもあった背後の分かれ道に繋がる道筋が立ち塞がれて遮断されてしまった。
ではまた別の道を目指すべきかと視線を他の方向に向けてみれば…今度は背後にいたはずのもう一人の男が、セレネと少年の逃げ道を潰すようにジワジワと近づいてきているのが分かってしまった。
逃げ道もない。抵抗などしても無意味。
万事休すである。
「散々手間かけさせてくれたな…この恨みはきっちり清算してもらうぞ。今から覚悟しておけよ…?」
「くははっ、今からそうなるのが楽しみで仕方ないな……っておいおい。このガキよく見てみれば…こんな上等なアクセサリーを隠し持ってたのか! こりゃあ思わぬ儲けものだな!」
「…!! か、返して! それはままがくれた、私の…っ!」
「あん? 嫌だね! これはもう俺らのもんだ! また高値が付きそうな代物だなぁ?」
しかも不幸はそれだけで終わってはくれない。
いよいよ追い詰められてしまったセレネであったが、何と男たちはよりにもよってそのタイミングで彼女が身に着けていた物の中でも特に一際華やかな存在感を放っていたネックレス…それに目を付けてきた。
その効果までは知らずとも、華やかな見た目と吸い込まれそうな美しさを放つ青い宝石が取り入れられたアクセサリーはそれだけで十分すぎる価値を持つことだろう。
向こうの目がくらんだ理由はまさしくそこであり、半ば無理やりセレネから強奪する形で取り上げられてしまった。
……そして、その行為は今まで最悪の事態を恐れて逃げの一手に徹していたセレネの心境に一つの変化を生じさせるものともなり得る。
何せ彼女にとってあのネックレスは世界中の誰よりも頼りになり、また誰よりも自分のことを大切に想ってくれている母が与えてくれたセレネの宝物だ。
それをあんなにも粗雑に扱われ、あまつさえ良いように奪われてしまうなど…これまでの内に込み上げていた恐怖心とはまた別に、怒りの感情と『取り戻さなければならない』という思考が出てくるほどに強烈な激情を発露させるほど。
だからセレネも湧きあがる悔しさと怒りに身を任せ、知らず知らずの間に使用していた魔法と共に…初めての反撃を大柄な男へと浴びせていた。
「それは…返してっ!! 私の物なの!」
「…ってぇ!? 何しやがる!」
怒り任せではありながらもセレネは己の身体に魔力を浸透させていき、それによって身体能力を向上させる魔法──【身体強化】を行使することで底上げされた力のままに蹴りを入れた。
かつてアルメリアからいざという時の護身用にと学んでおり、母に比べれば拙い練度ではあるが効果は確かなもの。
子供の身体能力ではあれど、魔法で幾らか強化したとなれば大の男相手であってもそれなりの威力は通用させられる。
実際セレネから予想外の反撃を食らった男は思いもよらぬ威力に怯み、このまま上手くいけばネックレスも取り戻せるかと彼女も淡い希望を抱きかけた。
……ただそれでも、得てして現実はそこまで都合よく事を運んではくれないものだ。
「舐めた真似してくれやがって…! また俺たちに傷を付けてくれるとは良い度胸してるじゃねぇか。これは念入りに躾けてやらねぇと、なぁッ!!」
「うぐ…っ!? …こふっ!」
魔法を併用しながら入れることが出来た一撃。
しかしそれは結局のところ、子供の脚力を幾分か上昇させたものでしかなく…大の大人を、素の筋力や背丈に大きな格差がある彼らに有効打を与えるには足るものではなかった。
ゆえに次の瞬間には激昂した男からセレネの腹部めがけて蹴りを入れられてしまい、あまりの衝撃から肺から空気が漏れ出すのを痛感しながら鈍い衝撃を受けたことで蹲ってしまった。
…そして、その隙こそが彼らの待ち望んでいた事になる。
「ふん、ようやく大人しくなったか。だがこのまま抵抗されるのも面倒だからな…ちょいと気絶しててもらうぞ。…おらぁっ!」
「ぁ……っ」
激痛から悶え苦しんでいた彼女にも容赦で手が緩められることはなく、それどころか更に追撃として加えられた拳による一撃が腹部に叩き込まれたことで…セレネの瞼は下がり、意識は闇に沈んでしまった。
「セ、セレネッ! お前ら…セレネから手ぇ放せっ!!」
カクンと意識が落ちるのと同時に全身から力も抜けてしまい、もはや彼女の安全も風前の灯火と思われた時。
その一部始終を目の当たりにしていた少年もどうにかこの窮地を脱するための一手を編み出そうとがむしゃらに男二人へと立ち向かうが………。
…セレネのように魔法を併用するならともかく、単なる子供に過ぎない彼では出来ることなどたかが知れていた。
「ちっ、てめぇに用はねぇんだよ。失せろ!」
「あが……っ!?」
「おいおい、いいのか? あまり騒ぎは起こすなって命令だっただろうに」
「…問題もないだろう。所詮ガキ一人だ。いくら騒いでも誤魔化しようはいくらでもある」
「ならいいが……とりあえず目標は確保だな。これで俺らもいよいよ昇格か? ははっ」
些細な反撃など意にも介さず、セレネの身柄を確保できる状態になった今彼のことなど興味もないといった様子で乱雑に少年を蹴り飛ばす。
その勢いで近くの壁に叩きつけられてしまい、打ちどころが悪かったのか頭から出血し地面に血痕を垂れ流していた。
されど一人の少年を傷つけておきながら、男は気にした様子も無しに余裕綽々な佇まいで気を失ったセレネを抱きかかえ…今後の自分たちの待遇について話し合う始末。
しかし、この場にその言動を咎める者。あるいは動向を止められる者は一人として存在していない。
「だがよ…あのガキ、どうする。顔も見られたわけだし、念のため消しておくか?」
「ほっとけ。見られたと言ってもたかが子供一人だ。騒いだところで冗談としか思われねぇし、どの道俺たちには辿り着けないだろうさ。それよりこれ以上時間をかける方がマズい」
「…確かに、な。運が良かったな、小僧。このお友達にしっかり感謝するこった」
「………!」
話を聞く限り彼らの狙いはあくまでもセレネ一人らしく、少年の命までは奪われないとのこと。
ただしそれは、相手が幼い子供だからこそ脅威にはなりえないと判断された…いわば油断と排除するまでもない、取るに足らぬ相手であると判断されただけのこと。
それゆえに命拾いをした少年の眼前にて、何か反応をする気配すら示さないセレネ一人だけが男たちに連れられていく光景を見て……彼は痛む腹に悶えながらも無力な自分に途方もない悔しさを覚え、歯を食いしばるのであった。
「はぁ…っ、はぁ…! …早く、行かないと…! 大人に、今のことを伝え、ないと…っ!」
──そして、更にそこから数分後。
既に男たちもセレネの姿も跡形もなく、残されたのは少年一人だけとなってしまった誘拐現場にて…ようやく痛みも動ける程度には鎮まり、荒い息を吐きながらではあれど立ち上がって行動を開始した。
そんな少年がまず真っ先に目指したのは、もちろん自分の身勝手な我儘で連れ去られてしまったセレネを救う事──ではなく。
…無論、その選択肢も苦しんでいる間に考えはした。
だがどれだけ考えても、不甲斐ないことにまだ一人の子供に過ぎない彼がどれだけ突っ走ってもあの二人には太刀打ちできない。
そもそも彼らがどこに向かったのかさえ分からない現状では足取りさえも掴めないため、闇雲に探し回るよりは一度道を戻って誰か大人の手を借りた方が良いと判断したのだ。
なのでセレネを巻き込んでしまった責任感と罪悪感に押しつぶされそうになりながらも、その感情は一度胸の奥底にしまい込んで彼は歩いてきた路地裏を少しずつ引き返していく。
彼自身、この行動がどれほど有効的な効果をもたらすかは分かっていない。
もしかすれば更に状況を悪化させ、セレネは他の誰にも決して見つけられない地に連れ去られてしまうかもしれない。
ただ結果的に言うのなら、この時の少年が取った行動は間違っておらず……否、この場において唯一彼らの側に利となる結末をもたらす一因となり。
またセレネを狙った男たちの身にとってはこの少年を見過ごしたことこそが最悪の結末をもたらすこととなる、最大の誤算とも言うべき転換点となるのだった。
◆
「広場までは…あと少し、ね。大丈夫だとは思うけど……」
目的としていた魔具を無事に物色し終え、その中でいくつか興味関心を引かれた品も手に入れたアルメリアであったが…現在の彼女は足を速めて道を歩き進んでいる。
こうも彼女が焦ったかのような態度を見せる理由はただ一つ。
先ほどまで入り浸っていた店の店主から聞いた、この王都にて今噂になっている誘拐犯の情報があったからだ。
もちろんアルメリアの愛娘たるセレネは現場にもなっている路地裏になど近づかないだろうし、ああ見えてもやっていいことといけないことの判断はしっかり出来る子でもある。
しかしそうだとしても、世界一大切な娘を…事情を知らなかったとはいえ、そんな物騒な情勢真っ只中な所に一人置いてきてしまったことには不安も尽きない。
周りには人の目も比較的多く、何より他の子供たちもいるのでよっぽどのことが無い限りは問題もないとは思いたいがどうにも嫌な予感がしてならない。
それらの事情もあり、なるべく早くセレネを迎えに行こうと努めこそしたものの…どうにも帰りの道中は人混みの波が増してきており、一歩進むのにも苦労する始末。
いっそのこと転移魔法によって移動しようかとも考えたが、あれは現代の一般的な常識に当てはめると使い手が消失した古代の遺物に分類されるものであるため人前で行使すれば大きな騒ぎを呼び寄せてしまう。
一秒でも早く戻りたいこのタイミングで余計な騒動を引き起こしたくもないので、仕方なく地道に道中の人混みをかき分け……今、やっと娘と別れた広場付近まで戻ってくることが出来た。
ようやくセレネの安否を確認できると安堵の息を吐き、少しずつ目視できてきた広場の全容を再確認して──しかし不意に、違和感を覚える。
「…誰もいない? そんなはずは……あぁ、あんなところに移動していたのね。でもどうしてあそこまで離れた場所に…」
アルメリアが最初に抱いた違和感は、まず広場全域を一目見渡した時に見当たらない子供たちの姿であった。
それも一人二人ほど見知った顔がいないのであればまだ分かるとしても、子供全員が揃いも揃ってこの場から姿を消していた。
流石にこれはおかしい。
そのため彼女自身も広場へと足を踏み入れ、改めて確認してみれば…ちょうど視界の死角になる場所で集まっている子供たちの姿を発見することが出来た。
先ほどまで見つけられなかったと思えばどうやら位置を変えていたらしく、アルメリアが発見できなかったのも納得がいった。
位置関係として物理的に捕捉できない場所にいたのなら見つけられなかったのも無理はなく、それならそれでセレネ含む子供たちはトラブルも起こさず遊んでいたのだと分かったから。
だからこそ再度近づいていったところで子供らが集まっている地点をよくよく観察してみて…おかしなことに気が付く。
それというのも、彼らがやけに騒がしい様子なのだ。
しかも遊びに夢中になった結果として賑やかな叫び声を上げているわけでも無く、どちらかというと全員が輪になって何かを取り囲んでいるような…そんな状態。
考えすぎであればそれで良い。
されど、無性にあの光景を見て先ほどから微かに浮かび上がっていた嫌な予感が急激に膨れ上がるのを感じてしまう。
何より、半ば無意識に目線の先にいた子供らの下まで歩いて行ったアルメリアが目撃した相手の現状を見てしまえば──まともな状態でないことは察せてしまった。
「どうしたの、あなた達。そんな隅に集まって何をして──…え?」
「あっ…せ、セレネのママッ! た、大変なの…! 今、この子が路地裏から戻ってきたんだけど…け、怪我をしてて……っ!」
「……かっ、はぁ…!」
「ち、血もいっぱい出てて…すぐに治してあげないと…!」
ズンズンと子供たちの輪まで躊躇うことなく突き進んだ彼女が目撃した景色は、ほんの少し前まで楽しそうな賑やかさで溢れかえっていた雰囲気とはまるで別物。
ただそれは当たり前だ。
何しろ、子供ら全員が不安そうな表情を浮かべて見つめていた一人の少年……アルメリアの記憶が正しければこの中でもそれなりに背丈があり、態度も相応に大きかった気がする男子が額から血を流していたのだから。
こうした流血を伴う荒事に慣れている冒険者や騎士ならばともかく、まだ幼い子供では経緯は分からないが知り合いがこのような状態になって冷静でいられるはずがない。
おおよそそこらを走り回っていて転んだ拍子に頭を切ってしまっただとか、そんなところだろうと彼女も当たりをつけてこれ以上周囲のパニックを起こさないためにも努めて冷静な振る舞いをする。
「…落ち着きなさい。このくらいならすぐに治せるから、心配しなくても平気よ──ほら、元通りね。普通の切り傷程度、大げさに騒ぐほどの事じゃないわ」
「わっ…! すごいすごい! あっという間に治っちゃった!」
「当然よ。傷跡に呪いや瘴気でも干渉しているなら少し手間も必要だけれど、単なる傷なら普通の魔法で事足りるわ。さて、これで問題も解決ね……ところで聞きたいんだけど、セレネはどこに行ったの? さっきから姿が見えなくて…」
「……ッ!」
ゆえに騒動はこれでおしまい。
見た目的に派手な怪我をしてしまったような傷さえ癒してしまえば騒ぐ必要もなくなって、アルメリアの掌から傷を癒す回復魔法を施された少年の怪我は最早見る影もない。
なので彼女は先ほどの騒ぎの段階から確認こそしていたものの、未だ見つけられていない自分の娘──セレネがここに居ない事実を逆に尋ねた。
…それは、本当に些細な質問である。深い意図はなかった。
純粋にさっきから探し回っているが姿を確認出来ない愛娘はどこに行ったのかと、行方を知っているだろうこの子らに聞いてみれば判明するだろう程度の軽い思惑で口にしただけ。
そんなためにアルメリア自身、彼女の質問を聞いて今傷を癒したばかりの少年が悔し気に顔を歪めていた事も意味は分からなかったし…そんな彼が告げてきた最悪の事態にも、理解するのに数秒を要することとなったのだ。
「…ごめん! セレネの母ちゃん! おれ、俺……伝えなきゃいけないことが…!」
「ん? 何よ、いきなり謝りだしたりして…今怪我を治したばかりなんだから、あまり激しく動くと危な──…」
「セレネのことだ! セレネは、セレネが──男たちに連れていかれたんだっ!!」
「───は?」
……その瞬間、アルメリアは自分の口からあまりにも底冷えした声を漏らした。
しかしそれ以上に、この目の前にいる少年がひどく焦った様子で頭を下げながら伝えてきた情報──セレネが誘拐されたという、信じ難き現実を突きつけられて胸中は言語で表現するのも難しい状態へと化した。
それこそ一瞬、湧きあがった怒りのあまりアルメリアの全身から迸った魔力が実体化しかけて周辺の建造物を吹き飛ばしそうになるほどの激しい感情を曝け出しそうになる。
「ぜんぶ、全部俺のせいなんだ…頼む! すぐに何とかしないと、手遅れになっちまう…!」
「…………落ち着いて。とにかくどういう事か、全て詳しく説明してちょうだい。あなた達もひとまず静かにすること…いいわね?」
「「「…は、はい」」」
だが、そこは流石に“終焉の魔女”と呼称されるだけの実力者足る者。
激情に伴って荒れ狂いかけた魔力の暴走は一旦理性で押しとどめ、内心は全く冷静などではないがとにかく今は状況を把握しなければならない。
何故この少年がここまで必死に謝罪をしようとしているのか。
どうしてセレネが謎の男たちとやらに連れられて行ったと、彼女も心のどこかで懸念こそしていたがあり得ない事だと切り捨てていた可能性が現実になってしまった事に動揺は残しつつも…事情は把握しておかなければ。
もしかすれば脳裏によぎった最悪の事態はただの勘違いで、まだ小数点以下の確率で事実を好転させることも出来る、かもしれない。
無理のある思考だなんてことは張本人が一番良く分かっているが、それでもこんな考えにまで縋らざるを得ないのだ。
ともあれ、おそらくセレネの事云々についてはまだ彼女同様聞かされていなかったらしく先ほどまで以上に騒ぎ始めかねなかった他の子供らについてはアルメリアが魔力に僅かな威圧感を乗せて放ちながら制することで抑え込んでおいた。
…申し訳なく思うも、正直今は呑気に騒ぐほどの余裕が残されていない。
一秒でも早くセレネに関する情報を得なければならないこの状況下においては些細な手間が命取りになりかねないがゆえに、怯えられたとしても短時間の解決法を選ぶ。
そうしてある意味では自分自身にも言い聞かせるように落ち着けと少年へ促し、そのまま具体的な経緯に関して説明するよう自然に誘導する。
すると、そこでたどたどしくも語られてきた事の全容……想定していた以上に悪質な様相を呈していた手法に隠し切れない殺意をアルメリアは露わにすることとなった。
「…そう、いうこと。大まかには…分かったわ」
「本当にごめん! 俺があんなに強がってなけりゃ、連れていかれずに済んだのに…!」
やはり慌てていたからなのか、あれから所々経緯の説明にも不足していたポイントがあったりしたがそこはアルメリアが追及することで補完した。
最低限必要な情報だけを手早く渡そうとしてくる少年に対し、時間がない上に余裕もないとはいえセレネの現状を可能な限り把握したいそちら側としては仔細を掴むためにあらゆる手を尽くした。
そして、最終的に見えてきた全貌は…アルメリアの逆鱗を幾度も触れることが大半を占める、不愉快極まりないもの。
(ちっ……こういう展開も無くはないかも程度に考えてはいたけれど、まさか本当になるなんて…それに話の男とやら、セレネを傷つけたですって…!? …必ず、絶対に地獄を見せてやるわよ…!)
ただでさえ愛娘を自分の見ていない場所で連れ去られただけでも怒り心頭であるというのに、そこに加えて何と誘拐犯の愚か者どもはセレネに暴力を振るい無理やり連れて行ったとか。
…無論、そう聞かされて大人しくしていられる彼女ではない。
表にこそ出さないが経緯を聞いていた辺りから抑え込むのに必死だった、煮えたぎる激怒の情は既に爆発限界ギリギリのラインにまで高められてしまっている。
「全部俺のせいだ! 謝っても許してもらえないかもしれないけど…頼む! すぐにでもあいつを連れ戻してやりたいんだ!」
「…えぇ、そうね」
そしてその怒りは、眼前にいる未だアルメリアに向けて謝り倒している少年にもほんの僅かではあるが湧きたつ。
当然だ。話を聞いていくと、彼自身も詳しくは知らなかったとはいえ危険性が囁かれている路地裏に行ってみようと提案したのは他でもないこの少年だったというのだから。
つまりセレネが事件に巻き込まれた要因を間接的にでも作り出した相手であり、そんな者にたとえ幼かろうがアルメリアは普段なら情け容赦なく罰を与えていたところ、だが…今はそんなことどうでもいい。
もちろん許したなんてつもりは微塵もないが、とにかく現状は時間が惜しい。
ここで少年の対処を迷っている間にもセレネの命が脅かされているかもしれないのだから、最優先事項は間違いなくそちらになる。
そのため罰や報復をするのかどうかはひとまず全てを終わらせてからにしておいて、アルメリアはこれから取る行動について思考の全てを集中させた。
「…もう一度聞くわ。その男どもとやらがセレネを連れ去ったのは、二十分ほど前で間違いないのね?」
「そ、そうだ! 俺もここに戻ってくる時は怪我してたから、少し遅くなったけど時間は大体そのくらいだった!」
「そう……なら、相手はこの王都からまだ出ていない可能性が高いわ。それに今なら遠くへ逃げられている可能性も低い。特別な移動手段でもあるなら別だけど、そんな物を使ったら否応にも目立つし犯罪に手を染めてることを考えればありえないわね」
「あっ…そ、そっか! なら今から大人を集めて探せば、セレネを見つけることも出来るんだな! ならすぐにでも人を呼んできて──…!」
「──不要よ。そんなものいらないわ」
「…は?」
燃え上がりそうな怒りに関しては一旦忘れる。
ともかくいなくなってしまったセレネを救うため集中しきったアルメリアの冷静さが割り出した答えは、誘拐犯の男はそこまで遠くに向かっていない可能性が高いということだ。
少年から得た情報をまとめると犯行現場から離れるにしても、数十分程度では大した距離を稼げない。
この王都から出るにしても、ここには街をあらゆる外敵から守るために建造された巨大な壁が四方を覆っているのでそこに辿り着くまで相当な時間は要するはずだ。
仮に何かしらの移動手段…馬などの足を持っていたとしても目立つことは避けられないので、そうなれば必ずどこかに目撃者が生まれてしまう。
しでかしたことを考慮すれば不用意に注目を集めることは回避するだろうし、そのためこの線も消失する。
必然的に犯人はまだ遠くまで逃げていないと推測したアルメリアの言葉に少年は希望を抱いたらしく、それならばもっと沢山の大人の力を借りようと妙案を思いついたと同時に行動へ移そうとしていた。
……が、それは不要であると断定してきたアルメリアの予想外の宣言によって強制的に止められた。
この期に及んで何を言っているのか。
そんな疑問が頭を埋め尽くしているだろう子供らの思考は容易に察せるが…そこに対する彼女の返答は実にシンプルかつ分かりやすい。
「私一人で行く。他に人数だけ揃えたって足手まといにしかならないわよ。あなた達もここで大人しく待っていなさい」
「な…何言ってるんだよッ! まだセレネが連れていかれた場所も分かってないのに、セレネの母ちゃん一人でどうにかできることじゃないだろ! それこそ居場所なんて、どうやって助けに行くつもりで……!」
「はぁ? 何を言ってるのはこっちのセリフよ。セレネの居場所くらい、もうとっくに突き止め終わったわ」
「……え?」
だから今度こそ、子供たちの方が驚愕を受ける番となった。
まるでそれが至極当然で、自然の摂理であるとでも言わんばかりにあっさりと明かされてきた事実──娘の居場所はとうに判明したと、にわかには信じがたい事を語ってきた彼女の言葉はこちらの思考を停止させるのに十分すぎる威力を有していた。
本来なら、そのような発言は戯言だと言い返されるのが普通だろう。
今しがた娘がいなくなったことを聞かされたばかりのアルメリアが、ここに至るまで話に耳を傾ける程度しかしていないと思われた彼女がセレネの身を発見したなんて口にしても誰一人信じるはずもない。
…しかし、そう言い返そうとしても出来ない。言えるわけがない。
普通なら出来るはずがないと切り捨てられる意見だったとしても、彼女が口にすれば…つい数分前に、彼らを黙らせるために放たれた威圧感の重みからから只者ではないと暗に思い知った相手であれば反対意見など根こそぎ掻き消されてしまう。
「それにしてもこの場所は……なるほど。いかにも小物が選びそうな所ね。まぁ問題もないからいいわ。…さて、準備もオッケー。それなら…あなた達」
「「「は、はいっ!」」」
「私はこれからセレネを迎えに行く。安心しなさい、あの子は必ず私が助け出すから、あなた達は余計な混乱を引き起こさないよう、この場所で静かに待っておくこと。…出来るわね?」
「わ、分かってます!」
「ここで大人しく待ってます!」
「…………」
改めて突き止めたと断言されたポイントの確認を行い、転移するのにも問題はない地点だと結論付けた彼女の行動は早い。
最後に一言、子供らへ余計な騒ぎを起こしてしまわないよう釘を刺しておけば見違えるほど従順に言う事を聞いてくれた彼らの反応に納得して行動を開始した。
なお、そんなアルメリアを見つめる子供らのリアクションはというと受けた威圧感の影響から怯えたようにする者や、もはや凛々しさすら感じられる堂々たる佇まいに憧れの視線を向ける者。
他には彼女の言葉が持つ意味を頭が処理しきれていないのか、呆然とした様子で見つめる者など様々なものに分かれていた。
…さらに、これもまた余談ではあるが。
少年から他の大人に助力を願おうと提案された際、にべもなく断ったアルメリアの本当の意図。
あの時は数だけを揃えたところで彼女の行動速度に追いつけるわけもなく、アルメリア単独で動くことこそが事件解決への最短の道だったからとの理由で却下したが…それも間違ってはいない。
ただ、理由の全てではない。
本当のところを明かすのならあの時あの場面にて、アルメリアが増援を頼もうとしなかった意図はもう一つだけ存在していたのだ。
複雑な事情があったわけでは無い。むしろ却下した理由としては単純も良いところ。
そう、至極単純な意味としてあの時他の者へ増援を頼むなどしてしまえば……自分の狙う獲物が減ってしまうから、だ。
…アルメリアの判断基準として、大前提己に向かってきた敵対者へ容赦をするつもりは一切ない。
無関係な者まで殺戮する趣味はないのであくまでも敵として対面した相手に限られるが、そうした愚か者たちは総じて慈悲を与えることなく消し炭としてきた。
ましてや今回は、アルメリアが自分のこと以上に大切に想っている相手──溺愛している愛娘のセレネを狙って来たのだ。
既にこの段階でその者どもを灰燼に帰すことは確定していたが、それだけに留まらず彼らは…更に愚かなことに、セレネに暴力まで振るっていたという。
もう断定してしまおう。
誘拐犯である二人組の男は狙う相手を致命的に間違えた。間違えてしまったがために…本来あるはずだった彼らの未来は消失した。
その理由はただ一つ。
魔女の怒りを買ったから。その一言に尽きる。
しかも相手は普遍的な強者の枠にさえ収めきれない、世界でも最強格として数えても何らおかしなことはない程の圧倒的な実力者。
自分に敵対した者は全て根絶やしとし、関わった者全てに終わりをもたらす者。
それこそ、“終焉の魔女”たる所以である。
◆
「…………ん、んっ…あれ、私…ここ、どこ?」
底なし沼に沈んでいた意識が引っ張られるように。
微睡みの中から目が覚めるように、いつの間にか気を失ってしまっていたセレネは何度か瞬きを繰り返して意識を取り戻した。
何故だか全身が痛む上に、横たわっていた地面がやけに固く思えることに違和感は感じながらもゆっくりと瞳を開いていくと…そこにはまるで見覚えのない光景が広がっている。
ついさっきまであったはずの日の光が全く感じられない薄暗さに加え、本当に最低限の生活用品だけが揃えられた長方形の空間。
その生活用品さえも衛生状態はとても良いとは言えず、何より目の前にある鉄格子で区切られた壁は異様の一言でしかない。
牢獄という表現が最もピンポイントで当てはまりそうな空間を前にセレネも困惑を生じ得ないものの、その動揺を言葉にするよりも早く鉄格子の外から聞こえてきた声に身体を震わせてしまう。
「──よぉ、目が覚めたみたいだな。元気そうで何よりだ…くくっ。まぁここからどうなっていくかは楽しみだがな」
「…ッ! あ、あなたは誰! どうして私をこんなところに…!」
こんな状況下だというのに余裕たっぷりな様子で語り掛けてきた一人の男を、セレネが見間違えるはずもない。
この男こそが自身を狙い理不尽は言いがかりをつけ、理由までは分からないがこんな所まで連れてきた張本人。
あの二人組の男のうちガタイの良い男であり、今はニヤニヤと逃げ場を完全になくした彼女を見て愉悦に浸っているようだった。
「あ? んなこと決まってるだろ…俺たちゃ最初からお前を狙ってたんだよ。ここまでの上玉は長い事この役をやってきたが、そうは見かけねぇ。そんで目的の方だが……くははっ、てめぇを奴隷にしてやるためさ! …どうだ、驚いたか?」
「…えっ? で、でも…奴隷はこの国だと駄目なことだ、って…」
「あぁそうだな、法の下じゃそうなってる。…だからお前さんには、誰にもバレないこの場所まで来てもらったのさ。俺たちが取り扱う商品として…奴隷として売り払ってやるためになぁ!」
…そして、男の口にした言葉を聞いた瞬間。
自分の耳がキャッチした情報を頭の中では理解出来ているが、現実のものとしてあまりにも受け入れがたいものだったために呆然としてしまいそうになるが…それは当然のこと。
要するに、男がしようとしていることは奴隷売買。人を商品として扱い他者に受け渡すことを生業にしていると告げてきたがセレネの指摘した通り、それはこの国では違法とされる行為である。
一部の他の国では奴隷制度を合法として認めている地も存在はしているが、この地でこんな事が横行していると発覚した場合には極刑は免れられない。
それほどの重大犯罪をこうも易々と暴露してきた事。
加えて、今からセレネがその奴隷という名の商品にされると目の前で宣言されたことで彼女の思考は空白となってしまう。
「言っておくが、助けを期待しても無駄だぜ? ここは王都の中でも衛兵の目が届かない場所だ…まずお前が見つけられるわけがねぇ。それにお前には万が一のため、特別に魔法を封じる魔具まで使ってやってるんだ。抵抗は無駄だからな」
「…!」
更にそこへ追い打ちをかけるように、今いる場所の秘匿性…そして言われて気が付いたが現在セレネの片足に固定されていた足枷にも似た拘束器具。
曰く、念には念を入れて魔法の発動を封じる効果を持った魔具とのことだったがそれも虚言ではなかった。
現にセレネがどうにか脱出の糸口を探ろうと発動しかけた魔法が途中で何か得体のしれない感覚に阻害されてしまい、まともに使えなくなっている。
これでは、セレネは他の子供と変わらない程度の力しか発揮できない。
助けを呼ぼうにもそもそも自分の現在位置さえ把握していない状況ではどう動いたら良いのかさえ分からず……ここまで考えてセレネは、彼女一人ではどうにもならない現実を強烈に思い知らされた。
それこそ思わず力の抜けていく全身を頼りなく支えながらも、石畳の地面にへたり込んでしまうほどに。
「へっ、流石に心も折れたみたいだな…ま、楽しみにしててくれたらいいさ。今は仲間がボスに報告に行ってるところだが、それさえ済んだら……いよいよお楽しみの奴隷化だ! いずれどこぞの貴族にでも買われて可愛がられることになるだろうが、せいぜい強く生きるこったな」
(まま………うそ、嘘だよね…?)
たとえどれだけの実力を有していようとも、セレネはまだ五歳の幼子でしかない。
まだまだ人生経験も何もかも足りていない子供の彼女では、この現実は…受け止めるには重すぎる。
唐突に自分のあったはずの未来全てが根こそぎ奪われるような感覚を味わわされ、足元の平衡感覚さえおぼつかなくなった彼女が無意識に思い浮かべるのは母の事。
しかしこの窮地では助けに来れるはずがないことを、賢いがゆえに察せてしまっている彼女は理不尽な現実を前に成す術もなく男の下卑た笑い声だけをどこか遠くに聞いていた。
「──それで、守備の方はどうだ? 下手な痕跡でも残して来たら承知しねぇぞ」
「何も問題ありませんよ、ボス。予定通り報告していた女のガキは連れてきました…今は相方が見張っているので逃げ出すこともありません。あのガキの価値は既にご存じでしょう?」
「ふん……まぁな。ありゃあ高値で売れることは間違いない…お前らにしちゃ上出来な仕事だ。昇格も考えておいてやろう」
「…か、感謝します!」
セレネが身柄を拘束されている牢獄から少し離れた位置。
彼女が幽閉された空間は人の営みも温かさもまるで感じられない、ひたすらに無機質で冷たい場であったが…そこからほんのわずかに移動した先では全く異なる盛り上がりの様子を確認できる。
一つの広くドーム状に開けた部屋にて、幾人もの人間があちこちで酒盛りをしたり雑談を交わしていたりと賑やかな状態であるが、そんな中。
賑わいを見せる部屋の中でも中央にドンと構えられた豪勢な椅子に腰掛け、セレネを連れ去ったもう一人の主犯である痩せ気味の男から一連の成果報告を受けていた者。
佇まいや一切揺らがぬ堂々とした振る舞いや、何よりも左目に刻まれた一筋の傷跡が歴戦の強者であると確かめずとも伝わってくる男。
この空間内においても頭一つ抜けた存在感を放つ彼こそ、今ここにいる集団のトップを務める人物だ。
「しっかし…まだ王都にあれだけの逸材が眠ってたとはな。狙いやすそうな上玉は粗方手に入れたとばかり思っちゃいたが、中々悪くねぇもんだ」
「…俺たちも盗み聞いただけですが、見た感じあの娘は王都に住んでいるわけじゃなく別の街から来たらしいっす。母親と二人で歩いていたんで間違いないかと」
「それで攫われてちゃ世話ねぇな…まっ、こっちからすればありがたい話には変わりないが。あの娘の見た目なら貴族から莫大な金を搾り取れるだろう…そうすれば、俺ら“遺骸”の組織拡大も更に進められることは確実だ」
…そう、今このリーダー格の男が叫んでいた通り。
この場に集まっている彼らは現在王都の中でも急激に組織規模を拡大させており、なおかつ凶悪な犯罪組織としても名を広め始めている集団──通称“遺骸”と呼ばれる犯罪組織であった。
最近では国の騎士団や宮廷魔法師団からも要警戒対象に加えられていながら、その狡猾さと決して証拠だけは残さない手腕から巧妙に煙を巻き続けるという実績さえも残している。
そんな“遺骸”が行ってきた商売は多岐に渡り、王国では禁薬指定を受けている違法薬物の売買に始まり一般人への暴行被害。さらには金品の簒奪行為、等々。
近頃は人を商品として取り扱う奴隷売買にまで手を伸ばし始め、王国で誘拐した者を他国で売りさばく被害も報告されており犯した罪は数知れず。
このような今現在王国で最も恐れられていると言っても過言ではない“遺骸”の所業であるが、保有している戦力とて並大抵のものではない。
しかしそれは当然だ。
仮に脆弱な力しか持たない者達が違法な行為に着手したとしても、それはすぐに勘付かれて捕らえられるのがオチだ。
それが今日まで痕跡の尻尾すら掴ませず、今の今まで逃げ切っていることこそが彼らの持つ力を証明するに他ならない。
何しろ“遺骸”を構成するメンバーは総勢で数十名に及びながら、その全員が生半可な実力に留まらない力量を有している。
最も下っ端である痩せ気味の男でさえ、対人戦に限れば複数人を相手取ろうと問題なく勝つか最低でも逃げ切る程度の能力は持っているのだから。
そこに加えてボスと呼ばれる男に関しては…もはや別格。
誰も彼が本気を出す場面を見たことが無いため噂程度にしか囁かれることはないが、とある者が語りだした話によれば男の実力は国王直下の精鋭が揃う騎士団…その団長クラスにも匹敵する腕前を持つとまで言われている。
魔物相手であれば、一体で周辺に多大な被害をもたらす災害級の魔物でさえも彼一人で狩ることは可能だろうと信じられているほど。
更にそこから派生していく形で、腕前こそ数段落ちるが幾つかの雑事を任せる下部組織までも持つ“遺骸”の厄介さはここまで来ると語るまでもない。
一国の主要都市でさえも手を焼く犯罪組織ともなれば、知名度も知られる脅威も他とは比べ物にならないだろう。
しかも今回はその勢いに拍車をかけるように、偶然部下が発見してきたという極上の商品──セレネの身柄までも彼らの手の中にある。
「…だが、油断はするな。あの娘を奴隷にすることは決定事項だとしても、多少は無駄な抵抗をしていてもおかしくない。後々暴れられたら面倒だからな…しっかり心は折っておけ」
「そこも心配いりませんさ…何せ今、うちの相棒が見張りをしているんでね。その途中で派手な傷さえ残らなければ、少しはいたぶってもいいと伝えてあります。くはは…屈するのも時間の問題でしょうさ」
「ならいいが…」
常日頃から商品として価値を高くできる容姿が整った孤児などを狙い続けてきた彼らであるが、そんな“遺骸”であってもセレネという少女が醸し出す端正な見た目は別格であった。
取引先として奴隷にした者達はその大半が労働力として利用されるものの、あれだけの容姿を持っていればそれこそ貴族相手…身分ある者の愛玩具にすることも不可能ではなく、たんまりと資金を得られる未来さえ想像できる。
ゆえに決して逃がさないよう見張りは必須であり、現在進行形でその役割を担っている痩せた男の相方がセレネの心をへし折る役も兼ねていると聞き、男も納得したように瞳を細める。
その後は辺りに響き渡る下品な笑い声やおよそ褒められた内容では無い自慢話の類が周辺を埋め尽くし、誰もがここから勢力を拡大させていく組織の繁栄を疑いもしていなかった。
──この先にて待ち構える、あり得るはずもない未来の一切合切を無に帰す莫大な魔力が近づいてきていることには、誰一人として気が付けず。
(………もう、駄目なのかな…ままに会いたいよ……)
セレネが意識を取り戻し、絶望的な己の状況を思い知らされてからある程度時間が過ぎた。
…その間、彼女は自分が考え付くあらゆる手段を尽くした。
どうにかして見張りの男の目をかいくぐり、ここから逃げ出すための隙間はないかとそこら中をくまなく観察し。
あるいは足元に装着された魔法の行使を阻害する魔具を外そうと強引に解除することも厭わず地面に何度も叩き付けたりもした。
しかし…その全てが無駄に終わった。
魔法さえ使えれば何とかなる。たとえこの場が訳の分からない牢屋であろうと、母から教わってきた魔法があれば脱出の目は少なからず生まれる。
ただそうするためには足枷となっている魔具が全ての邪魔をしており、何とか物理的に破壊を試みても成果はまるで得られる様子がない。
いつしか、彼女自身も諦めてはいけないと頭では理解していながらも…この窮地を解決するための手立てを探る心意気はほとんど消えかかってしまっていた。
否、それどころか焦りは募っていくばかりだというのに状況は何一つ変わらず、景色さえも冷たさを思わせる石造りの空間から変化は見られない。
そのため心なしか時間感覚さえもまともに機能しなくなったように思えてしまい、気力すら尽きかけて固い地面に身を横たわらせているとどれだけ時間が経ったのかも分からない。
数分か、数十分か、数時間か。はたまた…既に一日は経過してしまっているのか。
一瞬先の事でさえ自分の身がどうなるか分からないこの状況下では、実際にはごくごく僅かな時しか経っていないとしてもその時間がとてつもなく長時間だったように感じられてならない。
だが、それでも………。
(……ううん、大丈夫。たくさん時間がかかったとしても、きっといつか…絶対、ままが助けに来てくれるはず……だからそれまでは、私も泣かない…!)
…ここまで追い込まれていても、セレネの瞳は微塵も死んでいない。
彼女の心はほんの僅かにも折れてなどいなかった。
その最たる理由はセレネの中でも最大級の信頼を寄せる母の存在であり、たとえ彼女一人ではどうにもできない事だったとしてもアルメリアが来てくれればどうにかしてくれる。
手段や実力云々ではなく、幼い頃からずっと自分を見守ってくれていたあの母ならば絶対に何とかできるという無条件の信用こそが今の彼女の根底を支えている。
確固たる実績に基づく信頼があるために、アルメリアが自分の姿が見つからないことに気が付きさえしてくれたのならこの状況も全て解決するはずだと希望が持てる。
だからこそセレネも、今現在も自身を襲っている不安の波からは目を逸らしギュッと小さな掌を握りしめ…なるべく騒ぎだけは起こさないよう気配を潜め続ける。
しかしそこまでしても、彼女がどれほど息を殺していようとも余計なトラブルの種はあちらの方からやってきてしまった。
「ったく、立場的に俺がやるしかなかったとはいえ…どうして見張りなんて面白くもない役を押し付けられなくちゃいけねぇんだ。見てろよ…あいつらも今に昇格したらすぐに俺が顎で使ってやるからな…!」
「……?」
「それもこれも…俺がこんな無駄な時間を過ごしてるのも、全部てめぇのせいだぞ! 分かってんのか!」
「ひ…っ!」
それは今まで鉄格子の向こう側で見張りをしていた男。
彼はここまでは従順な様子で律儀に役割を果たしていた様子であったが…実際には内心で思うところが多々あったようだ。
奥にある扉を睨みつけながらぶつぶつと独り言をぼやく彼は隠しきれていない不満を漏らしつつ、本来被害者であるはずのセレネが悪いかのように突然罵りの声を上げてくる。
なおかつそこに留まらず、余程鬱憤をため込んでいたのかこちらを睨みつけて牢の鍵を開くと…逆上した態度のまま彼女の目の前までゆっくりと近寄ってきた。
「くそっ、考えてたら腹立ってきた…こうなったら、お前を使ってストレス解消させてもらおうか。仲間からも致命的な傷以外は問題ないって言われてるし、多少は役得ってことで…なぁ?」
「だ、だめ……ぶたないで───きゃぅっ!?」
「…おらぁっ! てめぇみたいなガキのせいで、俺ら大人が苦労させられるんだよ! そのありがたみを全身で思い知っとけ! クソがッ!!」
「げふ…っ、ごほっ…! ぁが…!?」
冷静に解釈してみれば、男の言い分に正しさなど存在していない。
言ってしまえばただただ己の役回りに不満を募らせていた分のストレスを、どう扱おうと問題にならないセレネにぶつけたいからそれらしい詭弁を並べているだけ。
されどその点を指摘したとしても、目の前の男の暴挙を止められるはずもなく…語ると同時にぶつけられてきた蹴りによってセレネは地面を転がる。
だが理不尽な八つ当たりは残念ながらそこで終わらず、むしろ熱を上げていくように振り落とされてくる暴力の数々は彼女の身に幾つもの傷跡を作ってきた。
「はっ! いい気味だな…どうせ今まで何一つ不自由なく過ごしてきたんだろ!? なら今日からはその分、同じだけの不幸を味わう生活にしてやるよ!」
(痛い…っ! …諦めたら、駄目……でもこのままじゃ、もう──…まま)
手加減なんていう言葉などそもそも知らないかのように、子供相手であっても容赦なく叩きこまれてくる拳や蹴りの乱打。
全身を小さく縮こまらせて何とか耐えようと工夫を凝らすも、所詮は幼子の小さな身体。
大の大人が与えてくる渾身の力には逆らえるはずもなく、怪我を負って切れてしまったのか口元から血が流れ落ち……次第に意識が再び曖昧になってしまう。
…永遠にも思える苦痛の最中、こんな時だろうと思い浮かべるのはたった一人の姿。
自意識さえ朧気なものとなるのを感じたセレネは自分自身も気が付かぬ間に、あと少しで生命の危機に陥るだろうことを察していた。
いかに心を強く持とうとも、とっくの昔に身体の方は正直に限界が近いことを伝えていたのだ。
だからもう、これ以上は耐え切れないと少しずつ下ろされていた瞼こそが彼女の限界点を示すように閉じようとして………。
「──【ゲイルスプレッシャー】」
「は…? ………がぁっ!?」
「……えっ?」
…瞳が完全に閉じきる直前、突如として響いてきた凛とした声とそれに伴って吹き荒れた突風の音。
それまで続いていたはずの殴打の連続がピタリと鳴りを潜め、それどころか先ほどまでこの場における圧倒的優位に立っていたはずの男は何故か横からとんでもない圧力でも食らったように吹き飛ばされ……轟音と共に壁へ激突した。
見るからに生半可な威力ではない一撃。
しかし、今の数秒にさえ満たない奇襲であらゆる優位性を引っくり返してみせた人物が放つ声色には──一切の慈悲も感じられないほど、激しい怒りと本能で恐ろしさを感じ取らせる圧が込められていた。
「…ゴミが。今、お前は自分が誰に──誰の娘に何をしていたのか…理解できているんでしょうね?」
「あっ……」
痛み続ける身体に鞭を打ち、訳の分からない状況だったとしても不思議と今の声を聞いて苦痛が和らいだような気がしたセレネは少し身体を起こし、視線を目の前に向ける。
すると、霞む視界で目の当たりにしたのは…今の凄まじい勢いで吹き飛ばされたことから壁の一面を派手に崩落させ、そこに崩れ落ちる男の姿。
そしてもう一つ。
いつもと変わらない、魔法使い然としたローブと三角帽子を身に纏って美しい銀髪を揺らす彼女の後ろ姿。
この世界で誰よりも頼りになり、セレネの心の支えそのものと言っても過言ではない者の到着を認識して…こんな状況にも関わらず、こぼれ出た安心感から頬が緩みそうになってしまう。
ともあれ、ここからは何も心配することはないと。安堵できる時になったのだと確信し、セレネは眼前にいる人物へと呼びかけ………。
「………ままっ…!」
「…セレネ、遅くなってしまって…本当にごめんなさい。もう、危ない目には遭わせないからね…!」
…待ち望んでいた、最強の魔女たるアルメリアとの再会を果たし。
久方ぶりに母の温もりを実感するように、くるりと振り返ってきたアルメリアがもう絶対に娘を手放さないと言葉を介さずとも意思が伝わってくる抱擁を受けて…セレネも、ぎこちない笑みでこそあったが笑い掛けながら彼女の方からも抱きしめ返したのであった。
……良かった。無事で本当に良かった。
今のアルメリアが抱えている心境を言葉に直して表現するのなら胸中はこれだけで満たされており、ここに辿り着くまで生きた心地はしなかった。
セレネが広場にいないことに気が付き、子供らから事情を聞き出し、そこから最速で突き止めた娘の居場所まで向かいはしたが…その間にセレネの身に何かあってもおかしくはない。
誘拐されたと聞いた時点で害されるのでなく身柄を狙われたことから、万が一にも命まで脅かされるような事態にはならないだろうと彼女も予想はしていた。
…が、そうだとしても心配なものは心配なのだ。
事実、セレネの居場所を追って辿り着いた瞬間にアルメリアが目撃したのは──図体だけは大きな男が愛娘へと夢中になって暴力を振るう景色だったのだから。
それを認識した瞬間、彼女は自分の娘が傷つけられていると判断するや否や一瞬の迷いもなく高まった殺意に身を任せ、この身に煮えたぎる怒りをそのままぶつけるかのように構築した風属性の魔法。
辺りの空気を一点に収束させ、瞬時に解き放つことで爆発的な衝撃波と威力を叩きつける魔法…【ゲイルスプレッシャー】を発動し男をセレネから強引に引き剥がした。
感情が荒ぶるあまり、多少加減を間違えてしまい込める威力も相応に引き上がってしまったがそんなことはどうでもいい。
極論言ってしまえばセレネに暴力を振るったあんなゴミの生死など微塵も興味さえ湧かないが、まぁ最低限息は残っているようなので構わない。
本音を明かすのなら今すぐにでも八つ裂きにした上で殺してやりたいのは山々なものの、まだ死んでもらうわけにはいかないのでまともに全身を動かすことすら出来ない程度のダメージを与えられたのなら御の字だろう。
何はともあれ、今最優先にすべきはアルメリアの腕の中にいる愛する娘のこと。
「セレネ…セレネ! ごめんね…安易に離れないで、ちゃんと近くにいてあげればこんな危険な目に遭わせずに済んだのに……もう、大丈夫だから…!」
「まま…っ! えへへ…私なら大丈夫、だよ? 絶対ままが来てくれるって信じてたもん! それにね、ずっと泣かないでいられたんだよ! すごいでしょ!」
「セレネ…えぇ、本当に凄いわ。間違いなくセレネは、私の自慢の娘よ。…っと、それよりまずは先にこれを外しちゃいましょうか。…なるほど、ね。魔法を阻害する魔具ってわけ…」
ようやく取り戻せた最愛の存在。
己の不甲斐なさゆえに怖い経験をさせてしまった事を謝るが、当の本人は気にした様子もなく。
それどころか健気に母が助けに来てくれると信じていたから我慢も出来たのだと、こんな状況にも関わらずどこまでも嬉しいことを伝えてくれた。
…当然、アルメリアも今のセレネの言葉が一種の強がりであることは理解している。
表面上は何てことも無いように振る舞っている娘の素振りも、よくよく見てみればアルメリアを抱きしめる腕は微かに震え続けている。
当たり前のことだ。まだ小さく幼い少女に過ぎないセレネがいきなり誰とも分からない男たちに連れ去られ、頼れる母とも引き剥がされてしまった。
どれだけ気丈に振る舞っていようとも、内心に蓄積していた不安は莫大なものだったはずで…今のこれはその不安を無理やり打ち消そうとする彼女自身の防衛本能にも近いもの。
しかし、そうだとしても一人孤独な中セレネが必死に努力をしていたことも確かな事実。
ならアルメリアは、少なくとも今はその努力を認め、褒めてあげることで…多少なりとも娘が抱えている恐怖心を拭ってあげることが大切だと判断した。
また同時に、娘の足に装着されている拘束器具──パッと見て魔具だと断定し、かつその効果まで見破ったアルメリアはこれがあったからセレネも大人しく捕らえられるしかなかったのだろうと推察する。
普段は魔法という分野に限れば一般的な大人顔負けの力量を有している愛娘がどうして連れられたのか謎であったが、そう考えれば納得もいく。
それもこれも、魔女たるアルメリアから直々に教わり会得した魔法の全てが封じられてしまったとするなら出来る手段はかなり限られてしまうのだから。
であればこれ以上この邪魔な魔具を身に付けさせる意味はなく、即座に解除という選択肢が彼女の中に浮かび上がった。
「…ふむ、物理的に壊そうと思ったらそれなりに骨が折れそうだものね。でも心配いらないわ。こういうのは、きちんと開錠方法があるからこうすれば……よし、外せたわ」
「…! は、外れた! ありがとう、まま!」
よくよく見ていけば頑強そうな硬度を持っていそうな魔具であるも、アルメリアは大して気にしない。
端に備え付けられている小さな鍵穴はあるので、おそらくそれを使えば問題なく取り外せるのだろうが…そんな代物をいちいち探すなど面倒もいいところ。
ゆえにここは力任せの手段を選び、正規の方法ではなく魔力を操作することで対象の魔具に直接干渉する。
魔法行使を阻害するタイプの効果を持つために少々解除に抵抗を感じる箇所もありはしたが、アルメリアからすれば誤差の範疇でしかない。
数秒も経つ頃にはそれまでの厄介さはどこへやらと言いたくなるほどあっさりと、ガチャリという無機質な音と共にセレネの細く可愛らしい足から魔具は外された。
そうすれば先ほどまで彼女の逃亡を阻止していた要因の一つを簡単に取り除き、鮮やかな手腕を見せつけた母の成果にセレネは驚きで目を丸くし、満面の笑みで感謝を伝えてくる。
…ちなみに余談にはなってしまうが、今しがた行われた魔具の解除方法は何とも容易に実行されたように思えるが決してそんな単純なものではない。
そもそも魔具というのは魔法によって特定の効果を発揮させるための魔力回路がその内に形成されており、それらを伝って外部に疑似的な魔法という形で恩恵をもたらす。
よってその分、魔具一つ取って見ても構築されている回路の種類は物によって千差万別であって、強引に解除しようとするなら細かく枝分かれした魔力の道筋を完璧に把握した上で効果を暴発させないよう動作を抑え込む必要も出てくる。
現に数秒前に行われたセレネの足枷を外したアルメリアのしたことは、本来なら専門の機関が数十日単位の時間を費やして実行するほど手間も労力も要する作業のはずなのだ。
だがこうも簡潔に彼女が魔具を解除出来たのは…ひとえに、アルメリアが日頃から自宅の研究室にて積み重ねてきた魔法や魔具を対象とした研究の経験則があったためだ。
遥か前から日課として行ってきた研究で取り扱ってきた魔具の数々は、“終焉の魔女”と呼ばれる程の力量を持つ彼女が興味を引かれる代物であるがゆえ、相応に組み込まれた回路の複雑さは段違いのものに跳ね上がる。
そのような品々を数え切れぬほど取り扱って来たのだから、必然アルメリアが有する魔具研究の技術や知識は国家有数の研究者たちでさえ足元にも届かぬレベル。
ましてやこの程度の魔具であれば、長時間などかけずとも一定のパターンに則って干渉していけばすぐに構造も把握できる。
効果の解除など造作もない、といったところだ。
「さて、それなら次は……傷を治しちゃいましょうね。こんなアザまで出来て…痛かったでしょう?」
「…うん、お願いしてもいい?」
「もちろんよ。少しジッとしていてね…【天灯光】。これでどうかしら? まだ痛いところは残っていない?」
「──…ない、どこも痛くないよ! まますごい! 怪我まですぐに治せちゃうの!」
「ふふふ、これくらい簡単よ。いつかセレネにも教えてあげるわ」
「うん!」
邪魔だった魔具は排除し、これでもうセレネが不自由な思いを味わうことは無くなった。
そうするとお次は今も尚痛々しく残ってしまっている娘の暴力を振るわれた跡であり、こんなものアルメリアも傷跡だろうと残してあげたくはない。
なのでセレネの頬にそっと手を添えると、躊躇うことなく使った聖属性の最上級回復魔法によって傷一つ残さず治療し、体力までも含めて万全の状態に戻してあげた。
…なお、これに関しても聖属性魔法を幅広く取り扱う組織として民衆から広く認知されている教会。
そこにおけるスペシャリストとして知られる教皇や聖女であろうとも、容易には発動できない類の魔法であることは気にしたら負けだ。
まず第一にアルメリア自身、使えばあらゆる傷を即座に癒せる便利な魔法程度にしか認識していないのでその凄まじさを若干忘れかけている節さえある。
とはいえこれでやっとセレネを取り巻いていた不要な異分子は全て排除出来たため、ひとまずは彼女も落ち着きを取り戻せたと思っておきたい。
ゆえにこうなると……次にすべきことは、とっくに決まり切っている。
「さて、それじゃあセレネ。もうママと離れちゃったりしないようにしっかり抱き着いててもらってもいいかしら?」
「えへへ、わかった! …もう絶対絶対離れないもん!」
「よし、良い子ね。……そしたら、分かっているわね? いつまでもそんなところで伸びていないで、あんたにも話を聞かせてもらうわよ」
「ぁ………ごはっ…!」
無事にセレネを救い出せ、彼女の身の安全も確保できた。
となると残すところは…至極当然の話、このような事態を引き起こした愚か者への制裁を下すのみ。
もう二度と娘を手放さないと固く誓った心意気のまま、こちらにギュッと抱き着き返してくれたセレネの素振りを確認すれば…ゆっくりと、アルメリアはある一点に向かって近づく。
そこに転がっていたのは、先ほど彼女の放った魔法によって瀕死寸前の状態にまでボロボロにされた誘拐犯の男であった。
「質問しているのが聞こえないのかしら? 何なら強制的に喋らせることも不可能ではないけれど…それをすると正気が混濁しちゃうのよね。それが嫌なら素直に話した方が身のためよ」
「……が、ふっ…! …て、てめぇ…! その娘の母親、だろ…ッ。何でこの場所が、分かったんだ…!」
「答える義理はないわ。…余計なことは話さないようにしなさい。次こっちが尋ねたこと以外の言葉を勝手に喋り出したら──私は何をするか、分からないわよ?」
「…………」
壁にもたれかかりながら息も絶え絶えといった様子で、目の前の男は何故この場に彼女が…自分たちがセレネをターゲットとして定めた際、そこに居合わせていた母親らしき人間たるアルメリアが己の拠点を見つけ出せたのかと問うてきた。
が、そこに対して素直に答えてやる義理はない。
むしろこうして言葉を交わしているだけでもどんどんと苛立ちが積み重なっていき、不快感が増していくだけなので余計なことは喋るなと釘を刺しておく。
するとそこで無意識に放っていた圧ゆえか、アルメリアの奥に潜む実力を感知でもしたのか…やっと大人しく口をつぐむ。
ならここからは、彼女の求めている情報を吐き出してもらうターンだ。
両腕に抱えたセレネの温かな体温を感じながらも、向ける瞳はどこまでも冷酷な鋭さを宿したまま。
アルメリアによる尋問は滞りなく、着々と進められていった。
「よろしい。だったら最初に聞かせてもらうのは──…」
「──ふむ、そういうこと。大体は分かったわ」
「そう、かよ……っ、ならこれで、頼むから俺一人だけでも見逃してくれ…!」
質問を始めてから数分後。
あれからいくつか聞いておきたいことは重ねてみたが、経緯の大枠はアルメリアも掴めてきた。
やはりこの場所は男らの根城としているアジトらしく、セレネを狙ったのは奴隷として他国に売り払う目的のため。
その根幹となる敵の名が“遺骸”なんて仰々しい呼び名の犯罪組織なること、等々。
全ての事情を聞き出し傍迷惑な組織に目を付けられたものだと若干辟易もしたが…まぁそこはどちらでも構わないだろう。
どちらにせよ、娘に手を出されたのならアルメリアも大人しく黙ってなどいられるはずがない。
敵対してきた者には等しく終わりの時を与える。それが彼女のやり方であり、今しがた惨めにも命乞いをしてきた男も…例外ではない。
「はぁ…何を言っているの? 事情を聞けたのならあんたはここで用済みよ。ましてやあんたは…あろうことかセレネを傷つけた。…見逃すなんてそんなぬるい真似、するわけがないでしょう…!」
「な…っ!? そ、そりゃねぇだろう! なら俺は何のために喋って……ひぃっ!?」
ここまで必死に抑えつけていた男への激しい怒りも、いよいよ沸点は耐え切れないほどに振り切れたものとなりかけている。
最後の理性でその余波がセレネに向いてしまわないよう調整こそしているが、魔女の怒りに伴って荒れ狂いだす重圧は半端なものではない。
…今に至って、ようやく男は自分たちが何に手を出してしまったのか理解した。
しかし既に手遅れな状況となっていることを同じように吹き飛びそうな意識の片隅で認識して──。
勢いあまって殺さないよう、ギリギリのラインで調整された彼女の一撃によって強制的に意識を遮断され、刹那の間に彼は白目をむいて全身から力を抜かされることとなった。
「…ふぅ、これで一つ目の仕事は終わりね。あとは──」
「まま……終わったの? これで、お家に帰れるの…?」
「うん? えぇっと、そうね…」
一旦ではあるが、これで目前の障害は無力化出来た。
なら次の行動に早いところ移してしまおうとアルメリアも進む方向を見据えようとしたところで…母の胸にしがみついていたセレネから、心細そうな面持ちでこれでもう大丈夫なのかと問われてしまう。
…正直なことを言うと、これで事件が解決したとは言い難い。
確かにセレネは無事に取り戻し、誘拐の実行犯にも痛い目は見せられた。
だが、娘に手を出した愚か者全員に制裁を下せたわけでもなく…何よりアルメリア自身がこのような暴挙に出た相手をまだ許せていない。
ゆえにここから報復に打って出るためにも素早く敵を始末しておこうと思ったのだが、考えてみればセレネの言葉の意図も分かる。
ここに至るまで不安な出来事の連続で、とっくに彼女の心は疲弊しきってしまっている。
数秒前までは男の存在があったから張り詰めていた緊張感も、完全に沈黙した姿を確認して繋ぎとめていた意識の糸が切れかかっているのだ。
…とすると、少し可哀そうではあるが手段はこれしかないか。
「…セレネ、少し疲れて来たんじゃない? もしそうだったら寝ちゃっても大丈夫よ」
「え……でも、そしたらままが…」
「私なら平気よ。セレネ一人抱っこしていたって全く問題ないわ。それとも…やっぱりこんなママじゃ、眠るのも安心して出来ないかしら?」
「そんなことないよ! …だけど、私が寝たらままが疲れちゃうから……」
「優しい子ね…セレネは。でも大丈夫。今度こそ、セレネは誰の所にも行かせないし守ってみせるわ」
敵地のど真ん中でしていいことではないだろうが、これ以上の消耗は娘が耐えられない。
ならいっそのことここからの時間は眠ってしまうことで疲弊した分の気力を回復させればいい。
暴論ではあるし通常なら何を考えているのかと怒鳴られそうな行動ではあるものの、その彼女を守るのは守り手としての実力も十二分以上に兼ね備えているアルメリアその人。
あと必要なのはセレネが母の言葉を信じてくれるか、との一点限りだったが…そこも一切問題無し。
「ほぅら、安心して寝ちゃっていいわよ…ママはまだやることがあるから、それまで休んでいてね…」
「んぅ……まま。急に眠くなって、きて…………ふぅ…すぅ…」
「…眠っちゃった、わね。一応魔法も併用はしたけれど、それでもすぐに寝付いちゃうなんて…それだけ消耗してたってことね。…当たり前だわ」
ゆっくりと優しい手つきで頭を撫で、念のため娘には気が付かれないよう微弱な熟睡を促す魔法も併用すれば数秒と持たずセレネは微睡みの中に落ちていく。
瞼を閉じ、心地よい寝息が立てられるのを聞いて表情にこそ出していなかったが余程疲れていたのだろうことをアルメリアは察した。
…ならばせめて、今までの不甲斐ない失態を挽回するためにもここから先はしっかり愛娘を休ませてあげることが自分の責務。
そう思い、歩き出そうとしたところで…不意にアルメリアは倒れ込んでいる男をジッと見つめて何か思い至ったように服を漁りだした。
「あぁ、そういうこと…道理で見つからないと思ったら。あんたがこれを持っていたのね…これは私がセレネにプレゼントした物よ。返してもらうわ」
男の懐から無造作に取り出されたのは、どこかで見覚えのある深い青色の輝きを宿した装飾の施された美しいネックレス。
言うまでもなくセレネが路地裏にて無理やり奪われてしまった品であり、彼女を守るための効果を内包していた代物。
…セレネが身に着けていない様子からしておかしいとは感じていたが、この男の手の中にあったのなら事情も把握した。
また一つ種を明かしてしまうとすれば、アルメリアがセレネの居場所を即座に把握することが出来たのもこのネックレスが有している恩恵ゆえのことになる。
というのも、これはアルメリアが娘の身に万が一のことがあった時には役に立つようにとあらゆる緊急事態を想定して効果を設定していた。
瞬時に敵対者からの攻撃を防ぐ魔法障壁は実演されていた通りの効果。
そして、そこに含まれている効果の一つとして…ネックレスの位置情報はいつ何時でもアルメリアが探知可能という物がある。
もうここまで言ってしまえば分かったはずだ。
彼女がこの場所を突き止めた要因はまさしくこれであって、セレネではなく男が持っていたのは少々誤算だったが大した差はない。
無論、そのことをわざわざ教えてやる意味は持ち合わせていないので先ほどは無視の姿勢を貫いたが。
…まぁ何はともあれ、経緯はともかく大事なのはこれから起こることだ。
セレネをあえて熟睡させたのも、休ませてあげたかったからという理由も嘘ではないがより具体的に明かせば…何より今から巻き起こる展開を幼いセレネには見せたくはなかったからに尽きる。
そうした意図も含めて彼女を睡眠状態に誘ったわけではあるも、どちらにせよやることは一つとして変わらない。
アルメリアにとって、他の何者にも代えがたい大切な存在を──セレネを。
よりにもよって彼女から引き剥がし、二度と再会出来なくさせようなどと腸が煮えくり返りそうな計画を画策した者達に、そしてそこに連なる相手へと。
愚かな策略を企てた敵対者へと、二度と自分たちの穏やかな暮らしの前に立ちふさがるような真似が出来ないよう始末を付けに向かうのだ。
◆
「だっははは! しっかしその娘ってのも不運なもんだな! 俺ら“遺骸”に狙われちゃお先真っ暗に違いねぇ!」
「だろ? しかもあのガキ、生意気にも反抗してきやがったからな…ここは一つ大人として、しっかり躾も兼ねて大人しくさせてやったわけよ!」
場所は他の誰にも見つけられない隠れ家でありながら、幾つもの明かりによって良好な視界を保ちつつ戯れる人員の多さから絶えまなくあちこちから豪快な笑い声が飛び交う。
だがその会話内容はとてもまともな人間が交わす様なものではなく、語られる大半の内容は痩せ気味の男が自慢げに話す誘拐してきた少女…セレネのことに関して。
あれほどまでの極上の商品を発見したことをアピールするのと同時に、他者を利用して自分たちがのし上がっていくことに愉悦の思いを感じるという性根の腐った自慢話だ。
されどもこの組織内においてはこうした話題はそれほど珍しいものではない。
むしろ酒の肴としてはありふれた類であって、仲間内の盛り上がりようは更に加速していく。
「……ふん、随分と浮かれているようだな。まぁそれも分からんでもないが…」
そして、そんな常人なら正気を疑うような景色を見渡してこの場におけるトップの地位に立っていた男はつまらなそうに鼻を鳴らしながらも、頭の中ではこれからのことを試算していた。
(あれほどの小娘だ。他国の貴族共相手に相当吹っ掛けられるだろう。となればここからの組織拡大資金としても期待は出来る…)
部下からの報告を受けてターゲットとなった少女、セレネの容姿を彼も確認はしていたが否応なしに人目を惹き付ける見た目はかなりのものであった。
それこそ、間違いなくここから勢いを増していくだろう“遺骸”の更なる歩みを推し進める一因として機能することを確信させるほどに。
ゆえに表の顔にこそ出しはしないが、内心では当事者の少女が出会ってしまった不運にほくそ笑みつつ引き出せる価値の算出を行っていた。
ただ、唯一考えられる懸念点があるとするなら…やはりここか。
(だが注意すべきこととしては、あの小娘の母親が道中まで同伴していたというところか。報告では魔法使いらしき恰好であったとのこと…一人程度なら問題もないとは思うがな。…しかし、得てしてそうした輩は面倒なことが多い。警戒するに越したことはないか)
これも実際の経験則に基づいての思案にはなるが、幼い子供一人を誘拐すると後々面倒な事態になることが多い。
ほとんどは身内、あるいは家族が必死に子供の痕跡を追ってこの場所まで近づいてくるか…または偶然現場に居合わせ、顔を見られるかだ。
──まぁそうした相手に関しては全て例外なく切り捨てるか、その場で処分してきたので万が一にも余計な情報が露見する心配はない。
ともあれ注意して損をすることもないため、頭の片隅に入れておこうと結論付けて再び視線を戻す。
そこでは相変わらず下っ端の男一人が片手に持った酒も入ったことで饒舌になっていき、勢いが衰えるどころか早まった様子で変わらず鼻高々なペースを崩さぬまま見栄を張り続けている。
「でよでよ! その小娘と来たら、無駄と分かり切ってるのに張り切った様子でこっちに蹴りかかってきたのさ! まっ、もちろん最後は俺たちの手で簡単に気絶させてやったがな!」
「はっはっは! そりゃ無様なもんだ!」
「あたしは小さい子いたぶる趣味はないんだけどぉ…ふっ。でもその場面は想像したら笑えるかもぉ」
「だよな! まさに傑作だったぜ!」
少々図に乗りすぎているのか、立場に反して輪の中心に立っているような構図には思うところもあるが特段咎めるようなことはしない。
彼らがあそこまで過剰な盛り上がりを見せているのも、元を辿って行けば自分たちが圧倒的優位な位置に立っていると確信しているからこそ。
より具体的に語れば今回の出来事を経て更に戦力を拡大させていく、自分たちの組織が辿る栄光の未来を脳裏に思い浮かべているため。
誰も彼もがここに控える戦力の強大さを信じ切っており、それを心の安寧として好き勝手振る舞うことにも躊躇いを覚えない。
きっとそれは、何一つ間違ってはいなかったのだろう。
事実として“遺骸”が抱える戦力は王都の中でも随一のものであって、騎士団の精鋭でさえも容易には手を出せない実績を持っている。
だからそこにたった一つだけ、誤算があったとするなら……ここから彼らが相対しなければならない人物の実力が人の枠などとうの昔に超越した怪物であること。
その一点のみ。
ゆえにメンバーの大半は、気を緩めていたことも相まっていつの間にか部屋の中に入り込んでいたその女の存在と──驚くほどに冷え切った彼女の声を直前まで認識出来なかった。
「──あらそう、また随分興味深い話をしているわね。まぁ聞きたいとは微塵も思わないけど…」
「「「「………ッ!?」」」」
…その時、その場にいた者全員が一瞬全身に妙な感覚が走ったことに違和感を感じながらも、同時に響き渡ってきた声色を誰も直前まで把握させられなかった。
本当に、気が付いた時には見覚えもない彼女は…腕に瞼を閉じて眠っている一人の幼子を抱きかかえながら、ローブと帽子に身を包んだどこか場違いとも捉えられる気楽な雰囲気を纏った女はこの場へと入り込んでいた。
更に真に驚くべきことは、数秒前まで辺りを悠然と見渡していたリーダー格の男でさえも一様に驚愕の表情を浮かべていたこと。
つまりここにいる者は誰一人として、彼女の──セレネを抱きかかえたアルメリアの出現を察せていなかったことになる。
あまりにも唐突で意味不明な展開。
思わず正体不明の女を目の前にして呆けてしまう、なんて失態を犯しそうになるも…そこに一瞬早く反応する者がいた。
「て、てめぇは…あの小娘の親かッ! 何でここにいやがるんだ!?」
(親……なるほど。あれが噂に聞いていた母親というわけか。…しかし妙だ。どうしてこの拠点の場所がバレている…)
大声を張り上げて反応を示したのは、セレネ誘拐の現行犯たる痩せ気味の男。
彼はセレネのことを目視した際に隣で歩いていたアルメリアのことも視界に収めていたため、その彼女がいることにいち早く思い至り声を上げたのだろう。
するとそれを聞いた“遺骸”リーダーの男はある程度事情を推察し、部下のリアクションからしてこの女が攫った娘の母親というのも間違いないだろうと判断した。
が、そうなると別の疑問が湧きおこり…そもそもセレネを連れ去ってから数時間も経過していないというのに、こちらの居場所を特定してみせた手段が分からない不気味さに内心で冷や汗をかく。
「何でと言われてもね……私はこの子の親なのよ? 娘が危険な目に遭わされたら取り戻しに来るのは当然でしょう。…で、あんたがここの首謀者で間違いなさそうね」
「……あぁ、その通りだ。だが分からないな…何故ここが分かったんだ? バレるような真似はしていないと思うんだが」
「教えてあげると思う? ま、私もまさかこの街の地下用水路の一角にこんな拠点を持ってるとは思わなかったけれど」
「…ッ」
だがそれでも、言葉を重ねるごとに不利になるのは何故だかこちら側だった。
…そう、今アルメリアから指摘された通り。
何てこともない様子で語り掛けてきた発言が全てを物語っていたが…この“遺骸”の本拠地は何と王都の中。
そこの地下深くに根を張り巡らせていた、巨大な地下用水路の一角に作られた隠し部屋の先こそがこの場所の正体であった。
…この地をアジトとして選んだのは、一言で説明してしまえば様々な理由で都合が良かったからだ。
ただでさえ国一番の広さを誇る王都の地下に広げられた地下用水路は、その構造も複雑なんて言葉では言い表しきれないほど入り組んだルートを持つ。
しかも地下であるがゆえに人目には触れづらく、時折定期の巡回こそやってくるがそれとて道の全てをくまなく見回るわけでは無い。
道中の一角に隠し部屋を作ってしまえば追手を撒くことも容易で、今日に至るまで“遺骸”が国の戦力から逃げおおせてみせた要因も大半はこれにあると言っても過言ではない。
…にもかかわらず、こうもあっさりと場所を口にしたこととその地まで赴いてきていることから、アルメリアが偶然ではなく確信をもって組織の居場所を割り出したことを理解させられてしまった。
こうなると…もう彼女をここから逃がす選択肢は潰えた。
組織の情報を掴まれた以上、ここで逃がしてしまえば拠点の情報は外に露見し近いうちに国の軍が総力を挙げて彼らを捕縛しに向かってくるだろう。
今まさに勢いに乗りかけている現状で、それだけは避けなければならない。
よって男はこの短くも稼いでいた対話の時間に見極めていた彼女の力量。
これまで培ってきた歴戦の感覚と経験則から導いた判断で、多少は総量もあるが彼らと敵対するには不十分と言わざるを得ないアルメリアの魔力量を見て対処も可能と判断。
ゆえに彼女とここで一戦交えるという……最悪の結末へと向かうための一本道に自ら乗り上げてしまった。
「そうかそうか…子供のために我が身を犠牲にしようとは、立派な親心だな。しかし一つだけ疑問だな。そこまで分かっていたのなら、どうして援軍も呼ばず一人で乗り込んできたんだ? まさか、この人数相手に生きて帰れるとは思っちゃいないだろう?」
「……………」
彼我の戦力差を確認し終え、そこで改めて確認できた事実はこちら側が圧倒的な優位に立っているという現実。
単身での実力は当然のことながら、大前提の人数差までも明らかな有利を持っている。
その証拠に、アルメリアが突如として姿を現したことに呆気に取られていたメンバーの何名かも今となっては調子を取り戻しにやついた笑みを浮かべて武器を手にしていた。
やはり性格に大なり小なり難があろうとも、実力は確かなものを持つ者が多く揃えられた選りすぐりの集団だ。
事情を知らぬ者が見れば絶体絶命とも思えるこの状況下において、それでも焦った姿を見せることなく…むしろつまらなさそうな視線をそこらに向けているアルメリアの態度は少し異質にも映る。
が、そこは自らの優位性を疑っていない彼らの視界にとっては大した問題とも捉えられない。
じわりじわりと、よくよく観察すれば腕の中で心地よく眠るセレネと同等以上に整った容姿を持つアルメリアの身柄を我が物とできれば更なる価値を手中に収められると考え気分を持ち直し──心底呆れるように溜め息を吐いた彼女の挙動を、見逃してしまう。
「………はぁ、本当に情けないわね」
「…何だと? この現実が見えていないわけではあるまい。今更苦し紛れの言い訳なぞ重ねたところで意味は……」
「──…お腹、足、背中。そして頬。…これ、何か分かる?」
「ん? 訳の分からないことをぶつぶつと言って……こちらを誤魔化すつもりか。そうはいかん。適当なことを述べたところで抵抗など…ッ!?」
会話の途中で差し込まれてきた、アルメリアが語る謎の文字の羅列。
いきなり並べられてきたそれらの共通点は人体のどこかを示す物である以外に見つけられないが…それを指摘するよりも前に見えたもの。…見えてしまったもの。
真正面から向けられてきた、彼女の一切の感情を感じ取らせず、それでいながら全ての感情を煮詰めたかのようにどす黒い闇を体現したかの如き視線を受け、無意識に怯んでしまう。
読み解こうにも込められた感情が複雑すぎるがゆえに、発言の意図云々の以前に理解できない恐ろしさを先に察知していた身体の方が、自然と震え始めてしまう。
「まだ分からないなんて…愚かね。…これは、あんたらがこの子に傷を付けた箇所よ。ここまでは必死に我慢してきたけれど…それももう限界なの」
「さ、さっきから何が言いてぇんだ! ごちゃごちゃと妙なことばかり口走りやがって…!」
「黙りなさい。…私が憎いのは、もちろんセレネを傷つけた男二人。そいつらは絶対に逃がさないし心の底から後悔するまで罰を与え続けるつもりだけど…それだけじゃないわ」
「……と、いうと?」
気が付いた頃には、あれだけ優位性を疑わず調子づいていた“遺骸”の雰囲気も彼女が纏う空気に飲み込まれてしまっていた。
いつしか静寂が辺りを支配し、淡々とアルメリアが告げてくる決定事項のみを告げてくる場と化したこの地の静かな雰囲気は……されど。
ある瞬間を境に、それまでの不気味なほど静謐な空気感で満たされていた状態から一変し──激しい感情を露見させてきたアルメリアの覇気に圧倒されることとなった。
「今、この場にいる全員……あんたらも一切合切連帯責任よ。大切なうちの子を狙って、あまつさえ傷つけた罪…命が尽きるその瞬間まで、償ってもらうわ」
「へっ、自分の状況が理解できてないのか? この状況、どう考えても俺らに有利が傾いてるのは明白で……?」
「あぁ……全く本当に、腹が立つ…! セレネを易々と連れていかれたことにも、私自身の不甲斐なさにも…! …何より、私の世界一大切な娘を不安にさせたあんたらにもねぇっ!!」
「が…っ!? んだ、こりゃ…ッ!!」
「ありえねぇだろ…! 人の魔力か、これが!?」
「許さない…絶対に許さないわ。あんたら全員、等しく──私の手で地獄まで送ってやるわよ…!」
それまで意図的に抑え込み、隠蔽していた魔力の全容を感情任せに解放すれば高密度に圧縮された魔力がそこかしこに暴威を振るい、空間そのものにヒビさえ入れたと錯覚させるほどの圧力を生み出す。
突如としてそのような暴挙と相対させられた“遺骸”の反応はまちまちであるが…大半は魔力の圧を食らい意識を飛ばすか、何とか持ちこたえたとしてもその場にいる全員が彼女には勝てないことを瞬時に確信させられる。
狩る者と狩られる者。
構図は一つとして変わっていないが、その立場は完全に逆転した状態の中で…どうにかこの怪物から逃げ出そうとした者も中には存在していた。
していたが、それらは全て無駄な努力に終わる。
「は、早くここから離れるぞ! …クソッ! 扉が開かない!」
「細工でもしやがったのか…! どけっ! 俺が破壊してやる! ……なっ!?」
「こ、壊れねぇだと!?」
「……ふん、哀れなものね。私がみすみす逃がす様な隙を作ると思う?」
「──…そうか。結界か!」
一秒でも早くここから離脱しなければならないと判断することが出来た一部の者は間違いない優秀だったのだろう。
実際、最もこの空間から脱する手段として傍にあった扉から飛び出ようとした場面を見ればその辺りのことは何となくでも分かる。
しかし今回ばかりは相手が悪かったと言わざるを得ない。
必死に駆け寄り、誰もが自分たちでおびき寄せてしまった魔女の報復から逃れようと手を伸ばしたとしても…扉はまるで開く気配を見せない。
取っ手を握りしめ、いくら力を込めようともドアノブは回らず。
最後の手段と言わんばかりに巨大な体躯を誇る男が渾身のパワーで大剣を振り下ろそうにも、扉はびくともしない。
明らかな異常事態。
ただ原因についてはメンバーの一人が即座に思い至り、この現状はアルメリアが使ったと思われる結界によって引き起こされた現状であると推測。
結界魔法とは魔力によって構成された障壁によって一定範囲内の空間を遮り、用途としては対象を閉じ込める他にも遮られた壁を利用した防御能力が挙げられる。
なので今回のこの状況も、それによって起こっている事象なのだろうと予測した彼らの結論は……半分当たりで、半分は外れている。
これが結界を用いられた檻であることは間違っていないが、それだけでは正解とは言えない。
「結界、ねぇ…まぁ合ってはいるわよ。それだと不十分だけれど」
「ど、どういうことだ! 説明しやがれ!」
「そうね……分かりやすく言うなら、仮にあんたらが周りの結界を破壊して突破出来たとしても、逃げるのは不可能ってことよ」
「──は? そ、そんな馬鹿げた話があるはずが…っ」
「嘘だと思うなら試せばいいわ。もちろん、出来るのであれば…の話にはなるけれど?」
結界を利用した対象の無力化は便利ではあるとしても、いくつか欠点もある。
その最たるものが周辺に広げられた障壁は使い手の力量によって強度が変動する点であり、せっかく閉じ込めたとしても壊され抜け出されてしまえば無力となる。
…だが、そんな分かりやすい欠点をアルメリアが放置しておくはずがない。
結論から言うのなら彼女が今述べた言葉は全て嘘一つない事実で、彼らが無事に逃げおおせる未来は存在しない。
そこまで断定できる根拠としては、この瞬間──否、アルメリアがこの場所に現れた瞬間から密かに展開していた魔法があるからの一言に尽きる。
そして、その魔法名は…【外縁領域】と呼ばれる結界魔法の一種。
だが、これに秘められた効果や発動難易度は世間一般に普及しているそれと比較にもならない。
この効果というのも、一定範囲内に結界を押し広げて展開することでそこに留まる者を閉じ込めることが出来る。
ここまでは従来のものと変わらない。
ただ、【外縁領域】に込められた真の恐ろしさは先にあり…結界によって隔離された空間。
その範囲が存在する空間の座標を一時的に世界の外へ固定し、外界からのあらゆる干渉を根こそぎ遮断してしまう。
要するに、今この場は一見数分前までと何ら変わりない地にあるように思えて実際には全く異なる空間に強制移動させられている。
ゆえに万が一彼らの誰かが結界を破壊しようとも──そもそもアルメリアの作った壁ゆえに強度も文字通り桁違いなのだが、その先には地下用水路の逃げ道ではなくただただ虚無の景色が広がるだけだ。
当然だろう。
既にこの空間の外は世界の範囲外でしかないのだから、脱出しようと無意味なのだ。
生き延びる手段が残っているとするなら、二つだけ。
アルメリアが自身の意思で魔法を解除するか、彼らが彼女を倒しきるか…その二択のみ。
どちらの選択肢も現実的ではないことは、彼らも薄々察してしまっていることだろうが。
現に、アルメリアがつい数分前の“遺骸”が実行しようとしていたことと全く同じこと…彼らが彼女を逃がさないよう策を企てていたのに対し、アルメリアもまた決して敵対者を逃がさないよう対策を打っていたのだ。
それを思考の外で理解させられてかはたまた別の要因か。
アルメリアが呟いた一言二言でどうしようもない現実を突きつけられ、心折れたように膝をつく者が一人、また一人と現れていく。
いつしかトップを張っていた男だけが最後の抵抗と言わんばかりにアルメリアを睨みつけていたが…それも彼女を前にすれば何の効力ももたらしてはくれなかった。
「…さて、ゴミ掃除を始めましょうか。安心しなさい。まだあんたらを殺すことはしないわ。そう…まだ、ね──…」
…その後。
世界から隔離された空間にて、何が起こっていたのか。知る者は当人を除いて存在しない。
しかし、世界の外にあったはずの地にて繰り広げられていた掠れた叫び声の数々は…ただ一人を残して誰の記憶にも残ることはなかった。
◆
──ここからは、王都の衛兵が記していた記録に残された情報になる。
ある時、出処が不明な何者かから衛兵所へと不審な情報がもたらされ、近頃この国を騒がせている犯罪組織である“遺骸”の拠点場所を伝えられたとのこと。
無論、虚偽の報告である可能性も十分にあるため半信半疑ではあったが上層部はこれを受けて調査のための一団を編成。
疑わしくも王都の地下用水路に存在していたという拠点と思わしき地点に向かってみれば…何とそこには、情報通り謎の隠し部屋が仕込まれていた。
しかも慎重に慎重を重ねて中に入っていくと、驚くべきことに“遺骸”の構成員と考えられるメンバー多数に加え、王国内でその悪辣さと犯した罪の重さゆえに重要指名手配をされていた主犯格の男までもが全員無防備に意識を失い倒れていた。
…不可解な状況を前に調査隊も罠を訝しみはしたが、現場から出てきた証拠の数々と奴隷にされていたと思われる孤児の子供らを見つけたことから、当人であると判断。
その場で身柄を押さえることに成功し、収監所まで連行し意識を回復するのを確認したのと同時に詳細な聴取を行うことに。
……だが、そこでいくつか解明できない点が残されている。
というのも、身柄を捕らえた際に何故か例外なく気を失っていた“遺骸”の構成員たちであるが意識を失っていた原因に関しては誰一人覚えていなかったとのこと。
そのようなことがあり得るのかと問い詰めてみるも、反応からして誤魔化しや言い訳の類ではなく本心から記憶の一部を欠落させているようだった。
そして、もう一つ。
この一件と関係があるのかないのかは定かではないが…この日を境に彼らの全員が奇妙な夢を見るようになったと口にし始めたことだ。
更にその夢とやらの内容までもが似通っているらしく、口をそろえて誰もが『魔女が自分を殺しにかかってくる』などと意味不明な供述を繰り返すのみ。
しかし当人らの異様な怯え方から虚言の類ではないと判断し、何かしらの呪術でも行使されたのかと調査をしてみるも…それらしき痕跡は一切確認出来ず。
最終的に偶然の一致だろうと結論付けられ、日を経るごとに毎夜夢に見る内容に怯える様子を強めてやつれていく姿が観察できたが有効的な報告は最後まで得られなかった。
また、更に更に不可解なことに“遺骸”メンバーが投獄されてからきっかり一〇〇日が経過した頃。
彼らの全員が何の予兆も見せていなかったというのに──例外なく突然死した件に関しても詳細なことは未だ不明の状態。
こちらについては、以後詳しいことが判明した際に記録していくこととする。
◆
「──…レネ、セレネ。起きられるかしら?」
「……ん、んぅ。まま…?」
「まだ眠かった? ごめんなさいね…でもあと少しで到着するから、頑張って起きてもらってもいい?」
「……わかったぁ。だけど、到着ってなぁに…?」
「見てみればきっと分かるわよ──ほら、もう着くわ」
微かに心地よい揺れが感じ取れる体感の中、セレネは自分の名前を呼ぶ聞き慣れた声があったような気がして微睡みから意識を引っ張り出される。
すると重たい瞼を擦りながら開いていった先では…母であるアルメリアが穏やかな微笑みを伴いながら彼女を抱きかかえて歩いている光景が確認できた。
まだまだ眠気が完全に消えたわけではないが、アルメリアから呼びかけられると自然に身体が起き上がる習慣を身に着けてしまっているセレネもその言葉を聞いて必死に目を開く。
そうすれば腕の中から見えた景色は、どこか見覚えのない裏道のような場所。
もうすぐで到着するというアルメリアから告げられた言葉の意味もよく分かっていない状況下で、今向かっている先さえも理解できていないために頭には疑問符が浮かぶも…やはり母親に優しく抱えられていると恐怖心は全く湧いてこない。
誇張抜きに世界で最も安全な場所であることも関係はしているのだろうが、彼女にとっては誰よりも安心できる相手の母に抱かれているという事実こそが安心感を抱く要因なのだろう。
そのようなことを考えながらどこへ行くかも不明瞭な方角へと突き進んでいくアルメリアの行動に若干違和感を覚えつつも、辿り着いた先では………。
「──あっ、セレネちゃんのおかあさん帰ってきた!!」
「セレネちゃんも一緒だよ! よかったぁ…!」
「あ……み、みんな!」
…薄暗く感じられた路地裏から出た途端、明るい日差しが差し込んでくるのと同じタイミングで響いてきた大勢の声。
少し舌足らずな印象を受けるがその声色からは本心で心配していただろうことが容易に窺える、不安の色を滲ませながらも…セレネを取り戻しに行ったアルメリアを言いつけ通りに待ち続けていた子供たちが出迎えてくれていた。
「ふむ、全員言った通り大人しく待っていたようね。感心感心」
「セレネ……いきなりいなくなるから心配してたんだよ! 怪我はない…?」
「えぇと…うん。ままが治してくれたから、平気だよ。…私の方こそ、心配かけちゃってごめんね…」
「いいのいいの! セレネちゃんが無事だったならあたしたちも安心だもん!」
皆、アルメリアが厳しく命じていたからこそ勝手な行動をすることなく待機に徹していたのだろうが、それでも不安に思う心はあったはずだ。
しかし現在、再びセレネがここに元気な姿で戻ってこれたことで彼らの表情は柔らかいものばかりとなっていた。
だからそこに割り込んできた一人の少年が放った真剣な声はどこか場違いにも思え…しかし、そう言われて当然のことでもある。
「……セレネッ! …本当に、ごめん!! 俺の我儘のせいで…お前をこんな危険な目に遭わせちまって…!」
「え…? …あっ」
微笑ましい空気感の最中、アルメリアの眼前にまで臆することなく近づいてきたのは男たちに連れられていく直前までセレネと同行していた少年だ。
そんな彼は彼女が戻ってきたのを認識するや否や、まず何よりも真っ先に謝罪の言葉を投げかけてくる。
…ただその態度も当たり前だ。
フォローを抜きにして語れば今回の事件、セレネが連れ去られる大元の原因となったのは間違いなくこの少年にある。
彼自身も抑えきれない好奇心に負けた結果とはいえ、そのせいで他の誰かを巻き込んでしまったのは紛れもない事実なのだから。
むしろそれを曖昧に終わらせず、きちんと真摯な姿勢を貫いて謝っているだけ少年はしっかりしている方だ。
されどその謝罪を受けたセレネはというと、どうしたらよいのか分からないといった様子ですぐ傍のアルメリアの顔を見つめる。
おそらくこれに対してどんな言葉を返したら良いのか、展開が唐突なこともあって適切な返事が分からないのだろう。
…無論、アルメリアの心情的に言うのならこの少年のことを許すわけにはいかない。
たとえ幼い子供であろうと愛娘を危険に晒した要因に関係しているのなら情けをかける意味はなく、徹底的に反省の意を示すまで叩きのめす考えすらあった。
……だが、それ以前に今回の件。明確な被害者が彼女ではなくセレネなことも事実。
ゆえに許す許さないの判断は愛娘にお任せしようとアイコンタクトで示し、アルメリアも彼女の答えを待つ。
そうして出された答えは………何ともまぁ、娘らしいものではある
「──うん、いいよ。元々私も途中で止めなかったのが悪かったし…途中で助けようとしてくれてたもんね? だからこのことはこれでおしまいっ。ありがとうねっ!」
「………ッ!」
(……あ~、これはマズいわね。この男子……間違いなく今ので惚れたわ)
満面の笑みを露わにしながら、セレネの出した結論は一切咎めることなく許すものだった。
予想はしていたが実際にそうなると何とも拍子抜けなものの…それ以上に、アルメリアには注目すべき点が一つ。
それというのも今セレネが浮かべた天使のような無垢さを連想させる緩やかな、しかし花が咲くような満開の笑顔を真正面から受けて少年の顔が真っ赤に染まってしまった事。
言うまでもなく、一人の少年の恋心を娘が撃ち落としてしまった事実を目の当たりにして嫌そうな感情を表に出してしまう。
…セレネが世界一可愛い事実は彼女も認めるところであるが、安易に惚れてしまうのは勘弁してほしい。
何といってもこの愛娘は未来永劫アルメリアの宝物なのだから、余計な相手が増えるのは望むところではない。
だがそんな淡い未来予想図や目の前の状況を確認して辟易としていた彼女の平和的に保たれていた思考回路は──次の瞬間に少年が口にしてきた一言で吹き飛ぶことに。
「じゃ、じゃあさ…っ! 俺、これからもっと強くなるよ! それで誰にも絶対負けないくらい強くなって、そんで大人になってセレネのことも守れるくらい一番強くなれたら…俺と、けっこんしてくれないか!!」
「え?」
「────あ゛?」
…その時、大げさな表現は抜きに周辺の気温が一気に数度は低下した。
少年が放ってきた愛娘へのプロポーズ紛いの言葉を前に、最強の魔女でさえも冷静さを欠き…ギリギリのところで少年自身に殺意を向けることだけは咄嗟に回避するも漏れ出た魔力の圧ゆえ王都外の野生動物は軒並み逃げ去っていたそうな。
口から思わずこぼれ出たドスのききすぎた冷たい声は、とても子供らに聞かせられるような代物ではなかったが…それもこれも娘を想う親心が強すぎるがためのもの。
もし、仮にこれで次の返答でセレネがアルメリアの異変に気が付かず了承しようものなら反動で王都そのものが消滅しそうなものだが。
幸いにもそのような事態に陥ることはなかった。
……いや、しかし迷いなく即答で返されてきた彼女の言葉はたった一人の少年からすれば不幸と表現する他ないものであっただろうことも確かではあるが。
「うぅ~ん…ごめんなさい。それはできない、かな?」
「……えっ? な、何で!?」
「だって…私はずっと、ままと一緒にいるんだもん! だからごめんなさい! けっこんはちょっと難しいかも…」
「………え?」
何と、返事はまさかの拒否。
この場の雰囲気も合わせればまさに二人の運命的な出会いのスタートとでも言えそうな一場面だったというのに…躊躇う様子すらなく断ったものだから少年の面持ちも呆然としたものになってしまった。
けれどもその程度でセレネが退くことはなく、理由に関しても語ってくれたがそれは今の彼にとって致命傷の連打でしかない。
今も尚抱きかかえられたアルメリアの胸元に、自分のもちもちとした頬と顔をこれでもかと擦り付けながら自分は母と一緒にいるのだと言ってくれたセレネ。
普段なら、アルメリアもその可愛らしすぎる宣言を受けて涙を流しながら歓喜したことだろうが…今ばかりは状況が悪すぎた。
(…………えっと、なんかその…ごめんなさいね)
一世一代の告白が無残にも敗れ去ったことが衝撃的すぎたのか、満足げに母へ抱き着くセレネを目前にしながら風化するような様子すら見て取れてしまう少年の姿。
…あまりにも悲壮感が漂う現場だったため、流石の魔女をもってしても無意識に心の内で謝ってしまうほどの気まずさがそこには存在していた。
◆
「──ふぅ、やっと帰ってこれたわ。何だか随分久しぶりな感じもするけど…セレネ、着いたわよ」
「ん……うん」
「…? セレネ?」
何だかおかしな一悶着を経てしまったような気もするが、そこは一旦記憶から消しておくこととしてアルメリアとセレネは〈失墜の森〉にある我が家へと子供たちに別れを告げてから戻ってきていた。
この家を見るのも久方ぶりに思えてならないのは、きっと道中にあった事件が濃すぎるものだったためだろう。
しかしそれもようやく終わり、平穏な時間を取り戻せたのだから今日のところはゆっくり休みたい。
何より色々な意味で疲れているだろうセレネを休ませなければいけないので、一度腕の中から降りてもらおうとするものの…何故だか一向に彼女が動こうとする気配はない。
一体どうしたのだろうかと優しく問いかけようとしたが、そこでアルメリアが声をかけるよりも早くセレネの声が届いてきた。
「……まま、今日は…ごめんなさい。ずっと迷惑かけちゃって…心配させちゃって…」
「ん…? …なんだ、そんなことを気にしていたの? いいのよ、セレネが謝る必要はないんだから。私はセレネが無事に戻ってきてくれたならそれだけで十分に──」
「…ううん、違うの。そうじゃなくて…」
「え、違う?」
ぼそぼそと、決して大きな声量ではなかったがその声は確かにアルメリアの耳に届く。
そこから判別できたのはセレネが今日の一件を必要以上に重く捉えてしまっている事実であり、本来責任を感じる必要などないことをすぐに伝えてあげた。
が、どうやら彼女の言いたかったこととはそうではなかったらしく。
何かをほんの少しだけ迷う素振りを見せつつも、最後には決心したような表情を見せてきた娘が言ってきたのはこのような申し出だった。
「──私も、強くなりたい。もう誰にも心配させなくてもいいくらい。…ままとおんなじくらい、強くなって安心してほしいの…」
「……セレネ、それは別に…」
「だから…ね。今度また、魔法を教えてほしいの。それでいつか絶対…ままにも負けないくらい、強い魔法使いになるの」
「………えぇ、そうね。セレネならきっとなれるわ」
「…!」
彼女が確かな決意を滲ませながら願って来たのは、強さへの渇望。
だがそれは誰かを傷つけるための力ではなく、自分以外の誰かを安心させるための強さが欲しいという…とても優しい願い事であった。
今回の一件。セレネもセレネなりに様々なことを経験して思うところは多々あったのだろう。
それを理由にアルメリアが彼女のことを嫌うなんてことは天地がひっくり返ろうともありえないが、それを通じて娘の心境にも変化があったのかもしれない。
ならば彼女も、せっかくの娘が自ら成長したいと考えてくれた機会を無碍にはしない。
たとえそれが果てしなく困難な道であったとしても、自分の娘ならいつしか魔女をも超える実力者に成長することさえ考え得る。
…その可能性を信じてあげなくて、何が親だというのか。
ゆえにもう一度セレネをそっと優しく抱きしめながら、いつかなれると娘の未来を信じて声を掛けてあげた。
アルメリアに出来ることがあるとするなら、そう願ったセレネの歩みを手助けしてあげるくらいのものだ。
「──だけど、今日はもうセレネも疲れちゃったでしょう? 頑張るのはいいけれど、最低でもしばらくはゆっくり休まないと駄目よ? ママとのお約束、ね」
「…はぁい」
「さて、それならまずはお風呂に入っちゃいましょう。すぐに用意するからお部屋で良い子にして待っていて?」
「うん…分かった!」
かくして再び舞い戻ってきた、二人だけでの生活。
周辺はおびただしい数の魔物に囲まれながら、それをものともしない魔女とその愛娘が繰り広げる生活模様。
その先に待ち構えている未来予想図については──まだ誰にも想像すら出来るはずもない、近い将来のことだ。
本当に久しぶりすぎますしまさかの一年ぶりという超スローペースな続編になってしまいましたが、とりあえずこれでここのお話は一区切り!
もしも「面白い!」「この続きを読みたい!」と思ってくださった方がいらっしゃいましたら感想・評価等々お願いします!
それをしていただけたら作者のモチベーション爆上がりして次はもう少しハイペースでまた書く可能性もありますので、なにとぞなにとぞ!




