第8話/苦悩する国
夜の国会議事堂、審議が終わった本会議場の裏では、与党議員たちの戦略会議がひっそりと開かれていた。テーブルを囲むのは、都市再改造化計画担当大臣・田島和樹、内閣官房副長官・木下啓太、経済分析官の伊藤浩、そして田島に近いベテラン議員数名。空気は張り詰め、誰もが次の一手を冷静に考えていた。
「国民感情は思ったよりも強烈だ」田島が開口一番、資料を手に声を出す。
「首相もこれ以上の国民反発を容認するわけにはいかない。我々の目的は計画を成立させることだが、現実的に調整を考える必要がある」木下副長官が続ける。
伊藤浩がタブレットの画面を示しながら意見を述べる。
「財政面から見ると、この計画の初期投資はおおよそ三兆円規模。地方自治体の負担や建設業者への補助金を加えると、総額で四兆円を超える可能性があります。これを無視して国民説明を強行すれば、反発はさらに増大するでしょう」
田島は深く息をつき、机の上の資料に視線を落とす。
「四兆円か…これは簡単に国民を納得させられる金額ではないな」
ベテラン議員の一人が口を開く。
「田島大臣、我々はここで予算を少し圧縮し、民間負担や補助金を調整することを検討すべきです。国民への説明がスムーズになります」
「いや、それでは事業が遅れる。都市再改造化計画はスピードが命だ。遅延は政治的リスクを増大させる」田島は即座に反論する。
「でも、無理に押し通せば国民の怒りが次の選挙で直撃します」伊藤浩が冷静に指摘する。
木下副長官がテーブルの資料を指さしながら提案する。
「ここは折衷案を採るべきです。初期投資は当初通り確保しますが、段階的に建設計画を分割し、第一段階の成功を見せることで国民の理解を得る。この方法であれば財政負担も分散され、批判も抑えられます」
田島は一瞬沈黙した後、頷く。
「なるほど。第一段階として神戸モデル都市を完成させる。それを実績として全国展開の説得材料にするわけだな」
別の議員が資料をめくりながら口を挟む。
「しかし、第一段階での遅延や問題発生は野党の格好の攻撃材料になります。我々は情報管理を徹底し、メディアとの連携も不可欠です」
田島はうなずき、木下に目を向ける。
「副長官、メディア戦略の具体案を作れ。デモや反対派の声を無視するのではなく、国民にこの計画の意義と安全性を丁寧に説明するんだ」
「了解しました。報道局、各新聞社、テレビ局のキー人物にはすでに連絡済みです。計画の段階的説明会と国民向け資料の作成も進めています」
議員たちは一様に深く息をつき、会議は一段落したかに見えた。しかし、田島はテーブルの上の資料を見つめながら重々しく言った。
「我々の目的はこの計画の成立だけではない。国民に支持される形で都市再改造化を進めることだ。支持を失えば、計画の実施どころか政治生命も危うくなる」
伊藤浩が数字を確認しつつ口を開く。
「神戸モデル都市に投入する資金の規模を、初期段階で一兆五千億円程度に抑えれば、国民反発を最小限に抑えつつ、効果を示すことは可能です。成功すれば次の段階への正当性を確保できます」
木下副長官が補足する。
「加えて、地方自治体との連携も不可欠です。神戸市長の田辺昭夫氏とは既に会談済みですが、現場の声を十分に反映させなければ、住民の理解は得られません」
田島は資料を机に叩きつけ、決意を込めて言った。
「よし、ではこの案で進めよう。初期段階は予算一兆五千億円、神戸モデル都市を完成させること。そして全国展開の布石とする。国民への説明も副長官、責任を持て」
木下副長官は軽く頷き、会議室の全員に目を向けた。
「了解しました。各担当官と連携し、段階的に実施計画をまとめます。国民への広報戦略も併せて進めます」
伊藤浩はデータを整理しながら付け加える。
「また、建設業界、民間デベロッパー、金融機関の調整も同時に進めておかないと、予算執行が滞る可能性があります。初期段階の神戸が成功すれば、全国展開の説得力は格段に上がります」
田島は深く息をつき、窓の外に広がる東京の夜景を見ながら呟く。
「よし、まずは神戸だ。ここでの成功が、日本列島再改造化計画の命運を握る。すべては神戸から始まる…」
会議室には一瞬の静寂が訪れた。だが、全員の頭の中には、国民の反発、野党の攻撃、予算の問題、そして成功の重圧が渦巻いていた。静かだが、その場の空気は張り詰め、次の行動への緊張感で満ちていた。
こうして、与党内での初期段階の戦略が固められ、神戸モデル都市を軸にした都市再改造化計画は具体的な動きを見せ始める。しかし、この計画を巡る政治的駆け引きと国民の反応、そして現場での摩擦は、これからさらに複雑な波紋を生むことになるのだった。
神戸市役所の会議室は、朝から緊張感に包まれていた。大理石の床に反響する足音と、各担当者の資料をめくる音だけが静寂を破る。田辺昭夫市長、そして副市長の大島良平、都市計画局長の橋本誠に加え、都市計画技術者の山崎慎司、建築デザイナーの川口舞、土木技術者の松岡健、防災専門家の宮本彩、さらにはゼネコン技術主任の木村亮介や建設会社営業部長の小林航も参加していた。外の報道での騒ぎは収まらず、市民の不安と怒りの声も市役所に届いている。
田辺市長は資料を前に深く息をつき、会議を切り出した。
「皆さん、我々は神戸モデル都市の計画を円滑に進めるためにここに集まった。しかし、計画の詳細は市民にも公開される。住民の理解を得なければ、いくら国から予算が下りても、現場は混乱する」
山崎が手元の資料を確認しながら意見を述べる。
「市長、まずは現行の再開発計画との折衝が必要です。現在の街区整備や交通インフラ工事と、都市再改造計画の工程が重なる箇所が多く、調整なしでは混乱が避けられません」
橋本局長が資料を指差して説明する。
「具体的には三宮周辺の地下鉄拡張計画と、今回の都市再改造の地下施設建設が重複しています。工事の優先順位と時間帯の調整が必要です」
小林営業部長が苦笑いしながら口を挟む。
「現場としては、昼夜連続工事や複数現場の同時進行は人手不足で困難です。安全面も考えると、しっかりスケジュールを組まないと事故のリスクが高まります」
川口舞も同意するように頷きながら言う。
「さらに建築デザイン面でも、既存の歴史建造物や景観を尊重する必要があります。住民の反発は景観破壊に対する不満が中心です。技術的には可能でも、理解を得られなければ工事は止まります」
田辺市長はテーブルに肘をつき、額に手を当てて考え込む。
「分かっている。住民説明会での反応も記録してある。特に商店街や高齢者代表からは強い懸念が出ている」
美咲(商店街代表)が資料を持って入室すると、会議室の空気が一層緊張する。
「市長、計画自体は魅力的ですが、実施段階で私たち商店街の営業に大きな影響が出ます。工事中の通行止めや物流の遮断は、生活の基盤を揺るがしかねません」
田中祐樹(マンション住民代表)が声を荒げる。
「私たち高層マンション住民も騒音と振動が心配です!安全面の保証がないまま工事を進めるなんて、納得できません!」
山崎は両者の意見を聞きながら、冷静に提案する。
「分かりました。それぞれの立場の懸念を整理しましょう。まず交通と物流の面では、工事時間帯を夜間に限定することで商店街への影響を最小化します。騒音や振動の問題については、現場モニタリングと住民通報システムを導入し、安全を保証します」
藤川悠子(NPO代表・歴史建造物保護派)が手を挙げる。
「しかし、歴史的建造物の保存はどうなるのですか?地下工事や再開発で街の景観が失われれば、神戸の文化財としての価値が損なわれます」
川口舞が資料を示しながら説明する。
「その点については、既存建造物の保存区域を事前に設定し、地下工事ルートも迂回させます。技術的には問題ありません。保存と再開発は両立可能です」
田辺市長は眉をひそめ、松岡健に目を向ける。
「松岡君、防災面でのリスク評価はどうなっている?」
松岡が手元の資料を差し出す。
「地下工事中の地盤沈下や地震リスクは常に監視されます。宮本彩専門家と連携し、リアルタイムでモニタリングするシステムを構築します。問題が発生した場合は工事を即座に停止し、住民避難も可能です」
宮本彩がうなずき、付け加える。
「さらに、災害時の避難経路や非常用施設も同時に整備します。市民が安心できる都市再開発を優先します」
田辺市長は深く息をつき、住民と技術者、行政の顔を順に見渡す。
「皆さんの意見は理解した。ここで大事なのは折衝だけではない。市民の不安を和らげ、信頼を得ながら進めることだ」
大島副市長が資料をめくりながら言う。
「住民説明会も随時開催し、懸念点を丁寧に説明していく必要があります。加えて、メディアの報道にも適切に対応することが重要です」
美咲は少し表情を和らげて口を開く。
「市長、理解しました。説明会で誠意を持って対応してくれるなら、私たち商店街も協力します」
田中祐樹も頷く。
「安全面と生活への影響が明確に保証されれば、私たちも住民として協力します」
田辺市長は両者に向かって微笑む。
「よし、これで第一歩だ。折衝はまだ始まったばかりだが、市民との信頼を築くことが、都市再改造化計画成功の鍵になる」
山崎慎司は資料を整理しながら呟く。
「ここからが本当の戦いだな…都市再改造化計画を進める上で、政治、行政、住民、建設現場、全ての利害を調整しながら進めなければならない」
会議室の窓からは神戸の港や街並みが広がる。遠くには工事現場のクレーンが揺れ、街全体が再開発の波を受け止めるかのように静かに息をしていた。関係者たちは重い責任を背負いながらも、都市再改造化計画を進めるために、それぞれの役割を全うする決意を胸に秘めていた。
神戸ワールド記念ホールには、第2回住民説明会を求める市民たちが朝から集まり始めた。前回の説明会の反発を受け、今回の会場には入りきれない人々が外で待機し、臨時スクリーンで中継が行われる体制が整えられていた。報道陣も多数詰めかけ、テレビ・新聞・ウェブメディアのカメラがホールのあらゆる角度を捉える。
田辺昭夫市長が壇上に立ち、深呼吸をひとつ。副市長の大島良平、都市計画局長の橋本誠、そして都市計画技術者の山崎慎司、建築デザイナーの川口舞、土木技術者の松岡健、防災専門家の宮本彩が市長の左右に並ぶ。市民代表やメディア関係者も壇上下に控えていた。
市長はマイクを握り、声を張る。
「皆さん、前回の説明会では多くの意見と懸念を頂きました。本日も、皆さまの声を十分に聞き取りながら、都市再改造計画の詳細について説明いたします」
会場から早速、手が上がる。商店街代表の美咲が前に出る。
「市長、前回の説明で不明瞭な部分が多すぎました。工事による通行止めや物流への影響、騒音・振動の対策について、具体的なスケジュールと方法を提示してください!」
山崎慎司が資料を手に前に進む。
「商店街への影響は可能な限り低減します。夜間工事や部分的な通行止めを行い、搬入搬出は時間帯を調整します。また、安全確保のためのモニタリング体制も整備されます」
美咲はまだ納得がいかない表情を見せる。
「それでも不安です。昨年の再開発工事では騒音のクレームが多発しました。今回も同じになるのでは?」
川口舞が補足する。
「今回は最新の建築技術を用いて、振動や騒音を大幅に低減する設計をしています。施工方法も改善され、現場監督が24時間体制でチェックします」
高齢者代表の中村誠がゆっくりと立ち上がる。
「若い者は構造や技術を理解できるかもしれん。しかし、年寄りにとっては騒音は生活の脅威じゃ。安心して暮らせる保証をしてくれ」
宮本彩が穏やかに答える。
「中村さん、その点も考慮し、避難経路や緊急時の安全措置を明確化しています。さらに、騒音や振動が一定値を超えた場合は、即時工事中断が可能です」
会場から小さなざわめきが起こる。学生の山下光が手を上げ、若い世代の声として意見を述べる。
「僕たちは神戸をより便利で安全な都市にしたいと思っています。でも、街の歴史や文化も守ってほしい。再開発が進むと、古い街並みが失われるんじゃないでしょうか」
藤川悠子(NPO代表・歴史建造物保護派)が頷きながら話す。
「その通りです。神戸には歴史的建造物や景観があります。これを壊してしまうのは市民の財産を失うことと同じです。保存計画はどうなっていますか?」
橋本都市計画局長が資料を広げ説明する。
「地下工事のルートを迂回させ、保存区域を明確に設定しています。保存区域内では施工を制限し、歴史的価値を損なわないよう細心の注意を払います」
建設関係者の木村亮介も声を添える。
「施工スケジュールは調整済みで、安全・保存の両立を優先しています。工事中の不安やトラブルには専用窓口で即対応します」
しかし、反対派の黒田達也(反対派リーダー)が立ち上がり、会場に重苦しい空気が流れる。
「皆さん、政府も市も言うことは立派だ。しかし、計画は膨大な予算であり、我々の税金が注ぎ込まれる。現場で働く者や利益を得る企業ばかりが恩恵を受け、市民には負担しか残らない!」
田辺市長はゆっくりとマイクを握る。
「黒田さん、反対意見も理解しています。しかし、今回の都市再改造化計画は神戸全体の防災、安全、利便性を向上させるものです。市民の生活を守ることが最優先です」
会場のざわめきがさらに大きくなる。報道カメラが群がり、メディアの中継もこの混乱を映し出す。テレビキャスターの森田香織の声がホールのスピーカーから流れる。
「神戸の住民説明会は紛糾しています。市民からの厳しい意見、反対派団体の抗議の声が飛び交い、計画への賛否が真っ二つに分かれています」
山崎は深く息をつき、壇上で顔を上げる。
「皆さん、声は十分に受け止めました。ここからが重要です。住民の懸念を無視せず、説明と調整を重ねることで、再開発計画を安全に、そして円滑に進めることができます」
美咲が会場の拍手を求めるように手を上げると、小さな拍手が広がるが、黒田達也を中心に強い反対の声も消えず、会場の熱気は冷めることを知らなかった。
田辺市長は深く息をつき、壇上から会場を見渡す。
「本日の説明会はここまで。皆さまの意見を市として真摯に受け止め、今後の計画に反映させます。次回も同様に意見交換の場を設けます」
会場を出る市民たちの顔には、納得の色もあれば、なお反発を残す者もいる。外の中継スクリーン前では報道陣が取材を続け、街角では市民同士の議論が熱を帯びていた。都市再改造化計画は、行政・技術者・市民・反対派の間で複雑に絡み合い、神戸という都市そのものが議論の舞台となることを象徴していた。
山崎は会場を後にしながら呟く。
「再開発の現場はまだ始まっていない。だが、市民の声、政治の動き、そしてメディアの目、全てがこの計画の行方を左右する…」