第2話/可決
議場の時計が午後三時を指す頃、国会はついに最終討論に差し掛かっていた。
「諸君、我々は今、この国の未来を決めようとしている。」
与党幹部の田島俊也議員が立ち上がり、背筋を伸ばして壇上に立った。彼の声は、重厚ながらも確かな説得力を帯びていた。
「老朽化したインフラは、待ったなしの状況です。自然災害のリスクは毎年高まっています。道路、橋、港湾、都市間交通網——どれを取っても放置すれば国民の命と経済が危険にさらされることになります。この再改造計画は、都市と地方の持続可能な発展を同時に実現するための、現実的かつ具体的な施策です。」
議場の後方、野党席では佐伯美咲議員が腕を組み、冷たい視線を田島に向けた。「現場の声を無視した計画に、果たして現実味はあるのか。住民の立ち退き、文化財の保護、環境への影響——こうした懸念を無視して、単に『経済成長』の数字だけを見せられても、我々は納得できません。」
田島は一瞬だけ表情を硬くしたが、すぐに柔らかく笑みを浮かべて応じる。
「佐伯議員、我々もそれは承知しています。今回の計画では、対象地域の住民補償、移転先の整備、歴史的建造物の保全、環境影響調査——全てを法案に反映させています。単なる机上の空論ではなく、現実の都市を守るための施策です。」
すると、同じ与党の新人議員である松本貴之が割って入る。「田島先輩、しかし選挙区の住民の中には『計画に反対する』という声も多いはずです。ここで無理に進めれば、次の選挙に響きません。議案の通過と自分の政治生命、どちらを優先するか——それを考えるべきではないでしょうか。」
田島は軽くため息をつき、議場の天井を見上げる。「松本君、それは確かに現実的な問題です。しかし、この計画の必要性は数字と実態が示しています。政治生命を守ることも大事ですが、国民の命を守る責務には代えられません。」
野党席では低く唸る声も漏れた。「責務…か。理想論に過ぎん。」と、ベテラン議員の岩田誠一が呟く。だが佐伯議員はそれを遮るように発言する。「理想論ではありません。現場のリアルを無視すれば、この計画は社会問題に発展します。財政も膨大ですし、我々の調査では、住民の生活再建に最低でも数十年単位の支援が必要になることがわかっています。」
議場の空気は一瞬、張り詰める。テレビカメラや記者たちはその緊張を逐一報道しており、議員たちは自らの発言が国民の目に晒されることを意識していた。各議員は互いに目配せをし、慎重に発言のタイミングを計る。
この時、総理・高杉康之が立ち上がった。背筋を伸ばし、低く落ち着いた声で語る。
「国会議員諸君、私たちはここで、国の未来を決定しなければなりません。老朽化したインフラは、待ったなしの状態です。このままでは災害時に国民の命と経済が危険に晒されます。都市再改造計画を進めることは、国民の安全と未来を守るための責務です。」
総理の言葉に、与党席では頷く者が増えた。中堅議員の片桐亮介は小声で田島に囁く。「田島さん、ここで総理が一枚噛んだ以上、反対し続けるのは厳しいですね。」
田島は微笑みながら小声で答える。「片桐君、これも政治です。賛成するかどうか、最後は国民のために決める。」
一方、野党の佐伯議員も仲間とささやく。「総理の影響力は大きい。ここで反対を押し通すと世論の反発も避けられない。条件付きの賛成で議案を修正させる方が現実的かもしれません。」
議場では修正案の読み上げが始まった。住民補償の金額の明示、文化財保全の具体策、環境影響調査の強化——野党が懸念していた項目はひとつひとつ条文に組み込まれていった。与党と野党の議員たちは互いに顔を見合わせ、時折頷き、時折眉をひそめながら慎重に条文を確認する。
「これでどうだ、佐伯議員?」田島が問いかける。
佐伯は少し間を置いて、そして静かに答えた。「現場の声はまだ不十分ですが、これなら国民に説明できるでしょう。条件付きで賛成します。」
議場内に微かな安堵の息が漏れた。政治的駆け引きは続いたものの、再改造計画の法案は可決への道筋を確実に進んでいた。与党、野党双方が譲歩し、折り合いをつけた形で、議会は決議に向けて最後の準備に入る。
そのとき、議場内でささやき声が広がる。「これで神戸がモデル都市に選ばれる…」
「地方都市も再生されるのか…」
議員たちは口々に、計画の影響を思い描き始めた。東京一極集中の時代に挑む、大規模な都市再生——その決断の重さは、議員たち一人ひとりの背筋にずしりと圧し掛かっていた。
そして、午後五時。最終採決が行われる。電子投票が始まり、議員たちの票が順にスクリーンに表示される。与党の賛成票、野党の条件付き賛成票、反対票——数字が刻一刻と増えていく。最終的に、過半数を大きく超える賛成票が集まり、国会議長がハンマーを叩く。
「日本列島再改造計画、可決!」
議場内に拍手が鳴り響き、与党も野党もその場に居合わせた全員が重々しく立ち上がった。歓声はない。そこには、国の未来を決めた重みと、政治家としての矜持、そしてこれから始まる都市再生の責任の重さだけがあった。
だが、この決議はあくまで序章に過ぎない。モデル都市として選ばれた神戸では、政治家、行政職員、住民、建設業者、メディア——すべての人間の思惑が交錯し、都市再生の現場で新たな物語が紡がれていくことになるのだった。
国会での採決が終わり、議場に静寂が戻った。可決の瞬間、議員たちは表情こそ動かさなかったが、胸の奥ではそれぞれが次の一手を巡らせていた。
「田島さん…これで本当に大丈夫だと思いますか?」
控室で片桐亮介が小声で問いかける。
田島俊也は眉をひそめながら書類に目を落とす。
「大丈夫、とは言えないが、これで最低限の地ならしは終わった。これからが本番だ。」
片桐は不安げに頷く。「でも、野党の条件付き賛成でしょ?環境保護団体や住民団体が動けば、地方の現場で揉める可能性もあります。」
「その通りだ。」田島はデスクから立ち上がり、窓越しに議事堂の外を見つめる。
「政治は決議だけで終わらない。これから実際に都市を動かす、官僚を動かす、住民を納得させる——全てがこれからの戦場だ。」
そのとき、携帯が鳴った。田島は画面を確認し、ため息をつく。
「黒崎秘書からだ。神戸モデル都市計画の初回会議をすぐに設定したいらしい。」
片桐が驚く。「もうですか?議会が終わったばかりなのに…」
田島は微笑む。「早い方が良い。遅れれば利害関係者が勝手に動き出す。政局は常に動いているんだ。」
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一方、野党の佐伯美咲も議員控室で部下と話をしていた。
「今回の法案は一応通過したけれど、あくまで条件付きね。住民補償や文化財保全の詳細が守られなければ、私たちは追及する。」
部下がメモを取りながら言う。「佐伯議員、メディアの反応も注目されています。今回の条件付き賛成は、世論に大きな影響を与えるでしょう。」
佐伯はうなずき、窓の外を見やる。「田島たちは法案を通すことに成功した。だが、政治とは票を得ることだけではない。現場をどう動かすか——それを監視し続けるのが我々の仕事よ。」
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その日の夜、総理官邸の会議室では、幹部たちが次の戦略を練っていた。
「田島君、今回の可決は予想通り順調だったな。」
総理・高杉康之は長い机の向こう側から田島に視線を送る。
田島は軽く頭を下げる。「はい、総理。野党の条件付き賛成も想定内です。これからは現場調整が鍵になります。」
官房長官の宮沢誠一が指を机に叩きつける。「現場調整だけでは済まん。マスメディアや地元の反発もある。神戸モデル都市は全国の象徴になる案件だ。全て計画通りに進めるためには、政治的圧力と説得力、両方が必要だ。」
田島は頷く。「官房長官、その通りです。我々は官僚と建設業者、住民団体、そしてメディアに対して、段階的に情報を流し、納得させる戦略を組み立てています。」
宮沢は腕を組み、天井を見上げる。「ならば、この法案可決の波を利用し、次の地方都市への拡大計画も準備させろ。神戸だけでは、この国の老朽インフラは守れない。」
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翌日、国会の廊下では議員たちの雑談が飛び交っていた。
「いやあ、神戸がモデル都市ですって。あそこも住民と利権で揉めるんじゃないか?」と、若手議員が苦笑する。
「心配なのはそこだけじゃない」とベテラン議員がつぶやく。「大阪や名古屋も今後ターゲットになる。田島たちは票をまとめたけど、現場での衝突が増えれば、政局は一気に不安定になるぞ。」
「でも、可決できたことは大きいよ」と別の議員が加える。「与党の結束力と総理の影響力、うまく噛み合った結果だ。」
議員たちは互いに目配せしながらも、各自の思惑が頭の中で渦巻いていた。
「次に動くのは誰か」「どの官僚を押さえるか」「住民の声をどう利用するか」——政治は可決だけで終わらない。むしろここからが本番だった。
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その夜、議員宿舎では酒を酌み交わす声もあった。
「田島さん、国会での採決、お見事でしたね」と片桐がグラスを掲げる。
田島は静かに微笑む。「ありがとう、片桐君。しかし安心するのはまだ早い。これからの現場が全てを決める。」
片桐がグラスを傾けながら問う。「現場での揉め事、政治家としてどう対処するんですか?」
田島は窓の外の夜景を見つめ、低く答える。「政治は駆け引きだ。市民、官僚、企業、そしてメディア——全ての声を聞きながら、最終的に国民のために都市を動かす。それが私たちの仕事だ。」
その瞬間、議員宿舎の電話が鳴った。田島が受話器を取り、応答する。
「はい、田島です…ええ、神戸の初回会議ですか、了解しました。」
田島は片桐に向き直る。「さあ、これからが本当の戦いだ。モデル都市神戸の再改造計画、そして全国展開——全てはここから始まる。」
片桐は息を飲む。「はい、先輩…全力でついて行きます。」
外では雨が降り始めていた。夜の湿気と冷たい風が、これから始まる都市再生の試練を象徴するかのように、街を静かに包み込んでいた。




