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私的哲学

自傷内容は変わる

作者: 羅志

 環境や状況の変化は、精神状態にも変化を与える。その変化は、自傷にも現れるように思う。

 自分自身を傷付けること自体は変わらないが、どうやって、どのような瞬間に傷付けるかには、変化が起こる。


 数年前まで、私にとっての自傷といえば、首を絞めることだった。

 それ以外は、あまり行ってこなかった。意識を逸らしたり、緊張を誤魔化す為に自分に爪を立てることなどは昔から変わらず行っていたが、それらは、希死念慮などから行っていたものではないし、今も昔も変わらないものだ。


 今の私がよく行う自傷といえば、自身を殴ることだ。

 とはいっても、目に見える場所を殴ってはいない。殴るのは足だ。太腿の付け根あたり。そこを、よく殴っている。座っている時。自転車に乗っている時。立っている時。ちょうど手が当たるから、少し拳を握って、勢いづけるだけで実行できる。

 元々は、ペン先を押し付けていた。ペンを握って、勢い付けて、太腿にぶつける。仕事先でも出来る、簡単な自傷だった。ズボンやタイツ越しだから、ほどほどの勢いづけた衝撃はあっても、刺さりはしない。どん、どん、と数回殴りつける。そうやって感じる痛みが、ほんの少し、気を落ち着けてくれる。

 それをしていると、時々、頭の中で、とある漫画のワンシーンが蘇る。ボールペンを自身の、確か足に突き刺すシーン。もしかしたら手だったかもしれない。とにかく、自分にボールペンを突き刺すそのシーンが、ふと、脳裏を過ぎる。自分もそうなるかもしれない。なったらどうなるんだろう。そんなことを考えたこともあるけれど、それを止めずに続けてしまっている。今では、ハサミや刃を出していない状態のカッターを握って、押し付けることもある。

 けれど、毎回押し付けるのにちょうどいいものが手元にあるわけではないから、単純に拳を握って、殴るのが手っ取り早い。どん、どん、どん、と数回殴って、少し残る痛みが、少しは頭をはっきりさせてくれる。


 自傷といえばリストカットのイメージが強いからか、記憶にある限りは、殴ることはしていなかった。つねることはあっただろうけど。

 年月を経て、色々学んで、環境や状況に応じて、自傷も変わっていくのかもしれない。本当はやらないことが一番なのだから、これは負の成長だろうけれど。


 この足につけてしまった痣が消えるようになったら、また、諸々の変化で、今とは違う自傷をしているのかもしれない。

 けれどそれがなんであれ、きっと、それによって得られる痛みや、しばらくの間は残ってくれる傷跡が、少し、気を落ち着かせてくれるんだろう。

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