VII 元の世界に戻れる魔法
私はサクトの言葉に呆然とする。
「そんな……前は帰れないって」
「確かに帰れませんでしたよ、以前は。けれど貴方に責任を取れ、と言われたのでこの二年、古文書を読み直して研究をしたのです」
サクトは魔王を倒した褒章として、国王からこの研究の許可を得ていたらしい。私が褒章を求めた後に内密にとのことだったので、私は知らなかったのだ。
「折角の褒章なんだから、もっと自分のために使ったら良かったのに」
「世界を救うためとはいえ、結果的に一人の女性の人生を歪めたまま自分だけいい思いをするのは何か違うと思いましたからね」
レイモンドといい、サクトといい、この世界の人は本当に律儀だ。
「この二年、通常の仕事をこなしながらでしたから時間はかかってしまいましたが、効果は実験済みです。さぁ、言いつけ通り、誰にも名前を明かしてはいませんね? そうであればいつでもお帰りいただいて大丈夫ですよ」
私は思わず手元にあるレイモンドから貰った指輪に視線を移す。その動きをサクトは見逃さなかった。
「それは……その魔力。レイモンド様ですかね。彼の魔力はこう、ネチネチしているのでよくわかりま……えっ。その指輪。この国の建国以来から王族に伝わる国宝じゃないですか」
「えっ」
「我々のようなこの国のソマリクリア教神官は指輪を神聖魔法の媒介に使うことがあるのですが、その起源はこの国の建国時に伝えられた指輪をリスペクトしてのことなのですよ。――あれっ、レイモンド様の猛烈アタックが実っている? ということはこの二年間の僕の研究は……無……駄……?」
サクトは膝から崩れ落ちると部屋の隅に体育座りをした。こうなると立ち直らせるまでに三時間くらい掛かって面倒臭いのだ。私はきのこが生えてきそうな湿っぽいサクトの手を引っ張って、立ち上がらせようとする。
「ち、違うから。まだ、その、悩んでて。レイモンド様と今日デートしたら、プ、プロポーズされて……悩んでる」
「良いんです。僕の研究なんてどうせ豚の餌にしかならないんです。レイモンド様とどうぞ末長くお幸せに。――ん? レイモンド様といえば……あっ」
サクトは体育座りのまま私の顔をしまったというような、バツが悪いような顔で見上げる。
「あっ、って何?」
「いえ、あの……」
私はこの顔をよく知っている。サクトは転移でさまざまなところに遣いに行かされるのだが、運悪く知らなくても良い情報を耳に入れてしまい、胃痛を起こしているのを何度か目にしたことがある。
「教えて。レイモンドがどうしたの?」
私が問い詰めると、サクトは両手をあげてこう話し始めた。
「レイモンド様がかねてより隣国の姫から結婚を迫られているという噂はご存知ですか?」
知らない。そんな話は今日レイモンドから一度だってされていない。
「ご存知ない、と。我が国、アルカール国は隣のメルル国を併合してミーティア連合国になったわけですが、メルル国から併合の条件として王族同士の婚姻が打診されたという話を小耳に挟んでいます」
ここまではよくある話のように聞こえた。国と国が結びつくのだ。誰かの婚姻を象徴とするのはよくあることのように思える。
「そこで白羽の矢が立ったのが独身の第二王子、レイモンド様だという噂があるのです。第一王子は既婚者、そして御息女が居らっしゃいますからね」
「……。」
「ちなみに、レイモンド様にも幼い頃に婚約者をという話が出たことがあるのですが、戦場に赴くからと結局婚約者はとられなかったのを記憶しています」
(ふぅん……)
私は先程まで盛り上がっていたレイモンドへの気持ちに少しだけ冷たい風が吹いたような気持ちになった。
(あれだけ私のことを愛しているみたいなことを言っていたのに……)
しかし、サクトの話はあらぬ方へと繋がる。
「諸般の利害関係の一致で隣国との併合は為されたのですが、サラ王女の取り巻きはカンカンなんです。彼らは流れ星を探して暗殺しようとするし、レイモンド様はとち狂って国立公園や併合後の国名を名付けるしで……僕、本当に君が可哀想になってきてですね」
(そういえば私のこと探してる人たちが居たのってそれでか!)
心がザワザワする。レイモンドを信じて良いのかわからない期待と、不安。サクトはその情勢下で、第一王子派からは私を帰還する神聖術を早く完成させて聖女を早く元の世界に返せとせっつかれ、第二王子派からは絶対に完成させるなと脅され、大変な目に遭ったのだとぶつぶつ呟いている。
「そうだから今日も追いかけられていたのを撒くために転移をしたのですが、その先で聞いてしまって……」
「聞いた? 何を?」
ここでサクトはどもる。
「このようなことを婦女子にする話ではないのですが、今夜、レイモンド様は睡眠薬を盛られてサラ王女と既成事実を作らされてしまうと……」
「……え?」
大変だ。
「僕は流れ星がレイモンド様のことは好きではないのだと思っていました。なので、神聖術も完成させましたし、レイモンド様の貞操の危機も無視することにしました。でも、そうじゃないのなら――」
「助けよう! そんなの、間違ってるよ!」
サクトは静かに首をふる。
「流れ星。このようなことを言うのは野暮かもしれませんが、ここで彼を助けると云うことは、貴女はこの世界に残るということですよ。もし、貴女がレイモンド様を助けられたとして、貴女が帰ってしまったなら、一生レイモンド様は貴女に焦がれたままでしょう。それならば、邪魔しないほうが良い」
「この国の問題に中途半端に首を突っ込んだまま帰るのは許さないってこと?」
「違います。まぁ、その、少し優しくされた後にフラれるのって、傷付きますからね。僕もそうでした」
これは多分長いから深く聞かないほうが良いやつだ。
「レイモンド様はあの褒章の日まで僕と流れ星が恋仲だと思いこんでいました。だから告白もしなかったそうです。でも、そうではないと、あの日知った。知った頃には貴女には過去の恋人が居るという。流れ星に交際経験がないことは僕は知っていますので、これはきっと流れ星の嘘でしょう。貴女は嘘を吐いてレイモンド様を傷つけ、遠ざけた。にも関わらず、また近付くのであれば彼と添い遂げる覚悟でもないと道理が通りません」
サクトの言う通りだ。
私に圧倒的に足りなかったのは、覚悟だ。何があってもレイモンドと共に生きると云う気持ち。
「でも、まだ、自分の気持ちに確証がなくて」
「大丈夫、こうすれば良いんですよ」
サクトは私にとあることを耳打ちする。
「レイモンド様のところに行くなら送りますよ」
「サクトはそんなことして大丈夫なの?」
一応、彼は第一王子派閥なはずだ。
「だって、一応レイモンド様は命を預けて一緒に戦った仲間ですからね」
サクトは胃が痛そうに胸を抑える。多分これは彼の強がりだけれど、彼の犠牲は無駄にはしないでおこう。
「僕が作った元の世界に戻る魔法は名前が鍵になります。この世界の誰かに自分の本当の名前を告げると、もう二度と元の世界には戻れない。良いですね」