第34話 漆黒の影が招く災厄
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「そろそろ厳しいかもしれんな」
周囲の魔力反応を探っていた九重正がボソリとそう呟き『神能の武装化・紫黒影忍』を発動させた。
逃げ延びた前線部隊を取り囲むように魔族が点在していたが、徐々にその距離を詰め始めたのだ。
上空は辰が行き交い目を光らせており、地上は足の速い午や亥の獣人族が駆け回っている。
「九重さん、もう少し粘ります」
仁王立ちのまま目を瞑り、深く深呼吸をする五色大和。
その身体には前線で負った生々しい傷が残っている。
前線から撤退した大和と九重は魔族の追跡部隊の襲撃を受け、残存勢力を1,000人近くにまで落としていた。
幻を投影させる九重の技『幻影投影』でビルを複数投影し、上空からの魔族の視界を遮ることで何とかやり過ごしているが、地上をしらみ潰しに探されたら見つかってしまうのも時間の問題だ。
生き残った隊員達は大和を中心にして円になり、それぞれの武器を握り締めている。
仲間を最前線に置き去りにした責任を感じながら、彼等に報いる為にも最後まで魔族に立ち向かう。
その強い意志を持っている
最前線の攻防は地獄だった。
魔族七将のヴォニアは後方で指示出しに徹し、軍師級の三獣士が12の種族を統率して一方的な蹂躙を行った。
厳しい訓練を積んだ精鋭部隊も攻撃力の高いミノタウロスや巨人族に苦戦を強いられて身動きが取れず、その間に孤立した部隊から順に壊滅していった。
大和と九重も神能の武装化を発動して敵の戦力を削っていたが、中盤で大和がヴォニアの挑発に乗ってしまい本領を発揮できずそのまま戦局は悪化していった。
実の息子を失った精神的ダメージが神能のコントロールに影響を及ぼしたのだ。
正気を取り戻した頃には多くの仲間の命が奪われていた。
取り返しのつかない失態を犯した大和は九重や隊員達に頭を下げた。
そして、挽回する機会を得た。
自らが招いてしまった状況ではあるが、この戦況を変えることができるとすれば大和の最大技しかない。
作戦が成功したとしても死んでいった仲間は戻ってこない。
それでも、作戦を指揮する者としての責務は果たさなくてはならない。
例え、命が尽きることになろうとも。
大和が深呼吸を繰り返す度に風の流れが変わる。
かと思えばすぐに無風になる。
ジリジリと敵が近づく緊張感に隊員の表情が強張る。
「う、うあっ」
突然、隊員の1人が腰を抜かして崩れ落ちた。
続いて別の隊員が刀を地面に落とす。その手は恐怖で震えている。
ただならぬオーラを放つ何者かが高速で近づいてきている。
その殺気に当てられたのだ。
大和が目を開き、短く息を吐く。
待ち侘びた瞬間が訪れ、秘めていた神能を全開放させる。
「広範囲攻撃・風刃不可侵領域」
大和の双眸から緑の閃光が走る。
不可侵領域に侵入した敵を風の刃で斬り刻む必殺技。
360度全方向が攻撃の有効範囲となるこの技はドーナツ型をしており、ドーナツの空洞に当たる部分は無風となる。
無風エリア——攻撃無効範囲は最大で50メートル。
大和が任意で範囲を変更できる為、今回は隊員に攻撃が当たらないギリギリを無風エリアと定め、そこから半径150メートルが攻撃の有効範囲となった。
風の刃は地上から上空まで全ての領域に及ぶ。
つまり、一瞬にして上空の辰や地上の獣人族は灰になった。
さらに建物などのあらゆる障害物が木っ端微塵に粉砕され、攻撃有効範囲の全てが更地となった。
「ったく、今ので2割〜3割は消し飛んだな」
雪のような白い体毛に覆われた狼。
魔族七将・氷狼のヴォニアが爆風を切り裂いて現れた。
大和が広範囲攻撃を発動するギリギリのタイミングで無風エリアに飛び込んだのだ。
「ぐぬっ」
ヴォニアの鋭い爪が九重を襲うが神能を纏った杖でなんとか受け止めた。
肌に突き刺さる殺気。
ヴォニアに対して銃を構えた隊員は恐怖のあまり引き金を引くことができない。
動いたら殺される。生物としての本能が危険信号を出している。
「うあああああああああああ!!!!!」
自身を奮い立たせる為に発せられた悲鳴にも似た叫び声。
隊員の1人が両腕を前に突き出し、引き金に指を掛けるがヴォニアに睨まれた刹那、雪像のように固まった。
「凍てつけ」
冷気を爆散して周囲の隊員を凍結させた。
広範囲攻撃の反動で一時的に行動不能に陥っていた大和は咄嗟に『神能の武装化・風神』を発動して冷気を跳ね返す。
「手影砲撃」
九重が杖でヴォニアを押し返し、影の砲撃を放つがヴォニアは拳で弾くようにして後方に流した。
砲撃の余波で凍結した隊員が粉々に砕ける。
「化物がッ!」
行動不能状態が解除された大和が担いでいた風袋を後方に向けて突風を噴射。
驚異的な速度でヴォニアとの間合いを詰め、拳に風を集約させて突きを放つ。
が、ヴォニアの体には届かない。
氷を纏う手のひらで糸も容易く受け止められてしまう。
驚愕を露わにする大和。
ヴォニアはその僅かな隙を逃さず大和の鳩尾に強烈なカウンターを決める。
腹部に拳がめり込み、大和は地面を転がる。
そこへさらに追撃を仕掛けるべくヴォニアが地を駆ける。
九重が援護射撃を放つも高速で移動するヴォニアには当たらない。
大和は態勢が万全ではない中、腕を下から上に振り上げて烈風を巻き起こした。
「烈風鉤爪」
破壊力のある風の斬撃が5発。
地面を抉る攻撃を前にヴォニアは両足で急ブレーキを掛ける。
全身から冷気を発散すると氷の結晶が体の前に集約されていく。
「氷狼噛砕」
巨大な氷狼の頭部が実体化。
激しい冷気を帯びた氷狼の牙が斬撃を喰らい尽くす。
「随分と張り切っているところ悪いが、貴様らは前座だ」
九重が大和に手を差し伸べて立ち上がるのを手伝い、ヴォニアと対峙する。
神能十傑の2人が本気を出してこの実力差。
分かり切ってはいた事だが、この戦いに他の隊員が入り込む余地など存在しない。
かつて単独で魔族七将・創造のユノを討伐した大和もヴォニアとの実力差を実感し、表情が強張る。目の前の敵は別格だと嫌でも脳が理解する。
一方で九重は柔らかい笑みを浮かべていた。
「前座とは寂しいことを言ってくれる。獣人族の王という玉座にあぐらをかいて相手との力量の測り方まで忘れたのか? 私もそれなりに修羅場を潜っておる。たかが戌っころ1匹に遅れを取るほど落ちぶれてはないわ」
笑みの正体は静かな怒り。
それと覚悟の現れだった。
「弱者ほどよく吠える」
九重とヴォニアの視線が交錯する。
「影繋ぎ」
先に動いたのは九重。
影と影を繋ぐ『影繋ぎ』は魔族で言うところのゲートの役割を果たす。
影Aに砲撃を放つと影Bから砲撃が出現する。
「これは少々厄介だが、種が割れれば全方位をカバーすればいいだけの話」
死角から飛び出した砲撃を浴びたもののすぐさま対策を講じるヴォニア。
常に氷の結晶を体外に放出する事で死角をカバーした。
攻撃が封じられた九重は神能を纏わせた杖を片手に肉弾戦へと持ち込む。
それに呼応して大和も再度近接戦闘の構えに入る。
風袋による機動力の向上。
空中であっても風を放出すれば方向転換することができる。
「風拳打破!」
頭上から繰り出された大和の渾身の一撃を驚異的な反射神経で受け止めたヴォニア。
しかし、大和の規格外の威力にヴォニアの膝が地面についた。
衝撃で地面に巨大なクレーターが生まれる。
タイミングを合わせて杖で突きを放った九重だったが、逆に杖を掴まれてしまいやむなく武器を手放す。
「氷狼噛砕」
距離を取るべく九重がバックステップを踏んだ瞬間、ヴォニアが氷狼の牙で仕留めに入る。
「旋風障壁」
咄嗟に大和が風の障壁を展開するも完全に相殺することはできない。
爆散した冷気が九重の半身を凍らせる。
さらに追い討ちを仕掛けようとヴォニアが足を踏み出そうとするがその足が動かない。
「大和くん、今だ!」
ヴォニアの足に取り付いた影の枷『影の拘束』。
強引に引きちぎられてしまうことは想定済み。
一瞬でも足止めする事ができればそれでいい。
「風神大竜巻ッ!」
広範囲攻撃に続いて神能の武装化による大技。
これで大和は神能のエネルギーの全てを使い切った。
風袋から突風が押し出され、巨大な竜巻が巻き起こる。
全身全霊を込めた最後の一撃。
「氷狼の隻腕!」
力尽くで足枷を壊したヴォニアは右腕を天に掲げた。
すると、竜巻にも匹敵する巨大な氷狼の腕が顕現した。
氷属性を纏った隻腕と竜巻が激しく激突する。
この世の光景とは思えない、神が世界を作り替えるかのような悍ましい衝撃波が大地を駆け抜ける。
「人族を見縊っていた事は認めよう。まさか隻腕を使わされるとはな」
体に無数の切り傷を負ったヴォニアが砂煙の中から姿を現した。
大和ではなくヴォニアが現れたことに対して九重は動揺の色を見せない。
むしろここまでの結果を読んでいたかのような表情だ。
「お前なら打ち破ると思っていた。だが、これならどうだ?」
「貴様ッ!」
辺り一帯の影が九重の背後に集まり不気味に蠢く。
ヴォニアが見上げても黒の塊は先が見えない。
まるで九重の背後だけ夜が訪れたかのようだ。
「広範囲攻撃・漆黒の影が招く災厄」
漆黒のカーテンが世界を無に還していく。
直径は約200メートル。
淀んだ影の塊は砲撃の最強版とでも表現すればいいだろうか。
高出力なそれに触れてしまったら最後。触れた部位は影に飲み込まれて何も残らない。
常軌を逸した俊敏さを持つヴォニアでもこの間合いであれば回避は不可能。
「逝っちまったみたいだな」
三獣士の魔力反応が途絶え、3体が討ち取られた事を察する。
ヴォニアの視界に映るのは闇。
仲間が旅立ち、残ったの独りだけ。
かつて魔界でのヴォニアがそうだった。
現状を変える為に、獣人族の地位を変える為に1人で立ち上がった。
同じ未来を思い描く仲間を増やして徐々に力を付けてきたが今は違う。
ヴォニアは魔族七将になり1人で世界を変え得る力を手に入れた。
「|永遠の眠りに誘う大氷河」
大地が凍り、荒れ狂う猛吹雪が影のカーテンに吸い込まれていく。
氷の大地が氷山のように隆起し、遂に影のカーテンを捉えた。
地鳴りが起こり、影と氷の押し合いが始まる。
九重の広範囲攻撃は出力の高さと技の効果から防御が不可能だと思われがちだが、互角以上の威力を持つ攻撃を当てれば理論上押し返す事が可能となる。
神能や異能は個人のエネルギー量によって出力が変化する。
技を連発すればエネルギーは消費されるし、回復するには時間が掛かる。
ヴォニアも奈津と戦う前に最大技を使うつもりなど微塵も無かったが、手にしている手札で『漆黒の影が招く災厄』と張り合えるカードは1枚しか無かった。
「焦点が……私も歳だな」
全盛期を過ぎ、5年前の傷を抱えた状態でヴォニアと互角なのだから神能十傑の中でも最強クラスなのは間違いない。
だが、生物は老いには逆らえない。
影のカーテンが消滅。
氷の大地が九重の体をバラバラに弾け飛ばして静止する。
液体のように弾け飛んだ九重の肉片が地面に黒いシミを作る。
「なんだ……まるで手応えが無い?」
「当然だ。そっちは分身だからな」
「!?」
ヴォニアが殺したのは『影分身』で生み出されたもう1人の九重だった。
本体の九重がヴォニアの背後から飛び出し、背中目掛けてクナイを振り下ろす。
ヴォニアは振り向き様に九重を振り払おうとするもクナイが左の手のひらを貫通。
苦痛に顔を歪めた。
「私の本職は忍びだ。そのクナイには九重家秘伝の毒が仕込まれている。掠っただけで象をも仕留める猛毒だ」
「やりやがったな人族」
ヴォニアは毒が体内に回る前に左腕を凍結させて切断した。
切断した左腕を握力で粉砕。
九重目掛けて氷の礫を投げ放った。
クナイを刺す為にほぼゼロ距離まで近づいていた九重は両腕を顔の前に抱きかかえるようにして耐え凌ぐ。
そこにヴォニアが全力で突進を掛ける。
「うぐ……っ」
ヴォニアの拳が腹を貫き、大量の血を吐き出す九重。
「私の役目はここまでだ。後は次の世代に託す……」
うつ伏せに倒れる刹那、九重の目には氷を纏った騎士の姿が映った。
「九重さん?」
三刀屋奈津が魔力反応を頼りに駆けつけたのだ。
しかし、事態は最悪な展開を迎えていた。
「待ちくたびれたぞ氷騎士。余興は終わりだ。掛かってこい!」
「ヴォニアああああああああああああ!!!!!」
獣人族の援軍の影が戦場に迫る中、今作戦最後の戦闘が幕を開ける。
【九重正、死亡。神能十傑残り、4名】




