第93話 令嬢への侵食
「マリアンデールさん!」
「魔女さま!」
マリアンデールが呪いの館のエントランスへ降り立った途端、玄関付近にいた怪異たちが駆け寄って来た。
人形のセシルにポルターガイストのポールとイスト、それから小人のリンゲン。
ただしリンゲンは小人ではなく巨人の姿に変身していた。
いつもより呼び出しの電撃が強かったように感じたが、どうやらリンゲンがこの姿で結界を殴っていたからのようだ。
それだけ緊急性の高い何かが起きたという事なのだろう。
セシルとリンゲンは強張った表情をしているし、ポールとイストに至っては今にも泣き出しそうな顔になってしまっている。
四人以外の怪異の姿は見当たらなかった。
マリアンデールは尋ねた。
「一体何があったの? 他の子たちはどこ?」
「魔女さま、助けて!」
「ロレッタさまが……!」
ポールとイストがワッとすがり付いてくる。
マリアンデールは二人をなだめながらリンゲンたちに目を向けた。
「どういう事? ロレッタに何か起こったの?」
するとセシルが言った。
「オレたちにも良く分からないんだ。ただ、ロレッタさんの様子がどうもおかしくて……なんて言うか、身体が地獄の泥に変化していってるみたいなんだ」
「……なんですって?」
「わしらが口で説明するより実際に見てもらう方が早いだろう。他の連中は部屋でロレッタに付き添っている。来てもらって早々で悪いが急いでくれ」
リンゲンがそう言うと返事も待たずロレッタの部屋のほうへ歩いて行く。
マリアンデールも急ぎ足でそれに続いた。
※ ※ ※
「これは……」
ロレッタの姿を一目見てマリアンデールは顔色を変えた。
ロレッタは今までと同様に椅子に身を預けて眠り続けていた。
その表情は穏やかなままで、苦痛などを感じている様子はない。
ただし、腕や足の肌の見えている部分のところどころに黒い痣のようなものが出来ていた。
瘴気は発生していないし形が崩れたりもしていないが、それは間違いなく怪異たちが言った通り地獄の泥だった。
ロレッタの魂が地獄の泥に蝕まれ始めているのだ。
マリアンデールは額に汗を滲ませながらロレッタの状態を観察していたが、やがて振り返ってセシルに声を掛けた。
「……セシル」
「なに?」
「この間の薬、もう一度飲んでもらっていいかしら。何が起きているのか『初代』を呼び出して話を聞く必要があるわ」
「わかった」
セシルは迷いなく頷く。
マリアンデールは軽く手を掲げた。
すると見覚えのある真っ黒な液体の入った瓶が落ちてくる。
魔術を使って試作品の予備を移動させたのだ。
薬の瓶を渡すとセシルは躊躇いも無く瓶を一気に傾けた。
そしてしばらくするとセシルの身体が仄かに赤く発光し始める。
召喚の用意が整ったのだ。
「それじゃあ呼ぶよ。この部屋のままでいい? それとも別の場所へ移動したほうがいいかな」
「ここで構わないわ」
マリアンデールがそう答えるとセシルは目を閉じてブローチに軽く手を触れた。
セシルを包んでいた光がブローチに集まり、青白い光の球を弾き出す。
床に転がった球は形を変えていき、やがてセシルと瓜二つの姿になった。
『初代セシル』だ。
「……ありがとう、呼び出してくれて。一刻も早くこちらの状況を伝えたかったんだ」
召喚されるなり『初代セシル』は言った。
ただし以前に召喚した時のような余裕はなりを潜め、焦燥し切った様子だった。
マリアンデールは尋ねた。
「その様子だとやはり地獄の方で何かあったのね。このロレッタの状態は一体どういう事なの?」
「ロレッタの存在が他の泥どもにバレてしまったんだ」
『初代セシル』はロレッタのほうを見つめた。
それからマリアンデールへ視線を戻し、懇願するように言った。
「お願いだ。難しいというのは分かっているけど、一刻も早くセシルをこちらに寄こしてもらえないだろうか。今はまだどうにか持ちこたえられているが、このままじゃ私ごとロレッタが地獄の泥に飲み込まれてしまう」
「ちょっと待って、どうしてそんな事になっているの? これまではずっと上手くロレッタを隠せていたんでしょう?」
ウェンドリンが戸惑ったように言った。
確かに妙な話ではあった。
この館で魔術の暴走が起きてロレッタの魂の一部が地獄へ行ってしまったのは数百年も前。
この間『初代セシル』が語ったところによれば、それからずっとロレッタを匿っていたはずなのである。
それがどうして今更になってバレるような事態になったのか。
「……ここまで影響が大きいとは思っていなかったんだ。本当にすまない」
「影響?」
「何かの儀式をして地獄との接触を図ろうとしている人間がいるみたいなんだ。そのせいで地獄全体の泥が過敏になっていたようでね。ほんの一瞬気が緩んだ隙に、私の中のロレッタを周りに気付かれてしまった」
『初代セシル』は拳を強く握り締めた
怪異たちは半信半疑な様子でお互いの顔を見合わせる。
「少し待っていて。確かめるわ」
マリアンデールは目を閉じると杖で床を軽く突いた。
部屋の壁を貫通するほど巨大な魔法陣が足元に広がる。
魔術の使用を感知する索敵用の広範囲魔術だ。
この大陸程度ならほぼ全体を調べる事が出来る。
つい先日知り合いの魔女から習ったのである。
「……確かに何か怪しい儀式をやってる人間が一人いるみたいね。作法は滅茶苦茶のようだけど妙な物が発生してる」
目を閉じたままマリアンデールは言った。
アルベルトが尋ねる。
「では、その人間を始末すれば宜しいのですか?」
「恐らくね。儀式を止めさせれば地獄への影響は鎮められると思うわ。ただ……ちょっとおかしいわね」
「おかしい、とは?」
リンゲンが言った。
マリアンデールは目蓋を上げ、『初代セシル』へ目を向けた。
「そいつの儀式が地獄へ影響を与えているのは確かよ。でも、この程度のものならこれまでに数え切れないほど起きていたはずでしょう。あなたが今回に限ってミスをしたというのは少し信じられないのだけど」
「……そうなの?」
タガーが口を挟む。
マリアンデールは頷いた。
「ええ。追い詰められた人間が呪いや魔術に頼るというのは昔から変わらないからね。それに今回はベレンの時のように魔術は発動していないし暴走も勿論起きていない。地獄への影響なんて微々たるもののはずだもの」
どこかの馬鹿が妙な儀式をやり始めたのは偶然なのだろうが、それに便乗してセシルの地獄送りを急かそうとしているのではないか。
マリアンデールはそんな疑いを抱き始めていた。
そもそも、『初代セシル』を初めて召喚してロレッタの状況を聞いた数日後にこの状況。
いくら何でもタイミングが良すぎるというか、作為的な物を感じる。
不自然さが拭えないのだ。
それに、地獄内部の状況はマリアンデールですら把握できない。
唯一の情報源は『初代セシル』から語られる話のみだ。
元々初対面の時から何かを隠しているような印象があったし、鵜呑みにするのは危険が高い。
ロレッタが危険な状況なのは事実のようだが、だからといって現状の曖昧なままではセシルを向かわせるという判断はマリアンデールにはとてもではないが下せなかった。
マリアンデールから疑いの視線を向けられた『初代セシル』は狼狽えた様子で言った。
「ま、待って欲しい。マリアンデールさんが疑問を持つのはもっともだと思う。でも事実なんだ。私は今回だってあの子の事を本気で守ろうとしたけれど守り切れなかった。こうなってしまった理由だってちゃんとある」
「その理由というのは?」
「それは……出来る事なら今この場では言いたくない」
『初代セシル』が言い淀む。
マリアンデールは小さく息を吐いた。
「そこを説明せずに信用しろと言われても難しいわね」
「………」
『初代セシル』は口をつぐんでしまった。
余程言いたくない理由なのか、それともそもそも理由など無かったのか。
しかしやがて『初代セシル』は意を決したように言った。
「わかった、話すよ。……実を言うと、今までは私一人でロレッタを守っていた訳では無かったんだ。他にも協力してくれていた人たちがいたんだよ」
「他の協力者って、地獄なのにそんなのがいたのか?」
セシルが驚いたように言う。
『初代セシル』は頷いた。
「ああ。……レイミナとベレンの二人さ。あの二人が助けてくれていたんだ。それが失われた影響がここまで大きいとは思わなかったんだ」
マリアンデールは耳を疑った。
「『レイミナ』と『ベレン』ですって? あの個体たちがあなたとロレッタを助けていたって言うの?」
すると『初代セシル』は首を横に振った。
「違うよ。彼らを取り込んだ『この世ならざる者』たちの事じゃなく、彼ら自身さ。――奴らに取り込まれていたレイミナとベレンの魂が、ロレッタを助けてくれていたんだ」




