第92話 動揺
「え……」
マリアンデールは言葉に詰まった。
言われてみればその通りではあった。
呪いの館の怪異たちは人形のセシルも含めてロレッタを元の場所へ返すために生まれてきたのだ。
その役割が終われば怪異として存在し続ける理由は無くなる。
当然と言えば当然の話ではあったのだが、マリアンデールは指摘されるまで全く気付いていなかった。
数百年もの間ずっと関わっていたので頭から完全に抜け落ちていたのだ。
「君は呪いの館の怪異たちに随分思い入れがあるようだけど、もし彼らがいなくなったとして後悔したりはしないかい? もしもそれが原因で業務に支障が出るようになったりしたら僕としても困るし。……今ならまだ別の方法も選べるんじゃない?」
ロレッタの事はもうこれ以上何もせず放置し、怪異たちにはまだ時間が掛かるから待って欲しいとか適当にごまかし続ければ今の関係を永遠に続けられる。
あの怪異たちとずっと一緒にいられるだろう。
神は暗にそう言っているのだ。
だが、マリアンデールは呆れ顔で即答した。
「そんな事、する訳がないでしょう」
「そうかい?」
「あの子たちはこれまでも十分役目を果たしてくれました。それに対して不義理を返すつもりはありませんし、封印の扉の管理者の立場としても地獄にロレッタがいるとなれば尚更放っておく訳にはいきません」
仮に怪異たちが消えたとして寂しくならないかと言えば嘘になる。
だが、元々そういう契約であの子たちを怪異として誕生させたのだ。
個人的な感情でそれを反故にするつもりなどマリアンデールにはさらさら無かった。
「……ふーん、そっか」
マリアンデールが全く乗らなかったためか、神は詰まらなそうに背もたれに寄り掛かった。
恐らくはマリアンデールを気遣った訳ではなく、面白半分に揺さぶりを掛けてどんな反応をするか試したかっただけなのだろう。
こいつは昔からこういう事を平気でやるのだ。
だからこそ魔女たちから魔王だの悪魔だのと影口を叩かれているのである。
ジトッとした目を向けるマリアンデールに対し、神は悪びれる様子もなく言った。
「ま、君がそれで良いなら構わないよ。地獄への立ち入りも許可しよう。くれぐれも気を付けてね」
「ありがとうございます」
「ただ許可するのはいいとして、実際にどうやって地獄へ立ち入るかの目途は付いているのかい?」
「いえ、『封印の膜』の術式を改変して解決できないかと試行はしていますが、まだはっきりとは……」
マリアンデールは答えた。
すると神は顎に手を当てて言った。
「そう。じゃあ君の覚悟に敬意を表してちょっとだけ手伝ってあげようかな」
「は?」
マリアンデールはそれを聞いて思わず声を漏らした。
何とかして相談に乗って貰いたいとは思っていたが、まさか向こうから提案してくれるとは思わなかったのだ。
何しろ相手は神。
この世界の創造主であり、想像を絶するほどの知恵と力の持ち主であり、少しでも地上に介入すれば多大な影響を及ぼしてしまうような存在である。
だからこそ普段は口出しをするだけで自分からは動こうとせず、マリアンデールたち魔女に指示を出すだけに留めているのだ。
それがどういう風の吹き回しか、マリアンデールに知恵を与えると言う。
こんな事は初めてだった。
「宜しいのですか?」
「ああ、今回だけ特別にね。その膜の術式ってやつ、詳しく教えてもらえる?」
「は、はい……」
マリアンデールは戸惑いながらも封印の膜の術式の構造を神に話した。
その術式は酷く複雑なので口伝だけで理解するのはかなり難しいはずなのだが、神は一度聞いただけですんなりと把握した。
「つまりこんな感じでいいのかな」
そう呟きながら軽く人差し指を振ると、神の前にシャボン玉のような不定形な球状の膜が現れる。
まさしくそれは『レイミナ』が扱っていた封印の膜の魔術そのものだった。
「………」
自分はこの魔術を再現するのに一ヶ月近く掛かったのに、こうもあっさりと発動させてしまうとは。
宙を漂う膜を見上げながら、やはりこいつは神なのね、とマリアンデールは思った。
神のほうはマリアンデールのそんな視線に気付いているのかいないのか、ただ興味深げに封印の膜だけを眺めていた。
「確かに強力なだけあって柔軟性に欠ける術式だねえ。これを複数発動させるとなると……あ、そうか。考え方を変えたらいいのか」
「と、いいますと?」
「この魔術を二つ以上一度に発動させようとせず、発動させたものを分裂させればいいのさ」
神はそう言いながらもう一方の人差し指をクルリと回す。
すると宙を漂う球体の中央が凹み、二つに分離した。
「なるほど……」
二つになった封印の膜を見つめながらマリアンデールは言った。
この方法ならセシル以外にも封印の膜を付けて地獄のロレッタの元へ向かわせることが出来るだろう。
しかし……。
「でも、この方法はこのままでは使えないね」
「そうですね、残念ながら」
神の言葉にマリアンデールも頷いた。
確かにこれなら封印の膜を増やせるが、マリアンデールには使えない。
何故かと言えば、術者への負担が大きすぎるからだ。
魔術というのはデリケートな代物だ。
決まった形や動きをさせるなら問題ないが、術式で設計された以外の動作をさせる場合は常に術者がその魔術に対して魔力を送り込み制御する必要がある。
ただでさえ複雑な封印の膜の術式でそんな事をしようとすれば少し気を抜いただけで魔術が暴走して大惨事になる。
そうでなくてもマリアンデールの魔力と神経はあっという間に尽き果ててしまうだろう。
長時間維持して発動させるとなれば文字通り命を削る覚悟が必要になる。
とはいっても、これはあくまで叩き台だ。
神はやり方を示しただけで、マリアンデールにこれをそのままやれと言っているのはない。
こうすればいい、という方針さえ決まってしまえば後はリスクを減らして同じことが出来るように術式を改良していけばいいだけ。
完全な手探り状態だった今までに比べれば大きな進歩である。
神は指を鳴らした。
それと同時に宙に浮いていた二つの膜が弾けて消える。
「さて、こんなもので良かったかな」
「十分です。ありがとうございます」
マリアンデールは深々と頭を垂れ、心から感謝を述べた。
だがその時、マリアンデールの全身に突然電撃のような感覚が走った。
「ひぎいッ!?」
頭を下げていたところへそんな刺激を受けたため、マリアンデールは前のめりに派手に引っくり返る。
これには神も驚いて目を丸くした。
「いきなりどうした。大丈夫かい?」
「……はい、大丈夫です」
マリアンデールは厳しい表情を浮かべながら立ち上がった。
ただ、厳しい表情を浮かべていた理由は倒れて恥を掻いたからではなかった。
今の電撃のような感覚は、呪いの館からの緊急呼び出しの合図なのだ。
館全体を覆うように発動させている結界に怪異が触れるとマリアンデールにこうして通知が届くようになっているのである。
「申し訳ありません、急ぎの用事が出来ましたのでこれで失礼します」
「そうなの? 残念だけど、まあ仕方ないか。それじゃあ何かあったらまた連絡を頼むよ」
「はい」
手早く挨拶を済ませると、マリアンデールはその場から素早く姿を消した。




