第91話 天国の魔女
『初代セシル』との遭遇から数日後、マリアンデールは久々に天国を訪れていた。
前回『レイミナ』の一件を報告に来て以来だから、かれこれ半年振りになる。
「……はあ」
マリアンデールは溜息を漏らした。
これから神に会わなければならないと考えると気が重いのだ。
だがいつまでもここで棒立ちしている訳にもいかない。
マリアンデールは諦めたように足を踏み出した。
外という概念が存在しない、神殿のような一つの巨大な建造物。
それが天国という空間だった。
基本的に真っ白な世界である。
ひんやりと冷たい謎の素材で出来た床も白いし、区分けのために立っている柱や壁、天井も当然のように真っ白。
何から何まで白いので、黒いドレスに身を包んだマリアンデールは傍目には相当に異質な存在として映る事だろう。
といっても、ここにいるのは神の他にはマリアンデールのような魔女か、あるいは天寿をまっとうし転生の順番を待ちながら眠っている魂たちだけだから、別に気にする必要も無いのだが。
「さてと……」
マリアンデールは神殿の奥の大きな扉に閉ざされた部屋の前で立ち止まった。
一旦ゆっくり深呼吸をしたあと、扉の前に手をかざす。
すると少し時間を置いて扉が仄かに輝き始め、音を立てて開き始めた。
立ち入りを許されたようだ。
マリアンデールは唇をギュッと閉じ、緊張した面持ちで中へと入って行った。
扉の向こうは謁見の間。
この神殿の主、つまり神に目通りをするための部屋だった。
「おや、これはまた珍しいお客さんじゃないか」
マリアンデールが立ち入った途端、奥にある玉座に腰かけていた少年が声をかけてきた。
十歳くらいの小柄な少年だった。
いたずらっぽい笑みを浮かべた小奇麗な格好の少年。
良いところのお坊ちゃん、という感じである。
だが、マリアンデールはそのまま歩いて行くと、少年の前に跪いた。
「お久し振りです、我らが主」
「相変わらず堅苦しいなあ。もっと砕けて貰っても構わないのに」
「そうはいきませんよ。あなたは神なんですから」
マリアンデールは頭を下げたまま言った。
そう、この何の変哲もないような少年がこの世界の神なのだ。
ただし、これは神の真の姿ではない。
神はそもそも決まった形を持たず、見た者によってその姿は千差万別に変化する。
マリアンデールの目に少年のように映っているのは、初めて会った時にマリアンデールが神に対して「少年みたいな話し方と声だな」という印象を持ったためだっだ。
それがずっと固定化されてずっと少年の姿に見えているだけなのだ。
「それで、今日はどういった用件なの? 君がわざわざ自分からここへやって来たって事はそれなりに大事な話なんでしょ?」
「はい。実は呪いの館の魂の件でお伝えしたい事がありまして」
「呪いの館の魂……? ああ、あの奇妙な状態になってる女の子か。何か進展があったのかい?」
「それが……」
マリアンデールは『初代セシル』が語った内容を話して聞かせた。
報告が終わると、神は興味深げに頷いて見せた。
「へえ、怪異と『この世ならざる者』のハーフとして生まれた人形に、天国・現世・地獄に同時に存在する少女か。……魔術の暴走時はおかしな事が起きるのが常だけれど、思ってた以上に面白い事になっていたんだねえ」
「笑い事ではありませんが」
「ごめんごめん。それで? 僕にその話を持って来てどうして欲しいんだい? 内容的にはそこまで重要とも感じないし、頼み事があるからわざわざ出向いて来たんだろう?」
神が尋ねる。
マリアンデールは言った。
「地獄にいるロレッタの救出のため、応援として魔女を何人か寄越して欲しいのです」
「それはちょっと難しいかな」
「何故です」
「君なら理由は聞かなくてもわかるだろ? 単純に人材を回せるような余力が無いんだよ」
「………」
確かに現在……いや現在に限った話ではなく、この世界の裏方は常に人手不足だった。
マリアンデールが仕事中毒気味になってしまっているのもそのせいだし、人間の魂一つを助けるためだけに人を割くような余裕はない。
ただ、それはマリアンデールも十分承知している。
突っぱねられるのも想定の内。
本題はここからである。
「それではその代わりに許可を一つ頂きたいのですが」
「許可? 何の?」
「私が地獄へ立ち入る許可を、です」
「ほう」
神は面白い玩具でも眺めるような目でマリアンデールを見た。
マリアンデールは仮面のような愛想笑いで返す。
怪異たちには伝えていなかったが、魔女は神との契約により地獄への立ち入りは禁じられていた。
そもそも魔女にとって立ち入る必要のない管轄外区域だからというのもあったが、万が一にでも魔女が地獄の泥に取り込まれて『レイミナ』のような特殊な個体になり果てれば世界を揺るがす脅威となり得るためだ。
本来ならば絶対に通らないような要望である。
ただ、マリアンデールはついさっき増員の願いを断られたばかりだった。
一般に、最初の要求を断られた後の譲歩案というのは心理的に断りにくい。
普通なら通らないような要求が、最初の要求よりはマシだから、とあっさり通ったりする。
つまりマリアンデールの本命は最初からこちらの方だったのだ。
もっとも、こんなやり方では露骨すぎるので普通に考えれば一笑に付されて終わってもおかしくはない。
大体相手は神なのだ。
マリアンデールの狙いなど当然見通しているだろう。
しかしマリアンデールは敢えて意図的にこんな下手な交渉をしてみせた。
目の前にいるこの神が、こういう事をすると面白がるタイプだというのを知っていたからだ。
マリアンデールの読み通り、神は楽しそうに笑った。
「地獄への立ち入り許可か。これまた大きく出たね。でもそんな物は必要なの? 今の話を聞いた限りでは、そのセシルという人形に『封印の膜』の魔術を掛けたら君には地獄へ立ち入る術は無いんだろう?」
「現状はその通りです。ですが今後その手段の確保と立ち入りの必要性が生じる可能性も無いとは言えませんので、あらかじめ許しを頂いておきたいのです」
「ふーん……」
神はしげしげとマリアンデールを観察した。
それから言った。
「なるほど。どうやら君は僕が考えていた以上に本気でロレッタという子を助けたいみたいだね。でも君は本当にそれでいいのかい?」
「構いません。多少のリスクは承知の上です。もちろんその際は細心の注意を払いますのでご心配には及びません」
「いやいや、そうじゃなくて」
「………?」
マリアンデールは怪訝な顔をする。
すると神はやれやれと首を振り、どこか困った様子で言った。
「ロレッタの問題が解決してしまったら、呪いの館の怪異たちがあそこに留まる理由も無くなるだろう? きっとこの世界から成仏する事を望むんじゃないかな。そうなっても君は大丈夫なのか、と聞いているのさ」




