第86話 呪いの館が生まれた日
「この館でベレンが魔術の暴走を起こしたのは、私が魔女になって十年経ったかどうかという頃でね。魔女としての仕事で地獄への穴の封印を行うのは初めてだったから、あの時の事は今でも鮮明に覚えているわ。……って、私の話はどうでもいいわね」
マリアンデールは当時の様子を語り始めた。
異常な魔力を感知したマリアンデールが駆け付けた時、この館の周囲一帯は既に酷い有様になっていたそうだ。
辺りには瘴気が充満し、暴走が起きた現場と見られるこの館の窓やベランダなどからは地獄の泥が滝のように溢れ出していて、『この世ならざる者』の姿もあちこちに見えた。
「はっきり言って生存者なんて期待する気にもならないような状態でね。放っておいたら他の地域にまで被害が及びそうだったから、急いで泥を地獄へ戻して穴を閉じる必要があった。……でもね、いざそのための魔術の詠唱を始めようした時なんだけど、おかしいなって思ったの」
「というと?」
「溢れ出した泥の広がり方が不自然だったのよ。普通の水ってさ、平らな面に落としたら円を描くように均等に広がるものでしょ? 泥も液体だから基本的には同じようになるの。でもあの時の泥は、どう見ても特定の方向へ偏って流れていた。まるで何かに引き寄せられているかのようにね。それで気になって泥が流れる先へ目を向けてみたら、いる訳がないと思っていた生存者が必死に走っているのが見えたのよ。……いえ、正確には生存者とも異なる存在だったのだけど」
「それが『初代セシル』だったの?」
「ええ」
マリアンデールは最初、泥の洪水から逃げているのは人間の少女だと思った。
だがどうも様子がおかしかったのでよく確認してみると、違うと分かった。
逃げているのは二人組だった。
ぐったりとした人間の少女を、小さな人形が背中に抱えて走っていたのだ。
人形は迫りくる泥の波を跳んだりフェイントをかけたりしながら巧みにかわしていた。
しかし自分よりも大きなものを背負っているためか、じわじわと距離を詰められていく。
どうして人形がひとりでに動いているのか、マリアンデールは状況が飲み込めなかったが、とりあえず助けに入る事にした。
以前、神から魔術の手ほどきを受けた際、神は「魔術の暴走が起きた時って、想定外の出来事がいくらでも起こるから覚悟しておいてね」と楽し気に言っていた。
恐らくあの人形がその想定外の出来事という奴なのだろう。
魔術の暴走の影響で偶然命を与えられてしまった人形が、持ち主の女の子を必死に守っている。そんなところだろうか。
それにしても、あそこまで執拗に泥に追われているのは謎ではあったのだが。
マリアンデールは泥に追いつかれそうになっていた人形たちの背後に割って入ると、魔術を使って周囲の泥を凍らせた。
突然現れたマリアンデールを人形は呆気に取られたような目で見上げた。
そして驚いたことに、言葉を話した。
『あなたは一体何者? どうして私たちを助けてくれたの?』
『そうね、私は魔女とだけ名乗っておくわ。この酷い有様を鎮めに来たの。あなたたちの名前は?』
『私はセシルだ。この子はロレッタ』
『セシルにロレッタね。それでセシル、あなたどうして泥に追いかけられていたの? 心当たりとかある?』
人形はその質問に答えてはくれなかった。
そこへ何体もの『この世ならざる者』が飛び掛かって来たせいで、それ以上は言葉など交わしている余裕が無くなってしまったためだ。
まずは事態の鎮静化が最優先だろう。
しかし泥を引き寄せるこの二人を守りながら地獄の穴へ向かうのはリスクが大きい。
マリアンデールは躊躇った。
すると人形が言った。
『魔女さんはこの状況をなんとか出来るの?』
『え、ええ。そうなんだけど……』
『ならお願い、速く行って。私たちは気にしなくていいから』
人形はマリアンデールの返事を聞かず少女を抱えて再び走り出した。
その後ろに再び泥の波が迫って行く。
マリアンデールは不安を感じたが、迷っている時間は無かった。
人形たちに背を向け館へ目をやると、地獄への穴に封印を施すために単身で突入して行った。
※ ※ ※
「……で、それから三十分程度だったと思うけど、私は溢れていた泥を残らず地獄へ押し戻し、開いていた穴を封印の扉で塞いだわ。まだ瘴気は多少残っていたものの、とりあえずの危険は取り除けたと言えた」
マリアンデールは言った。
鎮静化の下りを随分あっさり流したな、とセシルは思ったが、恐らくそこは今回の本題とあまり関係ないためだろう。
まあ、単に自分の活躍を話して聞かせるのが照れ臭かっただけかもしれないが。
「私は館から外に出てセシルたちを探した。もう心配ないと伝えるためと、さっき聞けなかった詳しい事情を聞くためにね。……でも残念ながらそれは叶わなかった」
「……何故?」
三兄弟の真ん中、タガーが尋ねる。
マリアンデールはセシルをチラリと見てから言った。
「文字通り、口を利ける状態では無くなってしまっていたのよ。私が二人を見付けた時、少女の方は無傷だったんだけど人形は見るも無惨な状態でね。顔の部分が砕けて穴が開いてしまっていたの」
「え」
セシルは思わず自分の顔に手を当てた。
ウェンドリンが言った。
「それじゃ、その人形は今のセシルとは別の人形だったの?」
「いえ、同じ人形よ。顔は砕けていたけれど人形から魔力は感じられたからね。怪異として死んだ訳ではないようだった。だから近くに散らばっていた破片を集めて魔術で元通りに修復したの」
「しかしそれでも話は出来なかったのか」
リンゲンが言う。
マリアンデールは頷いた。
「そうね。修復は上手くいったはずなのに、人形はまるで目を覚ます気配が無かった。そしてその時の私には人形を詳しく探る余裕も無かった。ついさっき封印したばかりの地獄の穴からどういう訳か泥が噴き出してきて、その対応に追われる事になってしまったから」
「泥が噴き出したというのは、つまり……」
「ええ、ロレッタの影響ね。初めて見る現象だったから最初は本当に焦ったわ。私が組んだ封印の扉の術式が間違えていたのかって思って何度も確認したりしてね。でも調べたらそうではなく、ロレッタが泥を引き寄せているらしい事が分かってきた。考えてみたらセシルはロレッタを背負って逃げていたんだから、狙われていたのがロレッタのほうだというのはもっと早く気付くべきだったんだけど」
さらに調べてみて、ロレッタがかなり特殊な状態だと判明した。
どうしてそうなったのかは知らないが、このロレッタという少女は本来の肉体を失った幽霊とか魂そのものに近い存在であり、世界のことわりから外れ、この世や天国など複数の空間に同時に存在してしまっているらしいと分かった。
地獄の泥を引き寄せてしまうのもそれが原因のようだった。
複数の空間を跨いで存在する、というのはいわばこの世と天国を繋げるトンネルと同義なのだ。
そのため、本能的に天国への強い羨望を抱えている地獄の泥は、彼女を取り込みその先の天国を目指すために付け狙う。
魔術ではロレッタをその境遇から解放する事は出来なかった。
放っておけば遅かれ早かれ少女は地獄に引きずり込まれてしまうだろう。
しかしマリアンデールも他の仕事があるので、少女の傍にずっと留まってはいられない。
代わりとなる守護者が必要だった。
そこで、マリアンデールは今回の魔術の暴走によって壊滅し生存者もいない周辺の民家や畑などを跡形もなく消し去り、森に作り替えた。
そしてロレッタと縁の深そうな物を六つ選んで怪異を作り出すと、ロレッタの保護と地下の扉の監視、外部からの侵入者の撃退を命じた。
こうして誕生したのがこの呪いの館だったのだ。
「その後の事はみんなの知っての通りよ」
幸いというか、怪異たちは物だった頃の記憶を保持していた。
そのお陰でマリアンデールは魔術の暴走を起こしたベレンという男の動機や末路を知る事が出来た。
しかし、ある程度の事情は分かったもののロレッタを天に還す方法に関しては相変わらずのお手上げだった。
恐らくは魔術が暴走した際に何かが起きたのだ。
その何かさえ分かれば手の打ちようもあるかもしれないのだが、それを知っているかもしれない人形は一向に目を覚ます気配は無かった。
相変わらず魔力は感じられるから怪異として生きてはいるのだ。
それなのにどういう訳か眠ったままなのである。
このまま目覚めない可能性もあるし、余計な期待を持たせてはいけないと考えてマリアンデールは他の怪異たちに人形の詳細は語らなかった。
だが、そのまま年月が過ぎ、十数年ほど経ったある日の事。
マリアンデールは怪異たちから「人形が目覚めた」と連絡を受けた。
ようやく事態が進展すると思い急いで駆け付けたが、マリアンデールは落胆する事になった。
目を覚ました人形の言動は、気が触れそうなほどに取り乱した何も知らないただの人間のそれだった。
怪異たちに聞いた所によると、人形は人形が寝かされていた執務室へ逃げ込んで来た侵入者の魂を取り込み、その侵入者の人格を再現するように動き出したのだそうだ。
それ以来人形はマリアンデールが『魂の交換』と名付けたその奇妙な呪いを大体数十年おきに発動するようになった。
マリアンデールには『魂の交換』の仕組みは解析できなかったが、そもそも『魂の交換』に巻き込まれたのはこんな館に勝手に侵入してきたせいだ。
だから人形に身体を入れ替えられてしまった人間たちには多少の同情はしていたものの、冷ややかに眺めてもいた。
そして、同時にこうも思っていた。
現在の人形のセシルという怪異は、本来の魂を失ってしまったのだろう。
あの日マリアンデールが遭遇した『初代セシル』は既に消滅してしまったのだろう、と。
「――でも、そうでは無かったらしい。半年前の騒動によると、表に出て来ないだけでどうやら『初代セシル』の魂はセシルの中にまだ存在しているらしいという事がわかった」
マリアンデールは薬瓶の蓋をトンと指で叩いた。
「あと一年……いえ、半年だけ待ってちょうだい。それまでにこの薬をまともに飲める物に改良するから。そうしたら『初代セシル』への接触も図れるし、ロレッタを助ける手掛かりも掴めるかもしれない」
「………」
怪異たちはしばらく誰も口を開かなかった。
戸惑いの色を浮かべていたり、マリアンデールの語った内容を真剣に吟味していたり……それぞれが様々な表情を浮かべていた。
そんな中、沈黙を破るように声が響いた。
「半年も待たなくて良くないか?」
セシルだった。
怪異たちが一斉に困惑の視線を向ける。
「待たなくて良いってどういうこと、セシル」
マリアンデールも訝し気に尋ねる。
するとセシルは何でもない事のように言った。
「いや……だってその薬、今の状態でも別に飲めそうだし」




