第83話 いつもの幕切れ
『さっきの男の人、見つかった?』
キッチンの天井から垂れ下がった紐から声がする。
首吊り女――ウェンドリンが館中に張り巡らせている連絡用の紐である。
「ああ、お前さんが言ってた通りキッチンに転がっとったよ」
「この様子を見ると、セシルさんたちを見て気が動転したようですね」
『そういう事か。キッチンに逃げ込まれた時はヒヤッとしたけど大事にならなくて良かったわ。……それじゃ、その人の回収よろしくお願いしますね』
「お任せください」
今は老紳士の姿に戻ったミイラ――アルベルトが返事をすると、紐は天井の隙間に吸い込まれ回収されていく。
今回の侵入者は一人だけなのでもう警戒を解いて問題無いと判断したのだろう。
件のコートの男はキッチンの床で白目を剥いたまま痙攣している。
しばらく目を覚ます心配も無さそうだ。
「やれやれ。今回の奴はなかなか手こずりましたな」
調理台に腰掛けたリンゲンがコートの男を見下ろしながら言った。
先程までは巨人の姿だったがいつもの小人に戻っている。
アルベルトもリンゲンの言葉に頷いた。
「身のこなしも判断力も中々のものでしたし、いつもの侵入者とは違っていましたね。あまりにも逃げるのが上手いので危うく何度か本気を出し掛けてしまいました」
「わしもですよ。近頃は骨のない奴ばかりだったとはいえ少々油断が過ぎましたな」
リンゲンが肩をすくめる。
本来なら今回の侵入者はリンゲンと食器類――ポルターガイストの三兄弟だけで対応するつもりだったのだ。
それがまんまと逃げられ、動ける怪異を総動員することになってしまった。
コートの男がキッチンへ逃げ込んだのも怪異たちの意図的な誘導などではなく、完全な想定外。
今の怪異たちにとっては一番侵入されたくなかった場所だった為かなり肝を冷やすことになった。
ただ、コートの男がここまで逃げ回れていたのは、リンゲンたちの言う通り怪異側が手加減をしていたからという側面が大きかった。
呪いの館の怪異たちは、本来は人間を驚かすために生まれて来たのではない。
館どころかこの世界そのものに脅威をもたらす『この世ならざる者』と呼ばれる存在を相手にするために生み出されたのだ。
だから本気など出せば人間など簡単に壊してしまう。
戦闘に特化した怪異であるアルベルトなどは特にその辺りの力加減が難しいので、動いている人間が近くにいる時は高速移動も迂闊に使えない。
だから手加減をする必要があるのだ。
ただ断っておくと、別に怪異たちは人間の味方という訳ではない。
人間を物理的に壊すのを避けているのは「後始末が面倒になるから」という理由でしかない。
明らかに館に対して害意のある人間、あるいは何度追い払ってもしつこく館にやって来るような人間などに対しては、一切の加減はしなくなる。
こうして床に転がっているコートの男も、もし破れかぶれになって肉塊に襲い掛かったりしていれば怪異たちに本気を出されていたかもしれない。
そういう意味では早々に気絶できたのは男にとっても運が良かったと言えなくもなかった。
アルベルトは言った。
「何はともあれ、セシルさんたちが無事でなによりでした」
「そうですな。今のあの状態は無防備極まりないですし」
リンゲンたちは食糧庫へ目を向けた。
食糧庫の中はコートの男が見た時と同じ光景のままだった。
巨大な肉塊が赤いドレスの少女の上半身を喰べている。
そして喰われている少女のほうは未だに肉塊からの脱出を試みているらしく、何やら喚きながら足をバタバタさせていた。
しかし肉塊はまるで気にする様子もなく、モニュモニュとマイペースに少女を咀嚼し続けている。
そうしている間にも肉塊はどんどん膨らみ、増えていく。
「この様子を見ると、今回は体内の瘴気の量がいつもより多かったようですね」
「そのようですな。まあいい加減そろそろ終わるはずですが」
この肉塊に喰われている少女は人間ではない。
はみ出している足を観察してみれば分かるが、人形だ。
リンゲンたちと同じくこの呪いの館の怪異である、人形のセシルである。
そしてセシルを咥えている巨大な肉塊は謎肉。
本来は手のひらサイズのピンク玉。
周りに付いた肉の塊は瘴気無毒化の副産物である。
どうして謎肉がセシルを咥えていたかといえば、セシルの身体に溜まった瘴気を吸引するためだった。
人形のセシルが持つ特性の一つである『魂の交換』。
目の前の人間と人形の中の魂を入れ替えてしまうという恐ろしい呪いである。
この呪いは長い間発動条件が不明で、さらにセシル自身の意志と関係なく勝手に発動するという厄介極まりない代物だったのだが、半年ほど前にイリス神教の教会本部で起こった一連の騒動の過程で「どうやらこの呪いはセシルの体内に一定以上の瘴気が蓄積されることで発動するらしい」と判明した。
ならばセシルの身体から定期的に瘴気を取り除いてしまえば呪いの発動は予防できる。
そういった理由から、大体月に二回くらいの頻度で謎肉に瘴気をこうして吸い出して貰うようになっていたのだ。
絵面はかなり酷いが必要な事ではあるのである。
ただ、この吸引施術の最中は謎肉もセシルもまともに身動きが取れない。
完全に無防備である。
そこへ侵入者がやって来た気配がしたのでセシルは慌てて謎肉から抜け出そうと藻掻き始めたのだろう。
問題の侵入者は既に気絶しているのでそれを伝えて安心させてやりたいが、この状態ではまともに会話など出来ない。
さてどうしたものか、とリンゲンたちは少々困った。
するとその矢先、謎肉が口をパカッと開けた。
吸引が完了したらしい。
途端にセシルは謎肉から勢いよく飛び出して身構えた。
「ようやく終わったか! ……って、あれ、リンゲンさんにアルベルトさん? 侵入者は?」
やはりすぐ傍に侵入者がいると思っていたらしいセシルが呆気にとられた様子で二人を見上げる。
「侵入者ならわしらの後ろで寝とるぞ」
「なんだそうか。二人がやってくれたの?」
「いえ、決定打を与えたのは恐らくセシルさんたちです」
「へ?」
セシルがポカンと口を開ける。
リンゲンがガハハと笑った。
「まあ詳しいことは後で話してやる。とりあえずお前は謎肉の無駄な肉を切り落としてやれ。わしらはこの男を外へ放り出してくる」
「う、うん……わかった」
セシルはまだ釈然としない様子だったが台所から包丁を抱えてくると謎肉の身体に付いた肉を丁寧に切り離し始める。
謎肉が気持ちよさそうに目を閉じて「モ゛ー」と鳴いた。
姿さえ気にしなければ羊か何かのようである。
アルベルトは倒れたままのコートの男を引きずって廊下まで運んだ。
その後はリンゲンが大きく息を吸って再び巨人の姿になり、コートの男を無造作に掴むとエントランスへと歩いて行く。
その途中でリンゲンが思い出したように言った。
「そういえばマリアンデールの姿を最近見てないな。また碌に休みも取らず無茶をやっとるんだろうか」
「マリアンデール様でしたら数日前にいらっしゃいましたよ。ちょっと様子を見に来ただけとかですぐにまたどこかへ行ってしまいましたが」
「おや、そうだったのですか?」
「はい。お食事にお誘いしたのですが今は時間が無いからと断られてしまいましてね。尋ねてみたところではセシルさんに関する何かの薬を調合中なのだそうで、間もなく試作品が完成すると仰っていました」
「薬の調合、ですか……」
リンゲンは眉を寄せた。
セシルに関わる……というと、恐らくはセシルの持つ呪いか、あるいは教会本部の一件でセシルたちの夢に現れたという『初代セシル』絡みの代物だろう。
これはひょっとするとまたひと騒動起こるかもしれない、とリンゲンは思った。
アルベルトを見ればどうやら同じような事を考えているらしい。
ただ、どんな騒動になるとしてもそれはマリアンデールがその薬とやらを完成させてからだろう。
憶測であれやこれやと今から心配しても仕方がない。
リンゲンたちはそれ以上はその話題には触れず、地響きを鳴らしながらコートの男を運んで行った。




