第8話 まだらの紐の女
「これで全部か」
ちり取りを振っても埃しか落ちなくなるとリンゲンはふむと頷いた。
作業台の上にはセシルの身長の倍近くに届こうかという巨大な破片の山が出来上がっていた。
こんなもの本当に元通りに出来るのか?
セシルは未だに半信半疑だった。
リンゲンは作業台から工具が並んでいる棚に跳んだ。
そしてそこにちり取りを置き、代わりにブラシを持って戻ってくる。
「さて、それじゃ始めるか」
リンゲンは肩をゴキゴキと回しながら破片の山に近付いた。
そしてしばらくじっと観察していたが、やがて手前の破片を一つ手に取る。
そして――。
「……は?」
その様子を眺めていたセシルの顔に驚愕の色が浮かんでいった。
といって、リンゲンは別におかしなことはしていなかった。
手にした破片をブラシ掛けして埃を落とす。
それからその破片にぴったり嵌まる別の破片を山から探し、それにもブラシを掛けてから破片同士を合体させる。
そこまで済んだらまた次の破片を探し、以下同じことを繰り返す。
それだけと言えばそれだけだった。
ただし、それが言うほど簡単でないことはセシルにもわかった。
この膨大な破片の山から符合するパーツだけを見つけ出すなんて考えるだけでも気が遠くなるような作業である。
しかしリンゲンは破片の山の上を右へ左へぴょんぴょん跳ね回りながら造作なく進めて行く。
その動きには迷いがなく、また先程の掃除の時と同じく異常に早い。
素早すぎて傍目には破片の山の上で跳ね回っているようにしか見えないが、みるみるうちにリンゲンが抱えた破片が一枚の大きな皿へと成長していった。
「ほれ、これで一枚目だ」
リンゲンは皿を組み上げ終えるとそれをセシルのほうへ放り投げた。
セシルがギョッとし、慌てて両手で抱えるようにキャッチする。
受け取るまでは完全に皿の形をしていたように見えたそれは、セシルの腕に触れた途端ガシャリという音とともに破片の集合体に戻ってしまった。
「ちゃんとした仕上げは後でやる。まずは分別するからわかるように並べておけ」
「わ、わかった」
セシルは受け取った皿一枚分の破片を作業台の隅に積み上げる。
ふぅ、と息を付いたのも束の間、すぐにリンゲンから声が掛かった。
「ほら二つ目だ」
見上げると今度はワイングラスが飛んで来る。
セシルは大急ぎでそれを受け取ろうと身構えた。
※ ※ ※
そんな事を繰り返しているうちに、気付けば瓦礫の山も半分以下の高さまで減っていた。
かわりに反対側の作業台には小分けされた小さな破片の山が大量に並べられている。
その頃になるとセシルのほうも慣れてきてある程度は余裕が出てきた。
「それにしても、どうやったらそんな凄いこと出来るようになるんだ?」
セシルが声を掛けるとリンゲンは眉をしかめた。
「フン。あの悪ガキどもが何度も割るから慣れただけだ。この程度のこと大したことでは無いわ」
言い草は不機嫌そうだったが、心なしか跳ね方がそれまでより軽くなったというか、得意げな空気が出ているように見える。
わかり辛いが内心喜んでいるのかもしれない。
「これがこの程度ってことは、他のことも出来るのか」
「当然。この館の大概のものなら直せるわい。なんならこの館自体が壊れてもすぐに建て直してやるわ」
それはさすがに大言のように思えたが、こうしてこんな信じられないような芸当を見せつけられているので本当にやってしまいそうな気もしてくる。
自分にもこれくらいの腕があれば面白い事できそうだよなあ……。
セシルは放り投げられたコップを受け取りながらそんなことを考えたが、ふと思いついて言った。
「リンゲンさん、何でも直せるっていうのならカーテンとか壁紙とか部屋の装飾の直し方もわかるのか?」
「当り前だろう。なんだ、何か直して欲しいものでもあるのか」
「うん。直してくれるならそれでも嬉しいんだけどさ、できれば直し方を教えてくれないか?」
するとリンゲンは跳ねるのを止め、怪訝な顔でセシルを見た。
「直し方を教えろ? そりゃどういう意味だ?」
「オレの部屋の内装がかなりボロボロになっててさ。もっと快適な環境にしたいと思ってるんだけど、できれば自分の手で直せたらって思ってたんだ。それならまた何か壊れたりしてもリンゲンさんを煩わせずに済むし、何より自力で出来たら楽しそうだろ?」
「楽しそう、だと?」
リンゲンは信じられないと言いたげな目で言った。
「セシル、お前ほんの少し前まで人間だったんだろう。なのにどうして部屋のことなどに気をかけられるんだ。今までのセシルは気丈に振る舞う奴もいたが楽しむ余裕がある奴などいなかったぞ」
どうやらリンゲンは人形になったばかりのセシルの気を紛らわせるつもりで作業に付き合わせていたらしい。
後から確認してはいたが、最初に顔を合わせた時点で中身が入れ替わっていることに気付いていたのだろう。
しかしセシルのほうはただ首を傾げ、あっさりと言った。
「マリアンデールからも似たようなことを聞かれたけど、そんなにオレおかしいのかな?」
「なんだと?」
「確かに人間ではなくなったけどオレはこうして生きているし自由に動けるんだ。ならそれで十分だろ? むしろ今の生活を楽しまなきゃ損じゃないか」
「………」
リンゲンは唖然とした様子でセシルを見つめていたが、やがてガハハハハと大声で笑い始めた。
思わぬ反応にセシルが目を点にする。
「そこまでおかしいのか」
「いやいや、そうじゃない、そうじゃない。何しろ予想もしなかった返事だったものでな。こんなに肝の据わった奴は初めて会ったよ」
ふぅ……とリンゲンは心を落ちつけると改めてセシルに向いて言った。
「いいだろう。暇な時にでも教えてやる。ただしみっちり仕込んでやるから覚悟しておけ」
「本当か!? ありがとう」
「だが、それよりまずはこの館を知っておかんといかんな。わしは今は手を離せんし、他に暇そうな奴といえば……」
リンゲンは顎に手を当てながら天井を見上げた。
そして突然、大声で叫んだ。
「ウェンドリン、聞いとるんだろう! 降りてきてこいつを案内してやれ!」
『……ちょっと、初対面の子がいるのに人を覗き魔みたいに言わないでくれる? それに私リンゲンさんが思うほど暇じゃないんだけど』
「ふん、そう言いながらやはり聞いとるじゃないか」
『余計なことは言わなくていいのよ、意地悪!』
その声は上の階からではなく天井から直に聞こえくるようだった。
セシルがリンゲンと同じ場所を見上げてみると、天井から一本の紐が垂れ下がっていた。
所々に黒い斑点のようなまだら模様の付いた太い紐だった。
何だ? あれも怪異なのか?
セシルはやや緊張の面持ちで紐を見つめていたが、不意にノブが回る音がして普通に廊下から誰かが入って来た。
「はいはい、来てあげたわよ」
そこに立っていたのは天井から聞こえたのと同じ声の女だった。
外見の年齢はマリアンデールと同じか少し若いくらいだろうか。長いまつ毛が印象的な顎の細い美人だった。怒ったように口を尖らせているもののまるで笑みを隠せていない辺りリンゲンとの関係も悪い訳ではないようだ。
赤みがかった銀髪を後ろでまとめており、背が低く痩せ型なのに出るところはしっかり出ている。腰の辺りまでスリットが入ったスカートに、ところどころに謎の穴が開いた胸元がゆるゆるのシャツ。
少しでも激しく動いたら見えてはいけないものが簡単に見えてしまいそうな格好だが本人はあまり気にしている様子はない。
恐らくこの女が幽霊三兄弟の言っていた『紐のエロい姉ちゃん』なのだろう。
ただ、この女の特徴は単に露出が多いだけではなかった。
むしろ露出の高さよりも目に付くのは、その首に掛けられた紐だった。
先程天井から垂れていたのと同じまだら模様の紐。
それが首を吊る時の結び方をされて女の首に嵌められていた。
女の表情が明るいだけにその姿は返って異様に感じられた。
「話は聞いていたな? そいつを案内してやってくれ」
「だから人が盗み聞きしてた前提で話すのやめなさいっての!」
女はリンゲンにベーッと舌を出したあと、セシルの前に屈み込んでニコリと優しく笑った。
「ウェンドリンよ。よろしくね」
「よろしく。――でもリンゲンさん、手伝いの途中なのにいいのか?」
「お前の手助けなど無くても問題ないわ。さっさと行け」
リンゲンは破片の山に目を向けながらしっしっと手首を振る。
するとウェンドリンはニヤニヤしながらセシルに耳打ちした。
「あんなこと言ってるけどあの人あなたに早くこの館に慣れて欲しいだけなのよ。バレバレなくせに本当に素直じゃないの」
「聞こえとるぞ。馬鹿な事言ってないでさっさと行ってしまえ」
「はいはい。じゃあお姉さんと一緒に行きましょうか」
「わかった」
セシルは作業台から降りようとした。
だがその時、全身に一瞬ビリっと痺れるような感覚が走った。
「ひゃうっ!?」
思わず変な声を出してその場にうずくまる。
何が起きたのかと思ったが、どうやらそれを感じたのはセシルだけではなかったらしい。
リンゲンと、それからウェンドリンもそれまでとは一転した真剣な表情を浮かべ廊下の方に目を向けていた。
「よりによってこんなタイミングで来ちゃうのか」
「やれやれ。ガキ共は寝てるし他の連中は当てにならん。わしらでやるしかないな」
リンゲンは組み上げ途中だった破片を山に戻し、ぴょんと作業台から飛び降りる。
ただならぬ気配にセシルは戸惑った。
「一体どうしたんだ?」
「客だ」
「客?」
「この館の周りには結界が張ってあるんだけど、それに部外者がが引っかかると今みたいにビリっとしたのが私たちに伝わるようになっているの。――侵入者を排除せよ、っていう警報みたいなものね」
つまり、この館に何者かがやって来たということらしい。
「排除って何をするんだ?」
「別に大したことはしないわ。勝手に入って来たことへのケジメをつけてもらって、あとは丁重にお帰り頂くだけよ」
「ケジメ……?」
「ちょっと脅かすだけよ。……そうだ、ちょうどいい機会だからセシルも見学する?」
「オレも?」
「ええ。あなたにもその内やってもらうことになると思うから」
ウェンドリンはそう言って笑みを浮かべた。