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第72話 白い世界

「初代セシルって……あなた、喋れたの?」

「そうだよ。まあ今まではずっと眠っているような状態だったけどね。こうして話せるようになったのは君のお陰さ」

「私の……? 私、何かした?」


 オルレアは目を尋ねた。

 すると『セシル』はからかうような表情をした。


「あの小僧の身代わりになって泥の拳を受けてくれたでしょ? お陰で私はあの真っ黒な地獄の泥を体内に取り込むことが出来た。その結果、こうして夢の中で君と話ができる程度には力を取り戻す事が出来たのよ」


 オルレアには『セシル』の言っている事が良く分からなかった。

 瘴気は魔力の元であり、怪異が吸ってもそれほど影響は無い。

 だが影響が無いというだけで別に身体に良い訳でもないのだ。


 ましてや地獄の泥となると、普通に有害だから出来る限り触れないほうがいい、とマリアンデールや他の怪異たちからは聞かされていた。

 それなのに泥が身体に入ったから礼を言われるというのは意味が分からない。


「泥が入ったせいで力が戻ったというのはどういう事?」

「言葉通りさ。私の本来のエネルギー源は魔力でも人間の魂でもなく、地獄の泥なんだ」

「え?」

「マリアンデールから聞いたでしょ、私の生い立ち。私はベレンさんが行った魔術の儀式が切っ掛けで生まれた。正確には、暴走した魔術によって地獄の穴が開いてしまった結果ね。だから私の身体の構造は、どちらかと言えば『この世ならざる者』に近いの」

「………!!」


 人形のセシルがマリアンデールによって生み出された怪異ではない、という事はオルレアも聞いていた。

 オルレアが人形になってしまった時、すぐに元に戻せない理由として人形のセシルが生まれた経緯をマリアンデールが簡単に説明してくれたのだ。


 具体的には、呪いの館が呪いの館と呼ばれる原因となったベレンの一件や、マリアンデールがその騒動を収束させたとき、館の中に人形のセシルという怪異が既に存在していたという事などについてである。


 だから人形のセシルには不明な点が多く、『魂の交換』の呪いの発動条件も解明できていないので元の身体に戻すには多少時間が掛かる、と言われ、オルレアもそれで納得していたのだ。


 経緯からすれば人形のセシルが生まれたのはベレンの起こした魔術の暴走が原因と考えるのが自然だろう。

 魔術が暴走した時に予想外の事が起こるのは別に珍しくないから、とマリアンデールも人形のセシルが生まれた事自体に対してはそれほど気にしている様子はなかった。


 だが、まさかそれが『この世ならざる者』――先程の『ケテル』のような存在だったとは。

 『セシル』本人が言うのだからきっと間違いないのだろう。

 それはつまり、自分たちの敵だという事だろうか。


 オルレアは思わず後ずさりした。

 ところが、警戒心を露わにしたオルレアに対して『セシル』は慌てて言った。


「ちょい待ち。早とちりしないで欲しいんだけど、私はこの身があの泥の連中に近い物だって説明しただけ。別にあなたたちと敵対する気は無いよ。むしろ味方と言ってもいい」

「……そうなの?」

「そうそう。……その顔は全然信じてないな。まあいきなりこんなこと言われても信じろって方が無理か。ただ、生憎だけどこれ以上詳しい説明をしている暇は無いんだ。私にはもう時間が無いんでね」

「時間が無い?」


 オルレアが眉を顰めると『セシル』は溜め息を付いて上を見上げた。

 つられてオルレアも同じ方向に目を向ける。


 どこを見ても真っ白な世界なので、見上げた先も真っ白なだけで特に変わった物は見えなかった。

 しかしオルレアはこの世界が段々萎んで行くように感じられた。


 どうしてそう感じたのは自分でも分からない。

 強いて言うならこれが夢の中だからだろうか。

 理屈ではなく、この白い世界はもうすぐ消えて無くなってしまうのだ。

 オルレアは漠然とそう思った。


 そしてどうやらその感覚は当たっていたらしい。

 『セシル』が他人事のような淡々とした調子で言った。


「謎肉ちゃんが物凄い勢いで瘴気と泥を分解してくれちゃってるからね。私は間もなく力を失い、またただの器に戻ってしまう。でもその前に君と話をしておきたかったんだ」

「一体何の話を」

「話というか、お願いだね」


 『セシル』はパチンと指を鳴らした。

 すると二人の足元に何かが現れた。


 それを一目見てオルレアは目を見張った。

 そこに横たわっていたのは修道服姿の人間の少女。

 人間のオルレアの姿をしていた。


「この子は……!」

「それは現在君の元の肉体を使っている奴の魂。要するに君と入れ替わった魂だね。君たちがセシルと呼んでいた小僧の魂さ」


 つまりセシルだ。

 オルレアは屈み込むと声を掛けながら必死にセシルの肩を揺すった。

 しかしセシルは苦悶の表情を浮かべるだけで目を覚ます様子はない。

 『セシル』が言った。


「起こすのは難しいと思うよ。今の君は怪異の身体だったから地獄の泥を被っても致命傷にはならなかったけど、その小僧は人間である君の身体だったからね。本来なら泥に落ちた時点で絶命するのが普通なんだ」

「じゃあ、もうセシルさんは……」

「いや、まだ生きてるよ。この小僧、君の身体になっても平気で謎肉の料理パクパク食ってただろ? そのせいで瘴気や泥にある程度の耐性が出来てたらしくてね、お陰で危険な状態には違いないが即死だけは免れた。この小僧の食い意地には呆れていたが役に立つこともあるんだね」

「そう……ですか……」


 オルレアは少しだけ落ち着きを取り戻し、あらためてセシルを見た。

 一命を取り留めたとはいえセシルは苦しそうだった。


 そしてふとオルレアは自分たちが地獄の穴に落ちた時の事を思い出した。

 あの時のセシルは、オルレアの事を「オルレアさん」ではなく「ティッタ姉ちゃん」と呼んでいた。

 やっぱりこの子は……。


「一つ質問しても良いですか?」

「何だい?」

「『セシル』さん、さっきからこの子の事を『小僧』と呼んでいますよね。それはどうして?」

「どうしてって、小僧だからさ。もう君も薄々気付いているようだから隠す必要も無いかと思ってね。そいつの正体は君の想像していた通りだよ」

「そうなんですね……」


 オルレアはポツリと呟くと、俯いて黙り込んだままセシルの頭を優しく撫でた。

 『セシル』はしばらくそれを眺めていたが、やがて気まずそうに頬をポリポリ掻きながら声を掛けた。


「話を続けてもいいかな。それでさ、君をここへ呼び出した理由なんだけど――」


 しかしオルレアがそれを遮って言った。


「お願いがあります」

「うん? お願い?」

「私とこの子の魂、交換してくれませんか」

「え?」

「一時的でも力が戻ったというのなら『魂の交換』も使えるんでしょう? 私が身代わりになります。だからお願いします、この子を助けて下さい」


 オルレアは『セシル』を真っ直ぐ見つめた。

 その目には全く躊躇いが無かった。

 『セシル』は目を丸くしてオルレアを見返していたが、やがて言った。


「いや、驚いたな。まさか君の方からそれを提案してくれるとは」

「どういう事ですか?」

「私もそれを頼むために君をここへ呼んだのさ。実を言うと、外がちょっと面倒な事になっていてね。恐らくだけど、このままじゃウェンドリンや私たちはもちろん、多分マリアンデールや他の怪異たち、それにこの街の人間たちも全員地獄の穴に飲み込まれてしまう」

「そんな酷い状況なんですか?」

「まあ厳しいだろうね」


 オルレアは驚いた。

 だが、自分たちが気を失う前の有様を思い起こせば確かにそうなっていてもおかしくは無いと思った。

 礼拝堂に開いた巨大な地獄の穴、『この世ならざる者』と化したケテル、かなり激しい戦闘を繰り広げていたらしい地下のマリアンデール。

 自分たちはあっさりとやられてしまったし、事態が好転する要素が無い。


「それでさ、君たちが負けてしまうと私としても都合が悪いんだ。だから状況を引っくり返すために小僧に私の身体へ戻って来て貰うつもりだったのさ」

「この子ならそれが出来ると?」

「多分だけどね。少なくとも『魂の交換』をして間もない君よりは私の身体の動かし方を知っているし、それに……これは付き合いの長い君の方が分かっているだろうけど、この小僧は存外奇抜な発想をするだろう? だから何かしら反撃の切っ掛けを作ってくれるかもしれないと思ってね」

「なるほど。わかりました。それでは早くお願いします」


 オルレアはさあ来いと言うように胸を張り、両手を広げてみせた。

 これには『セシル』のほうが戸惑いの色を浮かべる。


「そう言ってくれるのはありがたいけど……君、分かってる? 今の状況で『魂の交換』を発動するという事は、今度は君は地獄の泥に侵されて最悪死ぬかもしれないという事だよ? だからこそ少しでも納得して貰うために話をしたかったんだけど……」

「ご心配なく。納得ならもうしていますから。私がどうなるかは分かりませんが、少なくともこの子は救える。それなら十分です」


 オルレアはきっぱりと言い切った。

 『セシル』は感心したような呆れたような、何とも言えない顔をした。

 ただしそこには敬意の念のような物も浮かんでいた。


「わかった。では時間も惜しいし早速始めるとしよう」


 『セシル』は両手を軽く掲げ、手の平をそれぞれオルレアとセシルに向けた。

 すると二人の身体が白い光を放ち始める。

 オルレアは身体が沈んでいくような眠気を覚えたが、ふと思い付いて言った。


「『セシル』さん。この子に伝言を頼めますか?」

「構わないよ、言ってごらん」


 オルレアは『セシル』に言葉を伝えた。

 その後、自分を包んでいた光がさらに激しくなり、セシルも『セシル』もどちらの姿も認識できなくなり――いつしかオルレアは深い眠りについていた。



 ※ ※ ※



 いつからここにいたのだろう。

 セシルは何もない真っ白な世界に横たわり、真っ白な空を見上げていた。

 とりあえず起き上がると、自分が人形の姿をしていることに気が付いた。

 なんだこれ、夢か?


「お、気付いたか。思ったより早かったな」


 不意に背後から呼び掛けられた。

 一体誰だ、と振り返ると、人形が立っていた。

 人形のセシルだ。


 あれ? と思い自分の身体に目をやる。

 しかし間違いなく自分の身体もセシルだった。


 どうしてセシルが二体いるんだ?

 やっぱりこれ、夢か?


 セシルが混乱していると『セシル』が言った。


「お前の姉さんからの伝言だ。『無事でよかった』だとさ」

「え……?」

「さて、そろそろお目覚めの時間だ。期待してるぞ」


 『セシル』がパチンと指を鳴らす。

 それを合図に『セシル』と真っ白な世界が消えてなくなり、足場を失ったセシルは思わず叫び声を上げながら奈落の底へと落ちて行き――次の瞬間、意識を取り戻した。

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